第7話

 エレベーターの中で、いきなり麻里が幸雄の前を鷲掴みにした。

「おい、止せよ! カメラがあるぞ」

「見られている方が興奮するじゃないか!?」

「痛えよ。止めろ」

 だが一階に着いた時、幸雄のものはすでに究極の変貌を遂げていた。

 二人は縺れるようにエレベーターを転がり出たが、途端、麻里はぴたりと悪戯を止めた。

 呆気にとられながら、幸雄はまた車に乗り込んだ。

 ハンドルを握った途端、麻里の背筋がシャキッと伸びた。運転中の麻里は、口はきくものの、運転は実に堅実だ。彼女の職業意識なのだろう。

「あいつさ、ガウンの下すっぽんぽんだったよ」

 幸雄は苦笑した。麻里のこのアンバランスは笑える。

「気がついたよ」

「濡れてたことも?」

「んー、あの調子じゃそうだろうな」

「あたし見ちゃった」

「何を?」

「濡れ濡れのおまんこ」

「おいおい……」

 もっと言い方があるだろう……。幸雄は呆れてしまった。麻里は、小百合がしゃがんだ時に目にしたのだろう。

「ほんとかよ? 目がいいんだな」

「よくなきゃ、国際A級は取れないよ。中から滲み出てたわよ」

「いやはや! ベッドに人がいたの、見たか?」

「うん」

「小百合にあんな趣味あったんだな」

「今更何驚くのよ。普通でしょ、小百合なら? 幸雄まで誘惑しようとしてたじゃないの」

 やはりしっかり見ていたようだ。

「だって、あれ女だぜ?」

「馬鹿ね!」

 麻里は本当に小ばかにしたように彼を眺めた。

「あんたの目は節穴か! 男のくせに〝穴〟なんかあって、やだな……。あれ男よ」

「ええっ!? まっさかあ!」

「そうよ。喉仏でてたもん」

「う~ん?」

「それに、玄関に男物のスニーカーあったじゃない?」

「そうか? スニーカーって、あまり男女の違いないだろ」

「大きさが違うじゃない。あんな大きいサイズ、小百合は履かないわ」

「……」

 幸雄には最早言うべき言葉がなかった。完全に主導権は取られた。

「……つまり、あたし達が行ったときは、やってる真最中だったってこと! だから濡れまんなのよ。すごく若い子よね? 飽きたら譲ってもらおうかな」

「あんなに若い相手だと、振られるのは小百合の方だぞ」

「小百合の場合、振られるってことはないの。相手に恋愛感情なんか持たないから」

「ああ、体が困るだけか……。それはそれで大変だなあ。麻里もそうなのか?」

 普通女性にこんなことは訊けない。が、麻里には訊ける。

「そうねえ……ここ何年も恋なんかしてないわねえ」

「うん」

「でも、今はちょっと恋し始めてるかな?」

「へえ、誰に? 聞いても知らないか」

「幸雄に」

「おいおい、からかうなよ。麻里が俺なんかに恋しないのは、俺自身が一番よくわかってるよ」

「あはっ。そうだね。長い付き合いだもんね……。すぐ判っちゃうわよね」

 束の間麻里は押し黙った。

「……ところで、今度の出張はちょっと長いね?」

「うん、そうなんだ。偶々二つ取引先の用が重なった」

「じゃ、首長くして待ってるから、沢山しゃぶらせて!」

「うん?」

「今よ」

「今か!?」

「今、これから!」

 道はいつか田舎道になっていた。

 草に覆われた空地に乗り入れて、麻里は車を停めた。

 幸雄は知らなかったが、そこは榊老人が麻里と人生最後のセックスをした、まさにその場所だった。

 麻里はすぐに運転席を降り、後部座席に乗り込んできた。

「おい……」

 断乎たる動きで、麻里は幸雄の前のファスナーを下げた。ようやく鎮まっていた男のものを曳き出した。

 白昼、バブリックスペースでそんなものを出すのはちょっと恥ずかしい。だが、それはすぐに麻里の口中に姿を消した。

 ぬるりと、しかしざらりとした感触――快感が走った。

「う~ん」

 思わず麻里の頭を根元へ押しつけていた。 

 どこに納まるのかと思う程、麻里の喉は際限もなく幸雄を呑み込んだ。手荒に押し付けられても、彼女は平気だった。男には、抽送の快感と同じくらい、極限まで貫き通す快感が堪らない。

 だが麻里も単なる受け身ではない。更に乱暴に幸雄のスラックスをトランクスごと下げ降ろし、男の精を製造する一揃いの玉を、鼠をいたぶる猫のように弄びながら、男の唯一の体の穴に指をねじ入れてきた。

 その感覚――けして幸雄は嫌いではない。だが、恥ずかしいのと汚かろうという懸念から、処女のように身悶えして、攻撃をかわそうとした。そこを嵩にかかって麻里は攻め立てた。

 幸雄も反撃にでることにした。

 麻里の、何のへんてつもないビジネス用ブラウスの前ボタンを外して、ブラジャーの下へ手を入れ、乳房を掴んだ。マシュマロのような肌触りがした。

「ん……!」

 麻里は頭を反り返して、白い喉を見せた。

 その隙につけ込み、幸雄は麻里の股を割り、手を差し入れた。麻里は幸雄のものを握りしめ、擦り上げながら、また先端を銜えた。どんどんボルテージが高まっていく。

「こうなったら、我慢できない!」

 唇から曳く粘液の糸を手の甲で拭うと、麻里はスカートをたくしあげた。下には無論何も着けていない。トップだけを着けていたわけだ。麻里は昔からそうだった。本当はトップも着けたくないのだろうが、この時期、ノーブラだと、しをりや由香里に見とがめられるからだろう。洸一郎の生前はブラジャーを着けなかったが、それで、死後はさすがにまた着けるようになった。昔着けていたその理由は彼女曰く、胸が大きいので、ゆさゆさしたり、段々垂れてきたりするのが嫌だったからだ。

「おいおい!?」

 幸雄は傍目が気になったが、自身もどうしようもなくいきり立っていた。

 ぶつかるように女体が覆い被さってきた。

「ああん……」

 腰を一度深く落として男のものを一杯に納めきると、一転浮かせてこねくり、ついで激しく揺すりだした。車体がユサユサ揺れた。

 クラクションを鳴らしながら、傍らを車が徐行した。男達の冷やかしの声と笑いが通り過ぎた。道はけして広いわけではない。対向車が目に入れば、相手はスピードを落とす。トラックのような車高のある車からは、幸雄を呑み込んだ麻里の姿はまる見えだろう。わざわざ一時停止してから徐行していく車もあった。寝転んだ幸雄の目に、へらへら笑う運転席の若い男と困惑した助手席の女の子の顔が見えた。その白い顔を眺めながら、幸雄は果てた。



 携帯電話はすぐにつながった。

「もしもし?」

 応答した相手は名乗らなかった。だが聞き慣れたその男――内藤と名乗っている――の声に間違いなかった。

「山田です。山田一郎」

 半分だけ変えた名を名乗った。

「ああ……山田さん」

 無駄なことは言わない男だ。だが口調にわずかに親しげなニュアンスが混じった。

「今夜は開催ですか?」

「ええ」

「会場はどこ?」

「Fホテルです。分かりますか?」

「ああ、分かる」

「参加されますか?」

「うん」

「お一人ですか?」

「うん」

「では、名義は田中信彦です。信は、織田信長の信」

 幸雄は〝田中信彦〟と復唱した。

「そうです。チェックインしたら、携帯に連絡を下さい」

「はい。じゃ……」

「お待ちしています」


 Fホテルは山手線の内側、港区に三年前にできたホテルだ。

 田中信彦を名乗ってチェックインすると、幸雄は冷蔵庫から缶ビールを取り出した。

 九月上旬の陽射しはまだ強い。渇いた喉に冷えたビールは美味しかった。

 電話をすると、内藤はすぐにやってきた。

 インディゴの半袖のポロシャツに、ベージュのチノパンといういでたちだ。三十前半のはずだが、襟足までのばした少し癖のある髪にも髭にも、少し白いものが混じっている。チタンの眼鏡の奥から二重瞼の冷徹そうな目が幸雄を見据えていた。

「まあ、かけて下さい」

 そう勧めたが、つい一つしかない椅子に幸雄が腰を下ろしたので、ベッドしか腰掛ける場所は残らなかった。

 内藤はベッドの隅に腰を下ろした。中背だが、どちらかというと細い身体――特に腰が細かったが、そこからぶら下がっているものの大きいことを、幸雄は知っている。

 対照的に女房は太っている。話好きな鷹揚な感じの女だ。ショートヘアの、一寸年齢を特定しにくい顔をしているが、まだ三十前であることはいつか知った。

「暑いですね」

「東京は、今年は特に暑いです」

 さりげない会話から始まった。

 これは面接なのだ。幸雄のような常連であっても、いちいち面接されることは変わらない。これがこの男にとって、唯一の保険なのだ。

 変な病気は持っていないか、精神状態は大丈夫か、私的に何かに利用する意図があって来ていないか、警察の囮捜査ではないか、同業のいやがらせではないか、暴力団の影は感じられないか――それらの見極めが、みなこの短い面接にかかっていた。内藤の経歴は知る由もないが、何となく警察関係者だったのではないかと、幸雄は想像している。

 結局、内藤は幸雄に特別問題を感じなかったようだ。

「では、3102号室です。お待ちしております」

 内藤は初めて笑って、出ていった。


 午後6時頃、幸雄は3102号室を訪れた。3102はスィートルームだった。

「あら、山田さん。いらっしゃい。お元気?」

 太った女房が出迎えた。ありふれたスリップ型のワンピースに素足だ。丈夫そうな膝小僧と太い脚が健康そうだ。

 こっちは亭主よりずっと気さくなので、話しやすい。亭主も実は愛想が悪いわけではなく、寧ろ根は気のいい人間なのではないかと幸雄は考えている。立場が彼を慎重にさせているのだ。

「集まり具合はどうなの?」

「まだ集まってないわね。もう三十分もすると、どっと来るわよ」

 最初に毎回あまり変わらぬありきたりの注意事項を聞かされ、参加費を払うと、先ず風呂に入らされる。

 風呂からでると、持参した真っ赤なビキニパンツを着けた。上にはTシャツを被った。

 リビングへ出ると、先客が三人いた。男が一人、女が二人。皆顔見知りだ。互いに簡単に挨拶を交わした。

 ソファーの真中に座る男は三十代末くらいだ。ピッチリしたラテックスのパンツを履いている。小柄でずんぐりしているが、堅太りの体だ。少し胸毛が生えている。ごついが、どこか品のある風情で、中小企業の二代目オーナー社長といった雰囲気だ。

 半身になって男に密着している両脇の女のうち、左側の女は三十を少し出たあたりだろう。名は確かハツエと呼ばれていた。初恵か初江か初絵とでも書くのか。いずれにしても偽名だから、どうでもいい。少し浅黒い、スレンダーな体つきをしている。素直な髪を夜会巻にしている。お揃いの、半分透けた黒いレースのブラジャーとパンティー、それに同色のガーターを着けている。少し警戒するような、拗ねたような目付をするが、これは見かけだけだ。一度相手したことがあるが、表情に似合わぬねちっこいセックスをした。たしかいつも一人で来ていたと記憶している。ストレスが溜まる日常を抱えているのか。

 右側の女は対照的に色白で、背が低く、ぽっちゃりした体つきをしている。年は二十歳を越えたばかりだろう。今はまだウエストもキュッと括れているが、このタイプは間違いなく太る。ソバージュにした髪に丸顔。鼻も低いが、却って小鼻が可愛らしい。ヒョウ柄のビキニ姿だ。ボトムスは布がすごく狭く、サイドは紐になっている。名は確かトモミだ。いつも同年輩の男と一緒に来ていた筈だ。男はリョウとかいった。姿が見えないのは、トイレにでも行ったのだろうか。この女とは二度している。

「そいでな、その女がな……」

 男は――トガワもしくはトガミだった――両脇の女の肩に腕を回し、手をブラジャーの中に潜らせている。喋りながら、掴んだ乳房を緩慢に揉んでいる。女達は嬉しそうだ。嬉しいのは話しなのか手なのかは分からない。トガワが自慢そうに話しているのは、ものにした女達の、行為の直後に撮った性器の写真のコレクションのことのようだ。

「へえ」とか「ふうん」といいながら、トモミはラテックスの上からトガワのものを擦っている。その間ハツエはトガワの厚い胸を撫でている。

「ヤマダさんもこっちおいでよ!」

 トモミが急に言い出して、自分の脇をパンパンと叩いた。

 幸雄はここでは苗字はそのまま名乗っていた。別に本名を名乗る必要はないし、ここにいる三人にしても、本名を名乗っているわけはないが、幸雄の場合はありふれた苗字なので、却って嘘っぽくていいのだ。

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