我が文学部の離縁な追悼
私と光村は、二人部室で待っている。
雨が、外の世界を叩く音だけが、二人の間に落ちている。
あの日から二日経った。時間だけが経って、企画書の提出は明日に迫っている。
それでも、部長は部室に来ることはなかった。部長が遺した企画書だけが、部長の代わりみたいに、机の上にポツンとある。
「部長、あの日から学校来てないんだって。今日3年のクラスに確認してきた」
「マジか」
そこで、会話が途切れる。私たちは何を話すともなく、窓の外を見る。そこには、三日ほど前から早めにやってきた梅雨が、ただただしみったれた雨を降らしている。灰色の雨だ。灰色のアスファルトと灰色の空を映すだけの雨だ。
「昨日部長から企画書は送られてきたんだろ?なんかメッセージとか無かったのか?」
入部した時、交換した部長のメールアドレスから連絡が来たのは昨日の事だった。
企画書のpdfファイルと、ただ一言だけ添えられたそのメールには、私たちに対する弁明も謝罪も含まれてはいなかった。
「『一から九まで言うことはない。』だって。」
私たちに説明することはない。そういうことだろうか。
そういうことなんだろうな。
添えられた企画書には、この詩の鑑賞文が書かれていた。部長が書いたその文は、とても綺麗で、無色透明で、空っぽだった。ただただ駢儷で、なんの意味もない。
とても、あの雄弁な部長が書いたとは思えなかった。
「なんだよそれ。意味わかんねえよ。」
光村が私を咎める様に言う。いや、違う。私を責めているわけではないことは分かっている。頭では分かっていた。
「私だって!」
それでも、自分でも意味のない怒りだと分かっていても、抑えることができなかった。窓の外から私に感染った灰色の感情が、行き場を求めて言葉に乗っかって、喉の奥から飛び出していく。この感情の宛先を求めて暴れまわろうとしている。
「私だって意味わかんないよ!折角詩も見つかって、これからだって時に部長はいないし、これからどうしていいのかだってわかんない。そんな中、部長は私たちを見捨てたみたいな連絡をしてくるし、メールに返事だってしてくれない。このままじゃ、文学部がなくなってしまうかもしれないのに、部長は何も教えてくれない!」
嫌だった。たった2か月と言われるかもしれないけど、文学部がなくなってしまうことが、部長や光村と一緒に居られる場所がなくなってしまうことが、温かい木漏れ日の中で部長の演説をはいはいと聞き流しながら本を読む時間が奪われることがなにより、嫌だった。
「落ち着け高城」
「落ち着いてるよ。だって部長が来なくなってから二日も経ってるもん。でも、落ち着いたって部長が来てくれるわけじゃない。だったら、意味ないじゃない!」
自分でも何を言っているのか分からない。それでも、のどから飛び出た感情は、段々色を伴って出たがって、とめどなく私から溢れてただただ止まらなかった。怒ってるのか、悲しんでるのか、辛いのか、苦しいのかすら分からない。ただただ、言葉が止まらなかった。
「ここまで、やってきたことも意味なかった。詩を復元することも、作者を特定しようとすることも意味なんてなかった。私がやってきたことなんて、何も…」
「落ち着け」
気づけば光村は私の目の前にいた。私の両手を握って、私の目を見て繰り返す。落ち着け。落ち着け。私の中にその言葉が染み入ることを確かめるようにして繰り返す。彼の目がそう繰り返す。
その目の奥が、何を言いたいのかは分からなかった。でも、彼が私を心配してくれていて、私の言葉を受け止めたうえで今こうして手を繋いでいてくれていることは、
ことばと感情が渦巻いている私の脳内でも、理解することができて。
多分、彼も私と同じ苦しさや辛さを抱えていることが理解できて。
そのおかげで、猛り狂った言葉の濁流は、ようやく静まったような気がした。うながされるようにして、深呼吸を何度か繰り返す。その間、光村はずっと手を握ってくれていた。
「落ち着いたか?」
しばらくしてから、私の手を離して、元の席に戻りながら彼は言った。
「…うん、大丈夫。ごめん」
再び、テーブル越しに向かい合う私たちに沈黙が下りる。私は、ただ一方的に光村に八つ当たりをしてしまったことに対して、その気まずさから口を開けずにいた。
「部長だけどな、俺はまだ諦めてないと思うんだ」
そんな中、唐突に光村がそう言った。なんだか少し照れたように、今の気持ちを誤魔化すように、それでもはっきりそう言った。
「諦めてない?」
理解が追い付かない。誰が?何を?
そんな私を気遣うように、優しく、繰り返し光村が言う。
「部長は、この謎を解くのを諦めてない。
そもそも、俺たちが解き明かしたいことは何だったか憶えているか?」
「えっと、欠けていた詩を復元することと、作者を特定することの二つだよね」
「前者はあってるが、後者は少し違うんじゃないか。ずっと思ってたんだ。
作者を特定することだけじゃなくて、むしろ作者が何を思ったかを知りたかったんじゃないのか?こんな詩を作った作者がどんな思考を持っていたのか、知りたかったんじゃないのか?」
胸の奥のわだかまりがほどけるような感覚があった。
確かに。なぜ忘れてしまっていたのだろう。記憶が一気によみがえってくる。そうだ。そうだった。初めてこの詩を見つけた時の、部長の言葉を思い出す。
【「私は、この表現がどんな思考の人間を影響づけたのか、とても気になる。つまり、この言語センスに影響づけられた思考の持ち主とは、どのような人間なのかが気になって仕方ない」】
「完全な詩集が手元にある今、一つ目の目標は達成している。部長は、今二つ目を探してるんじゃないか?多分、一人で」
そうかも。いや、きっとそうだ。
「でも、どうやって?」
詩の作者についての情報は、ペンネームと当時の学年しかない。数十年前の学生名簿なんて、学校にはもう残っていないだろう。卒業アルバムがあったとしても、何百人といる中から特定するのは、当てずっぽうに近い作業だ。
「そこなんだ。多分部長の中で、二つ目の目標を達成するための条件が揃ったから、部長は今一人どこかで何かしている。その条件の一つが、完全な詩を確認することなのは間違いない。部長が来なくなったのは、豊橋先生がきた後だからな。
だから、ヒントはこの詩の中にあるんじゃないかと思っている」
そう言って光村は詩集を手に取る。私も彼の隣に座って一緒に眺める。
【一生会えぬ君なれど
憎しむ気すら起こらない
さざめく春の嵐さえ
シーグラスには届かない
誤解だったらそれでいい
六月遠い雨の中
何度言葉を紡いでも
君は凍った息を吐く
止むな春雨 紅い雨
遠い君まで喜び運べ
叫んで五月雨 金の雨
この慟哭をかき消してゆけ】
「別れの詩、なんだよね?たぶん、春の。」
「うん。肝心の『叫んで~』の部分は、第3連の、いわゆる詩の中心に書かれている」
目の前の、窓ガラス越しの灰色の雨と、詩の中の雨を見比べる。とても、金の雨と表現する気にはなれなかった。紅雨、つまり花を散らす雨だという点はあっているのかもしれない。春に咲いた花々は、こうして梅雨に散りていく。
「なにか思いついたか?」
「ごめん、全然。普通にいい詩だなってだけ。」
「だよな、俺もそう。」
「…部長は、この詩を読んで何か気づいたんだよね。」
ほんの2か月くらいだけど、私たちも部長と一緒に居たのに。文学部の活動とはいいがたいかもしれないけど、それでも一緒に部長と活動してきたのに。それなのに、部長は私たちに何も言わないで、今もこうして一人でこの詩と向かい合っている。そう思うと、どうしようもなく寂しさがこみあげてくる。その次にこみあげてきたのは、微かな違和感だった。
何も言わないで?
私は、大きな勘違いをしているのかもしれない。部長は、私たちを信用しないで、見捨てて一人で何かをやっているわけではないかもしれない。そうしたかったら、最初私たちが協力するといった時点で、断ればよかったんだ。でも、そうはしなかった。この2か月間と同じように、私たちと一緒に、この詩に向かい合ってくれた。
部長と一緒にしてきたこと。部長が私に言ってくれたこと。部長が私に教えてくれたこと。
部長の言葉。部長が私に遺した言葉。
「分かったかも」
「…マジで?」
「うん。多分分かった」心臓が痛いくらい早く動く。言いながら、部室のドアへ駆け足で向かう。
「おい、どこ行くんだよ」
背中に光村の声がかかる。振り返って説明する時間も惜しかった。部室に置き忘れたバッグを取りに行く時間すら惜しい。ドアを開けながら言う。
「部長を、助けに行くんだよ。これまで通り」
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