我が文学部の余分な群青

 自分が所属している部活動の歴史と、ちゃんと向き合ったことがある学生はどれくらいいるだろうか。


 数年前の事までは知っていても、数十年前ともなると知らない人がほとんどだろう。その証拠に、ある時急に部活にOBOGがやってきて、動揺した経験のある人は多いのではないだろうか。学校は変わるし、顧問も変わるし、生徒も変わる。残るのは部活という入れ物だけだ。入れ物の中は、よくよく見ると空っぽだ。それだけでは、何の特性も持ち得ることはない。

 私たちは、部活の事について、なんでも知っているようで実は何も知らないのかもしれない。


 私は今、そのツケをこうして払っている。


「なんで整理されてないんですかこれ!」

 怒気を孕んだ私の声に、段ボールを覗き込んでいた部長が肩をびくっと震わせる。

 慌てて、埃まみれの両手で口を覆う。思ったより声量が出ていたようだ。


「多分、数年前の地震のせいなんじゃないか?あの時、この辺結構揺れたし」

 教室の対角で、段ボール漁りに疲弊しすぎて逆に冷静になっている光村が淡々と分析する。マスクと手袋で完全防備した彼の頭は、埃まみれでなんとも惨めだ。多分彼からも、私たちはそう見えているのだろう。


「その推理はおそらく正しいね。地震で床に散乱した先人たちの傑作に対して、当時の生徒あるいは先生は、段ボールの中に乱雑に蓋をする形でその解決を図ったわけだ。この部屋の本棚が不自然なほど空いていること、号数、冊子数すらばらばらに、まるで三歳児のおもちゃ箱のようにしまわれていたことを考えると、この作品たちとそれを作った先輩たちがなんとも不憫で仕方がない」

 部長が愚痴る様に言う。今まで気にすらしたことがなかったくせに、これまでの文集たちの扱いがかなり不満なご様子だ。


そもそも、文学部は本当に正式な部活なんだろうか。段ボールの中には、使用済みのプリントや廃棄予定の本、文集など、明らかにごみをまとめた類いのものも多くあった。というか、そう言ったゴミと文学部文集を仕分けする作業が、これまでの苦労の大半を占めているといってもいい。

「部長、もしかしてここって部室じゃなくて空き教室なんじゃ」

「今、こうして文学部の私たちが活動をしている。それ以上に、ここが文学部の部室たる根拠はないだろう?いいからさっさと終わらせようじゃないか」

詭弁だ。明らかに動揺している部長は私に目も合わせずに段ボールに向き合っている。ふりをしている。


 文句を言ってもしょうがない。作業に戻ろう。二人から目を離し、段ボールの中に目を向ける。1時間、あるいはそれ以上だろうか。ようやく、終わりが見えてきた。これが最後の一つになる予定だ。


 私は向き合った段ボール箱の中から、数冊を取り出してテーブルの上に置く。一応、当たり。何かの教科のプリントや会議資料ではなく、文学部の詩集だ。ぱらぱらと中身をめくって、号数と年代をあとがきや奥付から確認する。1979年5月。第42号。残念、外れ。

「部長、こっちの箱の中身もちゃんと書いてあります」

「…やっぱりそうかい。私の方もだ」

 ある程度整理し、号数の順に机の上に並べられた文集の全てには、部長が言ったように奥付が付けられていた。それを見るに、年間3冊以上発行されている年もあれば、2年に1回のペースで発行している年もあった。やはり、発行が厳密に規定され、刊行されていたものではないようだった。


 そのときだった。終わりの見えない作業の中で、興奮した大きな声が部室中に響き渡った。


「おい!あったぞ!」

 光村のその声に、私と部長は慌てて駆け寄る。彼の手には一冊の詩集が握られていた。


 表紙には『第59号 文学部詩集』の文字。


「奥付はあるかい」

 いつになく緊迫した部長の声。冗談の一つを飛ばす余裕もなさそうだ。

 私も思わず力が入った。


「あります。えーと、第59号文学部詩集。1992年刊行だそうです」

 それまでの、鬱屈とした部室の雰囲気が一気に和らいだのを肌に感じる。

 これ以上、段ボールか埃の塊か分からないものを整理しなくて済むことを考えて、私たちは安堵のため息を漏らしている。

「ありがとう。これで確定だ。お疲れ様」

「え、58号の詩集は見つけなくていいんすか?」

ここまで整理していく中で、同じ年代の詩集が複数見つかることもあった。配布しきれなかった、残部を保存している年代もあるということだろう。光村は、58号にも残部がないかと聞いている。


「問題ない。私たちが知りたいのは、詩集の刊行年数だけだからね」


 そう言って、部長は手に持った詩集を光村に見せる。

 数分前に部長が見つけていた、その第57号文学部文集は1990年刊行のものだった。


「つまり、目的の第58号文芸部詩集は、1990年から1992年に刊行されたものってことですよね」


「ああ、それもおそらく1991年のものだろう。直近はすべて1年ごとの刊行ペースだ。かなりの確率で、これは91年に刊行されたとみるべきだろう」


「やっと終わりすか。長かった…」

 光村は埃まみれの床に、大の字で寝転がる。注意しようと思ったが、私もそうしたくて仕方なかった。

 それほど何時間にもわたる文集整理は、私たちの心身を摩耗させていた。


「本当にお手柄だよ。海翔君。これで、『一葉』氏の学年も分かった。初めて人物像に関する情報が出てきたといっても過言ではない」


「学年?あ、そっか」

 疑問と理解がほぼ同時に私に降りかかる。すかさず部長が補足する。


「そうだ。これまで見つけた、第56号、57号と58号には『一葉』氏の作品が掲載されている。しかし、海翔君が今見つけてくれた第59号にはその名前が見られない。つまり、『一葉』氏は58号の段階で3年生だ。件の詩が、卒業制作だった可能性も高いだろう」


 1991年の時に、高校3年生。今が2022年だから。31年前だとすると。


「てことは、今は49歳か。ちょうど俺たちの父親とかと同じ年代かも」

 私が言おうとしてたのに。変に頭の回るやつだ。

私たちの親と同じ年代。その頃にも、文学部があったことを考えるとなんだか不思議な感じがする。


「留年や中学浪人をしていなければね。まあ、ウチに来るような学生だから、それもないだろうが。さて」

 ようやく興奮が冷めてきたのか、落ち着いた口調で部長が私に話し始める。


「さやか君。これで、ある程度基本的な情報は集まったと私は判断している。例えば、刊行年数。詩集の号数。詩のタイトル。参加していた部員のペンネームなどなど」

 淡々と、一つ一つこれまで分かったことを整理していく。段ボール漁りで疲弊しきった私の脳を慮っての事だろう。必死に、頭の中に叩きこむ。



「これらを踏まえて、改めて私たちはこれから何をすればいいと思う?」



 これから。この前の会議で上げた目標を思い出す。ホワイトボードに目をやる。私たちの目的は詩の復元と筆者の特定だから、この二つを達成するために。


「えーと。聞き込みとかですかね」

 さんざん考えた挙句出てきた答えは、なんとも陳腐なものだった。そもそも、疲労でちゃんと頭が回っている気がしない。しかし、部長は目を輝かせて頷いてくれた。お気に召したようでなによりだ。


「まさに、私が期待した通りの答えだ。探偵の基本は、『情報は足で稼ぐ』らしいからね」

 すっかり探偵気取りだ。さしずめ、私たちはそれに付き合わされるワトソンだろうか。もう十分付き合わされた気がしないでもないが、乗り掛かった舟だ。更に、愚鈍な助手として質問をする。


「でも、誰に聞くんですか」


「それは、さっき海翔君が言ったとおりだよ。筆者はおそらく、私たちの保護者と近い年代だろう。だから、君たちのクラスメイトから、始めるといいんじゃないかな。」


「君たちって。部長も聞いてくださいよ」


「勿論さ。一応、顧問にも話を通しておくとしよう。頼んだよさやか君」


「私ですか…」

 部長はもう安楽椅子探偵を決め込むご様子だ。このままだと、クラスメイトにすらめんどくさがって聞かないだろう。そもそもクラスに友達がいるんだろうか。急に不安になってきた。追い込むように部長は続ける。


「当然だろう。私は顧問が誰か把握していなんだから」

 この場合、悪いのは一人黙々と部活動に励んでいた部長なのだろうか。それとも顧問としての努力を怠った藤原先生なのだろうか。私はどちらに文句を言えばいいのだろうか。


 あてどない不満を抱えながら、私は藤原先生を訊ねるために部室を後にしようとする。


「よろしく頼むよさやか君」


 のんきな部長の声が背中を叩いた気がしたが、勿論聞こえないふりをした。





 さやか文学部だったんだ。文学部って何?結局何をすればいいの?


 今年、文学部で出品するの?顧問としての仕事はあまり増やさないでねえ。


 反応の薄いクラスメイトと顧問を何とかなだめすかして協力を取り付けた後、朗報を待って数日が経った。今日も部室で本を読みながら、誰かが部室に来るのをこうして待っている。


「なあ、このままでいいのか?」


「他に良案が思いつくのなら、行動に移してくれたまえ海翔君」


「思いつきませんけど、このまま待っていても解決してく気がしないんすよね」


「そう言うな。クラスメイトをしつこく問いただして、煙たがられるのも嫌だと言ったのは他ならぬ君じゃないか」


「でも、光村の言うことも一理ありますよ。現に、文化祭の企画書の〆切も4日後なんだし」


「企画書。そういうのもあったな。適当に書いて出しておけばいいだろう」


「駄目ですよ。うちの生徒会厳しいの、3年もいる部長が一番知ってるんじゃないですか。」


「ああいう頭の固い連中は、頭の固そうな文章を小奇麗に並べておけばいいんだ。まあいい。企画書については、私が何とかしておくから心配はいらないよ」


「…わかりました」


「不服そうだね。まあ、気持ちは分からないでもない。でも、こういうのは案外時間が解決してくれるものさ。実際、そろそろだと思うよ」


 私たちの様子とは対照的に、部長は全く焦っている様子がない。まるで、向こうから謎が解いてくださいと足を運んでくると言わんばかりに、悠々自適にいつもの座席で文庫本をめくっている。


 探偵気取りも大概にしてほしい。部長がやろうって言ったから皆頑張ったのに。


 そう言いかけた私の声を、ドアをノックする音がかき消した。私と光村は慌てて立ち上がる。


「ほら。」


 そう言って私にウインクし、一人落ち着き払った部長はドアに向かって声を掛ける。


「どうぞ。入ってくれたまえ」


 ドアを恐る恐る開けた彼女は、意外な人物だった。



「というか、どなたですか?」



「3年の古典を担当してくれている、豊橋先生だ」


「佐々木さん、こんにちは。相変わらずみたいねえ」


「相変わらずとはご挨拶ですが、先生もお変わりないようで何よりです」


「私がもう少し教えるの上手だったら、佐々木さんのクラスの授業も担当できるんだけど。残念ねえ」


「いえ、先生は悪くないですよ。頭の固い、数字と偏差値しか信用できない管理職と、現代日本教育の輪切りの偏差値主義が何より問題なのですから」


 唖然としている私と光村を横に、楽しそうに会話をしている二人。光村は、冗談を飛ばしながら話す部長を信じられないものを見るような目で見ている。


 その気持ちも分かる。私も部長が誰かと話しているのを見るのは、部員以外だと初めてかもしれない。


 てか、そんなに豊橋先生と仲いいのなら、顧問になってもらえばいいのに。


「ところで先生、今日はどうして文学部に?」


「そう、藤原先生に詩集の話を聞いてね。つい懐かしくなっちゃって」


「文学部の顧問です、藤原先生」


 部長がそいつは誰だという目をしていたので補足をしておく。私がお願いしに行ったときは気のない返事をしただけだったのに、先生方にも働きかけてくれていたらしい。


「文学部の部室は変わらないわねえ。なんだか本棚が寂しくなった気もするけど」


「昔の文学部をご存じなんですか?」

 随分詳しく知ってそうな様子だった。


「ご存じも何も、私も二高出身だもの。文学部じゃなかったけどね」


 春浦第二高等学校。うちの学校だ。意外なところにOGがいる。しかし、目の前の優しそうな、聖母のようなふくよかさを持つ豊橋先生は、失礼だが50代には見えない。そもそも、もうすぐ定年なんじゃないかという噂が生徒たちの間でまことしやかにささやかれている程度には、お歳の召したベテラン教員だ。私たちが探している、50代のOBOGとは到底思えなかった。


 私の疑問を察したように部長が話を継ぐ。


「なら、文学部にはどんな所縁があるか、お聞かせいただいてもよろしいですか?」


「そうだったわね。私、卒業してから大学の教員養成系に進んで、卒業前にここで教育実習をお世話になったのよ。その時、顧問として係わったのが文学部だったの」


 教育実習。盲点だった。今60代の豊橋先生が20代の時に実習のために春高に来たのだとしたら、私たちが探している年代の文学部を知っている可能性は十分にある。


「なる程。そうだったんですか。その時の文学部は、どんな雰囲気でした?」

部長は、考え込むように手を口元に当てながら、次々と質問をする。


「今より少し人数は多かったけど、落ち着いたいい雰囲気だったわ。特に、部長さんは大学生の私から見ても大人びていて、きれいな人だったのを憶えてる」


 豊橋先生は部長のほうを見ながら、きれいな思い出を語るように話す。部長さん。おそらく、私たちが探している人物だと直感的に分かった。それは、部長も同じようで、整った眉間を微かに引きつらせているのが私の目からも分かった。思い出すのに時間がかかるのか、少しの間部長の事を不思議そうに眺めた後、再び先生は話し始めた。


「そうそう。その時の文化祭でね、文学部の詩集にみんなの寄せ書きをしてくれたものを、実習最後の日にもらったの。先生、3週間ありがとうって。とっても感動したし、先生になりたいってその時の人生で一番思った」


 豊橋先生は、後ろ手に隠していたものを取り出す。


 それはおそらく、私たちが探している第58号文学部詩集に相違なかった。


 私たちが持っている詩集との違いは、先生が持っている詩集は透明なビニールで丁寧に舗装されている点だった。一目見ただけで、大事にされてきたものであることが分かる。


「教員になって、辛いことがあっても、やめたいと思っても、これをみたら頑張れたの。少しでも、私が役に立てる場所が、生徒があるはずだって。藤原先生から聞いたけど、皆さんこれを探してらっしゃるのでしょう?役に立つかは分かりませんけど、よかったら使ってください」


 そう言って、豊橋先生は詩集を部長に差し出す。



「そんな貴重なものをお貸しいただいて、感謝の言葉もありません、先生。大事に使わせて、よりよい作品にすると約束させて頂きます」



 詩集を受け取り、慇懃に部長が先生に向かって頭を下げる。その時部長がどんな顔をしているかは、私からは見ることができなかった。

 その時の私は、事態が好転することに対する期待に頭が一杯だったから、隣にいる光村とガッツポーズを交わすことしかしていなかった。



 この時、部長の様子がおかしいことに気付いていたら、もっと部長に寄りそって話ができていたら、この話はここで終わっていたのかもしれない。今なら、そう思う。


 その完全版の詩集には、「一葉」氏の『雨』の完全版が、ばっちり記されていた。


【一生会えぬ君なれど

 憎しむ気すら起こらない

 さざめく春の嵐さえ

 シーグラスには届かない


 誤解だったらそれでいい

 六月遠い雨の中

 何度言葉を紡いでも

 君は凍った息を吐く


 止むな春雨 紅い雨

 遠い君まで喜び運べ

 叫んで五月雨 金の雨

 この慟哭をかき消してゆけ】




 この詩を残したきり、部長は部室に来なくなった。

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