我が文学部の孤軍な奮闘
「君たち。私は来なくてもいいと言ったつもりだったのだが」
翌日、何もなかったかのように部室に顔を出した私たちを、部長は理解できないものを見るような、でも微かに喜色を浮かべた奇妙な顔で出迎えた。この人の、こういうところがかわいいんだよな。おい、光村。ニヤニヤするな。気色悪いな。
「別にやることもないんで」
小中高と、9年間続けているバスケをサボって来た光村が、なんてことはないように言う。気持ちのいい男だ。あとでなんかおごってやろう。
「私も同じです。それに、部長だけ楽しもうなんてずるいですよ」
「楽しむだなんて、私は」
「違うんですか?私は、部長が謎解きを独占しようとしてるんじゃないかって」
苦しい言い訳だ。でも、それでいい。私たちが、部長と一緒に部活がしたいんだってことが伝われば、それでいい。
「後輩に部活動の楽しさを伝えるのも、先輩の役割っすよ」
光村が私に加勢する。横目で見た彼は、頷くようにウインクをする。
せんぱい。私たちのたわ言を呆れたように横目で聞いていた部長は、その一言にはっとしたようだった。私たちのほうを改まって向くと、ポツリと呟く。
「そうだよね。私は、君たちの先輩だ」
それは、私たちではない別の誰かに言い聞かせているようだった。あるいは、自分自身に。私たちが、先輩に声を掛けようとする前に、部長は私たちに背を向けて再び話し出す。
「そこまでいうなら、君たちにも協力してもらうとしよう。言っておくが、これまでの仕事と同じだと思わないことだ。やるべきことは沢山あるからね」
小さな背中の向こう側で、今部長はどんな顔をしているのだろうか。何とかして見てみたい気持ちに駆られたが、すんでのところで光村の存在を思い出せた。
光村のほうを見ると、彼は私に向かって小さくガッツポーズをしていた。そうだね。今は、いつも通りの部長に戻ったことを喜ぶべきだ。
始めよう、私たちの文学部を。
「現状を整理すると、我々がまずやらなくてはいけないことはこの詩の完全な再現にある」
テーブルの真ん中の詩集を3人で囲んだ中で、部長が口火を切る。
「この前も言ったけど、そんなこと俺らにできるんですか?」
「できると分かり切ってることをやっても、文化祭のネタにはならんだろう。人類の歴史とは、常に不可能を可能にしながら紡がれていったことは、アレクサンドロスやアインシュタインを見れば自明だろうに」
「私たち、英雄偉人と比べられるんですか…」
「彼らは、英雄偉人たろうとしたからそうなったのではない。それに足る功績を遺したから英雄偉人になったんだ。つまり、私たちもやってみなければ分からない、だろう?」
すっかりいつもの調子にも戻った部長は誰にも止められない。私たちがああいえば、その10倍のこう言うで返してくるのだから。悔し紛れに言ってみる。
「そこまで言うんだったら、何か策があるんですよね」
無かったら困る。私たちは、昨日部長をどうやって懐柔するかだけを考えていたから、詩集についてはほぼノープランだ。
「策というほどのものでもない。まずは、基本的な情報の整理からしよう」
部長は詩集を手に取って、私たちに見えるように突き出す。
「さあ、この詩の再現をするためには、どんな情報が必要だと思う?」
これまでの情報の確認のつもりだろうか。昨日書いてそのままにしてあるホワイトボードを見ながら、声に出して確かめてみる。
「筆者ですよね。もし、書いた人に聞けるなら、全部解決するわけだし」
「そうだ。だがページには署名がされていない」
再び部長は詩集を手に取って、最初のほうのページを開く。
「なら、目次ならどうか。見てごらん」
「これは…。無理そうっすね」
光村が残念そうに言う。問題はそう簡単ではないようだ。目次はあったが、詩のタイトルの下にはペンネームが並んでいた。本名のようなものは一つもない。
「残念ながら、ここだけではまだ分からないね。創作活動を本名で行わないのは、狭い高校という世界の中での事情もあるだろうし、あるいは書き手のエゴや欲求の表れかもしれない。いずれにせよ、どちらでもいいことだがね」
残念ながらといいつつ、全くそう思っている感じがしない部長の言い草を聞きながら、話を進めようとする。
「でも、私たちが探している詩のタイトルと、筆者のペンネームはこれで分かりましたね」
目次に書いてある情報は少しでも役に立つかもしれない。そもそも、昨日目次を確認するという発想に至らなかった自分を恥じながら、そう声に出す。
「えーと、タイトルが『雨』、ペンネームが一葉?ですか。樋口一葉からとったんですかね」
「本名かもよ。あるいは、本名をもじったものとか。」
「確証を持てない以上、それ以上議論をするのはあまり意味がない。無駄な先入観は、私たちが本当にみるべきものを見えなくしてしまうからね。今は、ただ確実な情報を集める段階だよ」
私たちの議論を遮って、もっともらしいことを言う部長。熱くなってるのか、冷静なのかよく分からない。それでも、部長の中ではもう何かが浮かんでいるようだ。その口ぶりははっきりとしていて、既に確立した理論を語るように流暢だった。
「他に、ここからどんなことが分かるかい。海翔くん」
「俺ですか!?こういうのは高城の役割だと思ってたんだけどな」
光村は、授業中急に当てられた生徒のように大げさに驚いて見せる。わざとらしい仕草だ。大根役者め。
「せっかくバスケ部を休んできてくれたんだろう?仕事はして貰わないと、君もバスケ部の顧問も報われないだろう」
次は、本当に驚く番だった。部長の顔を見つめ、唖然としながら彼はつぶやく。
「俺、バスケ部って部長に言ってましたっけ」
「君が教えてくれたんじゃないか。靴裏を手で拭く仕草、小指と親指のテーピング痕、ズボンの上から微かに分かるサポーター。数え上げれば無数にあるさ」
「…部長には逆らえないな」
諦めたかのように呟く光村。そもそも最初から兼部しているって言っとけって、昨日私は言ったよな光村。部長の推理を聞けたから、許してあげるけど。
「分かればいいんだ。さて、改めて、どうだい?まだ、この詩集から分かることはあるかい?」
「そうっすね。あとがきとか?いつ書かれたものとか、分かるかもしれないし」
「いい着眼点だ。では見てみよう」
満足そうに言って、部長が小さな手でページをめくる。詩集の最後は、詩で終わっていた。
「残念だ。あとがきは無かったようだね。それどころか、奥付すらない」
「奥付?」
それくらいは知っとけ。腐っても文学部だろお前。
部長は、そんな光村に呆れもせず丁寧に補足する。
「書籍や雑誌の末尾にある、著作者や発行者、版数、ISBNなどが書いてあるページだ。簡単に言えば、その書籍の名刺みたいなものだね。部活の頒布物だから、無くても問題ないわけだが、私だったら間違いなく作成するね」
「なんでですか?面倒くさいだけだと思うんですけど。」
「ここが文学部だからさ」
決め台詞を吐いたこの時の部長の顔は、もはや説明不要だろう。私たちがどれほど微妙な顔をしていたのかについても、ここでの説明は控えさせてもらう。文学部だからって。分かるような、分からないような。
さて、沈黙。
私は、詩集について考えるふりをして、机に頬杖をついてその場をやり過ごしていた。一方で、ドヤ顔の部長がそろそろめんどくさくなったのか、光村はさっさと話を進めだした。
「さて、じゃあこの詩集から分かる情報はこれくらいってことでいいですかね」
「まあまあ待ちたまえ。私のありがたい話を無視したのは百歩譲って許すとしても、そこまで性急に結論を出すのはよくない」
必死に光村を遮る部長。大人びた口調なのに、先ほどまで感じた威厳のようなものが抜け落ちてしまっているのが、なんとも愛らしい。
「まだあるんですか。あんまり時間もないんですけど」
そんな部長を見て、私もついついいじめたくなってしまう。
「さやか君までそんなことを言う。後で先輩の威厳を教えなくてはな。まあいい。表紙をみたまえ。第58号と書いてあるだろう。文学部における文集、あるいは詩集の刊行ペースを確認できれば、この詩集がいつ頃作られたものなのか推測できるじゃないか」
たしかに、はっきりそう書いてある。
「でも、それって年毎に違うんじゃないですか。現に、去年は出してないんでしょう?」
「うぐ。去年出せなかったのは、色々複雑な事情があってだね。ともかく、これは今から君たちにやってもらうことにも関係しているんだ。」
「つまり?」
また、嫌な予感がする。部長がこんな顔をするときは、厳密に言うなれば、少し人の悪い笑みを浮かべながら私たちを真っすぐ見つめる、そんな顔をするときは、決まって私たちは面倒ごとに巻き込まれるのだ。
「察しが悪くて助かる。つまりだね」
そう言うと部長は詩集から目を離し、部室に目を向ける。正確には、部室のあちこちに点在している段ボールに。先日開けたものを含めても、まだ数十個程度残っている。その山々を指さし、部長は私たちに諭すように言う。
「今から、これを全部開けて、刊行順に並びなおしていこうと思う」
どれだけあると思ってるんだよ。ぼそっとこぼれた光村の言葉に、私は全く同感だった。
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