それぞれの村で

西之村の村長は、一度自宅へ帰り、

明日の儀式に参加する息子と二人で、子供の家を、訪ねてみた。


村の端の海沿いにある家で、近くの家からは少し離れていた。

この家のあるじは、漁師をしていた。

以前は、よく市場で会い、元気に挨拶していたのを憶えている。


玄関横の郵便受けからは、郵便物が溢れだしている。

お知らせの手紙は、郵便受けの上に置かれたままだった。


千歳緑ちとせみどり色の手紙。

裏には朱印が押されている。

星と鳥の羽のデザイン。

—————樹海の巫女からだ。



「読んでないのか。」

村長は呟き、インターフォンを押す。


反応がない。


「いないんじゃない。」

息子が言う。


玄関の扉をノックして声を掛ける。

が、返答はなかった。


どうしようかと、暫く二人で話していると

顔の赤い男が、ふらふらとしながら、右手に一升瓶を持ってこちらに来る。

玄関に辿りつく前に、石に躓いて転んでしまう。

村長と息子は、その男に駆け寄り、両腕を抱え、立たせてやる。


「大丈夫か?」

心配そうに声を掛ける村長。


らいじょーぶれす。だいじょうぶです。で?うちにようれすか?うちにようですか?

男はかなり酔っていた。


「明日の儀式のことで来たんだ。」

村長の息子が、郵便受けの上に置かれたままだった手紙を差し出して言う。


ぎぃしきぃてらに?ぎしきってなに?んんぅ?」

男は、封筒をビリビリと破り、手紙を見る。


男は座り込む。


「家族は今どこ?」

酔っている男では話にならないと、村長の息子が訊ねる。


「親も嫁も空の上。」

酔いが醒めたのか、男は普通に答える。


「ここに書いてある子供は、家にいるか?」

村長が男の背中に手を回し、優しく訊ねる。


「中で、寝てる。・・・たぶん。」

男は、立てないから、どうぞ、とポケットから鍵を出して渡す。


「中に入らせてもらうよ。」

村長の息子の言葉に、気が抜けたように、『 どうぞ。』と頷いた。


家の中は、散らかっていた。

そこら中に、酒の空き瓶や、空き缶が転がっていた。

左の扉を開け奥に入ると、足元に散らばった玩具や、お菓子の箱や袋が散乱していた。

そこに、二人、小さな子供が横たわっていた。

二歳を過ぎた子供とは思えないほど、まだ小さかった。


村長と息子は二人に駆け寄り、抱き上げる。

大きめのTシャツに、ダルダルになった紙おむつを付けていた。

詳しい事情は分らないが、この子たちに、この家の主に、

もっと早くに気付いて、声を掛けてあげなければいけなかったと

村長は思った。


外に座り込んだままの男のところへ向かい、声を掛ける。

「どうするね?」


村長たち二人の腕に抱えられた、双子の息子の顔を見る。

男の顔はまだ真っ赤だったが、酔いは醒めた目をしている。

双子の頬を、両手で包み、『 ごめんな。』と呟く。


「・・・連れて行ってください。」

男は頭を下げる。


「わかったよ。家に入って休みなさいね。」

村長は優しく男に声を掛け、背中を撫でてから、その場を立ち去った。



この年、西之村から選ばれたのは、

昨年の十月十六日、二歳になった双子の兄弟。

兄はウタ、弟はオトと名付けられている。

母親は出産時に死亡。

妻を愛していた父親は、妻の死を受け入れきれず、酒に溺れていた。




* * *




南之村の村長は、他の村長と別れた後、そのまま子供の家へと向かう。

通り道にあるアイスクリーム屋は、息子夫婦が営む店だ。

明日の儀式に参加する孫娘に声を掛け、一緒に向かう。


村の奥、アパートの一階の家だ。

この家のあるじはスナックを経営しているママのはず。

最近は、スナックが閉まっていることが多いと誰かが話していた。


玄関ドアの郵便受けからは、新聞が溢れだしている。

お知らせの手紙は、新聞の間に挟まったままだった。

千歳緑ちとせみどり色の手紙。



「読んどらんのか。」

村長は呟き、インターフォンを押す。


反応がない。


「いないんじゃない。」

孫娘が言う。


玄関の扉をノックして声を掛ける。

返答はなかった。が、子供の泣き声が聞こえた気がした。


「おおーい、誰かおらんか?」

声を掛けると、泣き声が近付いて来る気がする。


ガチャ。

この部屋の、二つ隣の部屋のドアが開く。

「あ、村長さん。どうかしましたか?」

声を掛けてきたのは、豆腐屋で働いている青年だった。


「ここの主に用事があるんだが、おらんようで。」

そう村長が答えると


「なんか、子供の泣き声が時々聞こえるんで、気になってたんですよね。」

そう言いながら、大家さんに声を掛けてきますね、と大家を呼びに行ってくれた。


近くに住む大家が、鍵を持ってやって来る。

インターフォンを鳴らし、声を掛け、出ないので、主の携帯電話へ電話を掛ける。

すると、ドアのすぐ向こうで音が鳴りだす。

なんか遭ってたらいけないと、鍵を開けると、ドアの前に倒れこむように

女がうつ伏せになっていた。


「大丈夫か?」

村長が駆け寄る。


「先生に電話するね!」

孫娘は、診療所に電話を掛けている。島には病院も救急車もない。


青年と、大家も一緒になり、ここの主である女を介抱する。

引き戸の向こうで泣き声が聞こえる。

孫娘が引き戸を開けると、小さい子供が泣いている。

すぐに抱き上げて、こちらへ連れてくる。


髪の長い、細いかわいらしい女の子だった。

飲み物が欲しいようだったので、大家がコップに水を汲んで飲ませてやると

少し落ち着いたようだった。


暫くすると、診療所の医師と看護師が来てくれた。

医師は、診察をすると、『 診療所へ運びます。』と告げた。

看護師に女の子を渡し、みんなで部屋を出た。


女は話せる状態ではなく、男の子がいないことも気になったが、

どうすることも出来ないので、村長はそのまま帰ることにした。


夜になり、村長に電話が入った。

村長と孫娘は、診療所へと向かう。


「助けてくださって、ありがとうございました。」

ベットから起き上がろうとする、あの家の主の腕には点滴が付いている。

まだ横になっていなさい。と村長は声を掛ける。


「何か、御用だったんですか?」

そう言う女に、村長は手紙を渡す。もしも、明日の儀式に出れなかったら、この手紙は人目につかぬよう、樹海の巫女へ渡さなければと持ち帰っていた。


「そこに書いてある、明日の儀式のことで行ったんだ。」

村長の言葉を聞いて、女は封筒を開ける。


「・・・あの子を、連れて行ってください。」

読みながら、悲しくも、ホッとした表情を返す。


「そこに書いてあるのは、二歳の男の子のこと。お宅には、もっと小さな女の子しかおらんだろう。」

村長は問いかける。


「あの子は男の子です。わたしには、もう先がないみたいです。一人では上手く育てられないし。娘、あの子の親にも全然連絡が取れないし。どうしていいか解らなかった。だから、どうぞ。」

そう、涙を流しながら、女は言う。


トントンとノックの音がして、村長の孫娘が、あの子供を抱いてくる。

祖母に会った子供は、嬉しそうな顔をした。


点滴の付いた腕を伸ばし、子供の手を握り、『 ごめんね。』と女は呟く。

「ばぁちゃんも、すぐに逝くから、ね。待ってて。」


子供は言葉の意味は解らなかっただろう。

ニコニコと祖母にバイバイをして、部屋から出て行った。


「しっかり身体、休ませなさい。」

村長は優しく声を掛け、その場を立ち去った。


村人全員の事情を知ることはできない。

だが、もっと気軽に頼れる場所、愚痴をこぼすだけでもいいから

誰かと気軽に話せる場所を、作らなければいけないと

村長は思った。



この年、南之村から選ばれたのは、

昨年の九月二十八日、二歳になった男の子。

ユカリと名付けられている。

父親は誰かわからない。

母親はまだ若く、とても美人だった。

産まれたばかりの赤ん坊を実家に置いて、島を出て行った。

祖母が一人で育てていた。




* * *




北之村の村長は、一度自宅へ帰り、

明日の儀式に参加する孫二人との三人で、子供の家を、訪ねてみた。


村の真ん中に並ぶ、長屋の右端の家だ。

この家のあるじはあまり見かけたことがない。

長屋の前を通ると、どこもワイワイと話し声が聞こえて賑やかだった。


だが、この家の前は、しんとしている。

玄関横の郵便受けの上には、チラシとお知らせの手紙がのっていた。

千歳緑ちとせみどり色の手紙。



「そのままか。見とらんのか。」

村長は呟き、インターフォンを押す。


反応がない。


「ごめんくださーい。」

孫が言う。


玄関の引き戸を開けると、鍵が開いていた。

「ごめんくださーい。」

もう一度、孫が言う。


返答はなかった。が、ガタガタとした音が聞こえる。


「誰もおらんなら、出直すか。」

村長が孫たちに声を掛け、引き戸を閉めようとすると。


ガシャーンッ!

中で、何かが落ちたか、壊れたか、大きな音に驚き、声を掛ける。

「大丈夫か?おじゃまするよ。」


村長と孫二人が玄関の中に入る。

薄暗いので、電気を付けると、そこで見た光景に、言葉を無くす。


部屋の右側の壁際に、犬のゲージのようなものがあり、

その中に、子供が入れられている。

両手は後ろで紐で縛られ、両脚も足首を縛られている。

口にはガムテープが貼られており、タンクトップと紙おむつ姿。


部屋の左側の奥に、母親だろうか、両手を後ろで縛られ、口にはガムテープ。

スチールラックにもたれかかる形で、ウエストをラックに括りつけられている。

ラックの上のものか横の棚のものか分からないが、花瓶を落としたのだろう

ガラスの破片が散らばっている。


「大丈夫か?!」

村長が声をかけ、孫二人も急いで子供と母親に駆け寄る。

何か事件に巻き込まれたのだろう。

二人のガムテープを剥がし、紐を外し、とにかく一旦外に出ようと

孫の一人が母親をおんぶし、もう一人が子供を抱っこして、

まずは、村長の家に、と走って連れて行く。


家に着くと、村長の娘が二人の傷の手当をし、

孫娘が温かいものをと葛湯を作ってきた。

二人を診療所に連れて行こうと何度も電話をするが、

医師も看護師も出掛けているのだろう。全く繋がらない。


母親の方は、手首の痣と、ガラスの破片で切れた足の傷だけだと言ったが

歩くときに、足を引きずっているように見えた。

子供の方は、縛られていたところだけじゃない、腕や脚、背中に青痣が見える。

それに、左瞼が腫れあがっていた。右腕には、煙草だろうか、火傷の痕もある。

ふたりとも痩せていた、というより、異常に細かった。


とにかく早く、診療所と連絡をとらなければ。

こんな状態の二人を見て、明日の儀式のことなど話せるはずもない。

そう村長は思った。


暫くして、診療所の看護師と電話が繋がる。

すぐに診てもらえることになり、二人を車に乗せて連れて行く。

手当をしてもらい、幸い怪我は、薬と湿布でなんとかなるようだった。

あの家に帰すのは心配なので、家に泊らせることにする。


村長は、娘に二人の世話を頼み、自室へと向かった。

他の村長に、何と連絡しようか考えていると、孫娘がお茶を持ってきてくれた。

「おじいちゃん、あの女の人が話したいみたい。」


「そうか。」

そう言いながら、客間へと向かう。


「話しとは、なんかね?」

村長が声を掛けると。


「今日は、ありがとうございました。何か、御用でしたか?」

小さな声で、ぼそぼそと話す。


村長は、こんな時に、こんな状態の人を見て、儀式のことなど

どう話せばよいのか、解らなかった。


「息子を病院に連れて行ってくださって、ありがとうございました。」

あの子があんな目に遭ったのはわたしのせいなんです。と、泣き始めた。


旦那は、子供が産まれてすぐに、離婚届を置いて出て行った。

ずっと泣いてばかりいる子で、育てにくかった。

歩き始めるのも、おしゃべりするのも遅かった。

心配だった。だけど、なぜか、いつもイライラしていた。

一人で頑張らないと、と思っていた。


仕事場で出会った優しい男と、再婚の予定で一緒に暮らし始めた。

付き合っていた頃は優しかったのに、一緒に暮らすようになった途端、

自分と子供への暴力と暴言が始まった。

何度も止めようとしたり、別れようともしたが、上手くいかなかった。


子供をゲージに入れたのは、たぶん、自分。

入れたら、怪我をさせなくてすむと思った。

自分も、子供を愛せるのかわからない。

睡眠薬と安定剤が手放せず、薬を飲んだ後の記憶が曖昧。


ぼそぼそと、うつろな目で話す。

時々、笑った表情に見えたかと思うと、次は涙を流している。

村長は、頷きながら、話をきいている。



ひとしきり喋った母親は、スッキリした表情でもう一度訊ねる。

「どんな用件で、家にいらしたんですか?」


村長は、真剣な眼差しに、ごまかしてはいけない、そう思った。

「この手紙の件だよ。」

そう言って、手紙を渡す。


母親は、そっと封を開ける。

手紙に目を通し、一度目を瞑ったあと

「息子を、連れて行ってあげてください。」

そう言って、下を向き、哀しそうに微笑んだ。


トトトト・・・。

廊下から音がして、襖が開く。

村長の孫が、子供を風呂に入れてくれていた。

大人用のTシャツを、ワンピースのように着て、子供が入ってくる。

母親に抱き付いて、ニコッと笑った。


左瞼を覆う傷パッドをそっと撫で、『 ごめんね。』と母親は呟く。

「次は、いいお母さんを選んで生まれてね。」ぼそぼそとした言葉は、

子供に届いたかは、解からない。


「二人とも、ゆっくり眠りなさい。」

村長は優しく声を掛けて、部屋から出て行った。


翌朝、客間には子供だけが眠っており、母親の姿はなかった。

机の上のメモに、『 ありがとうございました。』とだけ書かれていた。


この村は、明るく誰とでもお喋りする人が多い。

そして、その人たちからの言葉は、よく耳に入ってくる。

だけど、言葉にならない声を、もっと聞こえるようにしなければと

村長は思った。



この年、北之村から選ばれたのは、

昨年の九月九日、二歳になった男の子。

ソノと名付けられている。

血のつながった父親は、家を出ている。

そして新しく父親になるかもしれなかったのは、暴力を振るう男。

母親は心を病んでいた。




* * *




西之村、南之村、北之村

選ばれた子供がいる、どの家にも共通していたのは


届いたはずの手紙は、

読んでもらわないといけない相手の目に

届いてはいなかったということ。


だれも、逃げ出したりはしていなかったということ。


だれも、逃げ出そうとはしなかったということ。




* * *




儀式当日。


本当の儀式の流れは、

選ばれた子供の母親は、【 紅涙こうるい 】と呼ばれ、

儀式には、藍鼠あいねず色の単衣ひとえの着物を着て参加する。

父親はこの日、家を出ることを禁じられている。


どの子も、前日の晩は、村長の家で過ごした。

儀式に参加する母親はいない。

急遽、村長の娘、もしくは、息子の嫁が、この日の紅涙の役をすることとなった。


たった一晩預かっただけの子だったが

今まで不憫な思いをしてきただろう、この子を

生贄の儀式に連れて行かなければならないことを

村長の家族はみんな、とても苦しく思っていた。


子供には月白げっぱく無地のの着物を着せ、

濡羽色ぬればいろの帯と足袋、左手首に水宝玉のブレスレットを付ける。

他の二歳児より、細く小さいこの子たちには、着物も足袋も少し大きかった。

着付けをした、各村長の妻たちは、陰で涙を流していた。



夕方六時。

紅涙は子供を連れ、玄関を出る。

そこには、十人の【 送楽師そうがくし 】と呼ばれる者たちが待っている。

青朽葉あおくちば色の直垂装束ひたたれしょうぞくを着て、それぞれ楽器を持っている。

子供を連れた紅涙を、取り囲むように送楽師が並び、歩き始める。

しょう龍笛りゅうてき篳篥ひちりき琵琶びわ太鼓たいこの音色に合わせ、祈り唄を歌い、

島の中心にある森へと向かうのだ。

森の真ん中に祭壇があり、三つの村から合流する。

全員が揃うと、そこで祈りを捧げ、巫女舞が始まる。


一通りの儀式が終わると、樹海の巫女の棲む森へと向かう。

そこには、宴の席が用意されている。

生贄の子供に最後の食事をと、島伝統のご馳走がたくさん用意されているのだ。


送楽師が音楽を奏でる中、子供たちに食事をさせる。

食事の最後、巫女が花の形をした砂糖菓子を一粒、口に含ませる。

しばらくすると、子供たちは、スヤスヤと眠りだすのだった。


眠った子供たちを抱きかかえ、砂浜へと連れて行く。


子供たちは、舟に乗せられ

島から東の方角へと向かう。

暫くすると、舟の灯りは消えていった。



こうして、生贄の儀式は終わりを迎える。







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