第2話 桜散る

 お世話になった大学の先生方は、口を揃えて言っていました。満足できる授業は、一年のうち十回にも満たないと。


 生徒の様子や、その日の状況などによって、授業の出来は左右されるもの。盛り上がった授業を別のクラスでやっても、同じ反応が返ってくるとは限らない。ベテランの先生であっても、完璧な授業を毎回できる訳ではない。とどのつまり、一年目から上手くいくはずがないのです。


 多少の失敗でへこたれるな、生徒の前では声を荒らげるな、うまくいかないのは自分のせい。そう心の中で言ってから、初授業の教室に入りました。


 初回は自己紹介の時間を多めに取るつもりでした。私が高校生のときは、残った時間で先生が教科書を通読しました。これから何の教材を学習していくのか、わくわくしながら先生の声に耳を傾けていたのです。自己紹介に、五十分も費やされた記憶はありませんでした。大丈夫、初回の授業は乗り切れる。


 そんな自分の経験と先入観は、早々と砕け散りました。


 どうして生徒の机に教科書がないのだろう。そもそもノートすら出ていないんだが。三分前なのに、授業準備はどうしたよ。


 生徒イコール過去の自分という関係性は、あえなく崩れ落ちました。当たり前と思っていたことが、この場所では通用しないようでした。

 教材研究より、生徒の価値観を知ることを優先するべきだったかもしれません。教育実習でも生徒の反応をもっと想定しておけば良かったと痛感させられたのに、とほほ。

 焦りが表情と態度に出ないように、私は口角を緩めました。


 自己紹介の後、時間が余るとすれば十五分程度。教科書がない人は、隣の人に見せてもらうよう声かけして……。学習指導案を脳内で修正していると、チャイムの音が響きました。


「それでは授業を始めます。号令をお願いします」


 声が震えていないかしら。緊張でキツい口調になっていたら嫌だなぁ。弱気になる自分を隠しながら、教壇で声を張り上げたのです。


 再度チャイムが鳴ったとき、心の中では堰を切ったように弱音が溢れました。


 範読は駄目だ。あれじゃ熟睡の時間だよ……!

 句点ごとに区切って生徒に読ませた方がいい。間違えて読んだところを先生が修正するくらいにしないと。はぁ、先生が音読するの、憧れだったんだけどな。模擬授業のとき、音読を褒められていたのだけど。つまらん矜恃は早々と捨てるほかあるまい!


 あの日以来、四月に範読をすることはありませんでした。古文は歴史的仮名遣いの確認をしなければいけないので、範読の必要がありますが。まだ基礎文法を学習しているため、長文を読む機会は遠そうです。

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