ローテク令嬢

六野みさお

第1話 カフェ

涼子りょうこは遅いですわね……」


 王都の中心部に位置する高級カフェに、金山蝶子きんざんちょうこは座っていた。友人の深谷ふかたに涼子を待っているのだ。もう約束の時間を5分も過ぎている。


 蝶子は軽国かるくに王国の大財閥、金山家の長女だった。金山家は王国初期からの名家で、王家とのつながりも深い。かくいう蝶子も、王国の第一王子、軽国翔かるくにかけると婚約している。蝶子はおそらく、王国で最も偉い女性の一人だった。


(遅れは6分になるかしら……)


 蝶子がちらりと腕の時計に目をやったとき、「ごめーん、遅くなった!」と大声を出しながら、涼子が店内に現れた。


(何が『ごめーん』ですか……あなた、もう少し自分の地位に自覚を持てないのでしょうかね……私と並ぶ実力のくせに。まあ、いいのですのよ……政治的には大事な相手なのですから)


 しかし蝶子は心内の不安を隠して、これだけ言った。


「まあ、いいですのよ。さて、遅れていることだし、さっそく本題に入りましょうか……って、あれ? その横の方はどなたですの?」


 蝶子がよく見ると、涼子の後ろに別の女性が立っている。


「ああ、彼女は永井美咲ながいみさきよ。ほら、永井自動車の娘さん。あなたと面識を持ちたいんですって」


 蝶子は永井自動車という社名には心当たりがないが、おそらく弱小の自動車会社なのだろうと推測する。


「これは永井さん、どうもありがとうございます。父にちらりと耳打ちしておきますわ。ーーところで永井さん、その傷はどうしたのですか?」


 永井美咲の左頬には痛々しい傷があった。


「ああ、これですか? いやぁ、昨日料理をしているときに、火傷いたしましてね。見苦しいところを申し訳ありません」

「まあ、料理を? そんな、使用人にさせればよいですのにーー」


 そこまで言って、もしかすると永井は使用人を雇う金がないほどの弱小企業の娘なのかもしれない、と蝶子は思いつく。少し得意になりながら、蝶子は続ける。


「ところで涼子、しっかりと手は回していますわよね? あの中村は順調にやっつけられているのでしょう?」


 中村というのは、蝶子のライバル、中村悠花なかむらゆうかのことである。中村は最近、あからさまに第一王子に言い寄る動きを見せていて、蝶子は心配なのである。


「ええ、完璧ですよ。中村はほとんど失脚したも同然です」

「ですわよね。あれだけの悪事を暴かれたんですからーーまあ、全部捏造なんですけどね。でも、国民が信じればそれでいいのです。『中村悠花は、某国の大統領と不貞を働いている!』ってね」

「ふふ。よくあんなのを、国民が信じますよねーーしかし、さすが蝶子ですわね」

「おほほ。私の手にかかれば、こんなものですのよ」


 蝶子は笑みを浮かべながら、目の前のパフェに口をつける。なかなか良い、と、蝶子はしばらく目を閉じて、そのおいしさに浸る。涼子は遅れはしたものの、今日は良い店を選んだのだから許してやるかーーと、蝶子は考える。


 蝶子がやっと前を見ると、涼子はちょうどポケットに手を入れたところで、そしてそこから最新型のスマホが出てくる。


「ちょっと永井さん、昨日のあれを見ました? あれはやばいですわよね」

「はい、本当にそうですよね! でも、昨日はこれもあったのですよ。こちらも超神ですわ!」


 涼子と永井美咲は、一つのスマホを二人で見て、途端にペチャクチャと騒ぎ出す。蝶子はそれを見て、これだから最近の若い者は、という風にため息をつく。


「やれやれ、あなたたちは、スマホは現代市民の堕落の象徴だということを、なぜ理解しないのでしょうねーーおっと、ほら、顔を上げなさい! 第一王子殿下のお出ましですわよ!」


 第一王子である軽国翔かるくにかけるが、店内に入ってきたのだ。涼子と永井美咲は慌てて頭を下げる。


「ああ、みんな、そんなに固くならないでいいからーー僕はちょっと、金山蝶子嬢に用があってね」


 王子は蝶子と真正面から向き合う。彼の手には花束が握られている。彼はそのまま足を曲げるが、なぜか床にひざまずく前に立ち上がる。右の人差し指をまっすぐに蝶子に向け、そして宣告した。


「金山蝶子! 君との婚約を破棄する!」


 時間が止まったーー少なくとも蝶子は。さっきまでは蝶子がプロポーズされそうな展開だったのだ。蝶子はなぜこうなったのか全く理解できない。


 ところが、王子と涼子、永井美咲は、顔を見合わせて笑い出した。


「いやぁ、うまくいったな!」

「そうですわね! 完璧に婚約破棄されましたわ!」


 あまりの笑いように、蝶子は(これはもしかしてドッキリなんじゃないだろうか……)と期待してしまう。


「あ、勘違いするなよ、これはドッキリじゃないからな――さて、そろそろ謎解きをするか」


 王子はおもむろにタオルを取り出すと、永井美咲の顔を拭き始めた。すると、永井美咲の顔から、きれいさっぱり傷がなくなってしまう。


「あっ! お前は……」


 蝶子がよく見ると、その顔は中村悠花だった。


「ふふふ、だまされましたわね、金山蝶子! あの傷はメイクしただけでしたのよ!」


 あまりの出来事に、蝶子はものも言えない。


「さて、ここからが本題だな!」


 王子は花束をささげて、悠花の前にひざまずいた。


「中村悠花嬢、あなたに結婚を申し込む!」

「喜んでお受けいたしますわ!」


 今度こそ王子のプロポーズが成功したのだ。店内からは誰からともなく拍手が起こる。


「王子ばんざい!」

「悠花嬢ばんざい!」


 そんな声が上がるなか、蝶子はやっと正気を取り戻す。そうだ、こんなことがあっていいわけがない。


「ちょっとお待ちなさい! あなたたち、本当にこの二人の結婚を認めるのですか? みなさん聞いているでしょう、この女は某国大統領と――」

「誰がそんな話を信じると思ってるんだ?」


 王子は呆れたように言う。


「まあ、君はおよそネットというものを毛嫌いしているから知らないかもしれないけど、実はその話を信じている国民なんてほとんどいないよ。まずその証拠が全然ないしね」


 だが蝶子は諦めない。


「そんなはずありませんわ! それに、こいつがやってないという証拠もないでしょう!」

「ありますわ!」


 涼子はそう言うと、スマホを何やら操作した。すると、スピーカーから蝶子の声が流れてくる。


『あれだけの悪事を暴かれたんですからーーまあ、全部捏造なんですけどね。『中村悠花は、某国大統領と不貞を働いているーー』ってーー』


 涼子は勝ち誇ったように笑う。


「さっきの会話を録音しておいたのですわ。そして、蝶子がパフェに感動している間に、録音を止めておいたのよ。あなた、パフェのことになると隙だらけになりますものね」


 蝶子はやっと自分が完全に敗北したことを理解したが、周りの目はすでに冷え切っている。


「さて、こいつはもう用無しだ。出て行ってもらおうか、このアウトオブデイトめ」

「なんですの、アウトオブデイトって?」

「デートする価値もない奴ということだよ!」


 王子はそう言うと、涼子、悠花と力を合わせて、嫌がる蝶子を店外に追い出した。


「本当は『時代遅れ』の意味なんだけどな、はっはは!」

「やっぱり外来語を理解していないですわね!」


 さて、蝶子が外に出ると、雨が降っている。傘を持っていない蝶子は執事を探すが、見つからない。と、蝶子は後ろから肩を叩かれた。見ると、蝶子の執事が立っている。


「てってれー!」


 執事は一枚の紙を取り出した。蝶子の父の署名の下に、大きく『お前を勘当する』と書いてある。


「何ですって!?」

「残念ながら、金山家の方でも、蝶子さんを最近は目障りに思っているのですよ。まあ、平民に落ちて反省しなさい。じゃあ」

「あ、こら、待ちなさい!」


 蝶子は執事を追いかけるが、執事はすたこらさっさと逃げていく。普段運動していない蝶子は、すぐに執事を見失ってしまう。蝶子の服を容赦なく雨が濡らす。


(最悪ですわ……)


 蝶子がそう思いながら上を見ると、大きな電光掲示板がある。


『臨時ニュースです。軽国王国第一王子の軽国翔殿下は、先ほど金山蝶子氏を婚約破棄しましたーー』


 電光掲示板に、今と同じ服を着た蝶子が驚いている様子が映る。


「おい、あれを見ろ!」

「金山蝶子に似てるぞ!」


 通行人たちがわらわらと蝶子に向かってくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ローテク令嬢 六野みさお @rikunomisao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ