第57話 静まり返る観客達③

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 ハイルを無事送り届けた俺はその足で冒険者ギルドへと向かった。


 この時代で目を覚まし、基召喚されてから随分時間が過ぎた。


 時を経れば異なる時代から呼ばれた俺の心情ですら否応なく平等に変わる。その中で唯一変わらなかったものがあるとすれば、帰るべきこの場所であろうか。


 目下にはぼんやりと窓から光が漏れる冒険者ギルド。


 「close」の札が掛かった取手を構わず回すと、容易に扉が開く。


 明転。


 静かな空間の中でジョッキを片手に持って項垂れるレオの姿が異質極まりなく、自然と目に止まる。


 「おう、先に飲んでるぜ」

 「構わない」


 正面口の扉が開いた音に気付き、ゆったりとした所作でジョッキを持ち上げ、一瞥も暮れず呟くレオ。


 彼なりの気遣いの言葉を受け取り頷くと、俺は隣のカウンター席に腰を落ち着けた。


 「今日はもう夜勤に上がってもらっててな。酒はオレが作るぜ」

 「いや、お前も慣れないことで疲れただろう」


 キュイラスを着たままのレオであるからして、件の会議から帰って来て間もないのだと理解できた。


 間髪入れずに「ぶっきらぼうな労いだな」と、レオが笑う。


 「会議は恙なく終わったか?」

 「まあな。進展といやあ、前の件で勇者のやつらがとっ捕まえた実行犯が冤罪になったってことぐれえだな」

 「……そうか」

 「杖の勇者が確認次第釈放するみてえだ」

 「なるほど。……それについては迷惑を掛けた。すまない」

 「いんや、仕方ねえさ」


 王城の一件に区切りがついた頃、俺はすぐに共同調査の報告書をアドルファの裏切りや上位魔族・ビフロンスを殺したことも含め、自身が見たことを偽りなく報告書に認めて提出した。


 先日勇者達が捕縛した人物が濡れ衣だったのであれば、消去法で実行犯と確定できる存在が記載した資料の中にあった。


 言わずもがな、俺が王都の関所前で接触した上位魔族・ビフロンスである。


 ハイルとの戦闘で手の内を知られてしまったことも手伝い、レオからそれが本当に上位魔族であったかどうかの確認が入ることはなかった。逆説的に言えばアモンの時のように迂遠にはできない状況下だったのである。


 いや、例え誤魔化せる別な考えがあったとしても、俺は多分そうしなかっただろう。レオにはハイルの処遇を巡って尽力してもらった恩がある。


 俺は期せずして重要な参考人を殺めてしまったことを謝ると、レオは鷹揚に頷き肩肘をついて虚空を眺めた。


 「報告書を読んだ程度で何を語れる訳でもねえけどよ、オレがお前と同じ状況だったとしても、殺してただろうな」

 

 それが伊達や酔狂でないことを物語るように、レオの目には揺るぎない殺意が宿っていた。


 「いいや、お前なら俺のように間違えなかっただろう」


 街の人々を守る為に戦う。


 俺は、自らの確固たる行動理念に高々一時の感情が書き換えられることはないと信じたかった。

 

 「そうだといいんだけどな」


 ともすれば、レオが弛緩した表情でエールを口に流し込んだ。


 「希望的観測なら幾らでも言えるぞ」


 俺はそう口にして、脳裏を過った疑問を咀嚼した。


 「……だな。だったら、魔族になっちまったやつらも早く人間に戻って欲しいな」


 熟れてしまった果実はやがて腐るのを待つばかりだ。


 それは人間も例外でなく、徒に時間を弄し続ければ徐々に体が蝕まれていく。


 果たして俺とレオの会話は、決してそうではないと言い切れるのだろうか。


 理想や絵空事を嘯き続けた先に見えるのは、光ではない。形のないものは流転し得ない。


 しかし終着点だけは変わらない。


 平等に変わらない、安寧の思想だ。


 俺は穏やかに息つくレオを眺め、歯を食いしばった。


 「それは本当か? 本当に、魔族になった者はも戻らなかったのか?」

 「なっ――」


 目を見開いたレオは俺を今日初めて臨んだ。


 平穏に戻りつつある世界。


 それは、事情を知らない市民達への欺瞞だった。


 俺をただのウィスタリア市民へと戻そうとしてくれた彼の優しい嘘を、暴かなければならない。


 「救護院へ戻るかも分からない魔族を安置するのか」

 「それで納得してたじゃねえか。今更蒸し返す必要があんのかよ!」

 「なに、気が変わっただけだ」


 温和な様子から一変、カウンターテーブルを叩いて怒鳴るレオに対し、俺は身動ぎせず見返した。


 「前例があったんだろう? それでも願望を口にするということは、子どもや老人、人間やエルフや獣人も規則性がなく戻ったのか」

 「……それをどこで聞いた? 答えろ、ヒサギ」

 「たった今お前から確信を得た。嘘が下手なんだな、レオ」


 臆せず放った俺の言葉にレオが息を詰まらせる。


 そして沈黙が降りる。


 暫しして、俺は幾分か声の調子を抑えて尋ねた。


 「悪魔、という単語を聞いたことはあるか?」

 「……あくま? 魔族を言い換えただけだろ」


 依然として冷静な俺に興醒めしたのか、若干の怒気を孕みながらもレオが席に着いた。


 「そうだな。魔族だ」

 「はあ? お前は何が言いてえんだよ」

 「魔族の始祖が魔王だとするなら、その前はなんだと思う」


 敢えて無駄な物言いをするのには勿論理由があった。


 レオを落ち着かせる為である。


 俺が会話の主導権を握らなければ、一連の話を納得させるのが困難だと理解している。


 「それが悪魔だ。俺達から見れば中身は愚か外見も全く変わらないが、奴の中では違うようだな」

 「……待て。待てよヒサギッ! お前は――」

 

 肝要な所を濁して、結論を彼に導かせた。


 筋道立てれば誰でも辿り着く。


 奴とは俺が初めに定義した固有名詞と繋ぐのだから、直近の会話を思い出せばいいだけだ。


 そう。奴とは。


 

 「ああ、俺は魔王に会ったことがある」


 

 人類の敵。恐怖の権化。この世ならざる超常。


 例える現象、もの、言葉なら数えようのないくらい思い浮かぶことだろう。


 しかし、端的に、簡潔に結ぶならばたった一言。

 

 魔王。


 魔の頂点に座す存在である。


 「自身の本能に従って生きて来た悪魔の中に、ある日『理性を持った悪魔』が生まれた。……レオ、もしもお前が人類で初めて、同じようにただ1人だけ理性を与えられたならばどうする?」

 「……」

 「……必然、自分のように思考する個体が欲しいな。ならばどう考えればいい?」


 長年他人との関わりを絶っていた俺は、相手の心の機微に寄り添うことができない。


 「そうだ、生産性を考えられるならば現状は統率すればいい。では、本能を優先する多勢を取り仕切れないならば、何を切り捨てる?」


 だからこそ、なるべく早く終わらせたいものだと一方的な発言の内で最短距離を目指す。

 

 「多勢を『思考する悪魔』と共に陥れればいい」


 押し黙ったレオに、最後の一押しをする。


 「魔物……という存在を俺は知らなかったが、魔族を生み出した元凶ならば断言できる。それが唯一出来るのは『歪な生命を創造する』能力を持った魔王だけだ」


 残酷なことに、魔王自身に生産性が与えられた。


 魔族を新たに生み出す【憂し我が郷里アンテノラ】という、悍ましくもまるで勇者召喚を想起させる能力が魔王に備わっている。


 「分かるか? お前が、お前達が相手にしているのは、そんなお互いを喰いあって生き残った悪魔と奴の配下の魔族だ。そんな理不尽な存在が、に収めるはずがないだろう」


 魔族が人間に戻る事例と魔族のまま人間に戻らない事例。

 

 それが意味することは、言うまでもなく一つだ。


 まだこの絶望は、終わらない。


 「どこかに恐ろしく知能の高い魔族、あるいは本能を抑えた悪魔が潜んでいる」


 矢継ぎ早に話を打ち切り、俺は続くレオの言葉を待った。


 顔面蒼白になりながらも必死に何かを手繰り寄せた彼は、開口一番にこう訊いた。


 「……お前は敵じゃねえのか」

 「……」


 思わず驚いた。悲観し、祈るような眼差しで俺を見る双眸には、疑念も期待も願望も込められていなかった。


 これは咄嗟に答えるようなことではなくて。


 俺は反芻し、真っ直ぐにレオの目を見て答えた。


 「ああ。俺はウィスタリア市民だ。全霊を以って対処に当たろう」


 レオの質問は天性の勘に依るものだと推察する。


 そもそも、物事の始まりからして疑わざるを得ないはずだ。


 俺がどういった経緯で魔王に会ったのか。何故今生き延びているのか。


 それらを頭の隅に追いやり絞り切った言葉が、あくまでも俺の裁量に任せたものであった。


 打算しても尚、レオが人格者であるという結論。


 だが俺は――それでも歩み寄ることができない。


 「そっか……頼りにしてるぜ」


 力なく笑うレオを見ても俺は。


 「ああ。約束する」


 魔王との間に横たわる深淵を語れない。

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