第56話 静まり返る観客達②

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 王城でのあれやこれやからもう2日が経った夜。


 俺はウィスタリアの中央通りから一本西に逸れた通りで人を待っていた。


 待ち合わた時刻までまだ幾分か余裕がある。その間に頭の整理をしようと思う。


 スプルースの国王が崩御し、市井の大凡80人が魔族に変えられる様相はまさに地獄絵図であったが、遅くとも着実に事態の収拾へと向かっていた。


 まずスプルース国王の死没についてだが、世間への公表は病死としたようだ。尚、国王を殺めた魔導騎士団員は秘密裏に処刑したとのこと。因みに今回の騒動の渦中であるアドルファが率いていた魔道師団は、皆投獄されて個々に尋問して処罰を検討中らしい。


 これで王の血筋が完全に途絶えあわや国家存続の危機であるが、そこは王自らが生前に手を打っていたようで、新たな君主が誕生するでもなく議会で国を運営していく方針のようである。


 そして魔族に変貌し街を彷徨っていた民衆は、俺が王城にいた間に生き残った20数名が何故か一様に気絶したらしい。呼吸をするだけで一向に目覚める気配がなく、また家族の前で殺すことを躊躇う者が多かった結果、団長のマレツグが信頼する魔導騎士団員の監視付きで救護院の預かりとなった。

 

 これには反対する者も決して少なくない数いたが、肉親を目の前で殺された当事者から擁護する声があったようで、お偉い方が苦悶した末にこうした判断へ踏み切ったのだろう。


 更に死んだ元市井の魔族も人間に戻ると信じて、肉体が朽ち果てるまで救護院の安置所へ保管される次第だ。


 王城であった一悶着の事後処理を頼んだ故に、義務として一連の報告をレオから聞いた。それはともかく、頭の良いお偉い方や現場で傷を負った人々の考えに俺が態々異論を挟む権利などない。


 オーキッドでは深い悲しみを抱いた街の民が眠れぬ夜を過ごす中、ウィスタリアといえばその悲惨さに胸を打つ者、王都から家族の帰りを待つ者、他人事だとあっけらかんと話す者、変わらない日常を過ごす者等々、実に悲喜交々である。


 俺もまたそんな多種多様な住人の中の1人であり、復興を願ってはいるものの何か実利になることをした訳でもない。


 結局のところ願いとは、こうして綯い交ぜになった感情に色を付ける為の動機に過ぎないのかもしれない。


 そうして何ともなく落とし所を探していると、フードを目深に被った小柄な少年が近づいて来るのが見えた。


 ふと昨晩にレオから受けたもう一つの報告を思い出す。


 それは、勇者についてだ。


 剣の勇者・レイヤは市民の魔族化騒動に対応を続けた末に心を病み、それを杖の勇者・ホノカが介抱している。


 金貨の勇者・シンは行方不明になったエルフのクリスタと獣人のガウを探している。


 そして、聖杯の勇者・ハイルは――


 「やあ、ごめんね。待ったかい?」

 「いいや、時間通りだ」


 スプルースより遥か西にある鎧玉髄の産出国、カルセドニーにある炭鉱での従事が命じられた。


 あの一件は王城に多大な被害を与えたものの死傷者が出なかったことが幸いし、国王が亡くなった故の心神喪失ということで片付けられた。換言するなら国外追放である。


 「ギルドマスターにも謝罪と感謝を伝えておいてくれないか」

 「ああ、承った」


 ハイルが眉を下げてそう言い出した。

 

 彼の処遇が国外追放に止まったのは、死罪待った無しの状況に情状酌量の余地があると食い下がったレオの尽力あってのことだ。本来ならばこのハイルへの付き添いもレオの仕事であったが、本日より国家運営の為の会議が本格的に始まるとのことで、止むを得ず他に任せることになった。


 俺が聖杯を砕いたことでハイルはもう聖杯の能力を使えない。しかし、勇者足り得る器をなくしただけであり、魔力量や使用できる魔法は一部を除き変わらない為、金級冒険者相当の実力がある彼を誰が国の外まで連れて行くのかと話が拗れてしまい、レオがそれを持ち帰った結果、俺に白羽の矢が立ったというのが今までの経緯である。


 「……そろそろ行こうか」

 「そうだね。もう充分のんびりさせてもらったしさ」


 そうして俺達は西へ向かって街道を歩き始める。


 辺りを見渡せば日中には大変繁盛している雑貨店の明かりが消え、他の店舗もそれを追うようにフッと暗くなった。するとどうしても等間隔に並ぶ街灯が強調されて眩くて、少し目が痛い。


 「すまなかったな」


 魔道具の照明に当てられて、不自然に伸びた影が揺らめいた。


 あの日に豪語したハイルとの約束は、ついぞ果たせなかった。


 俺が何とかすると言っておきながら最後はレオに殆どの始末を頼んだ。


 「……謝ることないのに。僕は君に救われたんだからさ」

 

 情けなく頭を下げた俺に、ハイルは笑顔で首を振って答える。


 「さ、早く行こうか」


 俺は迷いなく一歩を踏み出したハイルに並んでまた歩き出す。


 あれで彼が本当に救われたのかどうか、俺に知る術はない。


 それ程までに今のハイルの表情が柔らかく、朗らかであった。


 「そういえば、結局ドワーフって本当だったの?」

 「ああ、ハーフだがな。だからハイルと同じ人間でもあるぞ」

 「ふーん。……ヒサギのご家族は?」

 「父がドワーフで、母が人間だった。もうこの世にいないが」

 「そっか……ごめんね。変なことを聞いたかな」

 「構わない。見た通り老体だからな。取り分け隠すようなことでもない」

 「ごめん。それ突っ込んでいいか分からないよ」

 「そうだな」

 

 俺の返答に思わず噴き出したハイルの横顔を眺め、考える。


 俺は彼と同じか、それよりもずっと若い頃、こうして笑えていただろうか。


 脳裏にこびりつく記憶はいつも誰かが怒りに溺れる姿や泣き叫ぶ場面ばかりで、まるでどうしても一つだけ頑なに開かない引き出しがあるようだった。


 「ヒサギは、今幸せかい?」

 

 気を遣ったのか、ハイルは俺の目を覗き込むよう窺い聞いた。


 言葉の真意が分からず黙って視線を合わせると、彼は恥ずかしそうにフードを撫でた。払い除けるようにした手で持ち上がった間から、浅葱色の髪がさらりと落ち風で靡く。


 「……実はね、憧れていた英雄がとても空虚だったものだから、僕は今の方が幸せなんだ。まあ、随分身勝手な物言いだけど」


 ハイルの足元から軽快な音が鳴り響いた。


 丁度手が届かない距離まで転がった小石を、少年が無邪気に駆け寄って拾い上げる。


 「人って不思議だよね。みんな自分の意思で未来を切り開いているはずなのに他の誰かと違う、特別になりたいって思うんだ」

  

 有象無象に紛れながら個として確立する為には用意された道を踏み外すという代償が必要である。


 それが特別になることだというのなら、特別な人である英雄は自身の轍を断たなければならない。


 これは当然の話であるが、世の中は生きている者より死んだ者の方が多い。だからこそ先の英雄と同じ道を辿れば確実な死が約束されるのだ。


 「大きな力を持った瞬間にさ、急に怖くなったんだよ。何の力もない大勢のみんなの目が。安心したような、かと思えば責め立てるような目が」


 群衆の波に身を任せるのは人の生存本能だと考える。


 人は特別になったその時よりその他大勢の代弁者となるのだから、失態があれば押し付ければいいし、功績があれば敬意を表するだけでいい。


 詰まる所、人は自分以外の特別を待っている。自身が微傷すらせず、ただ先の道を照らしてくれる存在を待っているのだ。


 「ヒサギ――僕は君に救われたからこそ、君に幸せになって欲しいんだ」

 「……幸せ、か」

 「そうだよ! 細やかでもいい。ただ平穏に過ごしたいとかでも」


 出会った頃のハイルはいつも辛そうに空を見上げていた。


 決して届かない星々を手にしようと踠いていた。


 しかし、彼にとっての幸せとは何も特別でない、まさに手に取った小石のように腕の届く範囲にあるものなのだろう。


 それは奇しくもこの時代に来た俺の願いであった。


 ハイルが俺の願いを叶えてくれたのだ。


 故に。だからこそ。


 「――すまないな。それはもう諦めた」


 俺にとっては掌で包める小石こそが星のように手が届かないものだと認識させられた。


 「……そっか」


 ハイルは息を吐き、ゆっくりと頷く。力の抜けた手から握った石が零れ落ちた。


 ウィスタリアを出る門はもうすぐそこにある。


 「やっぱり君はそっちを選ぶんだ」


 昔の自分と俺を重ねて憐れんでいるのだろうか。


 選択を誤った場所に立つ俺に同情しているのだろうか。


 ハイルの悲しげに微笑んだ表情からはそれが読み取れなかった。


 「最後に、お願いを聞いてくれるかな」

 「なんだ?」

 「もし他の勇者も救って欲しいって言ったら怒る?」

 「いいや。それがお前の新しい願いなら、叶えられるよう努力しよう」

 「そんなに根を詰めなくてもいいからさ。もし彼らが嫌いなら断ってくれてもいいんだよ?」

 「一度約束を違えたのだ。次こそ果たしたいと思う」

 「本当にできればでいいよ。……僕らはみんな同じような境遇だから、君だったらって思っただけさ」


 言うが早いか、ハイルは門へと向かった。


 俺の役目は彼がウィスタリアの外へ出るまでの監視である。一度門の外へ出れば、彼が手筈通りカルセドニーに行こうが道中で死のうが関係のないことだ。


 「達者でな」

 「うん。頑張るよ」


 盗賊になる、あるいはスプルースの情報を他国に売るなども自由であるが、まあそれはないだろう。


 満ち足りた表情で、ハイルは堂々と門を出た。


 「あ、そうだ」

 「なんだ?」

 「ごめん、言い忘れてた。……お義父様に国の安寧の為にって魔族を寄越す手配をした人」

 「それがどうした」

 「そいつ――自分を悪魔だかなんだかって言ってたよ。危うくそれって魔族じゃんって突っ込みそうになったよ」

 「……そうか」

 「うん。……それじゃあね」


 そうして少年はスプルース王国を後にした。


 やがてハイルの背中が見えなくなった頃、俺の足がようやく動いた。

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