第54話 罰の在処

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 他人と正しい在り方についての話をするのは一等疲れるが、収穫もあった。


 アモンと違い、ハイルは目的を成就させたその後の生き方を考えている。


 社会的に立場の弱い者の為に戦う姿は、武力と政の差があれど、スプルース王の思いに通じる節がある。


 しかし、だからといって看過できることではない。


 自分や他人、家族、街、国、取り分け事情のある人々、奪った命よりも多くの命。


 人間が自身の手より大きなものを守ろうとする時、そこには必ず理由が存在する。


 雁字搦めになったこの世界であっても、彼ら彼女らは各々の行動理念の基に取捨選択を行うのだ。


 そしてそれは勇者も同じで、なればこそ自ずから手を差し出せない者を掬い上げようとするハイルには、例え優遇された者であっても民衆に犠牲を強いて欲しくなかった。


 少数の為に大勢を犠牲にして救える命など、限られているのだから。


 本当の敵を見定めて欲しいものだ。


 お前が真っ先に殺さなければならない人物が、皮肉なことに目の前でのうのうと生き永らえている。


 「何か大きな罪を犯したのかい?」

 「魔王より多く人を殺した。お前の言う弱者も強者も関係なく、な」

 「……なるほど、君は僕が思っていたよりも非道なやつだったようだ」


 ハイルが目を細め、俺を捉える。


 「なら、もう終わりにしよう、ヒサギ。だって君の苦しみと嘆きが、今の僕には痛いほど分かるんだ」


 聖杯の勇者が徐に右手を広げる。


 手のひらに触れた魔力が、少年を覆い隠すように畝る。


 「……僕の生きてきた世界は酷くってね。身一つで人を殺すのが、すごく大変なんだ」


 黒く、暗く、禍々しく。


 「それに限って言えば、誰もが容易に人を殺められる魔法という利器を持てるこの世界は、平等と称してもいいのかもね」


 滞留する夥しい魔力が、規則性を以て魔法の形成を始めた。


 「平等で、毒だ。人は皆、身勝手で傲岸だから。自分を世界の主軸に置きたいから。願いが、祈りが、歪な願望になる」


 天井を食い破り、現れ出た一つの大きな槍。


 「『生者に平等をスローター』」


 床に敷かれた水が槍の穂先へ一斉に向かい、蒸発し、白い湯気を立てる。


 接地面とハイルの足、その境界線が途切れる。


 空高く飛んだ聖杯の勇者が、月に背を向け俺を見下ろした。


 「だからこそ、いつも取り残される人達を僕が救わなきゃいけないんだ」


 双眸に冷酷さを湛え、淡々と口を開く。


 「本当に残念だよ、ヒサギ。……もし僕らがもっと前に知り合えていたなら、友人になれていたかもね」


 無機質な声が俺の耳に届いた。


 夜の帷が降りる。


 底冷えするような魔力を内包し、月を飲み込むかのように肥大した黒い槍が放たれた。


 俺は、ハイルと同じように右手を広げた。


 槍を構成する術式を解析。


 複数の【必中】と【偽装】、穂先の【灼熱】と【毒性】。


 膨大な魔力に所狭しと並べられた術式に【武器強化】を撃ち込む余地はない。


 金級冒険者は愚か、この世界の誰にもできない芸当だ。


 真正面から打ち砕く、あるいは回避する手段など皆無である。


 「『錬成』」


 俺の手中に収まるのは、取るに足らない小鎚だった。


 「――どうやらそれを決めるのは、お前でも俺でもないらしい」


 直後、閃光が迸る。


 手に携えた小さな鎚が光り輝き、暗澹とした空間を照らした。


 「それは……聖杯か? 驚いたね、そんなこともできるのか」


 無論、俺に聖杯など作れない。


 あくまでも、聖杯の能力の一部を享受する導線を精製しただけだ。


 だが、それで十分だった。


 ――ふと、自らの手で殺めた勇者達の顔が過ぎる。


 しっかりと見たわけではないから、輪郭だけのぼやけた姿だ。


 それなのに、彼ら彼女らの最期の表情を忘れることができなかった。


 死の間際、彼らは何故、安心したように笑みを浮かべたのだろう。


 当時の俺は、まほろばに行けたからだ、と差して気にも留めなかったが。


 もしも、彼らがもっと、ずっと深くを見たのなら。


 光を、見たのなら。


 握った手から流れ、溢れる光は――、


 

 祈り、願い、成し遂げた人々の、希望。



 ……なるほど、俺やハイルには見えなかったものである。


 悪意に曝され、微かに生まれ出た望みさえも喪った聖杯の勇者。


 この時代で目を覚まし、ほんの僅かだけ人の善意に触れることができた俺。


 立場が少しでも変わっていれば、手繰り寄せることが叶わなかった。


 こんなものかと諦めていたかもしれない。


 死が迫る。


 俺は、漆黒の槍に槌を打った。


 魔力がボロボロと剥がれ落ちる。


 聖杯が光で満たされる。


 「終わりだ、ハイル」


 槌が崩れ、空いた右手をハイルに向けた。


 【武器強化】


 そして。


 ――聖杯が砕ける。


 


 「……やっぱり非道だね」

 

 全ての魔力を使い果たし、落下を始めたハイル。


 俺の腕の上で件の少年が唇を噛み締めながら言った。


 「なんで殺してくれなかったんだよ……」


 目の前で起きた予想外の事態に触れもしないのは、心のどこかで救いを求めていたからなのだろうか。


 何にせよ、言いたいことが山程あって。


 しかし、それらが喉元で次々に消えていく。


 俺にはハイルを救えない。


 結果として彼の行いを未遂に終わらせたものの、仮にレオが死んでいればまた違った結末を迎えたかもしれないからだ。


 やはり人間とは自身に降りかかる事柄に於いて、都合の良いか悪いかで判断するきらいがあるようで、それは俺とて同じらしい。


 それから……次に……。


 もう、いいか。


 色々思うところがある。言いたいことも勿論ある。考えなければならないことも沢山だ。


 だが、全部を抜きにして漏れ出た声はこうである。


 「本当に、よく頑張ったな」


 誰もが別の誰かを犠牲にして、薄氷の上で成り立っている世界。


 綺麗事で世界を救うことはできない。

 

 争いに勝った者が栄誉を手に入れ、敗れた者が罪を背負う。

 

 ハイルは一体どれ程の覚悟でそれを受容したのだろうか。

 

 「お前は十分やった。後は……そうだな、俺が何とかしよう」

 「……ぁ」


 堰を切ったように浅葱色の少年の目から涙が溢れた。小さな体を震わせ、嗚咽を漏らす。


 「……ごめんなさい」

 「ああ、許そう」


 罰を受けるべきは、俺だけでいいのだ。


 「……レオ、もう少しでずらかってもいいか?」

 「いや、いい訳ねえだろ」

 

 玉座の間の外で壁にもたれ掛かったレオが呆れ顔で返答した。


 「ったくよ……老人同士、もっと体を労わり合おうぜ」

 「何を言っている? 俺はそうだが、お前はまだまだ元気だろう」

 「あのな……」


 物言いたげに俺の顔を眺めたレオは、少しの間があって後頭部をポリポリと掻いた。


 「……まあ、助かったよ。ありがとな」

 「構わない」


 束の間の平穏が戻る。


 その一時を、叶うならば長く味わいたくて、俺は息を吐いた。


 ぼんやりと空を仰ぐ。


 気付けば月は沈み、また新たな一日が始まろうとしていた。


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