第53話 罪の所在
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心の奥底から悲嘆に暮れる時、人は願わないし祈らない。
現状にそこそこ満足しながらも満たされない欲望を抱く余裕があってこそ、いるかも分からない存在を信奉するのだろう。
少なくとも僕はそうで、父親を不快にさせれば殴られたり蹴られたりするのが当然だと無意識に刷り込まれていた。
誰だって痛いのは嫌なんだ。
だからこそ痛みを与える父親が特別な力を持っているのだと、幼い僕は勘違いした。
けれどそんな日にも終わりがやってきた。
ある日真っ黒なスーツを着た知らない人が家にいた。
自分よりも二回りくらい体格の大きい彼らに、父親は僕にするのとは全く違った顔になったんだ。
眉を下げて上目遣いで、まるで媚びるような卑しい眼差しで、もう少し待ってください。絶対に返しますからって。
その時になってようやく理解できた。
僕は騙されていたんだ。
なに笑ってんだよって殴られたけれど。
いつもはじんじんと灼けるような痛みが、その日ばかりはさっと引いた。
2日か3日後だったかな。家で父が首を吊って死んでいた。
僕はシミだらけの天井をぼんやりと眺めて、つい口に出す。
どこか遠くに行きたいなって。
今にして思えば、それが願いだったのだろう。
朝起きた僕の視界には、頬が痩せこけたおじいさんがいた。
金ピカの冠が頭上で輝いてるから、学のない僕にも彼が王様なのだと分かった。
王様は優しい顔で僕と他3人を迎えてくれて、この世界が日本じゃないこととか、日本の知識を国で広めて欲しいとお願いした。
目的のなかった僕は頷いたけれど、他の3人は違った。
レイヤは虐められて引き篭っていたから、自分の本当の実力が発揮できるって言って真っ先に王城を飛び出した。
ホノカは僕よりも酷い環境で育ったみたいで、前は春を鬻いで生活していたらしい。ここで縋る先を見つけたみたいで、自分の価値を認めてくれるレイヤについて行った。
かと思えばシンはとても裕福な生活をしていて、何でも買ってもらえて何でも出来たから、飽きてしまってこっちに来たようだ。最初は駄々をこねて泣き喚いていたけれど、数日も経たない内に城から消えた。
王城は居心地が良いのにな。
王様はとても優しいし、何の不安もなくいられることが幸せだったんだ。
満ち足りた所為か、不満が影を差す。
時折顔が暗くなる王様……お義父様のことが知りたくなって、何でも教えてくれたのに、唯一教えてくれなかったことに思いを馳せる。
王国の秘術、勇者召喚の儀式の文献をこっそり部屋に持ち帰って読んだ。
お義父様の表情に雨が降る前に掛かる雲のように、深い翳りが見えた理由が分かった。
勇者召喚の儀式には、街の人の魔力と、もう一つ――生贄が必要だったのだ。
一度だけお義父様にお願いして、一緒に寝たことがあった。
寝室の隅っこに立て掛けられた、王様と、綺麗なお妃様と、優しく微笑む3人の子どもが写る肖像画。
このお城には、王様を残して誰もいなかった。
だから、僕は。
お義父様に認めてもらう為に、頑張ったんだ。
大切な人の大切なものを壊してしまったから。
代わりには決してなれないけれど。
――心の奥底から悲嘆に暮れる時、人は願わないし祈らない。
なんで。
なんで――
「なんで、特権を持った君達が、そんな顔をするんだよ!」
目の前のヒサギも、お義父様も、嘗ての父親とは比べ物にならないくらい、力を持っているはずなのに。
どうしてそんなに、物悲しい顔をするんだ。
どうして、次々に生まれる欲望に執着しない? 澄まし顔で、悟ったみたいに諦観するんだ。
「怖いのか?」
ヒサギが見透かしたように僕の目を見た。
「ああ――怖いさ! ずっと力が欲しかった! 虐げられるのが嫌だったからだ!」
痛みを与える側の人間になれば、先の苦痛から逃げられると思った。
僕を掴んで離さない呪縛から解き放ってくれると信じていた。
なのに。
「……確かに、割に合わないだろうな」
得られたはずの力は、僕が思っていたよりもずっと、空虚なものだったんだ。
「ハイル。お前に訊きたい――お前は何がしたいんだ?」
「この力を以て、世界を壊すんだよ。お義父様や僕を認めないこの世界をね!」
右手を掲げれば玉座の間を満たす魔力が呼応して、真っ黒な渦を巻いてヒサギに向かう。
「世界を壊した後はどうする? お前が頂きに立つとして、そこでお前は何を望むんだ?」
視界からヒサギが消えた。
一帯の魔力を支配下に置いた僕には、彼がどこへ消えたのか感じ取ることができる。
腹部へ迫る拳を、形成した槍で阻む。
尖鋭な槍が、ヒサギの拳に触れた途端、粉々に砕け散った。
「決まってるだろ、優先順位を変えるんだ。救済する人を選定する。声が大きいだけの権力者や民衆なんて後回しで良いんだよ」
左手を銃に見立てて、水の弾を20発放つ。
亜音速で射出された弾を、ヒサギは脚を器用に使って躱した。
文献で読んだような、或いは御伽噺で書かれたような八面六臂の活躍を僕は望んじゃいない。
ただ、世界を壊せる程の力を持っているという事実があれば問題ないんだ。
僕はもう一度ヒサギを観察した。
幾ら浅い付き合いと言えど、彼の吐露したものが、ただの戯言に留まらないことだと感じる。
ドワーフと人間のハーフ。
御伽噺にあって、この世界には存在しない種族。
けれども僕のいた世界では、いつだってエルフや獣人と一緒に描かれていた。
もしヒサギの発言が本当だとしたら。
ドワーフは、ずっと昔に、文献にも残らない形でひっそりと絶滅したのだろう。
そんな環境下で育った彼は、僕、いや、どの世界で生きる人よりも苦痛を味わってきたのかも知れない。
誰にも比肩し得ない強大な力を持った人の痛みが、今なら分かる。
虐げられる弱者と同じで、彼らは非難の槍玉に揚げられない為に声を潜めていた。
お義父様も、ヒサギも、終わりのない惨痛に溺れている。
贖いという愚者から齎される理想の在り方よって、偶像としての生き方を強いられる。
僕はそんなのごめんだ。
振る舞いこそ求められど、どうして生き方まで何も知らないやつらに強要されなければならないんだ。
「この手の話は苦手なんだが」
ヒサギは僕を真っ直ぐ見たまま、そう前置きした。
「知っているか? 冒険者は普段こそ堂々と振る舞っているが、急場になれば途端に腰が重くなる」
「……何が言いたいんだ? 君はいつも遠回しだから分からないよ」
「そうだな……つまりは、冒険者やお前の言う声の大きい連中、それにお前やスプルース王も、皆同じなんだ。同じ人間であるから、誰かを犠牲にしながらも、自身の行動理念に則って、その時々で自分にとって一番だと思う手を取る」
「だから争いがなくならないんじゃないか! この世界は声を上げられない人が、目を向けられることがないんだよ! 一番弱い人々が、なんで不利益を被らなきゃいけないんだ!」
「なればこそだ。切り離せ、ハイル。人を助けるにあたって別の人を害すれば、お前の理想は実現しない」
屁理屈だ。
詭弁だ。
悪いやつを殺さなければ、弱い人を救えない。
「それに、すまないが俺には分からない。ここは複雑だからな。弱い者が本当に弱いのか、それとも成りすましているのか。いや、そもそも当人が自身を弱いと思っているのかすら不明瞭だからな」
「全部引っくるめて選別するんだよ。弱者を騙る強者なんて断罪すればいい」
「……このまま話が並行するのも疲れるな。そうだな、では手始めに」
ヒサギの目つきが変わる。
「――俺を断罪してくれないか」
そうして、まるで心から懇願するように僕を見た。
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