第52話 緞帳が上がる

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 スプルース王城の一角に膨大な魔力が滞留しているのが視えた。


 嫌な予感がした。もしもレオがあれ程の魔力を操る魔族と交戦中であるならば、命の保証がないだろう。


 事は急を要する。多少強引なりとも突撃する他ない。


 俺は跳躍し、【武器強化】を掛けたままの脚で王城の壁面を【結界】ごと粉砕した。


 容易く崩れた壁の残骸を手で退けると、パラパラと砂の破片が宙を舞う。


 そうして王城の中へ足を踏み入れた俺は、早速レオの捜索に取り掛かった。


 水浸しになった床。赤黒い液体が混じっている。


 見たところ謁見で使用した部屋と似た作りだ。


 他に手掛かりはないかと目を左右に動かせば、何とレオ本人を発見した。


 しかしどうにも様子がおかしい。普段の快活な姿でなく、傷を負って部屋の外で壁に撓垂れ掛かっている。


 その傍らには、浅葱色の髪の少年――聖杯の勇者・ハイル。


 「……遅えよ」

 「……君は」


 2人が一斉に俺を見た。


 レオは俺が来ることを予期していたかのように口角を上げ、ハイルは驚いて堪らず口を開ける。対照的だな。


 まあ、深く考えなくとも分かる。


 レオと対峙していたのは、魔族ではなくハイルだったのだ。


 近頃予想が外れ過ぎているな。仕様もないことであるが。


 「……レオ、仔細を教えて欲しい」


 俺が戦うべきはあくまでも魔族だ。それに2人とも話の分かる相手なので、無闇矢鱈に突っ込んだりはしない。


 「教えて欲しいのはオレの方だけどな、ヒサギ」

 「すまない、何をだ?」

 「お前、何者なんだよ」


 レオの猜疑心に彩られた眼差しに当初気が立っているのかと考えたが、続く言葉で得心がいった。


 俺はこの部屋からまだ一歩も動いていない。ということは、つまり一連の挙動を2人に見られていたことになる。


 今更か。


 俺に演技の才能がなかっただけのこと。


 ……本当に、仕様もない。


 「そうだな」


 こうなるなら、もっと早く打ち明けていれば、と。


 もしこの舞台を観る人であれば、そう思うに違いない。


 「俺は――人間とドワーフとの間に生まれた、ハーフだ」


 だが、


 「……面白い冗談を言うね、ヒサギ。でもこんな状況で軽口を叩くのはナンセンスだ」


 目に見えた真実を語らないのには、往々にして事情がある。


 「冗談を言っているつもりはないのだが」

 「ドワーフって、あれだろう? 背丈が小さくて、髭が長い炭鉱夫」

 「よく知っているな」

 「こっちの世界じゃ有名だからね。……ああ、たしか、君達の世界にもあるじゃないか――『竜討伐物語』だったかな。魔法の世界での御伽噺が」


 正に空想上の生き物。


 しかし実態はドラゴンという、より大きな衝撃を記憶に残す為の添え物に過ぎない。


 「君は何か頭の病気を抱えていたのかい? 大きな体躯に、髭のない年寄り。……ごめんね、ヒサギ。僕は今、少しばかり怒っているんだ。だから君の与太話に付き合う暇がないんだよ」

 「……ああ、そうだな。すまない」

 「ヒサギ……それは酒の席だけにしてくれ……」


 緊張状態の2人から、同じ憐憫の視線を受ける。


 だからハーフなのだが、と喉元まで出掛かった言葉を飲み込む。


 こんなものである。


 幾ら弁明をしたとて、事実は遥か彼方なのだ。


 そもそも――この世界には、ドワーフという種族自体が存在しない。


 空想上の生き物と人間とのハーフなんぞ、誰が信じようか。


 「どうでも良いけどさ……もし君が僕の邪魔をするのなら、今すぐ退場を願うよ」

 

 茶番に飽きたと言わんばかりに、ハイルの表情が険しさを増した。


 「そうだな……」


 状況の把握はできた。


 傷を負い、戦う余力のないレオ。


 端々に解れが見えるハイルの衣服。だがその隙間から覗く色白の肌には、擦り傷一つ見当たらない。


 聖杯の能力が完成した。


 数々の死線を潜り抜けた猛者が敗れた。


 ハイルは――何か俺達を害する目的を以って動いているのだろう。


 ならば、


 「邪魔をしに来た」


 解答は一つだ。


 「残念でならないね」


 ハイルの俺を見る目つきが変わる。


 直後、魔力の奔流を感じた。


 空中を浮遊した黒い影が槍を象る。


 数十本の槍が俺に向かう。


 両脚の【武器強化】は健在だ。大きく跳び、攻撃の射程距離から逃れる。


 しかし――、


 突如飛来する黒い槍の軌道に変化が見られた。


 なるほど。


 これは避けられない。


 俺は右腕に【武器強化】を施した。


 1回目――威力と耐久性の上昇。


 2回目――威力と耐久性の上昇。 


 目にも留まらぬ速さで射出された槍を、殴りつける。


 水の魔法は不定形だ。


 1つでも干渉すれば、容易に潰せる。


 押し潰され、ひしゃげ、広がった黒い水が立て続けに繰り出された槍の侵攻を阻害した。


 空中に滞る魔力を支配下に置き、発現した魔法に【偽装】や【加速】などの付加要素を重ねる。


 ハイルの戦い方は中距離型か。


 「じゃあね」


 拡散した水で向こうが見渡せない。


 だが、ハイルの手元に魔力が集まるのは視えた。


 直様左手で【武器強化】を作成。


 右手に2回。両脚に1回ずつ。


 俺が掛けられる【武器強化】は5つまでだ。


 内訳はドワーフの種族特性、【武器強化】3回。戦場での度重なる研究でプラス1回。


 ハイルの構成した術式、水魔法【水砲】にちぐはぐな強化を撃ち込む。


 狙い通り術式が離散した。


 霧状に漂う黒い水を薙ぎ、ハイルの元まで駆ける。


 ここで思案。


 勇者召喚に掛かる制約に関し、俺からハイルにはそれらを無視した攻撃が有効である。


 しかし、ハイルから俺への攻撃が認められるかは今の攻防を介さなければ分からなかった、謂わば不確定要素だった。


 全知神が勇者に掛けた、世界を滅ぼさない為のおまじない。


 1つ、『勇者同士で殺し合えない』。


 1つ、『この世界以外の如何なる干渉も受けない』。


 危惧していたのは1つ目であったが、杞憂だった。


 俺は勇者として召喚された訳ではなかったのだ。


 勇者召喚に際して集められた魔力の大半を消費しながら、勇者としては扱えない。


 全くもって理不尽な存在である。


 2つ目については、レオと最初に会った時点で否定済みの事柄である。


 この世界は間違いなく俺が生きていた時代の延長線上にある為、そもそも自分が理外の存在でない。


 つまるところ、俺は異なる世界で生きた勇者と違い、初めから世界の外側に干渉する術を持たないのだ。


 よって両方の否定を遂げた。


 次に考えるべきは、聖杯の能力。


 イースタシアで傭兵の仕事を貰った俺は、人間、エルフ、獣人が集う連合国と戦った。


 そんな折に現れたのが4人の勇者だ。


 上位魔族を易々と屠る能力を秘めた勇者達は、『竜討伐物語』で語られる逸話に違わず、恐ろしく強かった。


 中でも殺すのに苦労したのが聖杯の勇者である。


 剣を用いた接近戦や杖を翳す魔法戦闘は相当の場数を踏んだ為に対処できた。


 金貨の勇者は時間こそ掛かったものの良く得物を観察すれば、有利に事を運べた。


 だが、聖杯の勇者だけは能力を解くのに博打を打った程だ。


 能力の発動条件は――生者に清めた水を飲ませ、対象の者が死者となった時、その者の血を飲む、という酷く難儀なものだ。


 これには『聖水』たる水を満たした器、つまり『聖杯』の名を冠した生贄を作る必要があるようで、能力を賜るには必要不可欠な儀式とのこと。


 他の勇者にはない特殊で複雑な工程を踏む分、得られる恩恵は規格外といっても差し支えないだろう。


 何せ、『聖杯』となった者に対して願いや祈りを込めた全ての人の能力を獲得するのだ。


 嘗て戦場で聖杯の勇者が供犠として差し出したのは、彼らと共に肩を並べた朋友であった。


 期待を一心に背負う英雄の求心力は、途方もない魔力を生み出した。


 そして今回ハイルが選んだ聖杯は――視界の端で確認した、スプルース王だと推定する。


 であるならば、この時代でも必然、苦戦を強いられるであろうな。


 まあ、いざとなればハイルを――


 「ヒサギ、殺すなよ」

 「……無理難題だな。――だが、今の俺はウィスタリア市民だ。是非とも平穏を目指したいものだな」


 背後より掛かる声に、振り向く余裕はない。


 そうだ。


 ハイルは明確な敵でない。


 漆黒の霧を抜け、少年の顔が露わになる。


 彼の目は所在なく彷徨い、どこか迷いが生じていた。

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