第51話 小さな秘密

 +++

 城下町で跋扈していた魔族達の足が突然止まった。


 胡乱な紅い眼に夜の黒が差し、皮膚を裂いて突き出た爪が忽ちひび割れる。


 魔族が再び人間へと戻ってゆく。


 「何よ……これ」


 その変化は僅かに原形を留めるだけの焼死体であっても見られた。


 杖の勇者・ホノカの顔が徐々に青褪める。


 彼女の元いた世界で、日付が変わる0時に魔法が解ける童話はあまりにも有名だ。


 魔法が使える夢のような世界で、ホノカは知らず知らずの内に自身が物語の主人公であると錯覚するようになっていた。


 わたしはずっと虐げられていたから。


 欲に塗れた男達の醜悪な目が、新しい世界に踏み出しても尚脳裏からこびり付いて消えない。


 そんな悲劇の只中にあったわたしだから。


 この世界では、ありのままのわたしのことを許してくれるよね。


 そう信じていたのに。


 ――これは、何の悪夢だろうか。


 見渡す限りの焼け焦げた死体。倒壊する家屋。煤だらけになりながら必死に助けを求める人々。


 「……レイヤ」


 喧騒が犇く中、呆然と立ち尽くしたホノカは涙を流して剣の勇者の名を呼ぶ。


 「わたし……わたし、悪くないよね? 皆魔族になって苦しんでたし、わたしは助けただけだから。それに、ほら、こんなぐちゃぐちゃになった気持ちを抑えて頑張ったんだよ? ずっと泣いてたんだよ?」


 同意を求めるホノカの声は、既に無機質なものへと変わっていた。


 「……ああ。ああ、そうだ。ホノカは何も悪くない……」


 レイヤが咄嗟に彼女を抱きしめる。


 「魔族になった人も、誰も殺さなくて良かったと思っているだろうさ……ホノカ、本当によく頑張った」


 ひたすらに涙を溢すばかりのホノカの背中を叩き、レイヤは自身の感情を押し殺す。


 この騒動で手を汚したのはホノカのみであった。


 そこに少しの安堵があった自分を、彼は許せなかった。


 「勇者様っ!」


 ふと、レイヤが勢いよく顔を上げる。


 しかし周囲を確認すれば、その声は自分ではなく、急いで走ってきた獣人の少女に掛けられたものであった。


 「妻が瓦礫の下敷きに……っ! 助けてください!」

 「っ! 分かった!」


 獣人の少女は自身よりも大きな瓦礫を持ち上げ、人のいない場所を狙って投げる。


 「ううっ……」

 「サラっ! ……勇者様っ! ありがとうございます!」

 「お取り込み中、すみません。少しお聞きしたいことがあるのですが」


 程なくして獣人の少女を追いかけてやってきたエルフが、傷だらけの女性を手当てしながら夫に尋ねた。


 「金貨の勇者・シンをご存知でしょうか」

 「勿論です! ガウ様とクリスタ様の主君であらせられる勇者様ですよね?」

 「はい。そのご主人様を、この辺りでお見掛けしませんでしたか?」

 「ああ……シン様でしたら、少し前に南の方へ歩いて行かれるのを見ましたよ」


 女性に回復魔法を掛け終えたクリスタは、男の返答を受け、呆れたようにガウを見た。


 「……完全に入れ違いよ」

 「うう。この辺、臭いがきつくて分からない」

 「はぁ……今度は独断で動かないように」

 「分かった!」

 「……本当に分かっているの?」


 ため息をつき、首を振ったクリスタが不意に抱擁を交わすレイヤとホノカを認める。


 「……こんな所で何をしているのですか」

 「かっ、関係ないだろ!」

 「別に良いのですが……この不始末は、ご自身で片付けて下さいね」


 未だ燃え盛る家屋を一瞥してそう告げると、クリスタはガウを連れて立ち去っていった。


 「……そんなこと、分かってるんだよ」


 残されたレイヤは茫然自失としたホノカを抱きしめたまま、無造作に投げ出された剣を手に取った。


 ――その直後。


 轟音が一帯に響いた。


 レイヤは反射的に音のした方角――スプルース王城に目を向けると、壁面に大きな穴が空いているのを見つけた。


 「……どうなってるんだよ」


 目紛しく変わる環境に、レイヤは呆気に取られて思わずそう毒づいた。



 +++

 夥しい魔力に包まれた玉座の間。


 漆黒の渦の中心で空を仰ぐ聖杯の勇者が、徐に偽造の星々へと手を伸ばす。


 「やっと届きそうだよ、お義父様」


 嬉々として誦じたハイルの瞳が暗澹を称える。


 その矛盾がレオに一種の畏怖を植え付けた。


 大剣を拾い、【身体強化】を2度掛ける。


 レオは大地を踏み締め、一息でハイルへと迫った。


 「……もう遅いよ。英雄」


 ハイルはまるで羽虫をあしらうかの如く、煩わし気に手を払う。


 無秩序な魔力の流れが空中で整列し、数十本の槍を造った。


 レオが大剣を水平に振るう。


 間を置かずして獅子の得物を握りしめた右腕に、ドス黒い水の筋が幾つも突き刺さり、肉を深く抉った。


 「――っ!?」


 激痛に顔を顰めるレオ。


 ハイルが形成した黒い槍とレオ、彼我の距離はまだ十分にあったはずだ。


 一瞬で到達するにしても、その残滓さえ捉えられないとは考え難いことであった。


 どうにか体勢を立て直したレオの額から厭な汗が流れる。


 身体の表面を伝う水分が熱を奪い、彼に冷静な思考をする暇を与えた。


 この空間を満たす魔力の全てをハイルが制御できるのだとすれば、この不可解な事象にも察しがつく。


 無尽蔵ともいえる魔力で槍を精製し、【偽装】や【加速】を何度も重ねれば、レオが目で捉えきれなかったのは致し方のないことだ。


 しかし、それだけの魔力を操れる技量がハイルにあっただろうか。


 先の戦闘で彼の魔法に関わる技能を推し測ったところ、俄には信じ難い。


 となれば、元凶は一点のみ。


 ハイルが口にしたスプルース王の血。それが聖杯の能力と結びついたのであろう。


 つまり、これが本来の聖杯の勇者の力。


 あの少年は以前、自身の魔法について『条件が難しい』と言っていた。


 魔法は代償の大きさによって性能が変わる。聖杯の能力の対価が魔力ではないのだと考えれば、その恩恵は計り知れない。


 「――本当、末恐ろしいなッ!」


 レオは聖杯の能力がどんなものなのか検討もつかない。


 故に、無為な思考を止めた。


 思えば魔王幹部・ダンタリオンとの戦いに於いてもそうであった。何も考えず剣を振っただけだ。


 周りからは『獅子』だの『英雄』だのと讃えられるが、レオはただの一度も自身を傲ったことはない。


 本当に持ち上げられるべきは決定打を与えたレオではなく、そこまでの道を作ってくれた仲間達だ。


 そんな彼らに報いる為にも。守る為にも。ひたすらに無心で、己が得物と一体となるよう。


 呼吸を整える。けたたましく脈動する心拍を落ち着ける。


 大剣を両手に構え、いざ――


 音速を超える剣撃、【渾豪こんごう】。


 研鑽により鍛え抜かれた腕力と【身体強化】を2度掛け、常人離れした肉体が織りなすレオ専用の剣技だ。


 黒い水の槍を悉くへし折り、聖杯の勇者を捉える。


 瞬時に首元まで到達するレオの剣。

 

 斬首を控えたハイルの表情は、変わらない。


 少年の伸ばした右手が、いつしか銃を象っていた。


 瞬間。


 キュイラスの上に八つ、まばらに弾痕が浮き出る。


 レオが吹き飛び、玉座の間の向こうにあった壁に叩きつけられた。


 「言っただろう。もう遅いんだよ」


 ハイルが気勢を失ったレオの元へ足を運んだ。


 「忠告を聞いて欲しかったね。今まで無鉄砲でもどうにかなってきたんだろうけど、それはあくまで君の置かれた立場が恵まれていたからに過ぎないんだよ」

 「……」

 「地の利も実力も考えも何もかも僕に及ばなかった。……意外と脆いんだね、獅子は」


 手足を力なく放り出したレオの肩が、ピクリと反応を見せた。


 「……そう、か」

 

 ゆっくりと顔を上げたレオは、挑むように笑う。


 「お前は……助けて欲しかったんだな」

 

 意識を辛うじて保つ。


 ハイルの銃弾を受けた際、レオは疑問を持った。


 既にあの少年は世界を動かすほどの力を得ている。


 しかし何故、目の前の矮小な人間を相手取ろうとするのか。


 これからハイルが相対するのは同じ実力を持った勇者。レオなど取るに足らない存在のはずだ。


 そのはずが、どうして悲痛そうな表情を浮かべて、自分を見るのか。


 朧げになる思考。薄れゆく意識の波に曝されて。


 レオが最後に思い浮かべたのは、やはり街の人々の笑顔であった。


 そうして、やっと腑に落ちた。


 曰く、聖杯の勇者・ハイルは、未だ救いを求めている。


 「……助ける、だって? はっ、可笑しいね」

 

 虚を衝かれた様子のハイルだったが、数秒の後、レオを小馬鹿にするように鼻を鳴らした。


 「君はその歳でまだ救世主なんてヤツを信じているのかい? いいか、もし仮にそんな徳の高いヤツがいたとして、それが拾い上げるのはいつだって、分かりやすく泣きじゃくる女性や子どもと、権力者と、声の大きい民衆だけなんだよ」

 

 押し隠した本音をついに吐露するハイル。


 「本当の苦痛に苛まれてる人は、声を上げないんだよ。声を上げることを許されないんだよ。上辺だけの栄誉が欲しいヤツらが身勝手に、不躾に英雄を騙るなよ。助けて欲しいって高らかに言ってるヤツだけを掬い上げていろよ」


 悲鳴に似た嘆きが玉座の間を木霊する。


 「哀れだね、英雄。君は災厄の僕を見過ごして、お零れで喚く被虐者を助けるんだ」

 「いいや、お前を助けるのは……オレじゃねえぞ」

 「……何だって?」


 レオはハイルの主張を十分に理解していた。


 英雄とは語れば非常に易い存在である。


 声を殺した者を助ける手立てはないし、たった一回の過ちで全てを失う、文字通り吹けば飛ぶような、脆弱な人間達の浅ましい願望が集約した張りぼての存在。


 助けを求める者を救う英雄や勇者と、助けを求められない者を拾う者。


 両者は似ているが、明確に違うのだ。


 英雄や勇者はいつ何時であっても助けを求めることができない。


 前者のレオは。ハイルは。


 同じように、別の誰かを、求めてやまない。


 そこに介在するのは、希望、あるいは救済。その2つは奇しくも同質のものであった。


 レオの研ぎ澄まされた感覚が警鐘を鳴らした。


 ハイルを凌駕する畏怖が肌を粟立てる。


 「……遅えよ」


 レオの声と時を同じくして、王城が再び揺れた。


 鈍い音が反響する。


 密室で蟠る魔力が風穴に向かって勢いよく流れ出る。


 「……君は」


 予期せぬ闖入者に目を細めたハイルが、驚いたように口を開けた。


 そこには、赤み掛かった髪に諦観の混じった鋭い目、日に焼けた肌が特徴的な壮年の男が立っていた。


 「……レオ、仔細を教えて欲しい」

 

 男はレオを見つけるなり、首を傾げて尋ねる。


 「教えて欲しいのはオレの方だけどな――ヒサギ」

 「……すまない、何をだ?」

 「お前、何者なんだよ」


 男――ヒサギは、考え込むような素振りを見せ、「そうだな」と頷いた。


 やがて、閉ざした口唇がゆっくりと動く。



 「俺は――人間とドワーフとの間に生まれた、ハーフだ」

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