第50話 客電が落ちる

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 王城、玉座の間。


 豪奢で広々とした室内にて、2人の人物が向き合っていた。


 1人は冒険者ギルド・ウィスタリア支部のギルドマスターにして、過去に魔王幹部を退けた元金級冒険者の英雄、レオ。


 1人はスプルース王の側近にして、王国秘蔵の儀式でこの世界へと降り立った聖杯の勇者・ハイル。


 「……本気か? 勇者のお前が、本気で言ってるのか?」


 レオが浅葱色の髪の少年を睨んで問うたのは、確認の意が込められていた。


 曰く、人類の希望として召喚された勇者が、魔族ではなく人間に牙を剥くのか、と。


 「若え頃、殿下には世話になった。もし動揺して言ったんだったら聞かなかったことにしてやるぞ」

 「珍しいな、君は常識人なんだね。……でも、残念だけど正気なんだよ」


 聖杯の勇者・ハイルは大仰に口を開け、驚いて見せた。


 「……そうか。だったら話が早え」


 彼の否定を確と聞き、レオは背中に担いだ大剣を引き抜く。


 「勇者様相手に、オレがどれだけやれるか興味があったんだ」

 「へえ。僕も一緒だよ、『獅子』のレオ」


 直後。


 レオが全身に魔力を巡らせ、【身体強化】を発動し、駆けた。


 対するハイルは右手で銃を象り、指先を迫り来る獅子へと差す。


 聖杯の勇者の銃口を模した人差し指に魔力が集まった。


 具現化するは水の弾丸。やがてそれを発砲する。


 猛進するレオの足が止まる。


 反射的に体を捻って射線から逃れた。


 刹那、後方で轟音が鳴った。


 レオは振り向かず、大剣を横に薙いだ。


 長さ1m超もある剣が遠心力を以てハイルに襲い掛かる。


 だが、それが聖杯の勇者に届くことはなかった。


 少年に接触する寸前、どこからともなく湧いた水の壁がレオの一振りを防いだのだ。


 凝固した水が飛散した。


 弾かれるでもなく、不気味にも水の壁に触れて止まった剣をレオが振り払わんとする。


 「遅いよ」


 ハイルが右手をくるりと返して握り拳を作った。


 それに呼応し、あちこちに飛び散った水が一挙にレオの背後から押し寄せる。


 「――むんっ!」


 レオが掛け声と共に剣を無理矢理引き剥がし、振り向きざまに水を切った。


 その余波でレオを軸として守るように風が生まれ、彼に降り注ぐ一切が吹き飛ばされる。


 「中々厄介だな」

 「君の方こそ」


 水魔法【水砲】、【水壁】、【水光】。


 ハイルが放った魔法は、どれも一流の魔導師が繰り出す精度と威力であった。


 水魔法は日々の生活や戦闘まで幅広く応用される、所謂『属性魔法』に該当する。今は亡きエリックが用いる火魔法やウィスタリアの金級冒険者であるナキトの風魔法も此方に属した術式である。


 勉強すれば誰でも一定の魔法を習得できるが故、『属性魔法』は各魔導師が差別化を図りたいという執念からくる研究を経て、一属性につき優に百を越えるアレンジが為された。


 【身体強化】を使った近接戦が主流となり、秘匿性の低く副次的な面の強い魔法を魔導師が戦場に引っ提げて向かうのは、彼らの時代への抗いといっても過言ないのかもしれない。


 そして、そんな時代に伴い変化する『属性魔法』は、文明が進んだ世界より現れた勇者の手によってまた新たな変革期を迎えていた。


 会話で生まれた隙をつき、レオが後ろを一瞥すると、開いた玉座の間の向こうに連なった壁の一部が深く穿たれている。


 王城の壁は魔導師団の防御魔法【結界】が幾重にも張っているはずだ。


 それがいとも容易く瓦解した。つまり、レオが受け身になり防御魔法で防ぐ選択を取っていたのなら、瞬時に絶命していただろう。


 屈強な戦士の額からつう、と冷や汗が表面を伝う。


 防御魔法の衰退。属性魔法の隆盛。


 魔王幹部を仕留めた英雄であっても、時代に遅れれば見習い魔導師の片手で殺される。


 レオは本能でそう感じ取った。


 「余所見は良くないよ」


 ハイルが水浸しになった赤い絨毯に触れて魔力を注ぐ。


 間を置かず水が幾つも盛り上がった。


 やがて矢のような形状となった水が16本、レオへ向かって飛ぶ。


 身を引く獅子に、畝り、軌道を不自然に変えて捕捉する水の矢。


 「……仕方ねえか」


 レオが息をゆっくりと吐く。


 勇者を侮っていた。


 聖杯の勇者・ハイルは他の勇者と違い、召喚されてからずっと王城に篭って魔法の知識を蓄えているとは耳にしていたが、実戦経験が皆無な為に御するのは簡単だと勝手に決めつけていたようだ。


 一方で金貨の勇者・シンは実戦経験こそ積んでいるものの、まだ浅く知識も乏しい。ここで下した判断は間違っていない。


 しかし、そう遠くない未来、シンにも超えられることだろう。


 そう考えさせられる程、全知神に愛された勇者という存在が文字通り同じ人間と思えなくなった。


 「ここで生かしておく訳にはいかねえか……」


 当初、まだ10代の少年を殺めることが憚られた。


 だからこそナキトを見定めた時のように軽く痛めつけて降伏を促そうとした。


 だが、見誤ったのだ。


 このままハイルを見逃せば、本当に世界が壊れかねない。


 レオは考え終え――更にもう一度【身体強化】を自身に掛けた。


 ふっ、と。


 突如としてレオが消えた。


 彼に群がる水の矢は追い付かずにまた水面と同化する。


 実の所、レオの危惧した魔導師が戦士よりも優位に立てるという考えは、彼にとってのみ、その範疇に入らない話である。


 数々の死地を跨ぎ、研ぎ澄まされた五感と肉体。


 試行錯誤を繰り返し、最適化された得物。


 魔王幹部を屠った栄誉ではなく、彼自身の努力こそが実を結んだ。


 それ故にこそ、レオはウィスタリア最強の戦士なのである。


 「なっ――」


 ハイルの目ではレオの動きが捉えられない。


 気づけば肉薄した獅子の回し蹴りにより、少年の側腹が大きく凹んだ。


 衝撃で足が浮き、玉座諸共壁面に叩きつけられたハイル。


 「がっ――ああ……」


 意識が朦朧としたまま、獰猛な目つきへと変貌したレオに拳銃を象った人差し指を再度向ける。


 ハイルが照準を絞るのを待たずして、レオが左の拳で彼の頬を殴りつけた。


 骨が軋む。ハイルがまた吹き飛んだ。


 「最後通牒だ。大人しくしてろ」


 レオが携えた大剣を振り下ろさなかったのは、未だ迷っていたからに他ならない。


 「……て」


 ハイルの最期の返答を待ったレオが、思わず目を見開いた。



 「やめ、て、ください……もう、殴らないでください。……ごめ、んなさ、い……お父、さん! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」



 そこには、両手を前に出しながら泣き喚く気弱な少年がいた。


 世界を壊すと高らかに宣戦した勇者の面影が、そっくり消えていたのだ。


 「お父さん……お願い、します……許して……ください……ごめんなさい! もう悪いことはしません! お家に帰っても嫌な顔しません! ごめんなさい……ごめんなさい」


 何かに怯え、酷く耗弱した様子のハイルに、レオは戸惑いを隠せない。


 「お前……」

 「ひぃ! ごめんなさいごめんさない!」


 身を守るように頭を抱えたハイルが自分を出し抜く為の演技をしているとは到底思えなかった。


 であるならば――。


 レオは今回の勇者召喚に応えた面々の人格に問題があると、以前考えたことがあった。


 必死に生きる人々を肉眼で見ても尚遊戯の類だと主張した剣の勇者。


 自身に被る不都合なことを直様他人に擦りつける杖の勇者。


 自由奔放で独占欲の強い、向こう水とも形容すべき金貨の勇者。


 彼らの今まで生きてきた世界がどんな所なのか、レオには想像できない。


 しかし、異なる世界の価値観を鑑みても、彼ら勇者の行いは目に余るものがある。


 正しい者だと素直に称賛できない。


 けれども。


 それが、彼ら自身ではなく、彼らを取り巻く環境に付随したものであったのなら。


 仕方のないでは決して片付けられないが、少しだけ同情する余地があるのではないだろうか。


 震えて縮こまるハイルを呆然と眺める。


 彼はスプルース王を『お義父様』と呼称していた。


 レオが解を見つけ出す。


 ――浅葱色の少年は元いた世界で、肉親からの被虐によって人格が歪んでしまった。


 慕い、縋った相手がスプルース王であったのならば。


 知らぬ世界で見つけた唯一の救いを喪ったのであれば。


 ハイルの寄る辺は。


 世界を救うという大義は。


 完全に、破綻している。


 「ひっ。ひっぐ……ごめ、んなさい、お父さん……お願い……します……お義父様……助けて」


 直後。


 異変があった。


 「……お義父様。そうだ……お義父様。お義父様。オトウサマ……」


 ハイルが水浸しの地面を這う。


 「オトウサマ……オトウサマ……」


 義父の亡骸を目指し、血を吐き出しながら、まるで呪詛のようにぶつぶつと呟くハイル。


 「お、おい――」


 突如動き出した少年に、レオが手を伸ばして掴もうとした。


 だがそれは、虚空を切るばかりであった。


 やがて眠る王の元へとハイルがたどり着く。


 水面に朱殷が咲く。


 清らかな浅葱色に髪を染めた少年は――ゆっくりと、王の左胸に唇を近づけた。


 「今までの僕を救ってくれて、ありがとう――」


 血で彩られた水が、静かに啜るハイルへと流れる。


 ごくり。


 目を瞑った少年が深く息を吐いた。


 

 「僕の。僕だけの、聖杯」


 

 空を仰ぎ見るハイルが薄く微笑んだ。


 玉座の間。その天井には、星座の模造品であるかのように灯りが散らばる。


 星は止まっていない。


 時間を掛けて、遅々と、確かに動くものである。


 人の齎す灯りであっても、同様に。


 天井が軋む。


 水面が波打つ。


 世界が揺蕩う。


 晴れやかに笑みを浮かべるハイルの瞳に深々と闇が宿った。


 レオが絶句した。


 ハイルの魔力が玉座の間を覆い尽くし、蠢き始めたからである。


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