第49話 上位魔族 ビフロンス
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【武器強化】で回転数、耐久力を向上させた脚で走れば、『始まりの森林』中程からウィスタリアに到着するまで10分も掛からなかった。
流石に街中を隈なく回る時間はないものの、ざっと見た感じ魔族は一体もいないようだ。
市民に見つかると面倒である故に隙を見ての行動だったからか、却って落ち着いて街の状況を俯瞰できたのが幸いだろうか。
冒険者ギルドに寄って仔細な情報を手に入れるという選択肢もあったが、夜の時間帯にはナナが勤務している可能性がある。半ば強制とはいえ、ナキト達を置いてのうのうと帰って来たと知られれば要らぬ誤解や問答が生じるのが容易に想像できた。
まあ、ウィスタリアの安全は確認できた。何はともあれ一安心である。
「……さて、次はレオか」
明かりが消え、眠りにつくウィスタリアとは対照的に王都方面は随分と賑やかである。
どうやらアドルファの足止めは無駄ではなかったらしい。彼方此方から火の手が上がっているのが遠くからでも見えた。
俺はもう一度【武器強化】を脚に掛け、ウィスタリアを数分で越える。
そうして冒険者学校を通り過ぎたその時、異常があった。
王都の関所前。
剃り上げた頭に、だらしなく開いた口から疎らな黒い歯が時折見える老人が、門より悠々と歩いてきたのだ。
浮浪者と思しきその者は皺だらけの顔を不思議そうに歪ませながら、紅い眼を細め、剥き出しの2本の角を撫でる。
遠目で観察して見れば、門衛らしき者が2人、魔族の後ろで倒れている。断定できないのは、うつ伏せになった彼らの頭が潰されていたからである。
「むぅ〜? あんまり実感ないのだ」
小汚い身なりをした上位魔族が、首を90度横に曲げた。
「ニンゲンを同胞にできるというからワクワクしたのに、これじゃあ殺した方が早いのだ?」
その異様な風体からエリックのように元が人間の魔族だと推察したが、どうやら当てが外れたようである。
「ビフロンス、がっかりしたのだ……」
……がっかりしたのは俺も同じであった。
このビフロンスなる上位魔族、少々饒舌ではなかろうか。
情報がダダ漏れである。
「――まあ、いいのだ! ちゃんと指示通り、オウトのニンゲンを同胞にしてやったし、次はビフロンスの力でやれば!」
なるほど。
一連の事件の主犯はこいつであったのか。
軽い口に見合わず、実力は相当あるようだ。
「はっ――、ビフロンス、実は賢いのでは?」
……しかし、不快だな。
こいつが。こんな奴が、王都を危機に陥れたのか。
高く聳える塀の先では、誰かの悲鳴が途切れることなく聞こえる。
ビフロンスがはたと顔を上げ、振り向き、頭部が欠落した門衛の体を両脇に抱えると一思いに投げた。
まるで薪を焚べるかのように、背後で燃え上がる火に向かって。
「火の壁! 新しい魔法なのだ!」
これは奇を衒った行為でも、狂人ぶった人間の凶行でもない。
子どもが新しい玩具を見つけたかの如く、嬉々として、それが面白いと考えて行う魔族の所業。
ビフロンスが後ろに目を向けたことで、隙ができた。
俺は右手と両脚にそれぞれ【武器強化】を施す。
右手。――威力と耐久性の上昇。
右手。――威力と耐久性の上昇。
両脚。――跳躍力の上昇。空気抵抗の軽減。
刹那、距離を一気に詰め、遊びに興じるビフロンスの後頭部に拳を撃ち込んだ。
破裂音がした。
右手の着弾と同時にビフロンスの頭が弾ける。
「な、なんじゃあっ!? びっくりしたのだ!」
しかし――仕留め損なった。
ビフロンスの肩口が急激に盛り上がり、皮膚を破ってもう1つ同じ顔が生えた。
「汝、綰ねるは一重の常闇なり」
ビフロンスの口から奇怪な文言が漏れる。
俺は地面を蹴り、後ろへ飛び退った。
直後、ビフロンスの眼前の空間が捻じ曲がった。
声帯を魔法陣に見立て、魔力のこもった声を放って発動させる魔法。
「――詠唱魔法か」
魔法陣を構築する術式より早く、手や足など身体の末端に魔力を集中させる術式より遅い。
秘匿性を重視し、高速化した魔法での戦闘に於いて、時代遅れと言わざるを得ない術式である。
だが、膨大な魔力を角に蓄える上位魔族であればそれらの問題が一度に解決できる。
魔法という超常の技術を駆使するにあたり最適化された身体構造と、再生能力を有し、人間より優れた身体能力を持つが故にそもそも【身体強化】を必要としない体躯。
まさに魔族の為の魔法だ。
「うひひ! オマエは強そうだ! 同胞にするのだ!」
瞬く間に失った頭部の再生を始めたビフロンス。右肩の上の顔が嗜虐的な笑みを浮かべて俺を捉えた。
「下らないな」
土を踏み締め、もう一度ビフロンスへと迫る。
「汝、綰ねるは一重の――」
「それはもう視た」
左手――斬撃性の上昇、耐久力の強化。
【武器強化】を解いた右腕を振るい、代わりに詠唱魔法に捩じ込んだ。
研いだナイフのように鋭くなった左の爪でビフロンスの肩から隆起した頭を切り飛ばす。
首より先の頭部が完全な再生を終えた。
「ぐあああっ!? な、汝、清めたるは一心の巌なりっ!」
ビスロンスが苦しみ悶えた口でどうにか詠唱する。
間を置かず彼の後方、外壁の一部が楕円形に抉れ、俺に向かう。
これは慢心に他ならない。
岩の塊を飛ばすのであれば、予め魔法陣を仕込んだ方が速いのだ。
それを証明するかのように、俺の左手はビフロンス本体に十分届く余裕があった。
顔の中心を横に一閃し、引き裂く。
喉を狙わなかったのは、ビスロンスのもう一つの顔が魔法を唱えられたからだ。
声帯を介さずして魔法を発動するとなれば、考えられる要因は一つ。
2本の角に溜まった魔力を発声器官に模して放っていたのだろう。
発動が中断された岩の弾が1人でに落ちた。
ビフロンスは平衡感覚を失い、背中を地面に強打させる。
「ま、待つのだっ!」
俺はビフロンスが逃げぬよう、彼の胸部を踏みつけた。
「駄目だ。待つ時間が惜しい」
両手に威力、耐久性を上昇する【武器強化】を掛ける。
「オマエは同胞にしてやる! だ、だから、もっと強くなれるの――だっ!?」
「もう喋るな」
左手でビフロンスの頭を掴んで強引に引き寄せた。
腰を屈め、半身を引く。
「――あがっ! あっっ!」
力を蓄えた右腕を振るい、ビフロンスを殴打する。
一発目。たじろぎ、尚も繋ぎとめようと露出した血管がうねうねと伸びる。
二発目。ビフロンスの両手両足が力なく項垂れた。
三発目。額よりだらだらと流れていた汗が途絶えた。
4度目にしてビフロンスの再生が完全に停止する。
2本の角がへし折れ、紅い目玉が飛び出した顔は、例えようのない程醜悪になっていた。
俺は手を止めて立ち上がる。
身体中にビフロンスの体液が付着し、不快感に目を細める。
早く汚れを濯ぐべく、王都に急ごうと歩を進めたいのは山々であったが、その前にやらなければならないことがあった。
「……これはお前がやったとでも言っておけばいい」
ビフロンスとの戦闘中、こちらに近付いてきた者がいたのだ。
「最初から最後までおまえだけがやったのか?」
幸い余計な手を出してくる気配がなかった為、放置してビフロンスを優先させてもらった。
目を丸くして首を傾げるのは、金貨の勇者・シンに随伴する獣人の少女、ガウだ。
「だとしたら、何だ?」
「別に。ご主人と似てる臭いがしたから、聞いただけ」
俺とビフロンスの死体を交互に見て、納得したようにガウが頷いた。
「ガウ! 戻って来なさい!」
数秒の沈黙の後、今度はエルフの女性、クリスタが慌てて走ってきた。
「――ヒサギさんっ!? ……な、な……なんですか、これ……」
立ち止まったガウを認めて胸を撫で下ろすや否や返り血に塗れた俺を視界に入れ、思わず息を呑んだクリスタ。
「ガウ……と、ヒサギさんが、こちらの魔族を討ち倒したのですか?」
「違う。あいつが1人でやった」
ガウが即座に否定し、俺を指差した。
どうやら俺の話を聞いていなかったようである。
「そんな……上位魔族をたった1人でなんて……」
「運が良かっただけだ」
「ヒサギさん……貴方は一体、何者なのですか?」
先の会合で多少の言葉を交わしたくらいであるが、シン一行に於ける頭脳はクリスタだと考えている。
僅かな逡巡の内に過去『始まりの森林』で潜んでいたという上位魔族の行方と、この状況を結びつけられれば出し抜くことが最早不可能と言える。
故にクリスタ相手での否定は難しい。
とはいえここで身元を明かしたところで、嫉妬深いシンの寵愛対象である彼女達とは連携が取れない。
この場を上手く切り抜けられる方法を思案する。
……駄目だ。考え得る手段のどれもこれもが愚策であった。
「俺は――」
シンに情報が伝われば、俺は彼にとっての煙たい存在へと成り下がる。
だが下手に嘘をついたとて、クリスタに邪推されても困るのだ。
俺は腹を括り、自身の出自を語ろうと口を開いた。
――しかし、
「ぐるるるっ!」
ガウの耳がピンと立ち、後ろを向いて威嚇し始めた。
その瞬間、王都が揺れた。
俺達の立つ関所前も同様に、地盤ごと小刻みに振動する。
「ど、どうしたの? ガウ?」
「……おうさまのところ、変だ! ご主人に知らせなきゃ!」
彼女の返事を待たず、ガウがさっさと走り出す。
「ガウ――っ! 止まりなさい!」
クリスタが一瞬「またか」といった顔になる。
「すまないが、後にして欲しい」
俺はこれ幸いと一言告げ、脚に【武器強化】を掛け直して駆け出す。
ガウを易々と追い越し、火中に飛び込む。
行き先は――決まっている。
揺れる王城。
恐らくそこにレオがいると確信したのだ。
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