第48話 ニベル

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 「――っ!」

 「ん? どうしたんだよ」


 王都・オーキッドの城下町に湧き出た魔族を次々と葬る金貨の勇者一行。


 その最中、背丈の低い獣人の少女、ガウが突然顔を上げた。


 端正な鼻を突き出し、スンスンと何かを嗅いでいる仕草を始めた彼女に、思わずシンが尋ねる。


 「……ご主人。ちょっと行ってくる!」

 「え、いや、行くってどこに? ――って、おい! 待てって!」

 「ご主人様! ガウは私が追いかけますので、ここで待っていて下さい!」


 彼らパーティの八面六臂の活躍により逼迫した状況ではないものの、依然人間が変化した魔族達がオーキッド内を跋扈していた。


 奇行の後すぐに走り出したガウを連れ戻すべく、エルフの女性、クリスタがシンに断り戦線を離脱するのであった。


 

 +++

 所代わって此方は同オーキッド内の王城。


 豪華絢爛な玉座の間に、行き場を失ったオーキッドの市民が雪崩れ込んできていた。


 その際、魔導騎士団が必死に止めようと手を焼いたが、数の暴力に抗うことが出来ず侵入を許してしまう。


 「王よ! これは一体どういうことなのですか!」

 「住む場所がなくなったのです。どうかご慈悲を!」

 「だから魔導騎士団なんて信用できねえんだよ!」


 スプルース王、乃至、魔導騎士団への厳しい追及の声が飛び交う。


 「貴様ら止めんか! 陛下に気安く話しかけるでない!」

 「俺達は人間だ! スプルースに住むヤツは皆平等なんだろ? だったら、王でも関係ねえだろ!」


 魔族が市街に蔓延る今、一番の安全圏となった王城内には市民と一括りに言えど、様々な業種の者が避難していた。


 肉屋や居酒屋を経営する商人から、収穫した作物を売りにやって来た農民、街の病人を診る医者等々。


 中でも一際強く糾弾するのは、やはり国を守護する魔導騎士団と仲の悪い冒険者の皆々である。


 「ここに逃げて来る暇があるなら戦え! 貴様ら冒険者には愛国心もないのか?」

 「散々こき使っておいてよく言うな! お前らこそ、王なんて守らずに魔族とやり合えよ!」

 「……キサマァ!」

 

 頭の痛くなる舌戦を前に、見兼ねた国家魔導騎士団の団長、マレツグが間に割って入った。


 「今争っている場合ではないだろう」

 「団長! しかしこやつら冒険者は、国家存亡の危機が目前に迫っているというのに、戦おうともせんで――」

 「皆それぞれに事情があってここに来た。無粋な真似をするな」


 人相の悪い冒険者が抗議した内容は決して詭弁ではない。


 物怖じしないその口調はともかく、彼ら冒険者に限らず人間、エルフ、獣人には戦わないという自由もあるのだ。


 強要し、嫌々ながら戦場へ出た者が未だ実態の掴めない上位魔族の魔法に掛かれば、そちらの方が大問題である。


 「我らこそが王国の剣だと証明する良い機会ではないか?」

 「っ! そうでありますな、団長!」


 波風の立たないよう迂遠に魔導騎士団員を窘め、どうにか場の空気を保つマレツグ。


 だがその胸中には、並々ならぬ焦燥が満ちていた。


 (二度目の魔族の襲撃。果たして内通者なしに有り得ることなのか?)


 オーキッドの市民が不安から王城へ押し寄せて来たことを、不躾だとは非難できない。


 これは紛れもなく、魔族を二度も流入させた国家魔導騎士団の失態だ。


 しかし、門衛や警備兵を毎日入れ替え、水面下での監視を十分行っているのにも拘らず、まるで弄ぶかのように災厄が我が物顔で練り歩いているのが現状であった。


 剣と杖の勇者が捕縛した実行犯、もとい間者と思しき男は今も牢屋の中だ。


 であれば、別の誰かが密かに謀反を画策している可能性がある。


 門衛や警備兵、只の魔導騎士団員、否、もっと中枢の人物が――、


 思い浮かんだ名と、この場に居ない面々を照らし合わせて、その二つを結びつけるのに長い時間は必要なかった。


 直後、マレツグが血相を変えてスプルース王を見た。


 「……何か気になることでもあるのか、マレツグよ」

 「陛下、アドルファから怪しい文言など、受け取った覚えは――」

 

 異変が起きてからずっと瞑目して黙り込んでいた老人の口が開いた。


 「なるほど、アドルファが気掛かりか。ならばすぐに向かうがよい」

 「で、ですが陛下っ!」

 「アドルファが寝返ったとなれば、お前の息子が危機に瀕しておることになるのだぞ」


 マレツグの質問には答えず、有無を言わさぬ圧力を以てスプルース王が言った。


 「余のことは心配するな。早く征け」

 「陛下……ありがとうございます」


 ウィスタリアの精鋭冒険者パーティを伴って『共同調査』を敢行したアドルファ。


 もし彼女が本当に裏切ったというのなら、その冒険者パーティは。


 マレツグに、王の護衛よりも優先すべき事柄ができた。


 それを即座に見抜き、慮ったスプルース王の優しい叱咤に、マレツグは頭を下げて決心した。


 「急いでいる! すまないが、どいてくれ!」


 颯爽と踵を返し、人混みをかき分けるマレツグ。


 ついに玉座の間の出入り口へとたどり着いた、その時。


 

 「……大事なことを言い忘れていたようだ。とある者から相談を受け、魔族を手引きしたのは余なんじゃよ」



 俄に信じられない一言が、マレツグの耳に入った。


 しんと静まり返る王城内で。


 彼は元来た道を帰ろうと振り返るが、


 「……ふざけんじゃねえよ。ってことは何か? 俺達はずっと騙されてたってのか」

 「待て! 殿下は今錯乱しておられるのだ!」

 「黙れよ! 王の狗が!」

 「お前らも裏で繋がってたんだろっ!?」


 オーキッドの市民が怒りで暴れ始めた。


 魔導騎士団員が王の真意を訝りながらも制止を図る。


 途端に暴徒と化した民衆に、マレツグが会場の外へ押し出された。


 「……待て。待ってくれ!」


 彼の声は、もう届かない。


 予期した中で最悪の事態が起こった。


 今すぐ魔導騎士団に加勢して、場の収束に務めるべきだ。


 だが――マレツグの足は、スプルース王の元へ一向に動こうとしなかった。


 今見ている暴動を遥かに凌駕する不安が心の内を酷く蹂躙したからだ。


 息子が死ぬかもしれない。


 愛する妻が最後に遺した希望。宝物。――自分の、生きる意味。


 どうして王はあんなことを言った。


 何故、私を送り出した瞬間に。


 王が自身に語りかけた時――何故あれ程、優しい面持ちであったのだろうか。


 否。


 マレツグの脳内に、そんな矛盾を払いのけるかのように我が子の顔が思い起こされた。


 「――っ!」


 今は考えるな。


 マレツグは様々な葛藤を振り切って王城の出口を目指す。


 懸命に走り、足を酷使している所為か身体が妙に重たい。


 「こんなトコで何してんだ?」


 苦痛に苛まれながらも一歩一歩確実に踏み出すマレツグを呼び止めるように、誰かが声を掛けてきた。


 「邪魔するな……早く行かなければならないんだ……」

 「それは見りゃ分かるって」

 「なら、私に構うな――」


 苛立ちを覚え、前を向いたマレツグが不意に止まった。


 「……レオ、か?」

 「おうよ」


 茶色の逆立った髪に鋭い目。手入れの行き届いたキュイラスを着た筋骨隆々の男。


 そこには、ウィスタリアのギルドマスター、レオが立っていた。


 「……貴様は、アドルファが裏切ったことを知っているのか?」

 

 意識外から現れた人物にたじろいだマレツグであったが、すぐにレオを睨めつけて問い掛ける。


 彼もアドルファ一派と結託し、冒険者パーティを陥れたのなら今ここで断罪しなければならない。


 「考えりゃ分かるだろ。オレにどんなメリットがあんだよ」

 「……そうか、そうだな。すまない」

 「にしても、あのババアが裏切ったってのは本当なのか?」

 「……ああ」


 レオが冷静に諭したことによって、マレツグが多少の落ち着きを取り戻した。


 対して、彼の憔悴した様子にレオはありのままの感情を発露することができなかった。


 「……なるほどな。じゃあ、早く行った方がいい。あいつらじゃ万が一にも勝てねえからな」

 「元よりそうするつもりで、私は逃げてきたのだ」


 2人の会話が終わる。


 マレツグは、道を譲ったレオの横を通り過ぎ、王城を後にした。


 

 +++

 冒険者ギルド・ウィスタリア支部のギルドマスター、レオは腑が煮え繰り返るような怒りをどうにか抑え、大きく深呼吸した。


 沸々と込み上げる衝動を自制する。


 王が座すオーキッドに様々な事情が絡んでいるのは重々理解している。


 ウィスタリアよりも人口が多い分、苦労も一入であろう。


 だが、この体たらくはあんまりでないか。


 魔族の侵入を二度も許した魔導騎士団。危機感を毛ほども感じない、事なかれ主義の冒険者ギルド・本部。――それを自由と呼び、受容するスプルース王。


 本日、レオはオーキッドと訣別するつもりで王城にやって来ていた。


 冒険者ギルド・ウィスタリア支部を本部の管理下から外そうと考え、王に自ら直談判する為に赴いたのだ。


 彼らに個人的な恨みはないが、スプルース王国は既に崩壊の一途をたどり始めた。そんな泥舟に乗れば、煽りを食らうのは他ならぬウィスタリアの市民だ。


 決め手は事前に何の連絡もなく急遽『共同調査』の案件を持って来たことであった。


 しかし、レオ自身も同様に危機管理が甘かったと反省する羽目になる。


 「……あいつらは国のオモチャかよ」


 国が命じ、レオを介して、若い冒険者が強大な権力の俎上で踊る。


 「オレがなりたかったのは、そんな傀儡師じゃねえんだよ……」


 雁字搦めになったレオの吐露が王城内を反響した。


 現在城下町では夥しい数の魔族が彷徨っている。


 王に直訴する資格がなくなった今、ウィスタリアに一体たりとも入ってこないよう、急いで掃討に向かわんとするレオ。


 肩を落として出口へ差し出した足が、ふと止まる。


 「……おかしかねえか」


 王城内が、あまりにも静かだった。


 出し抜けに入ったレオを歓迎するなり、追い払うなりする者さえいない。


 暫しの逡巡の後、意を決したレオが再度玉座の間へ歩を運ぶ。


 長い回廊を左へ右へ。足音が軽快に鳴り響く。


 程なくして玉座の間が見えた。


 瞬間。


 何十もの人々が叫び声を上げ飛び出してきた。


 喧騒が次第に大きくなり、レオに迫る。


 「お、おい。何があったってんだよ」


 人混みの中にいた冒険者と思わしき男の肩を掴んで、詳しい事情を聞く。

 

 「――王が。スプルース王が、刺されたんだよ――ッ!」


 それだけ言うと、男はレオの手を振り払い、慌てて去って行った。


 心臓の鼓動が徐々にその大きさを増してゆく。


 どっ、どっ、どっ。


 鼓膜を揺らす自身の心音が、厭に響いた。


 強靭なレオの身体は絶望に顔を歪ませて逃げる民衆に当たれど、よろめくことなく前へと進んだ。


 そして彼は玉座の間に入った。


 異様な光景がレオの目に飛び込んだ。


 中にはまだ数人の魔導騎士団員が、信じられないといった表情で立ち竦んでいた。


 「……き、貴様も共犯者か?」


 顎髭を伸ばした魔導騎士団員が、震えた手で剣を握り締め、皆の視線を集めた先へ声を掛けた。


 真っ白な長剣からは鮮血が静脈の如く枝分かれし、地上を目指して滴り落ちる。


 血と同じ真紅の絨毯が伸び、3つの段を越えた場所に。


 左胸に赤を広げるスプルース王が横たわる。


 相反して、色を喪う老人を抱き抱えた、鮮やかな浅葱色の髪の少年が俯いていた。


 「……出て行ってくれないか」

 「この国の守護者として、み、見過ごす訳には――」

 「出て行ってくれないか」


 2度同じ文言を唱える少年の声には、覇気が全くこもっていなかった。


 だがそれに気圧されるように、魔導騎士団員達が続々と退出していく。


 最後の1人となったレオは、その場を動けなかった。


 「はっ、可笑しいよね。お義父様は僕を大事にしてくれたんだ。だから僕も、知りもしない国の為に頑張ったんだよ」


 一転、浅葱色の少年が堰を切ったように笑い出した。


 「勇者が失敗作だって言われないよう勉強したし、目先の下らない利益に取り憑かれた他の皆を諌めたりもした。魔族の手引きだって、口を酸っぱくしてダメだって、将来取り返しのつかないことになるって助言したのにさ」


 少年がゆっくりとレオを見る。


 瞳には、一切の嘲笑が感じ取れない。


 「全部全部、無駄だったんだよ」

 「……お前」


 少年――聖杯の勇者・ハイルは、息を引き取ったスプルース王から両手を抜いた。


 「そっか……お義父様も、僕を必要となんて、してなかったんだ」


 ハイルが空を仰ぎ見た。


 玉座の間の天井には、ぼんやりとした照明が幾つも降りる。


 宛らそれは、取るに足らない星々のように。


 「……もう、いいよ。どうでもいい」


 諦念した様子のハイルに、レオは何一つとして言葉を投げ掛けることができなかった。


 「魔族が滅ぼす前に、いっそ僕がめちゃくちゃにしてやるよ」


 聖杯の勇者・ハイルは、レオを臨んだ。


 「この世界を、丸ごと潰してやる」


 その双眸には、憎悪とも悲哀とも取れない、そんな情意が込められていた。

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