第47話 人工は魔術を模倣する

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 『始まりの森林』奥地。

 

 王都へ向かって歩き出したヒサギの背中を見送って、魔導騎士団副団長・アドルファが一つため息をついた。

 

 「……自分で自分の首を絞める理由が分からんのぉ。あやつとやり合っていたなら、アタシを下す道もあったろうに」


 彼女以外の団員が皆地面に倒れ伏しているのに対し、傷を負っていながらもホウリ、ナキト、オットー、3人共に意識がある。


 しかしその実力差は圧倒的と言わざるを得ない。


 「罠師を相手に随分と悠長に喋るのね」

 「そうさなぁ。お主、勘違いをしておるようじゃが」

 

 アドルファがその場から一歩、ホウリ達へ足を踏み出した。


 その瞬間、彼女の足元が爆ぜる。


 土埃と煙が巻き上げられ、宙を漂う。


 続けてナキトが左腕を伸ばし、手のひらに魔力を集めて【風砲】を放った。


 圧縮された風の塊が周囲を巻き込んで一直線にアドルファへと迫る。


 「罠を扱うのは難しいが、アルゴリズムの理解は片手間で出来ることじゃぞ」


 土煙が晴れた。


 アドルファは半透明の障壁を纏わせ、傷一つなく、つまらなそうにホウリ達を眺める。


 「後手に回る分、秘匿性や威力はただの魔法よりも優れているが、それも些細な差に過ぎん。魔導を探究する者が、こんな初歩を知らぬとでも思うたか?」

 

 意に介さず続く足には、迷いが一切なかった。


 爆発。吹き上げられる風の柱。行手を阻むように隆起する岩壁。


 ホウリが地面に手を付く度、発動条件、あるいは彼女が込める魔力の増減に伴って形を変えて表出する罠の数々。


 「なっ――」

 「無力化させたいのか? 甘いぞ、小童」


 防御魔法【結界】をたった1人で用い、地雷を防ぐ。


 【身体強化】と持ち前の体術で風の柱を往なす。


 銀の十字を象る【護符】により、眼前の岩壁をまるで豆腐のように砕く。


 スプルース王国は召喚の儀式で勇者を招聘したが、この世界の希望全てを託していたのではなかった。


 自国で魔族の脅威から守れる程の組織を作ったのだ。


 その為の魔導騎士団。


 その為の、統率力、若しくは比肩し得ない技量を備えた長。


 曰く――魔導師団を束ねる、副団長。獣人のアドルファ。


 「……ねぇ、どうしてなの」


 それを理解しているからこそ、ホウリの中に矛盾が生じる。


 「なんで、そんなに強いあんたが! 人間じゃなくて魔族なんかに与したのよ!」


 童話や御伽噺で語られるのは、力なき人間が悪魔に唆され、力を欲すが余り寝返ってしまうといった悲劇だ。


 だが幾らアドルファを観察しても、単なる腕力を欲していると考えることができなかった。


 「そうじゃのぉ。これは通説に過ぎないが――」


 老婆の足は尚も止まらない。


 ゆっくりと、しかし確実にホウリ達へ近づいて来ていた。


 「魔法の起源は本来魔族にあると知っておるか? 魔の法、つまり魔法じゃ。アタシはそこに興味を持ってのぉ。魔王の存在。勇者召喚の意義。魔法の体系化。持てる限り全ての時間と労力を惜しまずに研究し続けた」


 木の影に隠れ、隙を見たオットーが【身体強化】を身体中に巡らせて飛び出した。


 大上段に構えた斧を、一閃する。


 アドルファはオットーの得物が接触する瞬間に防御魔法【定点障壁】を発動し、的確に勢いを遮断した。


 「するとどうじゃ、中々馬鹿にできない結果が出てのぉ。やはり魔法は、魔族が見出した飛び道具で間違いなかったのじゃ」


 歌うように誦じ、軽快に足を運ぶ。


 「魔族が魔を導く魔法を作り、今何故、人間がそれを扱う。物事の道理とは難しいように見えて、大元は案外簡単な仕組みなんじゃよ。――ここまで話せば、聡いお主らなら分かるじゃろ?」


 ――人間、エルフ、獣人。どれかの種族が裏切り、あるいは魔族から奪い、魔の法を使用した。


 通説が、明確な対立構造を形成したこの世界で、紛れもない真実と相成った瞬間であった。


 「人の歴史は闘争なくして語れん。3種族がそれぞれ自分らだけの理想郷を造る為に歪み合い、妥協して今の平和な歴史がのさばっておる。――では、魔族は。はたして魔族は蹂躙しても、迫害しても良い存在なのか? かつてのアイデンティティを略奪され、復讐を希うことが間違っておると、アタシ達人間が声高々に言うことができるのじゃろうか」

 「……それは、あんたの大切な人が傷ついてでも同情することなの?」

 「下らんな。アタシの大切な人々と呼べる者達は、皆魔族と、お主ら人間に殺されたのじゃよ」


 アドルファがホウリの主張を鼻で笑う。


 「友人や家族を惨たらしく殺めた魔族と、全てが終わった後に『この功績は自分達のものだ』とでも言うように救世主ぶったお主ら人間とエルフ。憎むべき理由など片手で数え切れない程あるわ。まあ、人間を奴隷にしたアタシを憎む権利もお主らにはある訳じゃが」


 老婆とホウリの距離は、僅か5センチ程にまで縮まっていた。


 その間絶えず放ったナキトの魔法も、ホウリの罠も、オットーの斧も、児戯の如くあしらわれた。


 最早、打つ手がない。


 「――そう。あたし達が知らないことを教えてくれて、どうもありがとう。でもね。そんなこと、どうでもいいの」

 「……む?」

 「生憎あたし達はそんなに志が高い訳でも、ましてや世界全体を俯瞰できるような傲慢さなんて持っていないの。――自分達の理想を追い求めるだけで精一杯なのよっ!」


 アドルファが銀の十字を突きつける瞬間、ホウリの鮮やかな瑠璃色の髪が、ふわりと逆立った。


 パチリ、と。


 刺すような痛みが彼女の老体を駆け回る。


 直後、青白い光が迸った。


 ホウリに魔力を帯びたものが触れる。自身の魔力量の約半分を担保に。


 それらの条件が満たされて初めて発動される罠。


 彼女の正真正銘の切り札――大量の魔力を電気に変換する罠が、発動した。


 電気は物体の表面を焼き焦がす。


 瞬く間に体の自由を奪い、老婆を捕縛する。


 ――はずであった。


 「なるほど。人間はその功罪を自身にとって都合の良いか悪いかで判別する。……まさにそれを体現する強欲な至言じゃな」


 しかしホウリの罠は、発動して数秒も持たずに霧散した。


 「詰めが甘いのぉ。敵に塩を送るような馬鹿な真似をアタシがするとでも思うたか」

 「――っ! ま……さか」


 ホウリの懐へ向かう不自然な魔力の流れが視えた。


 まるで吸い寄せられるように、小さな袋へ集まった魔力。


 「あんたが……寄越した……【護符】」

 「そうじゃ。アタシにとっての、大事な『お守り』じゃよ」


 『共同調査』の出発時、確かにホウリ達は、彼女から『お守り』なるものを受け取っていた。


 ホウリが堪らず瞳孔を開く。


 驚愕を隠せない。


 「くそっ……くそっっ!!」

 「誘発型の【護符】。『アタシに外部から異常な魔力が流れ込んだ際に任意で』発動できる魔法じゃ。罠によく似ておろう?」


 淡々と説くアドルファの表情は、悍ましい程に冷たかった。


 途端に魔力切れを起こし、意識を手放したホウリが地面へと倒れ込んだ。


 間髪入れずアドルファが後方のナキトに目を向ける。


 「嫉妬するぞ、エルフの小童。魔族を血をいち早く取り入れたお主らに憤怒したこともあったのぉ」

 「……てめぇ」

 

 素早く跳び、ナキトへ肉薄する。


 「体格に恵まれ、【身体強化】だけを得意とする獣人のアタシが、魔導の探究にどれ程無為な時間を過ごしたことか、お主には分かるまいて」


 アドルファは拳を握り、迷いなく彼の腹部へ突き刺した。


 把持した手には風魔法【風砲】が内包されていた。


 「がっ――あああっ――」


 更に後方へ吹き飛ばされたナキトが、生い茂る木の一つに激突して止まる。


 間もなくずり下がった彼の意識は、衝撃で完全に刈り取られていた。


 「戦場で魔族の手から逃げる同胞に、人間は口を揃えてこう揶揄したのじゃ『獣人は食料を貪るだけの、大食の劣等種。生きる壁に過ぎない』と」

 「ナキト……ホウリさん……」


 どさり、と音がした。


 オットーは携える斧を、力なく落とした。


 「……お主もアタシと同じ、怠惰な者よ。そして、それらに担がれ召喚された勇者といえば」


 常闇に映える白くぎらついた目は、彼に温情を与える余地などない。


 「色欲に呑まれた分際であったの。……全く、この世界は」


 忍び寄る深い影に、オットーは為す術なく目を瞑った。


 「――誠、大罪塗れで、仕様もなく歪んでおる」


 どさり。


 今度はオットーが敗れた。


 厳しい寒さが世界を凍てつかせる中で。


 月明かりが差し込む木々の釁隙を一身に受け、アドルファは佇む。


 「……さて、イプシロンは上手くやっておるかのぉ」


 そんな老婆の呟きは誰に聞こえるでもなく、夜風に溶けた。

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