第46話 一ベル


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 『共同調査』1日目の夜。


 王都・オーキッド内にひっそりと構える雑貨屋にて、それは起こった。


 「……うっ……ぐぅぅ」

 「あんた、どうしたの?」


 閉店準備を行っていた店主が突然、頭を押さえて呻き出したのだ。


 心配になった妻が駆け寄って声を掛けるが、返答がない。


 やがて。


 「……な、なんなの――」


 心配そうに背中を摩った妻の声が途切れた。


 店主の目が紅く染まり、肌は次第に血色を失う。


 醜悪な形貌となった彼は会話すらままならなかった。


 くぐもった声を吐き出し、鋭く変形した爪を囂しい我が妻の喉を目掛けて突き立てる。


 声帯を引き裂かれ、血を大量に噴き出した妻がその場へ倒れこみ、以後永遠に目覚めることはなかった。


 魔族となった店主は何の感情も表出することなく、ただ本能のままに店を出て街中を彷徨い歩く。


 そんな事象が王都の各所で次々と湧いて出てきた。


 「……ゾンビかよ」


 夜半、外からの怒号や悲鳴で飛び起きた剣の勇者・レイヤは、宿の窓越しにその光景を眺めて呟いた。


 自分が先程まで寝ていた場所では、まだ杖の勇者・ホノカが寝息を立てている。


 「ホノカ、起きてくれ」

 「……んっ、うぅ……」

 「ホノカ! 大変だ!」

 「……どったのさ、レイヤぁ」


 未だ微睡むホノカが目を擦りながら、こてんと首を傾げた。


 「外を見てくれ!」

 「あー……ちょっともー、レイヤぁー」


 一糸纏わぬ姿のホノカの手を引き、窓際まで連れて行くレイヤ。


 「……え。なに、これ……」

 「あのゾンビみたいなのは、恐らく全員魔族だ」

 「うそ。王都やばいじゃん」

 

 2人の目下では数十人の魔族が至る所で徘徊していた。  


 これにはホノカも目を見開いて驚愕を顕にする。


 「……ああ、やばいな」


 堪らず助けを求めると、レイヤの表情が徐々に青褪めていった。


 「ねぇ、早く逃げようよ」

 

 窓の外を見下ろしたまま微動だにしないレイヤを向いて、ホノカが逃亡を催促した。


 「……そういう訳にもいかないんだ」

 「なんで? 王都なんて気にかける必要ないと思うんだけど」

 「いや、それは別にどうでもいいんだ」


 外では魔導騎士団がぞろぞろと駆けつけ、今まさに魔族と対峙している。


 てっきりレイヤが触発されて応戦しようと考えたのかとホノカは危惧したが、どうやら違ったようである。


 「オレ達が捕まえたヤツが、実行犯じゃない可能性が出てきた」

 「……うそ」


 レイヤの推測に、ホノカが虚をつかれたように目を丸くした。


 しかし、確かに考えてみれば至極尤もである。


 一度王都を混乱に陥れた主犯が失敗して、また同じ轍を踏むはずはない。


 であるならば、自分達が捕まえた実行犯と思しき男がそもそも間違っていた可能性が自ずと浮上する。


 誤認逮捕。


 まだ日本で暮らしている時、ニュースやインターネットで何度も目にしたことがある。


 自身の故郷でこそ罪は軽いが、異国、それも勇者と銘打って事を収めた状況であれば彼らの足枷になり得る。


 雲隠れしようにも、この魔族騒動が沈静化した折には魔導騎士団が血眼になって追い回してくるに違いない。


 最悪、極刑が待っているかもしれない。


 不意に恐怖が押し寄せたレイヤは、焦燥感に駆られていた。


 伝播するかの如くホノカの顔色も悪くなっていく。


 「と、取り敢えずオレ達も戦うぞ!」

 「うん、そうだね! わたしとレイヤなら楽勝っしょ!」


 2人は急いで支度を済ませると、果敢に宿屋を飛び出した。


 しかし。


 「食らえっ!」


 早速魔族を炎魔法で焼き焦がしたホノカを見て、レイヤは額に汗を滲ませる。


 空高く螺旋状に舞い上がる火が熱いのではない。


 夜に明滅する光を見て立ち眩みを覚えたのでもない。


 僅かに人の形を残した者を躊躇なく焼き殺したホノカに対して、不安に似た気持ちがあったのだ。


 「どしたの、レイヤ?」

 「……いいや、何でもないさ。ただ少し頭が痛くてな」

 「大丈夫? 後でいっぱい慰めてあげるからね」


 機微に敏いホノカに、そんな邪な感情を抱かまいと、レイヤは意識して首を横に振った。


 「ホウリ殿……あまり火の魔法を使われては家屋が延焼しかねないのだが……」

 「は? 頼りないから態々こうやって応援に来たって言うのに何様のつもり?」

 「……申し訳なかった」

 「でしょ? 人の命より家が大事ってんなら話変わるけどねー。そうよね、レイヤ?」

 「……そうだな。ホノカの言う通りだ」


 ホノカに同意しながらも、彼の心中は穏やかとは言い難かった。


 (これ、ゲームだろ……)


 剣と魔法の世界を題材にしたゲームのはずなのに。


 魔導騎士団員が抗弁されること必至の状況で苦言を呈した理由が分かった。


 日常に変わってきつつあるこの世界で、非日常に身を置いて初めて理解してしまったのだ。


 (なんでこんなリアルなんだよ……)


 ゲームには街中で火を使用すれば火事になるなどといったシステムがない。


 しかし現実に即して考えると、それは当たり前とも言うべきことだ。


 家屋の延焼が現実ならば――、


 人は、どうなんだ?


 気づけば足が竦み、手が震えていた。


 「ちょ、レイヤっ! 来てるって!」


 頭が真っ白になる中、ホノカの声が耳を通り抜ける。


 ハッと我に帰る。


 すると、目の前で魔族が刃物のように鋭利な爪を掲げていた。


 「危なっ――」


 ホノカの警告を経て、レイヤは咄嗟に腰の鞘に収まった剣の柄を手に掛ける。


 (くそっ、間に合わない!)


 依然震えた手を慣らすのに時間を要し、上手く引き抜くことができない。


 レイヤが焦りからそう毒づいた、その瞬間。


 「――【大山鳴動】」


 彼の横を何かが凄い勢いで通り抜けたかと思えば、襲い掛かって来た魔族の首が飛び、ゆっくりと前に倒れた。


 「まったく、世話が焼けるなぁ」


 後方から呆れたように呟かれた声に聞き覚えがあった。


 レイヤが振り返ると、そこには黒く短い髪に黒い眼の、日本ではよく出会うような年若い少年が立っていた。


 彼――金貨の勇者・シンは、手のひらで金貨を転がしながらレイヤを路傍の石でも見るかの如く、冷めた目で臨む。


 「余計なことしないでよ。レイヤは本調子じゃないのっ!」

 「そんな奴がここに来るなよな」


 そこにホノカ駆け寄って擁護するが、シンの態度は一向に変わらない。これ見よがしにとため息をついた。


 「遊びじゃないんだぞ」

 「上位魔族1匹倒したぐらいでそんなに偉そうになるんだねー? クソ陰キャが」

 「ご主人様を悪く言える程、貴方達は成果を挙げていないのではないしょうか」


 自身の慕う者を貶されたことで、後方で静観していた耳の尖った女性、クリスタが前に出て唇を尖らせる。


 「は? 何気安く喋ってんの。きもいんだけど」

 「なっ、き、きもくなんかありません!」

 「大体、全部あいつのおこぼれでここまで来て、よくそんなベラベラと口を開けるね。ほんと無理なんだけど」


 シンの時より際立った罵詈雑言を浴びせるホノカ。


 彼女から見て、はしたない言葉に狼狽ているクリスタや「ぐるるっ!」と威嚇するガウは、シンの腰巾着だ。


 実力面で考えてもレイヤとホノカの足元にも及ばない、取るに足らない脇役が精々の者が、自分達に噛みつくな。


 そんな若干の怒気を放ったホノカであったが、


 「いい加減にしろよ。次にクリスタとガウを愚弄してみろ。殺すぞ」


 静かに憤怒したシンの厳しい眼差しに、思わず後退った。


 「……ご主人、いくないぞ」

 「……まあ、そうだよな。ありがとう、ガウ」


 一触即発の事態まで発展した状況の中、獣人の少女、ガウがシンの服の裾を引っ張る。


 彼は暫し無言でホノカ達を睨んでいたが、やがてガウの頭を撫で平素通りの無気力な少年に戻った。


 「クリスタも、俺の為に怒ってくれてありがとう。後でいっぱい愛してやるよ」

 「っ……お願いします、ご主人様。この戦いが終わった暁には、是非」

 「うっわ。止めてくれよ。死亡フラグじゃん!」

 「申し訳ございません! 何か良からぬ発言をしてしまったのですか?」

 「後で教えてやるよ」


 途端に惚気始めたシン一行に、ホノカが何か言いたげに彼らを見つめる。


 「……ご主人、魔族からヒトの臭いがする」

 「そりゃ元が人間だからな。だけど魔族になったらもう人間じゃないんだ」

 「そうですよ、ガウ。悲しいことですが……私達が救って差し上げるのです」


 その視線に気づかぬ様子のシン達は、まるで最初からホノカらがいなかったかのように踵を返し次なる場所に向かって行った。


 「ほんと、きもいっつーの。レイヤもそう思うよね?」

 「そうだな。あいつらに見下されない為にも、オレ達が先んじてこの騒動を止めなければならないな」

 「ねえレイヤ……顔色悪いけど、大丈夫なの?」


 去りゆくシンの背中に舌打ちを打つホノカに、レイヤが首肯した。


 (シンもそうなのか……もしかして、オレが間違ってるのか?)


 しかし、レイヤはそんな擦った揉んだにかまけていられる心情でなかった。


 「ホノカのお陰でマシになったよ。さあ、これから頑張るぞ」


 自然を装い、ホノカに笑みを向ける。


 元は人間の魔族を躊躇いなく屠る者達の中で独り、異なった感情を抱いた自分に夜通し疑念を抱くのであった。

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