第43話 共同調査⑧


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 『ドレイク・ジョー』が斃れたことにより再び静けさを取り戻した嚠喨湖畔りゅうりょうこはん。その後水棲の魔物と度々遭遇したが、これを魔導騎士団が粛々と駆除し続ける。


 そうして水面が夕焼けに照らされ始めた頃、ついに俺達はクロッカスへ到着した。


 「どうぞお通り下さい」


 先陣を切って街の中に入ろうとする俺達に、出入りを監視する門衛は最初こそ身構えた様子であったが、遅れて着いたアドルファの顔、正確には身につけた外套を認めるなり態度を急変させた。


 彼らの立場で考えれば、老いぼれ1人と子ども3人で危険な魔物が跋扈する嚠喨湖畔を越えてきたとは到底思えないのだろう。


 クロッカスはオーキッド方面から入場する為には必ず通らなければならない道であるからして、胡散臭いと感じるのも当然である。


 「オマエらは一度通った顔も覚えられねえのかよ」

 「ナキトー、落ち着きなって」

 「そうよ。ここで争っても何の利点もないのよ」


 そんな俺の納得とは対照的に、激しく憤るナキトをオットーとホウリが宥めた。


 『ドレイク・ジョー』戦で殆どの魔力を持っていかれ、脱力感に苛まれている故、気が立っているのかもしれない。


 何はともあれ無事に調査が完了した。


 街中に通され、地に足をつけると吐息が溢れた。


 まだ件の事後処理が残っている為、のんびりはできないが冒険者ギルドにはアドルファが直々に報告してくれるようなので、書類作成に追われることはなかろう。


 しかし、全てを丸投げする訳にもいかないので、この足で冒険者ギルド・クロッカス支部へ直行する予定である。


 「ナキト、オットー、ホウリ。本当に助かった。ありがとう」

 

 明日また顔を合わすことになろうが、一先ず今日は解散と相成った。


 際して、ここまで怪我なくやり遂げられたことに感謝の念を伝える。


 「まー、依頼なんでね。悪い気はしてないっすよ」

 「こちらこそ。次までにはもっとマシなパーティになっていることを約束するわ」

 「十分立派なパーティだと思うのだが」

 「……どうかしらね」


 彼女らの冒険者としての実力は既にスプルース一と言っても過言ないだろうに、まだ上を目指すのか。


 向上心に満ち溢れた、実に若者らしい心意義である。


 +++

 冒険者ギルド・クロッカス支部へ顔を出すと、ギルドマスターが出迎えてくれた。


 諸々の報告を終えた後、先の話に移り、アドルファの口利きで報告書の提出期限が延びた。


 とはいえ長居する気もないので、クロッカスのギルドマスターには明日の朝提出すると約束して、宿に帰るなり紙面に筆を走らせる。


 その為、解散後アドルファから慰労会を開くといった誘いを受けたが辞退した。


 親睦会も兼ねているようで、冒険者側も立席するとのことだ。


 日が変わり、夜も深まった時間。


 ようやく書類を書き終えた俺は深く息を吐いた。


 宿に設られた、文机の上に置かれた酒瓶を手に取る。


 結露し、表面を伝った水滴が木目を満遍なく濡らしていた。


 酒瓶が文机を離れると、行き場を失った雫が滴り落ち、床面に珍妙な紋様を描く。


 俺は喉を潤すと、空いた容器をその上に置いた。


 「……」


 アルコールを入れたからか、身体が火照る。少し暑いな。


 窓を開けると冷たい夜風が舞い込み、頬を優しく撫でた。


ウィスタリアやオーキッド同様、クロッカスの夜も外が賑やかである。


 楽しげに会話する魔導騎士団とオットーの姿が目に入った。


 「もう一軒行きましょ!」

 「よっ、大将! お供しますぞ!」

 「しかし、副団長もまだまだ現役ですな!」

 「若者には負けておれん! 上質な酒を作る魔法を追究しようぞ!」


 『ドレイク・ジョー』との会敵以後、両者の間には多少なりとも溝があったが、どうやらすっかり元に戻ったようだ。


 それもそのはず。不和を産んだ原因は他ならぬ俺であり、彼らには敵対心などそもそも持ち合わせていなかった。


 アドルファが戦闘間際に吐いた言葉は正鵠を射ていたのだ。


 それを真摯に受け止め、諦めずに対抗策を練った彼らは、俺などよりもずっと大人であった。


 ナキトの話によれば、前回『ドレイク・ジョー』から撤退した故、今回も撤退戦と決めた上で、アドルファ達魔導騎士団が嫌な役を買って出て足止めを行ったに過ぎない。


 ならば、その作戦を台無しにし、剰え独断専行で冒険者に危険を強いた俺は、監督する調査員として立派なお荷物であったのだ。


 悲観している訳ではない。単なる事実である。


 「あら、珍しいものが見れたわ。ヒサギでもそんな顔をするのね」


 不意に声が掛けられた。


 振り返ると、戸口にホウリが立っていた。


 「ノックに応じなかったから、てっきり酔い潰れたのかと思ったわ」

 「……慰労会はどうしたのだ?」

 「抜けてきたの。明日もあることだしね」


 入るわね、とホウリが一歩進み、扉を後手で丁寧な所作で閉める。


 「その辺に座ってくれ」


 門前払いする暇なく部屋の中へ通してしまった手前、彼女を来客として扱う他なかった。


 酒屋で一緒に酔い覚め用に購入した水を渡すと、ホウリは「ありがと」とお礼を言って手頃な場所に座り込んだ。


 「やっぱり1人で飲んでいたのね」

 「大勢で楽しく飲める性分ではないからな」

 「そうかしら? アドルファとは気が合いそうだけれど」

 「進む道が同じであったなら、あるいはそうだったかもしれないな」


 俺とアドルファには、決定的な違いがある。


 彼女は過酷な人生を生き抜く内、自身の存在意義を確と見つけ、それに準じた。


 「……ねえ。あんたって、アドルファやギルドマスターよりも、強かったりするの?」

 「単純な実力で競うのなら、強いぞ」


 ホウリは答えず、唐突に次の質問へ入った。


 だからだろうか。


 不意に投げ掛けられた問い掛けに、俺は頷いてしまった。


 結局アドルファも、レオやその他と同じく、他人の為に戦う。


 それは一等尊く、俺がこの時代で目覚めても尚、成し得ぬ生き様であった。


 「そう。……前に話したわね。自分の為に戦うのでも、虚栄じゃなくて本心で言ったのなら立派だって。ずっと、信念を持った強い人が憧れだったのよ。あたしがどれだけ努力しても、手の届かない存在が羨ましくて、憧れだった」


 ホウリは水が入った瓶に両手を添えたまま、目を伏せ、何かを決心したように吐露し始めた。


 「でも冒険者として活動していたら、信念を持っていなくて、空っぽの弱い人の方が多くてね。最初はそんな人を馬鹿にしていたけれど。下に見ていたけれど。……必死に生きているんだと思ったらね。努力することが偉いのかしら、とか、強ければ偉いのかしら、とか考えてしまったの」


 魔族に怯えず、『皆の為』に戦うことは、果たして立派だと言えるのだろうか。


 魔族に臆して逃げ出す彼らは、本当に薄情だと蔑むことができるのだろうか。


 「『ドレイク・ジョー』に歯が立たなかった。オットーが死ぬかもしれない。そんな時、冒険者の皆はちゃんと自分の為に、家族とか友人に悲しい思いをさせない為に戦っているんだって気付いたのよ」


 そう。

 

 どちらも正しい存在なのだ。


 人は誰かの犠牲の無しに生きられない。


 冒険者という職業自体が贄であり、本来ならばそこに貴賤などあってはならない。


 しかし、人は無意識下に優劣を見出す。心を巣食い、救う悪魔が罪を以て語りかけてくるのだ。

 

 弱者を守る強者を貴び、弱者を守り得ない者を賤めと。


 その反面、皆の讃える強者とは必ず衰える、弱者と何ら変わらない脆い存在だ。


 そんな存在が自らの身を滅ぼすまで戦い、朽ち果てるのは。


 それは。


 それは――死への賛美と、どう違うというのだろうか。


 「あたしも他の冒険者も、アドルファも魔導騎士団も。同じ人なのよ。だから、強くて信念があって頼れるヒサギは――やっぱり悲しいなって、思うの」


 羨望でも憐憫でも、ましてや侮蔑でもない。


 ホウリは透き通った声で、混じり気のない本音を零した。


 「……そうか。俺は、そう見えるのか」

 「深く考えなくても良いわ。1人の弱い人間の戯言だと受け取って欲しい」


 ホウリは、俺が普通の人間でないと気づいている。


 気づいた上で、今まで気づかない振りをしていてくれたのだろう。


 自身を貶してまで受け入れる土壌を整えてくれたホウリと、自身を顧みず、俺を尊重してくれたレオ。


 そんな彼女らの行いは、俺が千言万語を費やしても表現できることではなかった。


 「ホウリ。オットー。ナキト。レオやギルド職員の皆も。俺なんぞより立派な存在だ。本当に尊敬する」


 俺は首を振り、ホウリの言葉を否定する。


 否定されるべきは。


 全ての業を背負うべきは、俺だけで良いのだ。


 

 +++

 翌日。


 早朝に冒険者ギルドへ伺い、報告書を提出した俺は宿の前で準備を整えた皆々に合流した。


 クロッカスの門番に挨拶をすると、『嚠喨湖畔りゅうりょうこはん』へと歩を進める。


 『ドレイク・ジョー』と水棲の魔物を粗方片付けた為か、苦労することなく『始まりの森林』に入った。


 「……なんじゃ、味気ないのぉ」

 「行きもこれぐらい楽だったら割りにあってたんすけどね」

 「はは、オットー殿は手厳しいな」

 

 昨夜の宴会を通して冒険者と魔導騎士団の間にあった蟠りは完全に解消されたのだろう。


 「しかし、『ドレイク・ジョー』を屠るとはのぉ」

 「まだ言ってんのかよ」


 しみじみと感動を噛み締めるように俯くアドルファに、ナキトが煩わしげに突っ込みを入れた。彼らの表情を見るに、昨晩も繰り広げられたやり取りなのであろうか。


 「お主らのお陰で、予定より随分早く帰られる」

 「なに、まだ酔ってるの?」


 終ぞ立ち止まってしまったアドルファ。


 ホウリが歩み寄って尋ねた。


 

 「――しかして、早く帰られると困るのじゃがのぉ」

 


 異様なくぐもった声が聞こえた。


 瞬間。


 「ホウリ――っ!」


 俺は思わず怒鳴った。


 不意に硬直して立ち止まるホウリの前に、剣が振り下ろされる。


 顔を上げ、指先をホウリに向けたアドルファの表情は、何の感情も込められていなかった。

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