第40話 共同調査⑤
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今回の野営は、アドルファの助力もあり幾分か快適に過ごせたようで、蔦が絡み合って作られた小屋から出てきた面々の表情は実に晴れやかであった。
「「副団長、おはようございます!」」
のっそりと支度を始める冒険者一行に対し、魔導騎士団員達の準備は十全といっても差し支えない。
「朝っぱらから熱いっすね……」
「そうだろうか? まだ寒いからな、丁度良く感じるぞ」
「おい、フォローできてねえぞ」
未だ眠そうに目を擦るオットーに俺が首を傾けると、身支度を既に終えたナキトが顔を出し、厳しい口調で突っ込んだ。
「お待たせ。ヒサギ、お疲れ様」
そこに近くで水浴びをしていたホウリが合流する。陽の光を受け、瑠璃色の髪が煌々と棚引いた。
「ついでだったので問題ない。報告書を書かねばならなかったからな」
「そう。そっちもそっちで大変なのね」
「いいや。戦闘をホウリ達が担ってくれているお陰で楽に仕事が進められた。ありがとう……さて、今日も頼むぞ」
「任せて下さいな」
ホウリがそう労ってくれるが、冒険者ギルドに提出する書類の作成にはあまり苦労していなかった。
『始まりの森林』は魔族を討伐した以後も定期的に調査を続けており、魔導騎士団の管轄である深部に際しても当人達がこの場にいる為、逐一確認ができるのだ。
現場の仕事が滞りなく遂行できるよう手を回してくれたレオは勿論のこと、資料を共にかき集めて事前に用意をしてくれたユリアさんや副ギルドマスターにも非常に感謝している。
この『共同調査』は冒険者ギルド・ウィスタリア支部が一丸となって取り組む重大な案件だということを改めて実感した。
「よっしゃ、行きましょうか!」
ホウリと談笑している間に、オットーの準備が整ったようである。
「気、抜くなよ」
出発の音頭を取るオットーに乗じて、ナキトがいつになく真剣な面持ちで喝を入れた。
『
『竜討伐物語』の一節である。
ウィスタリアに住む冒険者なら誰もが耳にしたことのある御伽噺。
俺達は、澄み渡った水の上を歩いていた。
「……これはどういった原理で歩けているのだろうか」
「心臓の鼓動と水面が共鳴して、摩訶不思議にも立ってられるのじゃよ」
前回の『共同調査』の経験者であるナキトであっても、詳しい事情が分からなかったようだ。
勇者の軌跡、『嚠喨湖畔』。
冒険者にとっては神聖視され、この光景を見たとて不思議に感じはするものの、疑問にまで発展しないのだろう。
無理もない。ここは筆舌に尽くし難い、余りにも幻想的な景趣だ。
解答を口にしたのは、魔導を研究し、穿った見方をするアドルファであった。
「鼓動って……突拍子もないわね」
「水面上に広がる僅かな振動を感知し、反発する魔法が掛かっておるのじゃ」
「それだと、これが納得できないわね」
唐突に屈んだホウリが、足元の水を両手で掬って持ち上げ、アドルファに見せる。
「反発しているのならどうして触れられるのかしら」
「お主の用いる罠と一緒じゃよ。対象物が『生命の鼓動』に設定されて発動しておる。普通なら考えられん話じゃが、こと水魔法となるとのぉ。水魔法は生命の源とも言える水を自在に操る魔法であって、水というのは可変する性質故に――」
「おい、進むぞ」
疑問に全霊を以って応じる知識豊富な老婆である。
その引き出しの多さからホウリもつい前屈みになり、興味津々にアドルファの教示に相槌を打つが、ナキトが催促したことで会話が中断された。
「副団長、あまり時間がないかと」
「ホウリ殿も申し訳ないが、先を急ぎたい」
「……それもそうね。今度聞かせて貰えるかしら」
「そうじゃの! いつでも来ると良い!」
閑話休題。俺達は再びクロッカスを目指して歩き始めた。
「魔物、全然出てこないっすね」
「……ああ。そうだな」
『嚠喨湖畔』は恐ろしい程に静かである。
これなら夜間の『始まりの森林』の方がずっと危険だと思える。
しかし、ナキトと魔導騎士団員の表情が依然強張ったままだ。額から滴り落ちる汗が水面を掻き乱し、ぽつぽつと波を打つ。
「どうしたっつーんだよ、ナキト」
「……オマエ、まだ魔物を見てないよな」
「んんっ? どこにもいないけど」
明らかに動揺した様子のナキトに、オットーが怪訝そうに眉を顰めて尋ねた。
オットーが辺りを見渡して言うと、魔導騎士団の1人が息を呑んで構えた。
「安全地帯はもう抜けているのよね?」
「とっくの昔にな。前は入った途端、水棲の魔物がうじゃうじゃいた」
「でも全くいないわよ……ってことは、もしかして」
「あぁ。クロッカスの手前で似たような状況になった」
一転して張り詰めた空気が漂う。
臨戦態勢を取るナキトに、十字の棒を懐から出したアドルファ。
他の魔導騎士団員も剣の柄に手を掛けた様を見るに、只事でないと理解できた。
「索敵じゃ」
「「はっ!」」
副団長の一声で、団員の5人が一斉に剣や棒を引き抜き、水面へ突き立てる。
今回の『共同調査』に派遣されたのは、アドルファ率いる魔導師団。剣を携えた団員も純然な騎士ではなく、本業は魔導師なのであった。
魔法の扱いに長けた集団故、団員同士の連携は非の打ち所がない。
水棲の魔物に有効である、音波の跳ね返りを利用した索敵魔法【探知】を最大限発揮できる範囲までに絞り、各々区切って使用した。
心音と水面の共鳴で歩くことのできる『嚠喨湖畔』の水上。アドルファが語った通り、設定されているのはあくまでもその二つであり、他の揺らぎについては何ら支障がないのだろう。
魔法に造詣の深いアドルファだ。任務にあたる前に部下に周知させていたに違いないと踏んだ。
「しかし、深部まで音波を届かせるには、かなりの時間が掛かりそうだが」
「底が深えからな。あんたの思ってる倍掛かるぞ」
「そうか……」
前回の『共同調査』でも同様の手段が用いられたようで、ナキトが水平に左腕を伸ばしながら答えた。
間を置かず、彼の手に魔力が集まり、風魔法【突風】が射出される。
吹き荒れる風が空気を裂く音を立てながら、水面を遠くまで撫でた。
「地上の索敵をやる。オマエ達は警戒しといてくれ」
「変に揺れるから、下に罠を張りにくいわね」
「了解っす。ホウリさん、自分が前に出るんで接触しそうな範囲だけやってもらえると助かるっす」
ナキトが臆せず手を打つ一方で、ホウリは未知の環境に慣れず、罠の最適化に難渋していた。
そこにすかさずオットーがフォローに回り、前進する。
「……オットー、【身体強化】は使わない方が良いかもしれないぞ」
「え、どしたんすか?」
その様子を眺め、俺はふと気になった懸念点を口にした。
「心臓の鼓動と水面の波長が上手く噛み合って立っていられるのだろう? 【身体強化】は体内の魔力を集め、外に放出し膜を張る魔法だ。干渉すれば沈む可能性がある」
「まじすか……いや、でも流石に【身体強化】なしで、大型とはやり合えないっすよ」
堪らずオットーが苦言を呈した。
確かにそうだ。身一つで『スパイングリズリー』や『ナイトウルフ』以上の魔物を凌げる訳がない。
魔導騎士団の5人やナキトは索敵に集中している。ホウリも自身のことで手が一杯だ。
……まずいな。検証する時間がない。
【身体強化】は身体の節々毎に強化することができないのだ。いや、細かく指定すること自体は可能であるが、戦闘中に都度座標の変更をしなければならない為、実質不可能だと言える。
「ヒサギさん、どうしたらいいっすか」
「……やはり、使用する前に様子を見る方が安全だ」
「分かりました。じゃあすぐ使える段取りだけしときます!」
仮に通した魔力が足と水面との接地面で邪魔するように作用した場合、足場を失って沈むこと必至だ。
慎重にならなければ。
そう考えた矢先、ナキトが目を見開いて叫んだ。
「来るぞ――!」
ナキトは、咄嗟に空を見上げ、腕を伸ばす。
突如として、辺りが暗くなった。
すぐさま頭上を仰げば――、
巨大な魚が、口を開けながら、落ちてきた。
落下の予想地点は、ナキトの真上。
「ちっ――!!」
彼は手の向きを、延長線上に誰もいない方角へと変え、溜めていた魔力を解き放った。
風魔法【風砲】だ。姿勢制御の工程をわざと削ったのか、反動で吹き飛ばされる。
その直後、巨魚がナキトの元いた位置に、目にも止まらぬ速さで向かい、水面へ激突した。
割れたような音が耳朶を打ち、遅れて大量の水飛沫が舞う。
「『ドレイク・ジョー』だ! 構えろ!」
雨のように水滴が降り注ぐ中、魔導騎士団員の誰かが、そう声を張り上げて言った。
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