第39話 共同調査④

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 『スパイングリズリー』討伐後、俺達は無事『始まりの森林』を抜け、予定通り安全地帯へとたどり着いた。


 「思ったより大変っすね」


 一日中気を張って森の中を進むということは、精神が激しく消耗される。然しもの彼らパーティの面々にも疲労が窺える。


 『スパイングリズリー』の後は大型の魔物こそ出現しなかったが、昼間より多くの生物が俺達の命を虎視眈々と狙っていた。


 そしてその殆ど全てを魔導騎士団が対応してくれた。日頃夜間に巡回していることもあり、大変手際良く、手持ち無沙汰になる時間がなかったのである。


 「ここいらで一息つくかのぉ」


 魔導騎士団の5人は当然として、アドルファであっても全く草臥れた様子がない。流石国家の礎を担うだけあるな。


 彼女が銀の十字を3本投げると、忽ち蔦が生え、それぞれが絡み合って、半円の簡易な小屋が形成された。


 「さぁさ、お主らも疲れたろう。朝まで眠ると良い」


 アドルファはナキト達パーティを含め、魔導騎士団の団員に向かいそう告げた。


 「……見張りは副団長がやってくれるということなのかしら」

 「ああ。それとヒサギで対応しようぞ。老いぼれ同士、のんびりやるかのぉ」

 「な、副団長にそんな事をさせる訳にはいきません! どうかお休みになって下さい。私達がやりますので!」

 「構わんよ。明日は『嚠喨湖畔りゅうりょうこはん』での仕事じゃ。お主らも初めてじゃろう、ここいらでゆっくり休息を取らなきゃ、間違いなく死ぬぞ」


 魔導騎士団の団員達は彼女の眼光に怯んだようで、不承不承にも頷く他なかった。


 一方でその様な上下関係の気が限りなく薄い冒険者側は当然だといった面持ちである。


 そもそも夜営に関しては昨日レオが説明した通り、魔導騎士団の仕事だ。こちらが何か物申す必要も皆無であった。


 「ヒサギがやってくれるの? 心強いわね」

 「……あまり大したことはできないぞ」

 「そうじゃないわよ。魔物は罠でなんとかなるけれど、問題は身内が覗いてこないかってこと」

 「それシブンだけに言ってません?」


 アドルファが生成した蔦のドームは3つ。そこそこな大きさから魔導騎士団員、ナキトとオットー、ホウリで使用することが共通の認識だ。


 際して、もし仮に魔物がやって来た場合の対処に抜かりなしと豪語するホウリであったが、流石に殺傷力の高い罠を同パーティのオットーに対しては使用を踏み留まった模様。


 不服も甚だしいと目で訴えるオットーの正当性を主張することが、誰もできなかった。


 「いやほんとにしないっすよ? ホウリさん?」

 「……冗談よ」

 「めっちゃ面倒臭そうな顔止めてもらえません? ホウリさん?」


 こちら側は特に問題なく、楽しげにも一日が終わっていくのであった。



 数時間後。夜の帷が下りきった深夜。


 結局アドルファに言い包められて、他の魔導騎士団員共々は就寝を余儀なくされた。


 乾いた木の枝に火を付け、俺とアドルファで席を囲む。


 蔦の木屋から微かに漏れ聞こえた声もなくなり、嚠喨湖畔に差し掛かった安全地帯は完全な静寂を作り出していた。


 「……さて、少しアタシの昔話に付き合ってくれるか」

 「はい。お願いします」


 木の枝が折れ、火に焼べられる一弾指。


 パチリと、音が生まれた。


 「アタシの生まれた国は、獣人だけの国だった。王も獣人、臣下も、騎士も市井も皆獣人。ある時人間だけの国と争うことになっての。敵国の英雄とやらに母国が蹂躙された。


 王も要人も皆関係なく死んじまって、国が滅びそうになった時、隣接したエルフだけの国と、遠い地の人間の国……まあこの国さね。そこらが同盟を結んで、ついに敵国の英雄とやらを討ったのだ。


 しかし問題はそこじゃなくてのぉ。獣人だけの国には、獣人だけ住んでいた訳ではなかった」


 遠い目をして滔々と語るアドルファが、ふと顔を顰めた。


 「……人間がいたのですか」

 「そうじゃ。市井まで獣人なれど、その下は首輪をつけた人間だったのじゃ。それこそお主の連れておる若人が何人も労働を課せられていたのぉ。しかして若い頃のアタシは白痴そのもの。当たり前に歪んだ事実を受け入れて、のうのうと人生を謳歌しておったのじゃよ」


 若き日を回顧し、そう懺悔するアドルファの目に、揺蕩う焚き火の光は見えていなかった。


 「それに気づいたのは奇しくもその後魔族が現れた時分であった。辛うじて残った獣人に戦う力がもう残っていなくての。人間やエルフ諸共鏖殺されおった。家族と友人が殺されて、アタシは怯えて逃げた。後ろなぞ振り返れぬさ。皆臓器や脳が飛び出しておるのだから」

 「……悲惨、ですね」

 「確かに逃げる最中のアタシは同じ事をずっと考えておったよ。……だがな、海を渡り、人間とエルフと獣人、三つの種族が同盟を結んだばかりのこの国にたどり着いて、思い至ったのじゃ。アタシらは本当に不幸で惨めであったのか、とな」

 

 忘我に浸る。続く言葉を口唇より紡ぐアドルファは、しかし臍を噛む。


 「人間をモノと扱い、蹂躙したのはアタシらも同じなのじゃよ。であるなら、魔族に故郷を奪われたアタシらに無念を嘆く権利はないのじゃ」


 俺はアドルファの考えを知っていた。


 その道理に囚われた人物は、俺自身である。


 「この地では同盟を結ぶ以前に人間が獣人やエルフを奴隷として扱っていたそうな。エルフの国では人間や獣人に石を投げ、一切の立ち入りを禁じておった。……分かるかの? この世界は誰もが、別の誰かを犠牲にして、薄氷の上に成り立っておるのじゃ」

 「……では何故、魔導騎士団に属しているのですか」

 「それがアタシの贖いになると思ったからじゃ。身を粉にして魔法に没頭すれば、アタシが殺した者よりも多くの者を救えると思ったからじゃよ」


 尤も、そういったものを忘れたかったからでもあるかのぉ、と。


 アドルファが誦じ、回顧録は幕を下ろした。


 スプルース王国。


 人間、エルフ、獣人が皆それぞれの事情を抱え、妥協し、理解し合うことで今日まで滅びずに済んできたのだろう。


 だがそれが決して素晴らしいことであると断言はできない。


 差別は往々にして、どこにでも生まれる。


 魔導騎士団と冒険者。


 冒険者と冒険者ギルド。


 冒険者と商人。


 そのどれもが、不満を押し殺し、あるいは発散し、奪い奪われ、生きている。


 諍いと和解を繰り返す中で、魔族という存在が全ての業を背負って君臨した。


 魔王という脅威が、皮肉にも人同士の平和を齎したのだ。


 そして。


 それが、俺が死んだ後の全容であった。


 ここまで話されれば、否が応でも理解させられる。


 「……アドルファさん。貴方の国は、今どこにあるのですか」


 魔導騎士団副団長。獣人の魔導師の彼女は、恐らく――


 「東の大陸。正確には、東の大陸に『あった』のじゃ」

 「……そうですか」

 「幼い頃、断頭台に上げられた件の英雄を一目見ての。お主に似ておったよ」

 「なるほど。だから俺を『共同調査』へ呼んだのですね」


 死ぬ寸前の俺を、見ている。


 「……俺はカルセドニーの出身です。その英雄とやらは存じ上げません」

 「当然じゃ。向こうの英雄さんは首を刎ねられたのじゃ。よしんば生きておっても老衰で死んでおるじゃろうて。……しかし、やはりと言っていいのかのぉ。あの炭鉱の街に、お主の顔はそっくり嵌るのぉ」


 アドルファが冗談めかして矍鑠と笑った。


 「話を巻き戻すようですみませんが、最初に獣人の国を襲った敵国の名前が気になります」

 「……もうすっかり滅んだ国じゃろうに。オックスブラッドとか言っておったな」

 「全く知らない国ですね」

 「そうじゃろ。これは歴史書にも出ないからのぉ」


 イースタシアとオックスブラッドとやらは同一の国で間違いない。


 であるならば。


 ……そうか。


 俺が戦場に赴いた時点で、イースタシアは既に俺を見限っていたのだろう。


 では、俺は一体何の為に戦っていたのだろうか。


 大義を失った俺は、ただの罪人に過ぎない。


 朝日が昇り始め、闇夜に終わりがきた。


 照りつける太陽が、焚き火の光を易々と消し去った。

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