第38話 共同調査③
+++
賑やかに森の奥へと足を進める一行であったが、日が沈んだ逢魔時、突如としてそれが現れた。
体長はこの場で一番背の高い俺の約二倍、撫で肩の茶色の体毛が全身を覆う。
小豆色の目に、剥き出しの切歯。――節々に隆起する、棘。
『ナイトウルフ』と双璧をなす夜の森林を跋扈する王、『スパイングリズリー』だ。
圧巻の体格を誇る熊が、鼻を鳴らして俺達に接近する。
「……でっかくないっすか?」
「なに、普通のサイズじゃよ」
オットーがじりじりと後退りつつも軽口を飛ばす。滴る汗の量を見るに、怖気づいているのを必死に隠しているようだ。
それもそのはず。
先日昼間に遭遇した『ナイトウルフ』の本領は夜のみに発揮する。
宵闇に紛れた狼と相対するにあたり、光源を発生させる一切を放てば、真っ先に狙われ一方的に蹂躙されたであろう。
昼間、視認できる環境であったからこそ以前のナキト達が斃せたのであり、夜であったなら厳しい戦いだったに違いない。
こと『スパイングリズリー』に於いては、昼夜問わず出会いたくない魔物である。
「お主らは下がっておいた方がいいでな。ここはアタシらの仕事じゃ」
「……馬鹿にすんじゃねえよ」
アドルファは彼らパーティを軽んじている訳ではない。
この凶悪な生物を眼前にして、庇護下に置くことが困難だと言外に伝えていたのだ。
しかし、その危険性を正確に理解していながら、彼らは誰1人として、『スパイングリズリー』から目を離さなかった。
「あたし達は『
「……ほうか。では、今度はお主らが、アタシ達からの信用を得る番かのぉ」
「まーそうなるっすね」
そう。『以前の』ナキト達では、叶わなかったであろう。
だが今の彼らであれば、その限りでない。
「ヒサギ、手を出さないでね」
「無論だ。俺が手を出したとて、足枷になるだろうからな」
「ヒサギさん。流石にジブンらでも分かるんすよ? あの時ナイフ投げてくれなかったら、やられてたことぐらい」
程なくしてオットーが斧を構えた。未だ汗が流れ出ている。
ホウリが陣形を確認する。オットーが最前で、ナキトが自身のやや後方だ。
ナキトが左手を『スパイングリズリー』へ翳した、その瞬間。
おどろおどろしい鳴き声を上げ、巨躯の熊が飛び掛かった。
最初の攻撃を一手に引き受けるオットーは、刹那目を瞑り、意を決したように動き出した。
腕を振り上げる。タイミングなど冷静に見られる状況でない。
空気を引き裂きながら、力を一等込め、振り降ろす。
鈍い音が鳴った。
『スパイングリズリー』が加速した斧を真横から、自慢の鉤爪で薙いだのだ。
「――ッ!」
堪らず吹き飛ばされるオットー。
捕食対象、あるいは確たる敵だと判断した『スパイングリズリー』は、背中の棘を飛ばし、自身もオットーに襲い掛かった。
「オットー!」
棘に追従し、素早く口を開けた『スパイングリズリー』。
ホウリは、ただ叫んだのではない。
オットーが木にぶつかることを条件に設定したのだろうか。
彼が生い茂る樹木の一つに背中が接触した瞬間。反発し、弾かれるように『スパイングリズリー』へ向かった。
しかし、当然オットーに突き刺さるは、獰猛な歯の前に鋭利な棘である。
残酷にも、棘は彼の眼球に急接近した。
「おらあああッッ!」
咆哮する。
オットーは――目を、閉じない。
すると、棘があらぬ方向に曲がった。
ナキトが咄嗟に手の向きを変え、座標をオットーと『スパイングリズリー』の間へと指定し、風魔法【風砲】を撃ったのである。
瞬きにも満たない時間にて。オットーが自身に【身体強化】を施した。
左に身を捩り、猛進する『スパイングリズリー』を紙一重で躱した。
一転、隙が生じる。
オットーは携えた斧を、熊の首目掛けて水平に振るう。
だが。
偶然にもそれは背中の棘に阻まれた。
グラアアア、と。
『スパイングリズリー』が唸り、鬱陶しそうに振り返る。
瞬間、割って入るよう立ち上った火柱が熊の鼻を掠めた。
「ナキト!」
ホウリに呼応するよう、ナキトが放ったのは風魔法【風斬】である。
ガラス片に指向性が付与され、標的に迫る。
しかし、まだ決着はつかず。
『スパイングリズリー』は鉤爪を器用に扱い、その悉くをはたき落したのだ。
無慈悲に撃ち落とされた様子を見て。
ナキトの表情が絶望に染まることは、なかった。
風に煽られて火柱が吹き消されれば。
――そこに、斧を掲げたオットーがいる。
「「いけ――!」」
2人が同時に叫んだ。
さすればオットーが不敵に笑う。
一閃。
渾身の力を込めて放たれた斧が、『スパイングリズリー』へ直撃した。
「うおおらあああッッ!」
堅い表皮など何のその。
『スパイングリズリー』の肉が裂かれ、骨が砕ける。
やがて、真っ二つに分たれた亡骸が、地鳴りのような音を立てて倒れた。
「はぁ……はぁ……」
荒くなった呼吸を整えることすら忘れて、オットー、ホウリ、ナキトの3人は、暫くその場に立ち竦んでいた。
「……やったすか?」
「これは……やってるわね」
「……やってんな」
オットーが2人に確認を取ると、警戒を緩めたホウリが頷き、ナキトが呟いた。
「いやはや、見事じゃ」
程なくして、アドルファが手を叩いた。
拍手の音が徐々に大きくなり、森林を僅かに揺らす。
気付けば他の魔導騎士団員や俺も、彼らに敬意を送っていたのである。
「冒険者も侮れんな」
「ああ。特に最近は軟弱者が多くて嘆かわしかったが、ちゃんといるではないか」
「そうだな。彼らの今後が楽しみだ」
声が重なり、歓声に成り代わった。
勿論、賞賛であるのは、間違えようもない。
「よくやった。素晴らしいな」
「……ヒサギさん」
「オットー。……ホウリに、ナキトも。本当によくやった」
彼らには元々才能があった。
しかし、そんなもので順風満帆な生活を送れるという程、冒険者稼業は甘くない。
志の高い夢を見ていながらも、何も成し得ず挫折した冒険者など五万といる。
そんな中であっても、彼らは前へと進み続けた。
これは偏に3人共が直向きに努力し続けた証である。
故に積み上げた研鑽が、この歓声によって表に出た。国の精鋭が集まる国家魔導騎士団に認められたのである。
「ありがとうございます」
「俺は何もしていないぞ。オットー自ら志願し鍛錬に励んだからこそ、『スパイングリズリー』をも討ち取ったのだ」
「いえ、機会をくれたのはヒサギさんっすから……これで、追いつけたっすよね」
「当然だろう」
オットーは銀級冒険者に昇格しても尚劣等感に苛まれていたようだったが、この晴れやかな表情を見るに、払拭できたと言えよう。
「【突風】をオーダーしたつもりだったけれど、【風斬】で正解だったわね。あの状況でガラス片を取り出す時間があったのかしら」
「あの熊、図体こそでけえが形が全体的に丸いだろ。【突風】は受け流されるかもしれねえ。なら事前に準備くらいできるだろ」
「なるほどね。勉強になるわ」
他方、ホウリとナキト今回討伐に成功した理由の模索に入っていた。
2人のゆったりとした所作を見るに、この後反省会も兼ねて内容の精査をしていくのだろうか。
「お疲れっす。ホウリさん、ナキト。サポートまじで助かったっす」
「当然よ、元からそういう役割だったでしょ。でも、初手で吹き飛ばされたのは課題ね。体幹を鍛えないと」
「あれ防ぐの辛かったんすけど」
「得物に当たったから良かったけどよ、肌に触れてたら片腕なくなってたぞ」
「まじかー。風魔法で良いのないん?」
「慣性の制御系はオマエじゃ無理だ」
2人の井戸端会議にオットーが加わったことで、反省点を具に調べ、洗い出す作業が開始された。
素人目でも彼らのパーティは、実に質が高く見える。
「良い弟子を持ったのぉ」
アドルファが隣で感心したように頷いた。国の礎たる魔導騎士団の重鎮の目であっても相違ないらしい。
「……買い被りすぎです。俺に何ができるのでしょう」
彼女からはレオやホウリともまた違った雰囲気を感じる。
その聡明さに由来したものでない。
戦場を生き抜いた、洞察力に於いて他の追随を許さないような、ある種の孤独な空気感を醸成していた。
「そうかのぉ。お主ならば、あの熊くらいお茶の子さいさいじゃろ?」
「……」
故にその双眸に何が見えているのか、俺は大層気になったのである。
あるいは、もっと別の、ナキトと因縁があった時のような――
「なんだ、これも答えんか。つれないのぉ」
「俺も貴方には興味がありますね。是非その知見をご教示頂きたい」
「なんぱ、というやつかのぉ?」
俺がアドルファを向くと、彼女は大仰に驚く。どうやらしらを切るようだ。
「良かろう、何が知りたいんだい」
そうかと思えば視線を談話するナキト達パーティへと向けると、真逆の答えを唇より紡ぐ。
掴めない。
言い換えるのなら――理解ができない。
「貴方の価値観について」
「……ほう」
アドルファが僅かに目を細めた。
「突拍子のない話になるが、それでも聞く気はあるかのぉ?」
「無論です」
「……ほうか。なら、野営中にでも話すかのぉ」
「お願いします」
俺は軽く頭を下げると、ナキト達へ向かう。
視線を外す一瞬、アドルファの顔が、苦虫を噛み潰したかのように歪んで見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます