第32話 星の空の満天の下
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謁見を終えた日の夜。王都・オーキッドの中心街、酒場のテラス席にて。
一介のギルド職員と、金貨の勇者と共に腕を奮うエルフのクリスタ、そして聖杯の勇者・ハイルの3人でテーブルを囲んでいた。
聖杯の勇者に関しては、まだ出会って一日も経っていない為、信用も何もない。
俺は彼を注視し、差し当たって思い浮かんだ疑問を投げた。
「どうして俺を誘った」
「君が謁見の間に来た時の、周りのざわつきようを見てね。僕らがこの世界にやって来た頃もそうだったから、やっぱり気になるよね」
警戒心を隠さずに尋ねたつもりであったが、投げかけられた方のハイルは特に気に留めた様子もなく、飄々として答えた。
「あ、何飲む? ヒサギ……さん? はエールでいいのかな」
「ヒサギでいい。そうだな、それで頼む」
「流石、中世風の世界だ! やっぱりビールっていったらエールなんだね。クリスタさんは?」
「……要りません」
「僕はアルコールを飲まないから、野菜ジュースでも頼むよ。ちょっと長丁場になるだろうから、クリスタさんの分も勝手に頼んどくね」
「……はい。では、ありがたく頂きます」
ハイルはどこか感心した風に俺を見て、次に自身とクリスタの分の飲み物を注文した。
……俺も客観的に見ればこんな感じなのであろうか。
そうであるならば、周囲が何かにつけて騒ぐ気持ちも分からなくないと思う。
「態々シンの仲間を利用してまで、俺を呼んだ理由はなんだ」
先程の質問に答えが返ってこなければ、俺が立席する理由が見つからない。
今度は別の角度から訊いてみることにした。
「利用なんて、心外だなあ。確かに挨拶したのは僕だけど、彼女は自分から聞きたいって言って来たんだ。相応の労力を厭って欲しくはないね」
「……意味が分からないな。それと俺を呼ぶことに、何の関係がある」
「謁見の間で、君も余所者って聞いたからね。かなり狼狽しただろう? だから同じ仲間のよしみで、折角だから教えてあげようと思ったんだよ」
勿体ぶったようにして、ハイルが俺を見つめて言った。
「――勇者の秘密をね」
なるほど。
彼は考え方の面に於いて、他の勇者よりも一歩進んでいるようである。
少なくとも他の勇者と違い、スプルースに危機が迫る中、王の意向を慮って行動するくらいには、であるが。
「僕は王城に篭っていたから、他の皆みたく魔物や魔族と戦えないけど、その分この世界のことや勇者のことについては多く知っているんだよ」
クリスタは金貨の勇者・シンと痴話喧嘩をし、それでも彼に尽力する為に打つべき最善手を考えた。
するとどうだ。この男にたどり着くではないか。
考えの浅はかさで、彼女を勇者の忠実な僕だと決めつけていたのが間違っていた。
「クリスタ、すまない。俺の浅慮故、警戒していた。この場に呼んでくれてありがとう」
「え? ええ。別に気にしていませんが……」
俺はクリスタに頭を下げ、非礼を詫びた。
「えー、僕にはないの?」
「それはこれから決める」
「……そっか。じゃあ君らに信頼してもらう為にも、さっさと話そうか」
それにハイルが口を尖らせて抵抗したかと思えば、軽く咳払いを挟んで居住まいを正した。どうやら茶番だったらしい。
「まず、勇者は僕を含めて4人いる。剣の勇者のレイヤ、杖の勇者のホノカ、金貨の勇者のシン、そして聖杯の勇者こと僕。彼らの能力は大凡分かるけど、残念ながら開示はできないね」
「4人と断定できるのですか。……すると、ご主人様は『ハズレ枠』ではないと?」
「そうだよ。僕達勇者は、元々決まった型の上に成り立っている。シンは最初から『金貨の勇者』だったんだよ」
「――っ。それでは、ご主人様は、貴方がたの身勝手な判断で蔑まれていたと言うのですか!」
クリスタは勇者が何人なのかさえも知らなかったようである。テーブルを叩き、怒りを露わにした。
この場に彼女が立席したということは、つまりシンが勇者に関する情報を話していない可能性が多分にある。
シンは、クリスタやガウに全幅の信頼を寄せている訳ではない、とも取れるのだ。
謁見の間では抑えていた、声を荒げるクリスタの態度を見ても、ハイルの様子は変わらない。
「僕らは未完成の状態で召喚されたんだ。実際シンは最初に【投石】しか使えなかっただろう? 確かにそれを糾弾したお義父様と、レイヤ、ホノカ、勿論僕にも非がある。でも、力をつけて君らも、僕らを見下していたんじゃないか? だったら同罪だと思うんだけどなあ」
「同罪などではっ!」
「……ああ、話始める前に忠告した方が良かったね。これから、僕ら勇者について、どうかそういう差別意識を持たないで欲しい」
ハイルが言い切った後、頼んだ品が運ばれ、俺の元にエールのジョッキが置かれる。
「ありがとうございます」
シンと他勇者の確執に何ら興味のなかった俺は、店員に会釈し、ジョッキを呷った。
「……」
「……君は大した人物だね」
「ありがとう。話を続けてくれ」
俺の行動が緩衝材になったようで良かった。
クリスタがドン引きしているが、話を円滑に進める為に一々喜怒哀楽を混ぜる方が大変であろう。
「それで、なんで勇者が4人なのかって言われると、まあ力を一元化しない為だね。勇者召喚の儀式は、スプルース国民全員から漏れ出た微弱な魔力を分け与えてもらって、一箇所に集め続けて蓄える。それを1人の召喚に使ったら、出てきたそいつがめちゃくちゃ強くなるだろ? 謀反を起こして国自体が滅んだら大変からね」
なるほど。納得の理由である。
この世界に対して、全く何の教養もない人物1人に莫大な魔力を与えれば、その強力な勇者の危険性は計り知れない。
それに、
「それに、現状を見れば分かるだろう? 喚び出される人間は15、6歳の少年少女だ。力に溺れやすい年頃の子が集められるんだよ」
「何故その年齢なんだ?」
「お、いい質問だね。あっちの世界では、その年頃の子の、『願い』が強いんだ」
「……『願い』とはなんでしょう」
落ち着きを取り戻したクリスタが、野菜ジュースなるものを可憐な所作で飲み、進行に協力する。
「もうどうにもならない。しんどい。死にたい。何処かへ行きたい。君たちはそう思ったこと、ない? あっちの世界、日本では皆よく、それこそ口遊むように言うんだよ」
「ニホン、というところ? がそういった感情を抱きやすい国なのか? 戦争が絶えない場所で、家族を喪った子どもが嘆く?」
「ごめん、語弊があったね。あっちの世界では戦争があるところとないところがあって、日本はないね。至って平和だよ」
「へ、平和な国で、子どもが死にたくなるものなのですか?」
クリスタが信じられないといったように目を見開き、硬直した。
全く異なる価値観から齎された情報である。
困窮に喘いでいる子どもなら話は別であるが、平和な世界の子どもが絶望する様子が想像できないのも無理はない。
「まあこの辺は複雑だから省くね。……続けるよ。それで……うん、そうだね。表面上じゃなくて、心の底から、救いを求めた僕らが祈る『願い』に、勇者召喚の儀式が応えて、全知神様が掬い上げてくれるんだ」
これには俺も驚愕を隠しきれなかった。
背筋が凍る。瞳孔が開くのを自覚した。
では、4人の勇者というのは――、
「こんなこと言いたくないけど、僕らは全員、向こうの世界での負け組。落伍者なんだよ。そりゃあそうだよね。特に客観的に見れるヒサギなら、一度は思っただろう? 人格形成に問題ありとか、親の教育が何とか、とか」
聖杯の勇者・ハイルは、自嘲気味に笑った。
……そうか。
思い起こされるのは、存在した感情に基づく記憶。
もうどうにもならない。
しんどい。
死にたい。
何処かへ行きたい。
どうしてそう思った?
殺して、殺して、殺し終えた後だからか?
どうして――俺は、冒険者学校の、あの図書室で。
イースタシアが滅んだことを知り、
母国を滅ぼした国が、魔王に飲まれたことを知り、
――喜びに打ち震えた?
もし、魔王が来なかった世界が地続きになっていたとして。
俺が殺戮した後の世界は戦争がなく、ただ、家族を喪った子どもが蔓延っていたとして。
彼らは、何を願うのだろうか。
決まっている。
同じなのだ。全てを終えた俺と。あるいは、全てが始まる前の俺と。そして――彼ら、勇者と。
「……っ。そ、そんなことってっ……」
気づけば、隣でクリスタが泣きじゃくっていた。
「では! ご主人様も……貴方にもっ! 救いが、ないではないですかっ!」
悲鳴にも似た喚き声が辺りにこだました。
彼らは向こうの世界でも、この世界でも忌み嫌われ、もしくは、無責任な期待だけを背負う存在なのだろうか。
ツンと冷えた、凍えそうになる夜。
冷酷な世界で、聖杯の勇者・ハイルは、何かを求めるように空を眺めた。
「うん……でもね、絶望ばかりじゃないんだよ。この世界に来る代わりに、特別な力をもらえたからね」
つられて空を見上げれば、煌々と輝く月が俺たちを見返した。
「ここは星が綺麗だね。……あっちの世界は街明かりが一等眩しいけど、空は、月しか見えないんだ」
ハイルに言われ目を凝らすと、幾千、幾万もの星が夜空を彩っている。
「……あっちの世界で有名なおまじないがあってね。王様とか、太陽とか、月とか、星とか――世界とか。沢山種類があるカードから3枚引いて、その絵柄の向きで、昔と今と未来を占うんだ」
浅葱色の髪が揺れる。ハイルが動いたのを見て、視線を彼に移した。
ハイルは届くはずのない空に向かい、手を伸ばす。
「その中で……僕らは、月にも星にも満たない、有象無象の存在なんだ」
そうして、おもむろに手を握りしめる。
「ほら、やっぱり。何もないじゃないか」
あるはずのない何かを掴み、ハイルはそう独りごちた。
「……だからね、お義父様もそういう経緯で目を瞑ってくれてるんだけど。やっぱり許せないよね。ただ、皆この世界の人の気持ちを、徒に踏み躙ったりしようとか思っていないことは、代表して僕が断言するよ」
「……あの。ご主人様は、あちらの世界でどんな方だったのですか」
「うーん。無作為に選んでるようだから、日本でのシンは知らないな。けど、こっちに来てすぐは――ずっと赤ちゃんみたいに泣き喚いていたよ」
「……そうですか」
クリスタはそれ以上何も聞こうとせず、口を噤んだ。
「ヒサギは聞きたいこと、何かないのかい?」
「お前達の目的を聞きたい」
「もちろん、魔王を斃すことだよ」
「即答か。……だが、お前達は、経済を回す為に召喚されたのではないのか?」
「ヒサギが何を以ってそう考えたかの方が気になるけどなあ。まあいいや。僕の世界では、違う世界に、しかも魔王がいる世界に来たとなれば、やることは一つなんだよ。それは伝承でもゲームでも変わらないのさ」
剣の勇者がゲームだと例えたのは、そういうことだったのか。
あちらの世界での娯楽は想像もつかないが、何かしらの話で魔王が登場し、勇者がこれを斃す。そんな御伽噺が存在するのだろう。
まさしく『竜討伐物語』のように。
しかし、ここでも違和感が解消されることはなかった。
となれば、勇者や、俺の母国に纏わる情報を握っている者が必然、浮き彫りになる。
そう――魔王である。
そこで、ふと気になったことがあった。
「勇者召喚については大凡理解できた。だが、勇者同士で殺し合って、魔力を奪うような争いはしないのか?」
「君、エゲツないこと考えるね……しないよ。厳密に言うと出来ないんだけど。僕達にはそういう制約が掛かっているからね」
「制約? 勇者同士で殺し合おうとすれば、何かしらの力が働くのか? なればその力を簒奪すれば、元も子もないと思うが」
制約なるものは謁見の間でも彼の口から出ていた。ホノカとのいざこざを戦闘で解消しなかった所以である。
しかし、もし仮に、勇者同士での戦闘を禁ずるといった類の制約が掛かっていたとして。
その制約を掛けた人物を排除すれば、万事解決ではなかろうか。
「……脱帽するよ。凄いね。……でもそれも出来ない。『勇者同士で殺し合えない』と同時に『この世界以外の如何なる干渉も受けない』という制約も受けているんだ」
「訳が分からないな。それは文献に載っていたのか? それとも試したのか?」
「正解は『どっちも』。文献に載っていなかったし、試そうとしても出来なかった。僕らに掛かる制約はここに、いつの間にか根付いていたんだよ」
ハイルが側頭部を指先で叩いた。
ますます意味が分からない。
制約は魔法ではない?
術者もいないとなれば、未知の概念そのものだ。
「まあ全知神様の御業とでも思ってくれないかな。僕も分からなくなってきた……」
「……ああ、そうしよう」
当のハイルが理解できていなければ、問答は中断せざるを得ない。
……だが。
人類の切り札、『勇者召喚』。
皮肉なことに、それに対抗するものを魔王自身が備えている。
あるいは、これも相反して存在する理屈なのであろうか。
俺は無理矢理そう納得し、時間が経って苦味の増したエールに手をつけた。
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