第29話 王都・オーキッド 観光編
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存分にパフェを楽しんだ俺達は、レオの私用とやらの時間帯が迫っていたようで一時解散となった。
ついてはユリアさんが書店巡り、ファッションに敏いナナが冬服を探しに行ってしまった。
場に残ったのは、王都にさして用事のなかった俺とエルナさんである。
「さ、寒いね〜」
「そうですね」
「ヒサギくんは服とか興味ないの?」
「着られればなんでもいいですね」
「そっか〜」
「……」
「……」
エルナさんとの間に気まずい空気が流れる。
本格的に冷え込んできた昨今。店を出ると太陽に雲が掛かっており、より一層の寒さを感じた。
エルナさんは紺色のウプランドに身を包んでいるが、あまりインナーを着込んでいないのだろう。微かに震え、白い息を吐きながら両手を擦り合わせて俺に目を配る。
実を言うと職場外でエルナさんと2人で話すのは、これが初めてである。
何とか話題を作ろうと考えるが、そもそも彼女の趣味を全く知らなかった為、脳内であれやこれや思い浮かんだことが堂々巡りになってしまっていた。
「……歩きますか」
「そ、そうね〜!」
再集合までまだ三時間もある。ここで遅疑逡巡したとて利点がないと踏んだ俺は、当たり障りのない提案をする。
同じように迷っていたエルナさんが即座に肯定し、暇潰しを目的に散歩が始まった。
「何か珍しい所などありますか?」
「珍しい所……あ、ヒサギくんって噴水の広場が好きだったよね」
「はい、落ち着けるので好きなのかもしれません」
「それなら珍しくはないけれど、あるよ」
「ではそこに行きましょうか」
方針が決まるなりエルナさんが先行して歩き出す。
俺はエルナさんに付かず離れず、丁度手を伸ばせば届くくらいの幅で並び歩く。
中心街を練り歩く人々にぶつからないよう体の向きを変えながら、エルナさんの歩幅に合わせてゆっくりと。
アンダンテ。
つい今し方。パフェを楽しんだ喫茶店の名を思い出した。
「平和ですね」
「王都は魔導騎士団が守ってるからね〜。どこよりも安全かも」
「なるほど」
国家魔導騎士団が主に警護するオーキッドの冒険者ギルドは、ウィスタリアに比べ非常に弱い立場にある。
優秀な冒険者は給料が高く保証も手厚い国家魔導騎士団に引き抜かれる為、どうしても後進育成に時間を取られるのだ。
そして優秀な人材が集う当の魔導騎士団は、言わずもがなスプルース王国の希望。魔族が立ち入った事件など簡単に受け入れ、忘れ去る程の余裕があった。
「……それに勇者様もいるから」
「たしかに」
言い淀んだのは、エルナさん自身、勇者に対してあまりいい感情を抱いてない証左でもあったが、俺は敢えて気付かぬ振りをする。
幾ら素行が悪く、手放しに褒めることができなくても、スプルースの切り札である彼らを往来のど真ん中で堂々と否定する訳にはいかない。
「そういえば、ヒサギくんは実際に会ったんだっけ」
「剣の勇者と杖の勇者、それからハズレ枠の勇者に会いましたね」
「実際に見てどうだった?」
「皆若いですね。学生を集めたのでしょうか」
「うーん。わたしも文献に目を通したけれど、昔呼ばれたのは青年だって書いてあったからちょっと意外ね」
俺が初めて勇者を目にしたのは大戦の終盤だ。戦場での彼らは顔まで覆う鎧姿だったので推測の域を出ないが、落ち着き払った様子を鑑みれば20歳を超えていたように思える。
ああ、そうだ。相手は連合国であった。
スプルース王国は、かつての敵国の一つだったのか。
今や『魔王大陸』と呼ばれた地で、俺は勇者と戦い、その悉くを殺した。
人間至上主義のイースタシアが、人類の切り札であり他種族の希望をも背負った勇者と剣を交えた。
客観的に考えると、何とも皮肉な話に思える。
「……ヒサギくん? どうしたの」
「いえ、勇者にまつわる文献を読んでいなかったので、気になりまして」
そこで疑問が湧いた。俺は自身の出自を明かさぬよう注意を払いつつ、エルナさんに問い掛ける。
「昔、勇者は魔族と戦っていたのですか?」
「それは『竜討伐物語』。誰かが考えた御伽噺ね〜。――本当は国の経済を回す為に召喚されたみたい」
「経済……ですか?」
「うん。異国から勇者を呼んで、お金を持たせて誰も考えないような新しい事業をさせて、国を豊かにするみたい。スプルースが他国に権威を示すのも勿論あるらしいけれど、それだったら魔導騎士団なんて作らなかったんじゃないかな」
エルナさんの文献の話は、実に理に適った事柄であった。
その話に沿って考えれば、今回の勇者召喚は若者であればある程良く、国が発展する兆しが見える。王国の目論見通りと言っても過言でないだろう。
そして彼女は「異国」と称したが、彼らの奇特な風貌はとてもこの世界に住む人物と思えない。完全な憶測であるが、勇者はこことは別の世界から呼び寄せているのではなかろうか。
別の世界から呼び寄せた勇者が、スプルースと全く異なる文化を持ち込み、繁栄に寄与する。まさに人類の切り札である。
だが、納得できない部分が新たに生まれる。
ではどうして俺は戦場で勇者を見たのだろうか。
そして何より最も重要であるのが、
この世界の人々は、イースタシアを知らないことである。
勇者の戦った記録を遡れば『竜討伐物語』にたどり着く。
つまり、この国がイースタシアと戦ったという事実が丸切りなくなっている。
既に滅んだイースタシアに、全世界へ
それはウィスタリアに住む人々の思想や行動理念が証明している。
『他人の為』イコール、家族や街の人々。
イースタシアであれば『他人の為』イコール指導者の導線になるはずが、全て抜け落ちているのだ。
「ギルドに置いてあるから読んでみるといいかもね。……あ、着いたよ〜」
複雑怪奇に混濁する思考とは裏腹に、表向きは平素通りに努める俺を見て、朗らかな表情を浮かべたエルナさんが立ち止まり、ある一角を指差した。
つられて目を向けると――噴水の広場よりも一際大きい空閑地の中央に、膝を折り、両手を握りしめて目を瞑る、法衣を着た女性の銅像があった。
「『全知神』様。教会が讃える神様ね」
「……なるほど」
思わず息を呑んだ。それ程までに、祈りを捧げる彼女が美しかったのである。
腰まで掛かる長い髪が鮮やかな金色に、慎ましやかながらも目を奪う祭服は清廉の白色にさえ視える。
天衣無縫。他の何よりもその言葉が似合う形象であった。
「『万物を識り、全能に非ず。狡知識りこそすれ其れを咎めず。汝、赦し、愛すであろう』……全知神様が教会の人に説いた御言葉ね。すごいでしょ」
教会の信者でないエルナさんにとっても『全知神』は敬愛すべき存在なのであろう。柔和な笑顔を崩さず、眩しそうに眺めていた。
「……ええ。信仰が集まる理由が理解できました」
全知神。
全てを見透し、しかしこの世界に直接干渉することのできない存在。
彼女は、一体何を願っているのだろうか。
世界の平和か。己の罪への懺悔か。――はたまた、魔に巣食われる人々を憐んでいるのか。
祈りの内容は、識らない俺達に一摘まみの希望だけを与える。
俺は集合までの残り時間、ただただその偶像を見つめ続けていた。
+++
夕暮れ時。
『喫茶アンダンテ』の前には既にレオ、ユリアさん、ナナが集まっていた。
俺達は楽しそうに談笑する面々を認めると、小走りで駆け寄る。
「すみません、遅れました」
「ごめんね〜」
「いんや、時間前だぞ」
レオが快活に笑い始めた、その時。
「もう集まってたんすね」
彼の影から、両耳にピアスをつけた茶髪の少年が、背中に物々しい斧を担いで出てきた。
「オットー? どうしてここにいるんだ」
俺が驚いて疑問を口にする。携える武器こそ異なれど、あの気怠そうな面持ちは紛れもなくドミニク工房の一人息子、オットーである。
するとオットーが俺に呼応するかのように、同じく首を傾げた。
「あれ、もしかして聞いてないんすか?」
「なにがだ?」
「明日の謁見の話っすよ。ヒサギさんも一緒に行くってギルドマスターから……」
瞬間、俺の視線はレオを確と捉える。
「どういうことだ?」
「……すまねえが、オットーの言う通り、明日王に会ってもらうことになった」
「理解できないな。どんな理由で俺が会わなければならない?」
暖かく弛緩した雰囲気が一気に張り詰め、今の寒気に自然と溶け込んだ。
レオが気まずそうに話を切り出すが、同情で手を緩めたりしない。
「ちょっと、ヒサギくん――」
「エルナ」
堪らず前のめりになったエルナさんをユリアさんが静止した。
これにナナは不安げに俺を見つめ、オットーがため息をつく。
「ギルドマスター。ジブン、もう帰っていいですかね?」
「ああ、悪りぃな」
「給料貰えるんでいいっすよ。じゃあ御三方とも行きましょうか」
どうやらレオが先んじて3人の帰りの手配をしていたようだ。
元々レオが一緒に帰る予定であったならば、オットーを必要としない。
オーキッドとウィスタリア間は『始まりの森林』を南下し、更に『
そうしなかったのは、事前に想定していたからであろうか。
「行きましょう」
ユリアさんが戸惑うエルナさんとナナを宥め、オットーに目で合図を送る。
オットーがそれに頷きで返すが、ふと思い出したように俺を向く。
「……あ、ヒサギさん」
「なんだ」
「ジブンこの通り斧でやってくことにしたんで、扱い方知ってたら教えてもらえますか?」
「ドミニクは槌を使っていたんだろう? そちらに教わるといい」
「いや、得物2回も変えたんで、オヤジもこれなんすわ」
そう言って両手とも人差し指を立て、額に当てるオットー。
……言われてみれば確かに。短期間で槌、盾、斧と何かと目移りが激しい息子に、生粋の頑固者であるドミニクが怒るのも無理はないな。
俺も彼の手に持つ武器が武器でなければほとほと呆れ返っていただろう。
だが、オットーが担いでいる得物は――俺が殺したと言い換えても差し支えない、グレッグの斧だ。
「仕方ないな。機会があれば教えよう」
「お願いしますね。んじゃ、また」
どういう経緯でそれを手に入れたのかは分からないが、俺の身勝手な諸事情で冒険に巻き込んでしまったことも加味すれば、手解きくらいするのが筋であろう。
俺はオットーの申し入れを受諾し、手を振って歩いて行く彼の背中を見送った。
閑話休題。
俺は再びレオに向き合い、目を細める。
すると、レオが俺より先に口を開いた。
「なぁ、ヒサギ。お前これからもずっとウィスタリアで暮らすつもりだろ?」
「ああ。だが、邪魔だと言うなら出て行く。お前が俺に対してどう思おうが、俺にとってお前は命の恩人だからな。素直に従うよ」
「なんだ、行く宛があったのか」
「今はないが、その気になればどこにでも行ける。誰かに全霊を以って仕えればいいだけだからな」
「……そうか」
ある程度成熟した大人同士の会話なんて、こんなものである。
感情の起伏を限りなく自制し、水面下で妥協点を模索する。最近10、20代との会話が多かった所為か、つい忘れかけていた。
無論年齢の如何でなく精神面での話であるが、子どもと大人の違いはここにあると考える。
大人は、端的に言えば「自由」の窮屈さを知っているのだ。
しかし、そのしがらみを理解しているはずのレオが、まるで子どものように顔を歪ませた。
暫しの因循。やがて彼は、俺を見据える。
「オレが言えた義理でないけどな……お前には、なるべく自由でいてもらいてえんだよ」
「王に会うことが、お前の言う自由になり得るのか?」
レオが言葉を選んだ上でそれを選択したのは分かる。
だが、イータシアで生きてきた俺にとって、誰かの口から吐き出るソレは怖気が走るような言葉だ。
足元がぐらつく感覚を覚える。
脳が二つに分かれるような。
真実と欺瞞、その両方が重なるような。
刷り込まれ、受容し、混ざり合い、嘯くような――
「お前は今身分の保証ができてねえ。だからウィスタリアでの功績の一部をお前のものにして、市民権を手に入れるんだ。ショウタを助けたのは本当だからな。王を騙すんじゃなくて、正当に――お前はここで、生きることができる」
ふと。泥濘から抜け出したかのように、足が軽くなった。
レオの行動原理は、街の人々を守る為だったか。
つまり俺は、レオにとって、既にウィスタリアで生きる人であったのか。
「……そうか」
今度は俺が醜く顔を歪ませる番であった。
「すまねえが、どうか王に会ってくれないか」
「……ああ、こちらこそ、よろしく頼む」
俺は頭を下げ、レオの提案に願い出た。
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