間話 ナキトの懊悩 「おいら」の煩悶


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 銀級冒険者のナキトと冒険者ギルド職員、夜勤事務担当のナナは姉弟である。


 現在父親が王都で働いており、ナキトとナナの二人で暮らしている。


 思春期を迎えたナキトであるからして、姉であるナナとの関係は良好とは言い難かった。


 そんな2人に追い討ちを掛けるように、ナキトが通う冒険者学校にて生徒の1人が魔族に変貌し、校舎の修復や生徒を危惧して休校になったのだ。


 更に一連の事件の影響でナキトが冒険者として調査に駆り出された。


 これにはナナも大変ご立腹しているご様子。


 ナキトが休校前の渦中、校舎内で書物を盗んだことも相俟って、手がつけられなくなる状態となった。


 家庭内で立場が一等弱いナキトは、逃げるように冒険者ギルドへと通うのだった。


 「ぶっ――、え。ナキトってナナさんの弟だったん?」

 

 酒場が開店した冒険者ギルド内、テーブル席の右隣でオットーが飲んでいた水を盛大に噴き出して言った。気管に入ったのか、ゲホゲホと咳込みながらも度々確認の意味でナキトを窺う。


 「ナナさんって、あの脚の綺麗なナナさんだよな?」

 「おい。ぶっ飛ばすぞ」


 オットーの失言に、ナキトが強い眼差しを向けた。


 「ごめんって。でもフツー驚くっすよね?」

 「この流れでよくあたしに話し掛けられるわよね……まあ、かなり驚きだけど」


 オットーは軽い調子で謝ると、尚も睨むナキトから逃げるように視線を対面のホウリヘ移し替えた。


 現在、ナキトから見てオットー、ホウリの順でテーブル席を囲んでいた。


 そもそも何故こうなったのか。ナキトは未だ腑に落ちない。


 冒険者学校が休校中だからといって、どうして冒険者稼業をやってこなかった2人が酒場に毎日来るのだろうか、甚だ疑問である。


 客観的に見れば、銀級冒険者であるにも拘らず依頼を受けず、酒場が開店する少し前から顔を覗かせるナキトの方にこそ2人が疑問を持っているからであるが、当のナキトはそんな自分を棚に上げて首を傾げている始末であった。


 冒険を共にしたことで少なからず絆が芽生えた3人は、オットーを中心として一週間、毎日会話を続けた。


 すると流れは必然と先のナキトに対する不審点へと変わっていく。そうして迎えたのが冒険者学校の再開を明日に控えた本日の状況である。


 「別に大したことじゃねえだろ」

 「まあ、そうね。お姉さんとは仲が良いのかしら?」

 「普通だ」

 「言い方が普通じゃなくない? もしかしてなんかあった?」

 

 ホウリから何気なく訊かれたことにピクリと肩を揺らし、ナキトの表情がみるみる内に険しくなった。


 その様子を見兼ねたオットーが割って入るが、ナキトはついに視線を落とした。


 「何もねえよ」

 「まさか、エリックの時にどこかへ行ったのが起因しているのかしら。あの人が追い掛けていたけれど。それとも、あの人の仕事に手を貸したから?」


 俯いたままのナキトの肩が激しく振動する。


 「いやめっちゃ図星じゃん。もうこれクリティカルヒットじゃん」


 いつもは自業自得故に劣勢であるオットーだが、今に限り攻勢へ転じざるを得ない程ナキトが動揺していた。


 ホウリの推測が両方とも当たっていたからである。


 持ち出し禁止の本を売って生活費の足しにしようとしていた所でナナに見つかり、直様買い戻すことになり、休校中の学校へ態々姉弟で出向いて返却する羽目になった。


 更に、後述の方はナキトにとってより深刻な問題であった。


 そもそもの発端はナキトが父親と仲が悪く、仕送りを蹴ったことから始まる。


 多種族が混在するスプスース王国に於いて、例えエルフであっても生きていく為にお金は必要である。


 幸いナキトには魔法の才があり、冒険者として活動していれば食うに困らずの状態だった。


 しかし、破竹の勢いで昇級を続けるナキトを傍で見守っていたナナは、冒険者稼業をよく思っていなかった。


 幼い頃から派手な格好をしていたナナであるが、その実かなりの小心者だ。


 背丈の大きい、厳しい面をした冒険者達に良からぬ思いを抱いていたことを、ナキトは薄々勘づいてはいたものの、生活の為に天職を手放す訳にもいかない。それ故知らぬふりを続けていたのである。


 そして、亀裂が入る。


 きっかけはナキトが銀級冒険者へと昇級を遂げた一発目の依頼。銀級冒険者以上が受けられる『始まりの森林』より更に南下した先にある『嚠喨湖畔りゅうりょうこはん』にて。


 依頼は達成したものの、臨時でパーティを組んでいた銀級冒険者が死んだ。


 冒険者稼業の最中に人が死ぬのは日常ともいえることなのでナキトも態々口に出したりしなかったが、街を歩いていたナナの耳に入ったようだ。


 翌日からナナは自身が忌む冒険者の総本山、冒険者ギルドに就職した。


 当初は何も言わず勝手に働きに出たナナに怒りが湧いたが、徐々にそれは自分がずっとやっていたことだと気付いた。


 そう、ナナもナキトのことを大切に思っていたのだ。


 最初こそナキトには魔法の才能があると静観していたが、銀級冒険者であっても当然のように死亡するという事実を知り、一挙に不安が押し寄せたのだろう。


 こうしてナキトは冒険者稼業を辞め、ナナに養ってもらっていた。


 夜半自分が寝ている間に必死で働き、そのお金で学校にまで行かせてくれている。


 そんなナナには、感謝しかない。


 ただ、愛嬌のあるナナに悪い虫が付く可能性は大いにある。


 そういった連中が寄り付かないよう、せめて目を光らせよう。寄り付く虫は絶対に許さない。


 といった具合でナキトの行動が始まった。これにはナナも圧倒されて何も言えない状態、寧ろ優しいとしみじみ思う程であった。


 しかし、調査の同行は、手伝いといえどその全てを裏切ることを意味していた。


 ナナも煮えきれない思いであったが、先の素行不良が後押しすることとなり、とうとう堪忍袋の緒が切れたようである。


 一切口をきいてくれなくなったのだ。


 以上の経緯から、ナキトは普段の冷静さを欠き、極寒の中裸で外に出された如き振動を続けている。


 オットーやホウリも迂闊に声を掛けられなかった。


 いつもは反りが合わない2人が揃って思う。


 あ、これ、めちゃくちゃ地雷だ。これ以上はそっとしておいてあげよう、と。


 沈黙が続く。


 そんな通夜に似た空気を切り裂いたのは、お調子者が集う酒場で一際性格の悪い取り巻き冒険者集団の野次である。


 「あれ。あいつグレッグんとこのやつじゃねえか」

 「1人で何してるんだろうな。ほら見ろよ、小鳥抱えてるぞ」

 「放っとけよ。……あいつはもう冒険者として終わりだからな」


 ひそひそと会話を交しながら目を向けるのは、テーブル席を1人で陣取り、茫然自失とした銅級冒険者だった。


 彼の手には、同じく固まったまま動かない小鳥――コカトリス。


 そして椅子に一挺の斧が立て掛けてあった。


 「なんか、可哀想っすね。仲間が上位魔族に遭って死んじゃったんでしたっけ」

 「銅級冒険者の人ね。大丈夫よ、皆が皆、彼らみたいに無粋ではないもの」

 「そうっすねー。現にあの人らのお陰で魔族も撤退したんじゃないっすかね」


 オットーが頷く。ホウリの言う通り、魂が抜けたように俯いて動かない銅級冒険者に対して、不躾な目線を送るのは確かにたった一角だけであった。


 しかし、首を振ったものの、釈然としない思いを抱えるオットー。


 「すんません、ホウリさん。ナキト見ててもらっていいっすか?」

 「え、ええ。構わないわ」


 そう言って席を立ったオットーを見て気が気でなくなったホウリだったが、彼は銅級冒険者を誹る一角、ではなく嗤われた先へと迷いなく歩いて行った。


 「もしもーし、今大丈夫っすか?」

 「……」

 「ほうほう。大丈夫と。ちょっと失礼しますね〜」


 オットーは銅級冒険者からの返答を待たず、隣の席に座った。


 流石に間近に気配がすれば顔を上げるものである。銅級冒険者がゆっくりとオットーを睨めつけた。


 「……おいらに何の用だ?」

 「街を助けてもらったみたいなんで、一杯奢りたいなって」

 「馬鹿にしに来たのか、魔族について訊きたいのか、どっちなんだ」

 「えー? 馬鹿にする訳ないじゃないっすかー。だって馬鹿にしてるのって、魔族にビビってたヤツらっしょ?」


 オットーの一言に、今度は酒場全体が凍りついた。


 「誰だあいつ?」

 「ドミニクの息子だろ。前に調査同行で冒険者デビューしたっていう」

 「七光だな。調子こいて大丈夫かなー」

 「おれらに喧嘩売ってるようだけどどうする?」

 「いや、ぶち殺すしかないだろ」


 皆の視線がオットーへと集まる。


 そんな中でも、オットーの調子は依然飄々としたままであった。


 「ほら、聞いたっすか? 全員で掛からないとジブンにさえ及び腰な彼らっすよ。魔族に挑んだ人の方が何倍も強く感じるんすけどねー」

 「……おまえ」

 「ま、ジブンの盾、親父に頼んで【武器強化】2回も掛けてもらってるっすからね。どんどん来て欲しいところ、なんすけどー」


 【武器強化】2回。


 オットーの台詞の途中から、殺気立っていた冒険者が一様に目を逸らした。


 「いやそれ、ナナヒカリーってね?」

 「……」


 銅級冒険者の目の色が変わった。


 有象無象の冒険者達を見る目から、オットー個人へと。


 「……ありがとう」

 「いや友達が構ってくれないんで鬱憤晴らしただけっすよ」

 「……そうか」

 「そうっす。それで、冒険者続けられるんすか?」

 「……いや、おいらはもう無理だよ。こいつと田舎に帰る」


 銅級冒険者が視線を落とす。その先には、羽を必死で動かすコカトリスが久方ぶりに鳴いた。


 「ピヨ! ピヨ!」

 「……そっすか」

 「今後のウィスタリアが心配だけどな」

 「んー、それは大丈夫っすよ」


 銅級冒険者本人も皮肉が言える程元気になったようだ。


 オットーは相も変わらず適当そうに、しかし朗らかに笑顔を浮かべる。


 「ジブンらがセンパイの後引き継ぐんで!」

 「……そうか。あぁ……ありがとう」


 堰を切ったように、銅級冒険者の目から涙が溢れた。


 オットーは黙って隣で彼の肩を叩く。

 

 やがて目を擦った銅級冒険者の目が、一挺の斧へと留まる。


 「じゃあ先輩からのお願いを聞いてもらってもいいか」

 「できることなら!」

 「……これ、別に親父さんに流してもいいからさ、受け取ってくれ」


 銅級冒険者はそう言って斧を丁寧に両手で持ち、オットーへ差し出した。


 「グレッグっていう、おいらの最高の仲間が使ってたもんだ」

 「そうなんすか! それは恐れ多いっすね……」

 「どうか頼む」

 「恐れ多いっすから、親父には渡せないなー。ジブンが使うっすわ」


 オットーが斧を受け取ると、銅級冒険者は満足したように席を立った。


 「本当にありがとう。これで救われた」

 「いや、良い得物は貰っとくに限るっすからね!」

 「そうか……あ、名前は何て言うんだ?」

 「オットー。ただの親父の、七光っすよ」 

 「……オットーか。おまえのことは一生忘れないよ」


 こうして銅級冒険者は、コカトリスを連れて冒険者ギルドを巣立った。


 オットーが席に戻るなり、ホウリは大きくため息をついた。


 「……また面倒なことをしたわね」

 「まあ、ホウリさんも毎回ここに来るってことは、そういうことでしょ?」

 「さあね」

 

 オットーとホウリが酒場へ通った根底にあるのは――また、3人で冒険したい。その一言に尽きるのであった。


 ホウリが呆れたように笑顔を返した。


 「まあ、こいつ納得させるのにはもうちょい掛かりそうっすけどね」

 「そこはあたしに任せて。ナナさんだったかしら? お姉さんと仲良くなるつもりだから」

 「手回す気っすか。えぐいっすね」

 「あら? そんなことくらい織り込み済みでしょ? 【武器強化】0さん?」

 「……やっぱえぐいっすね」


 未だバイブレーションを続けるナキトを他所目に、ホウリとオットーの会話が続く。


 危険な仕事を請け負う、何でも屋が溜まる冒険者ギルドにて。


 ある者が挫折し、去る一方で、また新たな冒険譚がひっそりと幕を開けたのであった。

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