第24話 魔王幹部 アモン


 +++

 ユキからショウタを頼まれた俺は、歩を早めて森の中を進む。

 

 運良く逃げおおせていれば、そろそろ落ち合う地点にもショウタはいなかった。

 

 既に事切れているかもしれない。それはそれで運が悪かったと思うべきだ。いい思いはもちろんしないが。

 

 なるべく音を立てないように、細心の注意を払って歩んで行く。


 そうして、やがて辿り着いたのは、

 

 ――やはり、あの上位魔族の元であった。

 

 だがそこには、俺の想定した様子とは真逆の、異様な光景が広がっていた。

 

 なんと、ショウタは短剣を握りしめ、魔族と対峙しているではないか。

 

 歯をガチガチと鳴らし、肢体を揺らし、膝を笑わせる、そんな不恰好極まりないショウタ。

 

 対するは、興味深げにショウタを眺める魔族。


 逃げる機会を失ったのかと邪推した自分を恥じたのは、その直後。

 

 「――おれは、に、にげねえぞ!」


 あんな姿の何が魔族の興味を惹いたのか。


 否、目だ。

 

 ショウタの目は、怯えながらも、魔族を捉えて離さなかった。

 

 「大人がみーんな逃げたんダ。2人ぐらい死んだけド。ムダだと思うんだけどナァ」

 「だからおれがここにいる! ユキとか、ユキのかあさんとか、まぞくからみんなをまもるんだ!」

 

 少年こそ一番よく分かっているはずである。無理だと。無謀だと。

 

 だけれども。他に誰が、立ち向かってくれるというのか。

 

 そこにいたのは、些細な狩りに一喜一憂するような、ありきたりな少年ではなかった。

 

 この世で一番不憫で憐れで愚かで――勇敢な戦士だった。

 

 「魔族カァ……間違ってないけど、たかだか人間に毛が生えた程度の低脳と同列に語らないでヨ。オレは魔王の幹部、アモンって言うんだけド」 

 

 上位魔族、改め魔王幹部アモンは呆れたようにため息をついた。


 「まあ、子供にはわからないカァ。……そうダ! 強がっていても本当は怖いだロ? 取引をしないカ」

 「なっ、なんだよっ!」

 「君を殺さない代わりにサ、その、ユキ? かあさン? を連れてきてヨ!」


 アモンは思いついたように取引を持ちかけた。


 「10何年か前だったかナァ、もう死んじゃったけド、ダンタリオンってヤツと向こうの街に行ったことがあるんだヨ。その時はあんまり唆られなくてサァ、少ししか殺さなかったんダ。でもネ、最近こっちに来て分かったんダ! 人間って頭を取ったら喋らないだロ?」

 「なに……いってんだよ……」

 「頭を取っテ、別のナカマ? カゾク? の前で両手と両足を千切るんだヨ。そしたら、すっっごくいい鳴き方をするんだよネ!」


 アモンの語る内容に、ショウタが青ざめた。聞くに堪えない取引の条件である。


 「死にたくないだロ? だったら連れてきてヨ。前はうっかり殺しちゃったけド、今回は気をつけるからサァ」

 「ふっ……ふざ……けんな!」


 魔族という存在がどんなに危険なのか、ショウタはきっと肌で感じたことだろう。


 彼らに常識なんて期待してはいけない。たとえ人語を操っていても、そこに意思や感情は内包していない。


 故に、ただの雑音に過ぎないのだ。


 「うーン、残念だネ。まぁいいヤ、通らせてもらうヨォ」

 

 やがて茶番に飽きたのか、アモンの指から禍々しい黒の塊が現れた。

 

 その塊は一筋の線となり、ショウタの足元を通り過ぎる。


 まるで呼応するかのように、周辺の地面がたちまち捲れ上がった。

 

 瞬間、黒い業火が線上を迸る。

 

 岩漿魔法【熱線】。超高温の炎を線上に走らせ、あらゆるものを溶かす魔法。魔王幹部ともなれば、その威力は指を振るだけで辺り一面を消し飛ばす。

 

 アモンから放たれた魔法は、ショウタに向けて一直線に押し寄せた。

 

 そんな間で。

 

 ――俺の中には、ずっと天秤があった。

 

 片方には、このままショウタが焼かれ、遺体を回収し、何事もなく帰る錘。今後俺は何の疑いも掛けられることはない。平穏に、願った未来を生きていける、そんな錘。

 

 もう片方には、たった一人の無謀な少年を救う為に、あらぬ疑いをかけられて、少しだけ平穏を脅かされる、かもしれない。そんな錘だ。


 だが。そんな、長らく傾いていた錘が1つ、まるで取り除かれたようにふっと軽くなる感覚があった。

 

 そうか。その在り方を、俺は知りたかったのだ。


 だから――、

 

 「……ショウタ。ユキがすごく泣いてたぞ」

 「え。え? キセイヤロウ?」

 「ああ。ショウタ。今すぐその呼び方はやめて欲しく思う」


 ――救いを求めない少年に、ただ自分の為に、手を伸ばそう。

 

 俺はショウタの前に立っていた。

 

 「なんでもいいんだが。ショウタ、お前は――今の自分の全部を擲ってでも、救われたいと願うか?」

 「……あ」

 

 ショウタは聡明な子だ。言外に「君は英雄譚に載らない」と伝えたことが分かっているのだろう。

 

 少しして、空気が変わった。狼狽した雰囲気から、決意を固めた様子へと。

 

 「ああ。――ああ! だから、た――たすけでぐれ! ヒサギ!」

 「……分かった。下がっておいてくれ」

 

 傷つき、迷い、時々不安を抱えながらも堂々と、ショウタは声を震わせて叫んだ。

 

 なら、応えようではないか。

 

 「……あのさ、オマエ。さっき逃げたヤツだロ? なニ? さっきから物陰でじーっとみてたノ?」

 「そうだが。それがどうかしたのか」

 「ノコノコ戻ってきて偉そうに言うなって思ってネェ」

 「……そういうものだ」

 「じゃあ後ろの子のお願いでも聞いてあげるカァ。またネ」

 

 つまらなさそうに俺を見ると、アモンが指を向ける。瞬きする間も無く、黒い塊が再び形成された。

 

 【熱線】は強力な魔法であるが、術式構成を解析すれば大したことはない。実に魔族らしくシンプルなものだ。

 

 故に、少し突いただけで簡単に綻び、潰れる。

 

 アモンの指先に現れた塊は、線を構成する前に消えた。


 「あン?」


 怪訝そうに眉を顰めるアモン。

 

 そうだ。折角魔族、それも魔王幹部に会った。是非聞いてみたいことがあった。


 「純粋に興味があるんだが。お前らは魔王を担ぎ上げて、何がしたいんだ?」

 「……決まってるダロ? 人間を皆殺しにして、悲鳴をいっぱい聞きたいんダ」

 「それで。人間を全員殺し終えたとしよう。お前の欲望が満たされた。それから魔王の目的も果たされたとして、だ。次に何をする?」

 「意味が分からないネ。人間なんて1匹か2匹残しておけば勝手に増えるだロ?」

 「だからその次だ。全部終えた後、最後は魔王を殺して、自分が魔王にでもなりたいのか?」

 「ハァ?」

 

 あまりにも突飛な話だった為か、アモンは心底興味がなさそうな目に戻った。

 

 「何かオマエってしょうもないんだよナァ。――もっと興味を持たせてくれヨ」

 

 【熱線】では相性が悪いと思ったのか、地面を蹴り上げ、一瞬にしてアモンが俺に肉薄する。


 「マァ、ゴミに期待するものじゃなかったネ」


 アモンの握られた拳に、今度は黒い靄が掛かっていた。

 

 「……俺も、少しは身のあることが聞けると思ってたのだが」

 

 岩漿魔法【融解】。触れた物を跡形もなく溶かす魔法。


 なるほど、冒険者の頭が何処にもなかったのには理由があったのだ。

 

 【融解】を纏わせた拳が着弾する前に、俺はナイフをアモンの目に突き立てた。

 

 「――っ!」

 

 そのすぐ後に、声にならない声が発せられる。

 

 魔族は高い身体能力と再生能力を誇る、種族として非常に優れた個体だ。だがその一方で人間と共通する弱点がある。

 

 それは筋肉の関係上、人間と同じ構造故にどうしても脆弱さが露呈してしまう、目である。

 

 人間と異なりすぐに再生できるとはいえ、弱点であることに変わりない。

 

 まあ再生させる隙を与えるつもりはないが。

 

 続けて、俺は自身の右手に【】を掛けた。

 

 1回目。威力を上げて、耐久力を上げた。


 ――2回目。威力を上げて、耐久力を上げた。

 

 ――――3回目。射出速度を上げ、着弾時の破壊範囲を広げた。


 ――――――4回目。防炎の付与と、粉砕の防護。


 ――――――――5回目。魔力の吸収と、再度射出の自動化。

 

 【武器強化】を施した拳は、視神経を潰されて藻がき、体勢さえまともに整っていないアモンの側頭部を貫通した。

 

 「……ショウタ。悪いが後ろを向いて目と耳を塞いでおいてくれ。終わったら合図する」

 「……わ、わかった!」

 

 腕を引き抜くと、赤黒い血が飛び散る。

 

 これ以上は教育上いいものではない。付け加えれば、俺にとってもあまり気持ちのいいものではない。

 

 再生能力は魔力を使っている。魔力が削られれば当然再生速度は徐々に弱まる。

 

 これからやろうとしているのは、仕様もない、ただ殴り続ける、それだけのことだ。

 

 何度も何度も何度も何度も。何度も、だ。


 +++

 数分も経たない内に液体状になったアモンが散乱していた。

 

 魔族を死滅させるにはかなりの労力が必要だ。


 人間が根性や勢いだけで簡単に斃せない要因だらけである。それは一度会敵すれば分かることだ。

 

 『……オレが……ま、おう様を、こ、ろ……す、か……』

 

 既に喋る口さえないアモンの声が聞こえた。途切れ途切れで覇気も籠もっていない。


 おそらく残りの魔力を手繰って精一杯出す、最期の言葉だろう。

 

 今すぐにどうこうしようとするのは流石に野暮である。


 『オ、レに……魔王、さ……まは……殺せな、い……さ……だって……ま、お……う様……の、ために……生きて、い、たん……だ……から』


 力無い笑い声が聞こえた。

 

 『そ……だ。オレ、は、魔王、様の……ために、死に、たかっ、たんだ……』

 

 それが、アモンの最期の声だった。

 

 「……そうか」

 

 俺はそれ以上考えようとはせず、ただ手を合わせた。

 

 そこに弔いや敬意といった特別な意味はない。

 

 ただ手を合わせたかったのだ。


 

 証拠隠滅の為に火をつけた後、約束通りショウタの肩を叩いた。

 

 「終わったぞ」

 

 「お、おお。おおお! 火が!」

 

 おそるおそる振り返ったショウタが、俺の肩越しの、空気を取り込んで高く上がる火に驚いていた。

 

 「戦いの余波だ。ここを目印に皆が来るだろう」

 

 逃げた銅級は既にギルドへ駆け込んで応援を要請しているだろう。予期せぬ上位魔族の出現だ。じきにレオ達精鋭が来るはずである。

 

 その前に命からがら逃げた感を醸し出さなければならない。

 

 再三に渡って唱えているが、魔族との抗争に巻き込まれるなんて真っ平ごめんだ。逃げ切らなければ、という使命感が全身を沸き立たせる。

 

 しかし、ショウタは俺を見て動かなくなった。

 

 もう用はない。早く帰ってユキと合流しよう、と言い掛けて思い当たったことがある。

 

 「……さて、代償だが」

 

 そう。アモンと戦う前に誓わせた約束の件だ。

 

 「ああ。たすけてくれたんだ。なんでもしたがう」

 「そうか」

 

 ショウタは一体何を想像しているのだろうか。投げかけた側の俺はただ単に「君の立ち向かった成果は都合上なくなるが、それでいいか?」といった感じのニュアンスだったのだが。

 

 ……まあ、一応釘を刺しておいてもいいだろう。

 

 「今回のことは、一生秘密にしてもらおうか。ユキや他の人には、そうだな、すごく強そうな魔物が出たとでも言っておいて欲しい」

 

 この約束を違えてショウタが話を広めたとしても、そもそも信じて貰える話ではない。仮に街の全員が信じたとしても、俺はショウタを責める気など元よりサラサラない為、結論はどっちでもいい。

 

 そんなことよりも、仮にショウタが噂を流したとして、人知れず頑張ることのできる彼が何も知らない輩にホラ吹き呼ばわりされる方が俺にとっては受け入れ難かった。すごく強そうな魔物くらいなら冗談の範疇で収まるだろう。

 

 「わかった」

 

 そんな軽い提示にもショウタは全力で首を上下に振った。

 

 まったく。子供の成長というのは末恐ろしく、そして喜ばしいことである。

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