第23話 取るべき行動と余計な善意


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 魔族は人語を操る。そして、能力面に於いて人間よりも上に君臨する個体。故に、賢しい。


 俺の生きていた時代から存在した見解である。ただ一つ相違があるとすれば、人間側が彼らの能力に応じてより明確に類別していたことだ。


 曰く、下位と上位。上位の中には固有能力を持つ個体も入れること。


 では固有能力如何で分類しているのかというと、そうではない。


 上位魔族には魔族特有の紅い眼と爪の他に、膨大な魔力を内包する角が生えている。


 それが、魔族に劣る個体である人間の本能を刺激するのだ。


 恐怖しろ、と。


 自尊心が高く、時に勇敢な銅級冒険者達の表情でさえも、否応なく、醜く歪める。


 絶望に。悲壮に。――恐怖に。


 直後、グレッグとパーティの1人が、冒険者にとって矜持そのものである得物を迷いなく投げ捨て、有無を言わさず振り向き、駆け出した。


 彼らの咄嗟の判断に驚き、惚けている魔族を一瞥すると、俺も遅れて逃げ出す。


 銅級パーティとのんびり親睦を深めていたのがいけなかったのだろうか。自身に対する警戒以外を怠っていた。だからこそ、知覚外で被害が出た。


 冒険者学校では同じようにしていても容易に警戒網に引っ掛かったことを鑑みると、相手が間違いなくエリックよりも格上であると分かる。


 そして、辺りを瞬く間に震撼させる程、強い覇気を纏う魔力が蓄えられた二つの角。


 流石に冷や汗をかかざるを得ない。


 あの魔族――何なら奥で警戒している勇者でさえも、容易く殺しかねないぞ。


 上位魔族。恐るべし。


 思考を整理しながらも、駆ける速度は緩めない。逃亡劇の幕開けである。


 これには傭兵時代の頑張りが報われたように感じる。回転させている脚を少し速めるだけでグレッグ達にすぐ追いついた。


 「おいら」が一人称の冒険者を筆頭に、グレッグ、俺と固まって森の中を疾走中である。


 「なんだよあれえええっ!?」

 「黙って走れっ! 帰ってギルドマスターを呼ぶぞ!」


 錯乱しながら先行する冒険者に、グレッグが大量の汗を流して怒鳴った。


 グレッグの背中に回ったコカトリスはジタバタと毛の上で右往左往している。


 森林地帯に於ける浅い場所とは、距離にすると意外に遠く感じる。魔物を日常的にコツコツ狩った甲斐あってか、今日に限り少し足を伸ばしたのが災いしていた。


 まだ走り続けて10分は掛かるであろう地点にて。


 グレッグがぜぇぜぇと息を吐きながら、ついに足を止めた。


 つられて銅級冒険者と俺も立ち止まる。


 グレッグは、おもむろに背中に手を伸ばし、コカトリスを掴んだ。


 愛鳥の様子を一切確認せず、同じように息を荒く吐く冒険者に突き出す。


 「――っ。はぁっ、はぁ……おい、グレッグ……?」

 「……こいつを持っててくれ。……甘やかしすぎて、太っちまってる。重いんだよ」

 「なに言ってんだ……?」

 「いいから! リーダーを逃すのがてめえらの仕事だろ!」


 凄んだグレッグの剣幕に押されるように、冒険者はコカトリスを受け取った。


 「ピヨッ! ピヨ!」


 ……押し付けられたコカトリスが、冒険者の手の中で暴れる。


 「っ! おまえ、覚えてろよ!」

 

 どうやらやり取りが終わったようだ。憤る時間さえも惜しく感じたのか、直様銅級冒険者が振り向き、未だ小さな脚をばたつかせるコカトリスを抱えて逃げる態勢に入った。


 俺も呼吸を整え、追従しようとした、その時。


 背後から、空気を震わす、魔力の高まりを感じた。


 「――ああ、できたら、覚えてる。コカトリスをよろしくな」


 俺がウィスタリアの方向へと振り返えるまでの一瞬。穏やかに笑い、何かを悟るグレッグと、卑しく笑みを浮かべて迫る魔族の姿が見えた。


 そして、俺の視界から消えたグレッグが――、


 「逃げろおおおっ――っ!!」


 俺と銅級冒険者の背中を、強く押し出した。


 ――数秒後、轟音と共に、グレッグの声が聞こえなくなった。


 俺は、不恰好にも鼻から汁を飛ばして走る銅級冒険者に追走する。


 「ぢっぐしょおおお! グレッグぅ……」


 嗚咽を漏らしながら走り続ける冒険者。彼の姿を見て、情けないとは到底思えなかった。


 必死に生に縋りつく、泥臭くも正しい在り方なのだろうか。


 がむしゃらに逃走を図ったからか、いつの間にか魔族の気配が途切れてた。距離を取ったと見ていいだろう。


 しかし幾ら走り続けても、未だ出口は先である。


 隣を確認すると、銅級冒険者が苦しそうに、半ば白目を剥いて走っていた。……彼の体力が限界に近づいている。どうにか頑張ってもらいたいところだ。


 俺も気張らねば、と気合を入れ直した時であった。


 ――ぐすっ。


 誰かの啜り泣く声が聞こえた。


 隣で走る銅級冒険者の耳には届いていないようである。もう意識さえ朧げに、ただただ足を動かしているといった状態だ。


 ……さて、どうしたものだろうか。


 一刻も早くレオの元へ行き、報告するべきだろうが。並走する彼がたどり着き、果たして理路整然と受け答えができるのだろうか。


 そう考えると、俺が同行する方が良いに違いない。


 ……まあ、後で魔法でも使って追いつけばいいか。


 俺は考えをまとめると、走るのを止めた。


 俺を追い抜き、体を大きく揺らしながら逃走を続ける冒険者を見届ける。


 多少乱れた呼吸を再び整える。


 俺は来た道を戻り、声のする方へ歩いた。


 木々をかき分けて道なき道を進む。


 そう時間は掛からず、目的の場所にたどり着いた。


 「……うっ。ぐすっ……」


 赤く腫れた目から止めどなく涙を流してはベチャベチャになった両手で必死に拭うあの少女は――


 「……ユキ、か?」

 「っ! ……ずずっ……ヒサギさん?」


 ローブ姿。床に置いた木製の杖。側頭部の両端をそれぞれ纏めた髪型。


 泣き腫らした顔を上げたのは、初調査任務の際に同行した、見習い冒険者のユキであった。


 「どうしてここにいるんだ?」


 見習い冒険者は今現在『始まりの森林』の依頼を受けられないはずだが。


 ただの状況確認であったが、責められたと感じたのかユキが泣き声を上げた。


 「ううっ……ごめんなさいっ!」

 「待ってくれ。すまない、理由を聞きたいんだ」


 両手を上げ押し引きを行う。どうにか静まっていただきたい。


 俺の熱意が伝わったようだ。ユキは鼻を啜り、恐る恐る話し始めた。


 「薬草が足りなくて……それで、お母さんは大丈夫って言ってたけど、2人で取りに行こうって……」

 「偉いじゃないか。……して、ショウタはどこにいるんだ?」


 病床に臥す母の為、危険を顧みず薬草採取にこっそりと来ていたようである。


 理由は納得した。しかし、本来一緒にいるはずのショウタの姿が見えなかった。


 「さっき大きな音がして……見に行くって、1人で……」

 「なるほど。不安になったのか」

 「うん……」


 ……非常にまずいな。


 大きな音というのは、十中八九グレッグの最期を見た瞬間に鳴った轟音によるものだろう。


 さすれば、ショウタが向かった先は、あの上位魔族の元である。


 「教えてくれてありがとう。……だが、ユキ。ここは危険だ。早くウィスタリアに戻った方がいい」

 「そんなっ……でも、ショウタがっ……」

 「いいか、酷なことを言うが……ショウタは、既に死んでいるかもしれない」


 取り繕って期待をさせるようなことはしない。


 もしショウタが魔族と会っているならば、死は免れないのだ。


 俺が諭すと、ユキは青ざめて、言葉を失った。次第に喉を震わすことができず、言葉にならなかった息が何度もユキの口から発せられた。


 「はっ……はっ……」


 俺は急いでユキの背中を摩る。


 「大丈夫だ。落ち着け」

 「あああぁ……はっ……はっ」


 徐々に荒くなる息を、吸っては吐いてを繰り返すユキ。


 だが、これは自身で受け止めてくれなければ意味がない。


 淡い展望なぞ抱いたところで、今の状況が好転なんてしない。


 ならばやることは一つ。


 「落ち着いてからでいい。だがなるべく早く、ここから逃げろ」

 「あああぁ……ショウタぁ……」

 「ショウタか……まあ、そうだな。俺が連れて帰ろう」


 俺の口が、思考と反して1人でに開き、言葉を紡いだ。


 連れて帰ろう。なんて漠然とした無責任な言葉だ。


 そもそも、俺は今目の前で泣いているユキに対し、疑問を持つばかりだったはずである。


 どうして死を悲観する。


 死は特別な意味を持っていない。


 いや、持ってはならないのだ。


 俺は今までそれを頭の片隅に留めていたからこそ、戦場で生き延び、英雄になった。


 ……英雄。


 まるで子供のような論理の破綻だ。


 英雄にどれほどの価値があったのか。それは死ぬ間際に帰結した問題だ。


 俺が目指す先。それは平穏に第二の人生を謳歌することだ。


 ならば。然るならば、これ以上進んで渦中に飛び込む必要性なんてない。


 「お願い……します」


 調査の任務では散々醜態を見せたであろう。


 子供でも分かるはずだ。こんな奴に頭を下げることはない、と。


 でも、何故だ。


 どうして、安心したように、そう願えるのだろう。


 俺は考えた。


 ――そして、


 ああ、と腑に落ちた。


 今から実力者を揃えたところでどうにもならないことが、俺にだけ分からなかったのだ。


 ユキは既に覚悟を決めていた。


 勇者にも権力者にも実力を持った者にも。――たとえ英雄であっても、救えない存在がいた。


 だからユキは、そんな存在が少しでも安らかであれるよう、せめて一縷の期待だけを手放さなかったのだ。


 「そうだな。何とかしよう」


 俺は意識的にそう告げ、ユキの背中から手を離した。

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