第10話
短い夏は矢のように過ぎ去り、秋が来る。
獣たちは長い冬にむけ秋の恵みを体に蓄え、寒さに備える。
そんな獣たちをエリーシャとハンナは狩り、冬に備える。
毎年繰り返してきた生活の中、彼らは前触れもなく現れた。
その日、ハンナもエリーシャも狩りには出ず、前日までに狩った獣の肉と皮の処理をしていた。犬たちは三々五々に寝そべったり駆け回ったり、好きに過ごしていた。
太陽が空の天辺にかかり、エリーシャがそろそろ休憩しようかと思った頃だった。
犬たちが弾かれたかのように吠え出した。それは獣を追い立てる時とは違う。近いのは、いつか熊が森の奥から降りて来た時だ。
犬たちの吠え声には警戒と警告が含まれている。
『何者か』
『それ以上近付けば攻撃する』
人であればきっとそういった意味合いの言葉になっていただろう。
その時エリーシャは犬たちが吠え立てる方向、家の表側に近い場所にいた。獣の肉を干し場に並べ終わったところであったのだ。
なので真っ先に犬たちの下へ駆け付けた。犬たちは森の奥へ向かって吠えている。
また熊だろうか。エリーシャは咄嗟に一本だけ掴んで来ていた手斧を握る手に力を込める。
「────!」
森の中から声が聞こえた。獣の唸り声や吠え声ではない。人の声だ。何かを叫んでいるように聞こえる。
エリーシャは耳を澄ませる。声と共にがさがさと森の下草を踏み分ける音がする。
エリーシャが来たことにより犬たちは一時的に吠えるのをやめていた。彼らは森とエリーシャとへ交互に視線を寄越している。
どうする? と彼らはエリーシャへ──群れのリーダーへ問うている。一声掛ければ彼らはすぐにでも森へ飛び込むだろう。
エリーシャは迷っている。
「──聖女よ!」
その間に声は聞き取れるほどまで近づいて来ていた。
下草を踏み分ける音が近付く。
聞こえたのは王国の言葉だ。だがその声を発する人物にエリーシャは心当たりがない。
迷う間に声の人物が森の中から現れる。
「北の果ての聖女よ! 迎えに来たぞ!」
艶のある黒い髪、日に焼けた肌、あどけなさが残る精悍な顔つき。
ようやくエリーシャは思い出した。正確には、顔を見なければ思い出せなかった。エリーシャは彼の顔を見てはいたが、声を聞いていない。
異国の装束を身に纏った彼は、以前エリーシャが助けた男の一人だった。
彼は自信に溢れた顔つきで森から歩み出ると、大股にエリーシャへ迫る。犬たちがまた唸り声をあげ姿勢を低くするが、男は意に介さない。
今の今まで、エリーシャは彼らと出会ったことをすっかり忘れていた。もうすでに死んだものだと思っていたのだ。それに、仮に運よく彼らの故国──砂の国へ帰れたとして、どうしてまたこんな北の果てに来るのだろうか。
どうしよう。エリーシャは惑乱している。
ハンナには彼らと出会ったことを話していない。彼らが何をしにここまで来たのかはわからない。だがきっと彼らはエリーシャと知り合ったきっかけを話してしまう。エリーシャがハンナに彼らのことを黙っていたと露呈してしまう。
どうしよう。後ろめたさがエリーシャを焦らせる。
ハンナは離れた場所で獣の皮を加工していた。それでも犬たちが騒ぐのに気付いていたはずだ。もうすぐにでもここへ来るだろう。その前に犬たちをけしかけて追い払おうか。
それとも。
それとももう、ここで殺してしまおうか。
「こんにちは!」
背後から飛んできたのはハンナの声だった。
エリーシャは飛び上がらんばかりに驚いて振り返る。そこには顔面をこわばらせながらもどうにか笑みを浮かべたハンナがいた。
ハンナは小走りにエリーシャに並ぶと手斧を持っていない手をぎゅっと握った。
砂の国の男はハンナの登場にも動じなかった。
「ご機嫌よう! 貴女は聖女の姉君か!?」
「ごき……?」
「元気ですか、の丁寧な言い方だよ」
「! はい! 元気です! ハンナはハンナです!」
「そうか! 私はアルファルドだ!」
男──アルファルドは白い歯を見せて笑う。唇の端を豪快に持ち上げた笑いは自信に満ち溢れ、どうしてだか狼を想起させられる。
ハンナは相変わらずエリーシャの手を握り、エリーシャの影に隠れるような立ち位置のままであるが、肩のあたりにあった緊張が和らいではいた。
エリーシャはなんとなくではあるが、嫌な意味ではなくこの二人が打ち解けている気がしていた。
『若様、若様!』
『ファリード』
また森の奥から現れたのは、やはりエリーシャが冬の森で助けた男だった。髭もじゃの彼は、額に汗を浮かべ二頭の馬を引いていた。一頭は森の中でアルファルドが乗り捨てたものだろう。下草の多い森の中、二頭の馬を引いて歩かされたファリードの苦労が伺える。
「わ、こんにちは!」
『おや、ご機嫌ようお嬢さん』
「わ、わ、わかんない言葉……」
「砂の国の言葉だよ」
じっとりと汗をかいたハンナの手をエリーシャはしっかりと握り返す。
毛皮を売りに村へ行った日から、ハンナはエリーシャ以外とも打ち解けたいと思い始めたようだった。
交渉ごとをエリーシャにばかり任せるのは気が咎める、というのがその理由であるらしい。
長く森で暮らし、おじ様や母親しか知らなかったハンナだ。他人を恐れる気持ちはわかる。それでも変わりたいと思えた、その理由がエリーシャであるのがエリーシャは面映かった。
エリーシャが教えたのは「まずは挨拶から」だった。
子供に教えるようなことだがハンナは喜んだ。ハンナの母親とおじ様は、狩りや森で生きる術を教えてはくれたが、礼儀作法や他人との関わり方についてはほとんど教えてはくれなかったのだそうだ。
──森の外の人間と関わらせるつもりがなかったのだろう。なぜそうしたのかを、エリーシャは推測することしかできない。
とはいえ今ここにいるのはハンナだけで、エリーシャはハンナの望みの方が大事だ。死んだ人たちの願いを知る由もない。
ハンナとエリーシャの家に椅子は二脚しかない。
天気もよかったため、エリーシャは古いシーツを敷物代わりにして外で話をすることにした。
砂の国では床に直接座る文化がある。アルファルドとファリードは何を尋ねることもなく、自然と履き物を脱ぎ、シーツの上に足を組んで座った。
ハンナは戸惑っている様子であったが、エリーシャが足を崩して座るのを見てそれに倣った。
お茶などというものは北の果てには無い。突然の客人に出されたのは白湯と干した木の実だけである。もてなすと言うのには物足りないが、アルファルドもファリードも心得ているようだった。
お互いに改めて名乗り合ったのち、アルファルドが口を開いた。
「北の聖女エリーシャとその姉君ハンナよ、我々は砂の国の四氏族に名を連ねる者だ」
アルファルドの紹介によれば、彼は砂の国の王の末子であるのだそうだ。今年で十七歳。エリーシャが初めて会った──正確には一方的に見た時には、成人したばかりの十六歳だった。
砂の国は複数の部族からなる国だ。その中でも特に大きく強い四つの部族が合議して国の運営をしている。現在最も力を持っているのがアルファルドの部族なのだそうだ。
砂の国は王国と違い、末子相続だ。つまりアルファルドは王太子ということになる。
「そんなお方がどうしてまた、北の果てにいらっしゃったの?」
「ああ、俺は嵌められたのだ」
アルファルドは平然と口にしたが、ファリードは苦いものを噛んだかのように顔を顰めた。
「我々と王国が戦を開始したという話は聞いているか?」
「え?」
初耳だった。エリーシャがそうなのだ。ハンナもまた目を瞬かせ、エリーシャとアルファルドとを見回した。
「知らぬのも無理はない。王国は我々の領地である山々に勝手に入り込み、木を切り土を掘り返したのだ」
どうやら王国は砂の国の領土で木の伐採と火石の採掘を行ってしまったようだ。──おそらく、砂の国と領地を接する一部の貴族の独断で行われたことだろう。
もちろん砂の国は激怒した。謝罪すればよかったものを、王国はそのまま砂の国との開戦に踏み切った。
それがもう二年も前の話だと言うのだから、エリーシャとハンナはまた驚いた。
「戦が始まり半年が経ち、我々は我々の山を取り返した」
「取り返せたの?」
「ああ、もちろんだ」
アルファルドは自慢げに胸を張るが、エリーシャは俄には信じられなかった。
エリーシャが知る王国の戦力ならば、砂の国と戦っても勝てるはずだった。砂の国と戦わずにいたのは、わざわざ砂の国と戦ってまで得たいものがなかったからだ。
砂の国の領土を侵し、戦になり、負ける。そのどれも、エリーシャが知る王国では起こり得ないことだらけだ。
「……それで、どうして貴方は北へ?」
「我々は荒らされた山の賠償を王国へ求めた。勝ったのだから当然だ。
愚かにも王国は条件を出してきたのだ。
王国の代表と我々の代表が決闘し、我々が勝てば幾らでも賠償しよう、とな」
「もしかして……」
「もちろん、我々の代表は大王の後継である俺だ。
王国の代表も王の第一子である王子だったらしい」
次の王である王子。エリーシャにとっては懐かしい響きだ。エリーシャが家名を持ち、エリーシャルトであった頃。結婚するはずであった相手だ。
親同士が決めたことであったとはいえ、何度も顔を合わせ言葉を交わし、エスコートされた。幼馴染に近いが愛情も持っていたはずだった。
「俺は決闘に勝った。腕を浅く切られたが、俺は首を切り飛ばしてやったのだ」
彼が死んだ、と知っても、エリーシャの心は凪いだままだった。
「それなのに彼奴等め、あろう事か勝者である俺を拘束し、王子を殺害した大罪人などと言って牢へ送ったのだ」
アルファルドの言葉尻に重ね、ファリードが何事かを小声で吐き捨てた。おそらく砂の国の罵倒語だろう。
「あとは貴女も知っての通りだ。父──大王の命を受け、ファリードが単身俺を助けに来てくれた。そして貴方が追われていた俺たちを助けてくれた」
アルファルドは白湯を一口含んだ。
アルファルドが砂の国の貴人であり、なんらかの理由で北の果ての監獄に送られ、ファリードが救出した。そこまではエリーシャにも予測ができていた。
だが。その理由が王国側の理不尽によるものだとは思いもよらなかった。その上砂の国との戦争まで起きていたとは。
しかし。
「戦争はまだ続いているのよね?」
「ああ。我が国が優勢ではあるがな」
「ならなぜ、貴方はまたここに来られたの?」
砂の国からこの北の果てまでは、王国の領土を通らなければ辿り着けない。海が凍っていない今、海沿いに来ると言うのも不可能だ。
まさかすでに王国の深いところにまで砂の国が攻め込んで来ているのか。
「それがな、冬のあの日聖女エリーシャと別れたあと、凍った海を渡る途中で海賊に会ったんだ」
「海賊?」
「東の海にはいくつも島があっただろう? あそこは海賊たちが国を作っていたんだ」
東の海の島々。その知識はエリーシャの古い記憶にもある。海賊が跋扈しており、潮の流れも読み辛く海運には向かない、と教えられた覚えがある。
「凍った海を渡る我々を面白がって船に乗せてくれたのだ。話せばなかなか気持ちのいい奴らでな、意気投合して、ついでに我々の領土近くの海まで送ってくれたのだ。
国へ戻ったら大王がいたく感心してな、礼にと酒やら絨毯やらを送って、ついでに氏族から嫁を出してやり取りするようになったのだ」
「じゃあもしかして、今日ここに来たのも」
「海賊たちに上陸できる浜を探してもらって送ってもらったのだ」
はあ、とため息と共にエリーシャは感嘆した。
この少年から青年になりたての男は、兎角強運の上、すこぶる人たらしでもあるようだ。
エリーシャは彼らが凍った海を渡って砂の国まで帰るなど、到底できるとは思っていなかった。おそらく海賊たちの助けがなければ、アルファルドは海の藻屑と化していただろう。
海賊たちのことをエリーシャはよく知らない。が、海賊行為で生計を立てているのだ。一筋縄では行かない人物揃いだろう。そんな彼らにアルファルドは気に入られた。彼らにも打算はあったのかもしれないが、五体満足でファリード共々砂の国まで送ってくれた。
砂の国の大王はきっと驚いたことだろう。無事に帰ると思っていたのかいないのかはともかく、アルファルドの帰還と共に東の海を掌握する海賊たちとの縁ができたのだ。
国の重要人物を助けてもらったお礼に金品を贈るのは当然として。血縁を嫁に出す、とは個人的な謝礼の範囲を超えている。砂の国の大王は海賊たちの国と友好関係を結ぼうとしている。というか、結んでいる。
今ここにアルファルドが来られている事からも、砂の国と東の海賊国家とは今なお良好な関係を築けているのだろう。
──王国はこのことを把握しているのだろうか。国の安全を脅かす、二国の友好関係を。
「それで、だ!」
アルファルドが前のめりに声を上げ、エリーシャはハッとした。
「今日俺がここに来た理由を話したい」
「え、ええ。どうぞ」
えへん、と咳払いを一つ落とし、アルファルドは背筋を伸ばす。
「北の聖女エリーシャ。貴女がいなければ俺は──いや、俺もファリードも生きて国には帰れなかった。
改めて礼を言う」
「あ、はい」
深々と頭を下げるアルファルド。それに倣うファリード。途端、エリーシャは居心地が悪くなる。何せ、心から助けようなどとは思っていなかったのだ。むしろ、ついさっきも殺そうとしていてたくらいだ。
聖女、と頭についているのもむず痒い。かつての自分であればその名に恥じぬよう精進しよう、と思えたのだが。今のエリーシャにそのつもりは毛頭ない。ただただ居心地が悪いだけだ。
「あ、あのもうそのくらいで」
「聖女エリーシャ」
飛び跳ねる勢いでアルファルドの頭が上げられる。日に焼けた肌。艶のある黒髪から覗いた瞳は、猛禽のような色をしていた。
「我が恩人である貴女を、我が妻として迎え入れたい」
「嫌です」
「考えてもくれない!?」
言葉はエリーシャが思う前に口から出ていた。その速さにはアルファルドも目を剥いた。
「なぜだ!」
ずい、とアルファルドが身を乗り出す。断られるとは思ってもいなかったのだろう。心底から理解ができない様子だ。
エリーシャは心持ち身を引きながら、盾にするように両手のひらをアルファルドへ向ける。
「そもそも、恩人だから妻にするなんて……」
「縁があって、恩があるということだ。それ以上のことはないだろう?」
「年が離れすぎていると思いません? 私、確か二十をとうに越えてますよ?」
「構うものか。子が少なくとも生まれた子を大事にすればいい」
「ええと……砂の国の言葉も風習もよくわからないし……」
「今更嘘をつかないでくれ!」
言葉はわからずともやり取りから何かを察しているのだろう。ファリードは「もうやめましょう」と言いたげな視線をアルファルドへ注ぎ、乗り出しすぎて立ち上がりかけたアルファルドの肩を抑えている。
エリーシャが横目で伺ったハンナはと言えば。きょとん、とした顔のまま、干した木の実を頬張っている。驚いているが慌ててはいない。その反応にエリーシャは安堵する。
ようやっと落ち着いたのか、アルファルドは腰を落とした。エリーシャが注いだ冷めかけの白湯を煽り、ため息を一つ。
「どうしてもか」
言葉に滲むのは悔しさと諦めきれない執心。
「私は、あなたの下へ嫁ぐ気はありません。ここでの生活が気に入っているの」
子供へ言い聞かせるように、エリーシャはゆっくりと言葉にする。
「それに、私の恩人はハンナだから。ハンナがここにいる限り、私もここで暮らすの」
ハンナを見遣れば、ハンナもエリーシャを見ていた。新緑色の瞳は柔らかく弧を描き、ゆるく下げられた眉が照れたような表情を作っている。そこに不安や恐れといった冷たい感情はない。
見つめ合う二人に疎外感を覚えたのだろう。アルファルドは、むうと唇を尖らせた。年相応──いや、それよりももっと幼い表情だった。
「二人とも妻として迎えてもいいのだぞ」
「嫌です」
「不便ではないのか? こんな森の奥で……」
「まあ、不便はあります。でもハンナがいれば、それだけでいいんです」
ね、とハンナに向けて首を傾げれば、ハンナもエリーシャに向けて首を傾げてくれる。同じ思考を共有している、その安心感。
幼い恋慕──には満たないだろう、風習からくる責任とおそらく親からかけられた期待。それらを背負ったアルファルドには悪いが、エリーシャはただの情で嫁げるほど幼くはなかった。
「なれば、仕方がないか」
アルファルドの決断には、深い深いため息が共にあった。
太陽が傾く中、エリーシャとハンナは前日に獲った鹿を料理した。塩と森で取れた数種類の草を擦り込んで焼いただけのものであるが、アルファルドもファリードも喜んだ。
彼らは平たく丸いパンをエリーシャとハンナに分けてくれた。硬いがしばらく噛んでいると甘みが出てくる不思議な味がした。
夜。アルファルドとファリードは外に天幕を張って休んだ。秋口とはいえ夜は冷える。火石をいくらか渡し、暖をとってもらった。
エリーシャとハンナの家は全てが二人分しかない。もし彼らに家で寝かせて欲しいと頼まれたらどう断るか、とエリーシャは密かに悩んでいた。だがアルファルドもファリードもそんなことを言い出す素振りもなく、当たり前のように天幕で休んだ。
翌朝早く、エリーシャとハンナが作った鹿肉のスープを腹に収めたのち、アルファルドらは出立した。
王国側の地理を偵察でもするのか、とエリーシャは思っていたが。
「国へ帰るよ。迷ってまた冬になってしまっては困るしな!」
つまり、嫁請いのためだけにここまで来たのだ。若者の行動力にエリーシャはただただ感心した。
『世話になった』
ファリードは野営道具一式を馬へ乗せると、砂の国の言葉と共に一礼した。
「急ぐばかりで何も持って来られなかったからな。次は一冬飲めるだけの茶を持ってこよう!」
「どうぞお気になさらず」
エリーシャの言外の訪問拒否に気付いているのかいないのか。アルファルドは高笑いと共に馬へ飛び乗った。しなやかで身軽で、力強さもある体捌きだった。
『ではまたいつか』
「さらばだ! 次は南から会いに来るぞ」
「さようなら!」
「お気をつけて」
エリーシャとハンナは馬の鼻向けもせず、ただ二人で並んでアルファルドとファリードを見送った。犬たちもエリーシャとハンナへ倣うように座り、森へと分け入っていく馬を見ていた。
「エリーシャのお知り合い、面白い人だったね」
「そう?」
エリーシャが冬のある日に彼らと出会ったこと、それをハンナに黙っていたことについて、ハンナはあまり気にしていない様子であった。
「ハンナもエリーシャに言わないことあるもの。狐を見たけどすぐ見失っちゃった時とか」
昨晩、眠る前に謝罪したエリーシャへハンナはそう言った。砂の国の男たちは、ハンナにとっては狐と同じ存在のようだ。
狐は毛皮を高く売れるが、肉があまり美味しくない。狩れるなら狩るが無理に追いはしない。
来たのならばそれなりにもてなすが、わざわざ招いたり引き留めたりはしない。
ハンナが砂の国の男たちへ向ける感情はその程度なのだろう。
「今日は狩りに行く?」
「うーん、遅くなっちゃったからどうしようか」
「遠出はしないで、二人で少し歩かない?」
「そうしよっか!」
エリーシャはハンナの肘に腕を絡め、家へと促す。ハンナも特に抗うこともなく、エリーシャの歩幅に合わせ進む。これから支度をするのなら、日がだいぶ高くなってからの出発になるだろう。何か一頭でも狩れたら運が良い方だ。
冬支度もせねばならぬが、二人であれば急ぎすぎる必要もない。たまにはこんな日もいい。
犬たちはやはりそれぞれが好きなように散っていく。
アルファルドが口にした、「南から来る」とはどういう意味だろうか。
狩りの支度をしながらふとエリーシャは思うが、外套の上に毛皮を羽織り、荷物を背負うころにはその疑問は意識の外へと押し出されていた。
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