百合の花、異世界転移する(中編)

 目を覚ますと目の前は青空で。

 私は大の字になって寝転がっていた。体の下に感じるのは草の感触、周囲から薫る強い花の香り。

 花畑、かな。……途中、三途の川は見なかったな。


 ぬっ、と目の前に影ができた。

 人、だ。


 制服姿の私の顔を、のぞきこむ少女がいた。あら、可愛い。整った顔立ちの、ドレス着た女の子。ははん、さては私、夢を見ているな?

 薄ぼんやりとした視界の中のその子に、微笑んで

「綺麗なひと」

 そういって私はもう一度目を閉じた。

 うん、この子は美人になるぞお、きっと。


 たたっ、と女の子の足跡が遠ざかるような音が聞こえる。私の夢にしてはなかなかリアルな演出だ。

「おとうさま、おにいさま! ひとがしんでます! だれか!」

 おっと、物騒な。

 うとうとと私の意識は落ちる。

 さっきの女の子、あと数年経ったら漫画の中のセレスティンみたいなお姫様になりそう。でもリアルな分、漫画のセレスティンよりもずっとずっと高貴な雰囲気の、それこそ近寄りがたい美人になりそうな……。


 次に目を覚ました時は、いかついおっさんたちにぐるりと囲まれて銃を突きつけられていました。


 *


「ふむ。気が付くとあの花畑で寝ていた、こことは違う世界にいて、放り出された、と。なかなか奇妙な話をする娘だ」

 えらそうな髭のおっさんが目の前にいました。うーむ。

 私は足かせは免れたものの、手かせバッチリはめられて囚われの身です。異世界転生ってこんなのだっけ? お姫様とかに転生して、ある日なにか物理的ショックで女子高生だった前世を思い出すんじゃないの?

 あ、そっかー、私、多分元の世界で死んでないから「異世界転移」なんだわ。そっかー。


 ……いやいやいやいや。

 勘弁してください。ラノベだけで十分です。

 うわーん、しかも私、コミカライズ勢だったから原作の小説は通過してきてないよー! 乙女ゲームもプレイしたことないよー!


「娘、名前は」

「……」

 ここで海里の名前を出したら怒られるかなあ。そうしたら私、この世界で一生カイリって呼ばれるんだろうなあ。

「質問に答えろ!」

 バンッ!

 大きな音を立てて机が叩かれた。その音の大きさに単純に恐怖して体がすくむ。

「ゆ、百合子……です。滝川、百合子。ユリコが名前で……」

 あ、思わず、本名、名乗っちゃった。……いや今のは仕方ない!! 怖いもん!!

「ほう。庶民のくせして苗字持ちか」

 髭のおっさんは椅子の背もたれに上半身をあずけて、腹を突き出したえらそうな体勢になった。

 その、おっさんがなにやら顎をくいっと動かす。と、そばに控えていた男が一人、動いた。

「動くなよ」

 そういうとその男は腰から刃物を抜く。何、ナイフ!? 剣!?

 恐怖で体は固まったままだった。それでもなんとなく腹に力をこめて目ん玉開けて、歯を食いしばる。覚悟した衝撃はこなかったが、制服のスカートをざくっと切り裂かれた。ひ、ひいい!

 そういえば家の近くで、女の子のスカート切る変態さんが出たって聞いたことあったっけ。レイプされずに済んでよかった、とかの声もあったけど、いやスカート斬られるのだけでも十分怖いわ!!


 一瞬、続く性的暴行を覚悟したけれど、それ以上のことはされなかった。男は私のスカートの切れ端……「ポリエステルが混合された布」のほうに用があったらしく、それを髭のおっさんに渡した。おっさんはその布の手触りを確かめ……うなりはじめた。

「この布はどうやって作っている」

「ポリエステル? 分からない……多分、石油」

「……あんなものをどうやって加工すれば糸になるのだ……」

 だろうなあ。

「娘! 同じものを作れるか!」

「無理です!」

 条件反射で答えていた。

「私のいたところでは分業が進んでいて、私は作り方を知らない! でもその布は市場にあふれてて、専門の職人が専門の道具を使って縫った服を、親が買っただけなんです!」

 自分で言ってて情けなくなってきた。

 料理も洗濯も掃除も親が仕事の合間にやってくれてて、自分は親が買った制服を着て親の金で学校に行き、勉強だけに集中すればいい環境にいさせてもらいながら「勉強したくない、遊びたい」と思っていた。まだ社会に出られる年齢でないことを言い訳に、自分でなにひとつ作れない。

 制服を売る人がいて、制服を縫う人がいて、その人が使うミシンはどこかの工場で組み立てられていて、ミシンを組み立てる機械を作った人もいて、糸も誰かが撚ってくれていて、糸を織って布にしてくれる人がいて、そして裁ちばさみや糸切りばさみや針を作ってくれている人がいて、その原材料の金属を加工する人も、加工前の合金を作る人も、大元の金属を掘り出す人だって……もっといえば発電がないと、そういう見えない仕事のほとんどができない。糸を撚るのも布を織るのも金属掘るのも、みんな機械でやるんだから。

 そんなこと当然のことのはずなのに「ポリエステルは石油からできています」なんて知識だけ頭に詰め込んで、今、何の役にも立たない。

「閣下……」

「ぬう。マレビトは元の世界の、我らが知らぬ知識を授けてくれるというが……正直、このつるつるした布は我らの国には存在しない。こんな布切れになっても引っ張るとちぎれにくく、強い。それに水をかけてもはじきそうだ」

 ……だったっけ? 制服の布ってだいたいつるつるしてると思ってたけど、あれか。防水加工してあるな、きっと?

 下着とか調べられたくないなあ。だってもろ「伸縮性に優れた布地」なんだもの。そういやここの世界にゴムの木とかあるのかな? ストッキングとか見たら、この人たち、びっくりするだろうなあ。そういやナイロンストッキングが出たのってかなり新しい時代じゃなかった? なんか、その当時は絹のストッキングよりナイロンのほうが上等だった、みたいな話をヒストリカル漫画で読んだような気が……。

「おい、娘」

 えらそうな髭のおっさんに

「百合子、です」

 と答えてみる。ああ、舌がこわばって、うまくしゃべれない。

「お前には何ができる?」

 ……最悪の質問だった。私には何もできない。

「役に立たない者をセレスティンに近づけるわけにはいかない」

「へ」

 セレスティン……今、セレスティンって言った?

「もしかして、え、あの女の子? セレスティン?」

 年齢が違うのですっかり騙された。

 ちょっと前まで読んでた悪役令嬢!?

 セレスティンの名前を呼び捨てにしたのが悪かったのか、髭のおっさんの周りの取り巻きたちが一斉に私に銃を突きつけた。けれど私はもうパニックになっていて。

「ボー国第一王子の婚約者、セレスティン・ウィスタリア公爵令嬢!?」

 私が思わずストーリーの序盤で出てきたセレスティンのフルネームを出すと、髭のおっさんは手を少し動かした。それを合図に、取り巻きのおっさんたちは警戒態勢を解く。

 じゃあこの髭のおっさんはセレスティンの父上、ウィスタリア公爵閣下?


 なんという……なんという雑な、異世界転移。そういや私が吸い込まれたの、山ほどその手の話が入ったタブレットだったわ!


 *


 本物のセレスティンと会う機会は思ったよりも早くあった。

「お前、気に入りました。わたくしによく仕えなさい」

 つん、と顎を上むけた少女。

 なるほど。これは確かに将来は立派な悪役令嬢。


 ところでここは私兵たちの修練所。見たところ荒事とは無縁の十代前半くらいのお嬢様が、このような場所にわざわざ私を見物しにやってきたのだろうか。

「ところで、お前、何をしているの」

「えっと……棒振りごっこ、です」

 セレスティンの問いに答える。

 剣道、といっても、わからんだろうしなあ。

 剣道部副部長の肩書なんてなんの役にも立たないけれど、一応ただ棒を振るだけならそこそこの動きはできる。流派が違ってて、どこまでが「反則負け」なのかが分からないのが難しいところなのだけれど。実践よりも私の体力を落とさないため、と、言ったほうが正しい。あくまで「ごっこ遊び」の範疇から出ないから。

 それに私も熟練者との仕合のほうが「ここまでは踏み込んで大丈夫」がわかるから、初心者相手よりも楽しい。そんなわけで時々、棒振りごっこにつきあってもらっている、というわけだ。ここの私兵の皆さんにも「ユリコはなかなかやる」と噂になっているらしい。

 いやー、体を動かすの楽しいな!


 しばらくほかの私兵たちに私が稽古をつけてもらっているのを見ていたセレスティン。

「おにいさま、おにいさま!」

 おっと、我儘姫の今日の駄々こねが始まったかな?

「ユリコを私の騎士につけて! 彼女、強いじゃないの!」

 ……何を言い出すかと思えば。無理です、お嬢様。

 セレスティンが「おにいさま」と呼ぶのは、マルティンという彼女の従兄らしい。セレスティンは一人娘で本当の兄はいないんだそうな。……そういや漫画で、名前だけ登場してたっけ。

 そのお従兄様は、どうどう、と暴れ馬をおさえるときの呪文を唱えてセレスティンに説明をしだした。


「彼女は確かに腕はいいね。だが君の騎士にはできない」

「どうして!」

「彼女が自分で『棒振りごっこ』と言っていただろう? 彼女の剣は、人を殺せない剣だ」

「……!」

「公爵令嬢の君を害そうと狙う者ならば本気で殺しに来るよ。君の騎士はそんな輩を相手にしながら君を生かし、かつ自分も生き残らなければならない。ユリコは確かに命がかからない棒振りの遊びだけなら最強の一角だろう。だけどあの子は人を殺せない。逆に考えよう、セレスティン。ユリコは人を殺さずに生きてゆけるのだよ?」

 うまいな、マルティンお従兄様。説得が。

 

 ぷう、と頬をふくらませて、ふてくされちゃった。可愛い! なにこの可愛いお嬢様!


「わああああん! ユリコがいいのおおおお!」

 うわ、うわ、どうしよう、泣いてしまった。

「随分と気に入ったみたいだねぇ」

 マルティン様は動じない。そういやこの人、いくつくらいだろう。見た目セレスティンより少し上っぽいけれど落ち着きようがただ者ではない。

 じっとマルティン様を見ていたのがバレたのか、ふとその柔和な雰囲気の目と、かちあった。


「お前、随分とセレスティンに気に入られたようだけれど、何かしたかい? または何か、言った? 例えば……この子の容姿を褒めるようなこととか」

「え、あ、は、はい……」

 それでも私に対する二人称は「お前」なんだな。人の上に立つ者ってことか。

「え、と……確か、私が目を開けた時にこの……お嬢様の顔が見えて」

 おっと危ない。公爵家の血筋に連なる方相手に、セレスティンを「この子」呼ばわりするところだった。

「そう、そうです、確か私『綺麗なひと』って言いました! だってホントに綺麗で!」

 そう言ったら。

 マルティン様の側で泣いていたはずのセレスティンがぴたりと泣き止み。

 それこそ漫画的擬音語で「むふー」とか書き文字がつきそうな、そんな自慢げな笑顔になった。

 それに対してマルティン様のほうはというと、笑顔がなぜか渋い。いい意味じゃない。まるで渋柿食べた後の顔みたいだ。

「セレスティンは小さなころから散々『可愛い』とは言われ慣れているけれどね……この子は、美人に美人だと褒められるのが大好きなんだよ……そうか、それでか」

 びじん?

 へ、何。誰が? 今、美人て言われたの、私のことか!?

「自分が女性に好かれるタイプの美人だという自覚はないかい?」

「……同性には色々頼りにされます」

「そういうことだ。お前には侍女服を着せるよりも、男装させて執事服のほうが似合いそうだね。何かほかに特技はないかい。掃除が得意だとか。なにかしら理由をつけてセレスティンに仕えさせないと、この子がへそを曲げたら本当に長引くからね」

 異世界でも「へそを曲げる」っていうんだなあ……。


 特技。特技……ひとに、これはちょっと自信あるぞといえること。

 剣道は役に立たない。護衛の腕としては実力が足りないし、人を傷つける覚悟も私にはない。

 他に何か……この世界で通用するかどうかは、分からないけれど。


「紅茶を淹れるのは得意です」


  *


 という話をしたら、当然、じゃあ淹れてみろって話になりますよね。はいはいフラグ、フラグ。


 公爵家の台所、ひっろ!

 あと紅茶の種類が一種類じゃなかった、当たり前! くそ、缶のラベルが読めない!

「そちらがリリーエ、そちらがパシュガ、そちらがマルマトーです」

 ああっ、やっぱり異世界の地名だ! 紅茶の産地なんだろうなあ! 分からん、泣いていいですか!

 片っ端から缶を開けて茶葉の香りをかぐ。

 うん、紅茶だ。間違いない。

 あとどれも、どこかで嗅いだ覚えがある香りだ。

 異世界転移といっても作者は、自分が知ってる世界をベースにして設定にそう手を加えたりしない。調べて設定するだけで膨大な量になるわりに作中で描写する手間が見合わないからだ。ラノベ設定では架空のゲーム内転生とか流行ってるけれど、設定のその外側にはゲームを作った人がいるわけで。

 どうせなら紅茶の産地の名前もこだわらずにいじらないでいて欲しかったなあ……。

 半泣きになりながら開けた茶葉の缶、そのひとつに、私は特徴的な茶葉を見つけた。

「そちらがタトバ」

「CTC!?」

 丸薬のように丸められた茶葉。CTC製法だ、間違いない!

 あれだいぶ新しい製法だったんじゃなかったっけ。

 ってことはこれ、アッサムかケニア!?

 思わず香りを確かめる。……アッサムだ。アッサムの中のさらに茶園までは特定できないけど、間違いなくアッサムティーの温かな香りだ! やった、ひとつ特定できた!

 アッサムだと判明した茶葉の缶には、あとで目印として赤と黄色と緑の印をつけておくことにしよう。タトバ、タトバタトバ。よし覚えた。特撮ファンの友人にもこっそり感謝。

「茶葉が特定できたらアッサムティーが淹れられる……!」

「タトバ茶です」

 さっきから素敵なツッコミをいれてくれてるおじさんは、この屋敷の家令? なんだそうな。


 沸騰した熱湯、アッサムを……タトバ茶を入れて、どうせなら鍋で煮出して新鮮なミルクも一緒に煮ちゃいましょう。このミルク、コクが強くて美味しいな。おっと、ポットとカップを温めておくことも忘れずに。

 ティーストレーナーで茶葉を濾して、できあがり。


 どきどきしながらセレスティンとマルティンお従兄様にお出ししたら。

「美味しい!?」

 いやー、よかった。

 そこまで喜んでもらえるとは……

「アルバート! アルバートはいる!?」

 ……あれ? お嬢様?


 現れたのは台所で親切にしてくれた家令のおじさん。

「アルバート! あなたにまかせます、ユリコをいっぱしの執事に育ててちょうだい!」

「かしこまりました。期間はどういたしましょう?」

「そうね……私が主催の、お友達とのお茶会で自慢したいわ」

「ふむ。あと五年もたてば皆さま、嫁がれてしまわれますな。それまでに、公爵令嬢や皇女が参加するお茶会に使い物になるように、とのご指示でよろしいでしょうか」

「いいわ」

 なんかハードルあがってるんですけど!?


 マルティン様も紅茶を楽しみながら柔和な微笑みに戻っている。

「言葉遣いも直したほうがいいね。今のままではお客様の前に出せない。いや、だが、多少なりとも腕に覚えがあるユリコが執事としてセレスティンの茶会に詰めてくれるなら、警護としても心強い。もちろん騎士たちには周囲を守らせるけれどね。皇女を招くお茶会は男子禁制と相場が決まっているが、女騎士はまだ少ないから」

「ナンチャラ皇国では、未婚女性は身内以外の男性の前でベールをあげないものなのですよ、おにいさま」

 人差し指を、ちちち、と振ってセレスティンは「おにいさまったら何もしらないのね」と言いたげだが、多分きっとマルティンは知ってると思うよ。

 ああ、いや、訂正しなきゃ。マルティン様。セレスティンお嬢様。

 皇女や公爵令嬢のお友達? その人たちに会うまでに、なんとか言葉を直さなきゃ。うう宿題が増えてしまった。


 それによく考えたら、ウィスタリア公爵は、子供がセレスティン一人だけ。もしも王子なんかに見初められて婚約者にならなければセレスティンがウィスタリア女公爵を名乗るはずだった。ってことは直系の後継ぎがいなくなっちゃったわけで、一番近い親戚として従兄のマルティン様がいずれ公爵家を継ぐんだろう。

 私は知っている。そうやって大騒ぎして公爵令嬢との婚約を決めた王子が、あと何年後か知らないけれど、身分の低い可憐なマリア嬢に恋をしてセレスティンお嬢様を目の敵にしはじめる。


 あれえ? そもそも、マルティン、さま、って敵なんだっけ、味方なんだっけ。

 王子との婚約を破棄した後セレスティンが女公爵となるというのなら、公爵になれないマルティンが敵設定でもおかしくない、というこの微妙な立ち位置。


 そういえばマリアちゃんの男爵家の名前って何だっけ? それさえ覚えていれば、今から警戒することだってできたはずなのに!


 というかセレスティンお嬢様が婚約破棄されるのを知っているのは今のところ、私だけ。

 王子は、こんなに可愛らしいセレスティンお嬢様の何が不満だったんだか。

 原作小説まで手を出して読んだら書いてあったんだろうか……返す返すも異世界転移のタイミングが悪い。最終回まで無事コミカライズされたのを読んでみたかった……!


 *


 私は家令のアルバートさんにずるずる引きずっていかれながら今後のことを夢想していた。


 少なくともボー国第一王子は、いずれ敵。

 今はこの世界のどこかでのうのうと暮らしている、男爵令嬢のマリア嬢も、敵。

 私のお嬢様を守れるのは、私だけ!

 そういやコミカライズで背の高い黒髪の若い執事、登場してたっけな。あれ男前だったけれどストーリーが進行して行ったら「実は女でした」って展開が待ってたんだろうか。

 それともたまたま私が召喚されちゃって、たまたまあの執事ポジションに収まっただけ!?


 ええい。ままよ。

 滝川百合子、私のお嬢様をお守りすべく、ただいまをもって全身全霊で執事訓練を受けることを誓います!!

 待っててね、お嬢様のために美味しい紅茶を淹れる日々!!

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