百合の花、異世界転移する(後編)
「……というあらましで、私はお嬢様の執事となりお仕えしてきたわけでございます」
私は、自分で淹れたお茶を飲み干しました。
目の前にはセレスティンお嬢様。
お茶会の数日後、なにやら謎の覚悟を決めたお嬢様に「この際だから全部お話しなさい」と、すごまれてしまいましたので。
イシュタリア様のお話にあった「転生者」と、私のケースのような「異世界転移」の違いを説明するところから始めなくてはいけませんでしたが。
ああ、そういえば思い出しました。マルティン様は真実セレスティン様のお味方でいらっしゃいましたね。過去、ちょっぴり疑っていたことは、どうぞご本人には内密に。
ラノベだのコミカライズだのタブレットだの、意味不明な単語の羅列だったでしょうがお嬢様は口をはさむことなく真剣に聞いてくださっていました。お嬢様の頭の中で今、どれだけ正確にご想像できているかはわかりかねますが……。
前のめりの姿勢で私の話を聞いてくだっていたお嬢様は、一呼吸おくと、椅子の背もたれにその身をお預けになりました。
「あなたが時々、妙に王子やマリア様に詳しかった理由がなんとなく分かったわ……」
その台詞は大きく息をつくのに似ていました。
私が転移以前に知りえたのは本当に序盤の序盤だけでしたから、特別詳しかったわけではありません。
「現実にお嬢様のお側にお仕えしていて、知る物語とところどころ違うと感じたことは多くございましたよ。……特に」
あのマリア嬢に関して!
いえ、今は王子妃でいらっしゃいますが!!
「どうして、あんなにあっさりと婚約破棄をお受け入れなさったのですか」
「だってわたくし、そこまで王子に思い入れがなかったのですもの」
扇を少し広げ口元を隠して、つん、とそっぽを向いてしまわれた。お嬢様ああああ!
「いつか、あのマリア嬢と王子がお嬢様の敵に回ったときは、お側にいて私も一緒に戦うつもりでおりましたのに!」
「……えええ」
どん引かれてしまいました。
「不敬罪で捕まるわよ、ユリコ?」
「そも、お嬢様側から婚約破棄……いえ婚約の白紙を申し上げました時点で不敬罪でございます!」
「王子はそうおっしゃられなかったわよ。むしろ、あっけに取られていたのはマリア様のほうね。マリア様みたいなタイプは珍しくないわ。嫌いな人の大事なものを奪うことで優越感を得て、それでしか満足おできになれない。……はん、お粗末ですこと。そんな案件、とっとと手放してしまったほうが余程相手へのダメージになるというもの」
鼻でお笑いになるお嬢様の、背後からやはり黒いものが漏れ出ているような気がするのですが。
物語補正とでも申しましょうか、普通なら王族に加われるはずのない身分の男爵令嬢があれよあれよと本物の王子妃になられたのですから、下手にその物語補正に逆らわない、というのも有りかもしれません……が、それにしても、腹立たしいかぎり。
だってどこからどう見ても、うちのお嬢様が一番ですのに!
「それにしても、ユリコ? その言葉遣い、よくそこまで修正できたわよね。そうよ、昔の話をされて思い出したわ。最初はもっとざっかけない言葉だった」
「それはもう、アルバートさんの教育がよかったので」
思い返す懐かしいしごき……否、熱意ある指導。
思わず遠くを見てしまいます。
「例えば……失笑、冷笑、嘲笑、仲間外れはどれですか……とか」
「失笑でしょう?」
さすがお嬢様。
「一応言い訳をしておきます。笑うを失う、ですよ。勘違いするでしょう?」
「失言と一緒でしょう? 失言は、言ってはいけない場面で思わず言ってしまうこと。黙り込むことではないわよね。失笑を買う、も、失言と同じ構造の言葉でしょうに。笑われるべきところでない場面で笑われてしまうこと。……まあ笑われる側からすれば、さげすまれたり、あざ笑われたと感じるのかもしれないけれど」
「完璧です、お嬢様。素晴らしい」
一応、冷笑はさげすみ見下した態度で笑う事。
嘲笑は字そのまんま、あざけり笑う事、です。
アルバートさんにたたきこまれる前は区別がついていない高校生でありました。地獄の学習の日々、懐かしゅうございます。それにしても、こちらの世界の文字を見ると明らかに日本語ではないのですが、こういう敬語の話などは驚くほど日本語が通じます。どういう翻訳がバックヤードでなされているのでしょうか。不思議です。
アルバートさんの教育のおかげでお嬢様の、皇女を含むお友達のお茶会にも執事として参加できる程度の言葉は習得できました。以前の言葉遣いのままでしたらお嬢様のお側で給仕することさえできなかったでしょう。今ではよく理解できます。
今もなおアルバートさんは当屋敷の家令です。私の上司にあたります。年を追うごとにロマンスグレーに磨きがかかり当分引退はなさそうです。
「……物語と、ところどころ違っていた、といったわね、ユリコ? その……私は? あなたが物語を読んで期待したような凛々しい令嬢だったかしら」
少し自信なさげに、それでも精一杯虚勢を張って、お嬢様がそう申されたので、私は目を細めます。ふふ、つい口元が緩んでしまいますね。
「それはもう。物語の中よりも、私のセレスティンお嬢様は最高のお嬢様でいらっしゃいます」
おやおや、口をへの字に曲げながら、赤くなってしまわれた。
本当にお可愛らしい方です。
「ユリコ。ほかに何か……例えばお茶会で話に出た、トアル国の聖女の召喚とか、ナンチャラ皇国の側室の転生者の話とか、心当たりはないの」
「聖女召喚ものは様々なバリエーションがございましたよ。トアルを舞台にした話は存じ上げませんが。転生者が転生前の知識を使い商売を始める話も枚挙にいとまがないほどございました。なにしろ元居た世界は経済の発達した世界でしたので、読者の共感が得られやすいチート設定だったのでしょう。ナンチャラ皇太子の側室もそのパターンを踏襲しようとしたと思われますが、イシュタリア様がおっしゃられたように、新しい商売というのはそれを理解できる大多数がいてこそ成立するもの。そうほいほい受け入れられるものではないでしょうよ」
……ほかにトアル国とナンチャラ皇国の話といえば、ひとつ、あるにはあるのですが。
「なにかあるのね」
お嬢様の目がきらりと輝きます。す、鋭い。
はてさて、これを告げてよいものやら。
「同じ作者で……悪役令嬢セレスティンの前作が、イシュタリア皇女が主人公でいらっしゃいました」
「詳しく!!」
……やっぱり。
ナンチャラ皇国は、保守的な方々が多くお住まいです。
女性に学問などいらない、と思われる殿方もたいそう多く、イシュタリア様の知性はお国では軽んじてこられました。それでもイシュタリア様が女の身ながら学ぶ機会がありましたのは、男子が続いたあとの末娘で皇帝陛下はイシュタリア様に甘く、何を欲しいといっても叶えてくださったこと。一番上のお兄様である皇太子が、女性にも学問を修むる機会を与えるべきだとのお考えの方だったからです。
しかしナンチャラの高官には理解できません。ゆえにイシュタリア様の評価は『女のくせに賢しらぶって、
「そこまでは知っているわ。時々イシュタリア様が我が身の不遇を
「問題は、です。ご婚約先のトアル国第一王子にもそのように告げ口したのです。……王子は、信じましたとも、もちろん。トアル国では昔、フリではなく本当に頭が足りない王妃が自分の親戚から吹き込まれたことを元に政治に口出しして、国を混乱に陥れた過去がありますから余計です」
「ろくでもないわね」
まったくもって。
しかもトアル国第一王子は非常に……はらぐろ……いえ、合理的な判断をくだす方で。
王族の婚姻は同盟でありナンチャラとの同盟は利があるが、はたして国内に混乱をもたらすだろう未来と引き換えにしていいものか
ご婚約を破棄するべきかという選択肢も浮かび上がっていたのです。
そして、その日がやってきます。予定より参加者の数をうんと控えた、両国の王族のものとは思えないほど質素なご婚約披露パーティの場にて。王子は、物陰でひっそりと涙する異国の美しい少女に出会いました。
「……まさかとは思うけれど」
「ネタバレしますとイシュタリア様ご本人です」
「物語っていうのはそういうことをするわよね」
「ご推察の通りでございます」
少女は告げました。親の薦めで意に沿わぬ結婚を強いられているが、自分にはその結婚を断る権利がない。仮に逃げても、親に恥をかかせることになるので国には帰れない、と。王子は、涙をぬぐい毅然と前を向いた少女の気高さに一目惚れしました。イシュタリア様もそのとき侍女の服を着てお忍びでいらっしゃったので、まさか少女が皇女本人だとは誰にも気づかれません。また、ナンチャラ皇国では未婚の女性が男性に顔をさらすのは親、兄弟に限定されておりますのでトアル国に肖像画を送ったこともなかったそうです。
「少女が風のように立ち去ったのを見送った第一王子は、ナンチャラ国第十一皇女との婚約破棄を決意されました」
「!? ちょっと待って!? イシュタリア様と、トアル国の第一王子は今、正式に婚約してるわよね!?」
「……色々あったのでございますよ」
「……つまり『今』は物語がハッピーエンドを迎えた『あと』なのね? さっき、イシュタリア様を『少女』といったからには数年前の出来事ね? そういえば隣国でご婚約披露パーティがあったような……たしか最初のは、当日に暴漢が侵入してきて大騒ぎになって、改めて後日、ちゃんとしたパーティをやり直したはず……」
「……表向きはそうです。暴漢騒ぎのその裏で国際的窃盗団による盗難事件と、要人暗殺未遂事件が同時進行しておりまして」
「く、詳しく!!」
私は首を横に振ります。お嬢様ともあろう方が、この件に首をつっこんだらどうなるかご想像いただけないとは。
「お嬢様。事は、国際問題なのです。事実イシュタリア様はこの件に関して何もお話しになっておられないでしょう? それにもし、物語と同じことがこちらの現実でおこっていたとしたら? それを知っている私は『なぜ知っているのか』と捕まって尋問されますよ。あの国では尋問イコール犯人にされてしまいます。お嬢様も同罪です。そういうあやうい話なのですよ」
「く……じゃあヒントだけでも」
「仕方のないお嬢様ですね。簡潔にいうと、侍女に扮したイシュタリア様と、ご友人の名を借りて身分をごまかした王子が二人三脚で事件を解決しました」
その間に二人はお互いに惹かれ合い、けれどこれは実ることない恋だと諦め、読者目線では両想いなのにキャラ視点では片想いというすれ違い。悩み、苦しみ、引き裂かれる心。お互いに何もいえないで見つめ合うだけの別れの見せ場。
そうして改めて、トアル国第一王子とナンチャラ皇国第十一皇女として顔を合わせ、相手の顔と真実の名前と本来の身分が一致したお二人……相思相愛が発覚した第二の見せ場。
今度は自分たちの意思で婚約を決意され両国の絆となられたのでありました。めでたしめでたし。
「素敵……ロマンスだわ。わたくし、何も存じ上げなかったからイシュタリア様は割り切って親の決めた結婚をなさると思っていたのに……」
「ですがこれは身内の犯罪がきっかけですから、それこそ仲の良いお友達にも詳細が語れない恋でございますよ。来年になったらいよいよ、そんなお二人もご結婚ですね。是非、ご友人代表として式に参列してきてくださいませ」
王族の結婚とは正規手続きを踏むとなにかと時間のかかるものでございます。
本当に、うちの第一王子とは大違い。おっと、不敬でした。
「今、身内の犯罪って言ったわよね?」
「……両王家ともに、自国の犯罪者のことを身内と呼んでおられました。本当に血が繋がっているわけではございません」
そこまでヒントは差し上げられません。
「もしかしてマリーアンナ様にも何か物語があるのかしら」
「私は存じ上げませんが……悪役令嬢セレスティンの次回作ではないかと推察いたします。悪役令嬢が元婚約者の王子とマリア様をへこませる……序盤しか読んではいないので、本来の物語がどういう結末を迎えたのかは想像できませんが。その次の作品で、トアル国に異世界転移聖女が召喚され、それにマリーアンナ様が巻き込まれ国外追放、それからお茶会の話で出たようにマルティン様と結ばれるのではないかと」
「三部作なのね」
「おそらく」
お嬢様は、ほう、と吐息をこぼし、頬に手を添えられました。
「物語として読んでみたかったような気がするわ。きっと素敵な話でしょうね」
「マリーアンナ様もドラマチックな恋物語でしたからね」
名前がうろ覚えで、うちの王子妃となったマリア様と、マリーアンナ公爵令嬢が同一人物ではと混乱していた、など、今更口が裂けても申せませんが。
「小説が苦手と言っていたわよね、ユリコ。今度、私が愛読している恋愛小説、貸しましょうか」
「ご容赦くださいませ、お嬢様」
この国の文字にもだいぶ慣れてはきましたが、元の世界でも文字を読むのが苦痛だった私が、急に読むのが得意になったりはいたしません。
「じゃあ質問を変えるわ。乙女ゲームというのは、どういうもの?」
「たしなんだことがないので詳しくはお教えできないのですよ……」
ああ、うちのお嬢様は、本当に好奇心がお強い。
正直に申し上げまして。
お嬢様は一年とおっしゃっていましたが、元男爵令嬢の王子妃がたった一年でお妃教育を終えられるとは私は信じておりません。おそらくは召喚されたばかりの私と同程度の教養しか持たない元・高校生の転生者でしょうし。お嬢様は他の王家の皆様から引き留められ、もっと長い年月をお過ごしになられるでしょう。
それはそれで、将来は言い訳が立つものと考えますけれど。
お年を召したお嬢様が優雅に扇で口元を隠しながら「縁談は降るほどございましたけれど、王子妃様へのご教育を優先していましたら、気が付いたらこの年になっておりましたわ」など朗らかにお友達と笑い合う日を夢見て。
そうしてその隣では老いた私が、今と変わらぬお茶の味を、お嬢様に提供できますように。
どうぞいつまでも一輪の百合の花をお側に。
***
夜。
セレスティンは自室にて、家令アルバートを呼んだ。
「お呼びでございますか、お嬢様」
「ここ数年で目立った活躍をした、または現在進行形でしている、カイリかアイリという名の女性を知っている?」
家令はその奇妙な質問に、淡々と自分が知る情報を伝えた。
「トアル国の聖女様のお名前が、アイリ様だったと聞き及んでおります」
「……そう」
それは今日ユリコの話から聞き取った、転移以前の世界での友人が「名乗りたい」と言っていた名前と同じ。
パチン、と扇を閉じる。
セレスティンは声を落とした。
「白か黒かわからないけれど、その情報、ユリコには出来る限り伏せて頂戴。知り合いかどうか確認にいきたいと言い出されたら面倒だわ」
忠実なるしもべは頭を垂れた。
ユリコの話に出てきた、魔法陣を模した表紙がついていたという
そこに吸い込まれた少女が、ユリコだけとは限らない。
それにユリコは「三部作の最後の物語だけは知らない」と言っていた。
その友人とやらがユリコよりも後にこちらの世界のマレビトになったのならば説明がつく。
自分ならば、と、セレスティンは考えた。
元の物語では、召喚された聖女こそ国外追放されていたのではないだろうか?
そして聖女を追放する役目がもしかして「悪役令嬢」マリーアンナ様だったのでは?
「トアル国の聖女の隆盛は長く続かない。未来の王妃となられるイシュタリア様がそうはさせない。第一、クリサンスマム公爵令嬢マリーアンナ様ほどの方を国外追放処分なんかして、ただで済むとでも思っているのかしら? 国の重鎮であり、王家が最も信頼しているクリサンスマム公爵家を敵に回して? 仮にそちらの対策は取っているとしてもマリーアンナ様ご自身の、貴族令嬢同士の顔の広さを見くびっておいでだわ」
貴族のコネ社会において「誰それのお友達」は絶大な力を持つ。誰かが音頭を取れば……それはおそらく母であるクリサンスマム公爵夫人が適任だ……下手をすると国内貴族のほとんどに王家への反発を抱かせかねない。イシュタリア皇女ももちろんそれを考慮に入れ危惧しているだろう。
聖女の前身がユリコと同じ世界の少女かどうか、セレスティンにとっては知ったことではない。
だが、それによって愛しいユリコが悲しむ顔は見たくない。
「わたくしのものですもの。ユリコは誰にも渡さないわ」
セレスティンはほくそ笑んだ。
その笑顔を見た者は「これでこそ悪役令嬢」と大いに納得しただろう。
これは、悪役令嬢がみんな幸せになる物語。一部を除いて。
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