番外編 その一
百合の花、異世界転移する(前編)
私はもう一度読み終わったタブレットをなぞった。
さっきまで読んでいたのは、例によって婚約破棄からはじまる悪役令嬢ものコミカライズ。
今作、主人公のセレスティンは誇り高き公爵令嬢。
婚約者の金髪王子に「マリアをいじめていただろう」と問い詰められ、王子の後ろに庇われた男爵令嬢のマリアさんはというと真珠の涙を浮かべながら、隠れて「ニチャア」と黒く笑う。お、この展開は、マリアさん転生者かな?
そうして凛々しいセレスティンは冷たーい目で二人をにらみ……ここから漫画は急に過去編だ。
実は事前にマリアにおとしいれられることがわかっていたセレスティンは、背の高い黒髪の執事とともにこの事態をどう解決するか画策してゆく……というところまでが最新話。まだ序盤も序盤。執事がセレスティンを見つめる瞳が何やら読者には思わせぶりに描かれるのだけれど、肝心のセレスティン様は気づいてないのかまるっとスルー。そういうところだ! 好き!
あと、この話、紅茶が美味しそう。
お茶会のシーンのシルバーポットの光の描き込みとか、コミカライズしてる漫画家さんも芸が細かい。
異世界にもインドがあるのかなあ。いやルーツ考えたら、中国? 中国が出てきたらなんか西洋風異世界ファンタジーのイメージ崩れるんだけどなあ。
あー、美味しい紅茶、淹れたい。
「なんかもう……お姫様にお茶だけ淹れる召使いになりたい」
「寝ぼけてんの?」
教室で。うっとりと呟いた私の感想に、友人の冷たいツッコミが入る。
「現実逃避。だいたいさ、感染症の世界的流行で将来喫茶店を開きたいとかいう夢も潰れたし? 飲食店厳しいわ。いいじゃん、夢くらい。異世界で喫茶店開きたい」
「異世界にダージリンとかアッサムがあるの? 祁門は? ウヴァは? ニルギリは、シッキムは? ディンブーラ、ヌワラエリア、ルフナ、キャンディ、ケニア……異世界にグレイ伯爵いないかもしれないのにベルガモットの着香茶はアールグレイって名前になるの?」
「ううう、夢見ることさえ許されない……」
タブレットの中のセレスティンは、こんなに優雅に、なんの紅茶かわかんないお茶を楽しんでるのにさあ!!
*
夕暮れ時の教室の片隅、私は友人からタブレットを借りて、彼女がダウンロードした電子書籍の漫画を読んでいた。
「あああ、もおお、続きが気になるなああああ」
単話配信の悪役令嬢ものの最新話を読み終わって、私は、からっぽの教室中に響き渡らないよう絶叫を押し殺していた。いや、ちゃんと殺せてたか?
目の前には貸してくれた友人。
「続きが気になるなら、原作小説読めばぁ? ネットでただで落ちてるよ」
にやにや笑っている。
落ちてるんじゃないやい、作者様がネットにアップしてくれてるんだい。
「……私が小説、苦手なの知ってるでしょ」
作者様には大っ変申し訳ないけれど、文字ばっかり並んでるのを見ると頭が痛くなってくる。
漫画は好き。ストレートに画面から伝わってくる。パァッとドレスが広がって、長髪男子の髪がさらっとなびいて。登場人物の目力が、もう、すっごくて。こんなの私の貧相な想像力じゃ出てこない。綺麗。可愛い。
当たり前だけど無料のやつより有料のやつに面白そうな、興味を惹かれるのがいっぱいある!
全部読んでたら、お小遣い足りない!
けれど、そういうことにお小遣いを自由に使える友人、ってのは、一人はいるもんだ。ママさんがスポンサーってのは強い。
その友人があきれたように、頬杖をついた。
「本当になあ……見た目に反して、そういうの好きだよね。百合子ちゃん」
「マジやめろください。下の名前で呼ぶな」
おっと、つい低い声が。
滝川百合子。私の名前だ。
今、名前聞いただけでおしとやかな女の子連想しなかったか?
おあいにくさま。こちとら身長180cmの、剣道部副部長。黒髪短髪、この上なく制服のスカートが似合わない。同級生や後輩には「滝川と一緒に電車に乗ればチカンに出会わない」と感謝される始末。いや性犯罪を事前に阻止できんのはありがたいことだけどもさ。
なお名前の由来は「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」だ。いやだ、やめろ、無理がある!! それ美人の代名詞ですから!? 何、考えてんだうちの親あああ!!
「いやいや、ある意味、似合ってるってば。滝川、目元涼しくキリッとしてて武士道とか似合いそうな雰囲気あるじゃん。私なんかは『海里』で、名前だけ見た人には男の子だと思われる確率高いしさ」
「私にはそっちのほうがよかったわ!」
目の前にいる友人は、イメージが「百合子」とは趣を違えるけれど、お花の名前とか似合いそうな可愛い女の子。小柄で、私と違ってふわふわの髪で、語彙力不足してるがもう本当可愛い。名前を交換してほしいくらいだ。
「名前の由来といえばさ、うち、お父さんがほんとは私に『アイリ』って名つけたかったんだって。でもお母さんが『私とあなたの遺伝子持つ子が、アイリって顔の子にならなかったらどうする』って反対して『海里』にしたんだってさ」
「うおう、でも、お父さん的には大正解だったじゃん。似合うもん」
「私も自分の名前はアイリってほうが似合うと思うー」
けらけらと友人は笑った。
私は知っている。
彼女の裏SNSネームには「アイリ」が入っている。
同人活動用アカウントっぽいから言及しないでいるけどもさ。
あと活動のメインが小説だから読んだこともない。
「どした、百合子ちゃん?」
「下の名前やめて。……いや、なんでもない。海里が漫画たくさんダウンロード購入できるのもスポンサーのママさんあってこそで、感謝だなあ、とか考えてただけ」
「あはは、うちのお母さん、乙女ゲームの金字塔『天使』シリーズ初代からのプレイヤーだからこういうのに理解があるんだよねー。新作ダウンロードしたの教えたら『タブレットごと貸して』って言ってきて読んだりしてるし。私もお母さんの端末で落としたラノベ借りて読むし。……もっとも悪役令嬢ものが流行り出したときには『リアル乙女ゲームに悪役令嬢はいない!! 青薔薇ちゃんは悪役じゃない!!』とかキレまくってたけど」
「青薔薇ちゃん?」
「ヒロインのライバルだって。わかりやすく頭がドリルカールしてる意地悪そうな顔の子。……んで、うちのお母さん、その子が推しらしい……」
「……おっと」
例え相手がお母さんでも、ひとさまの好きなキャラを悪様にいってはいかんよ、我が友。
乙女ゲームやったことないけど、そうか悪役令嬢は、ラノベの中だけなのか。今や一大ジャンルなのにねえ? あとドリルカールって言うな、縦ロールって言うんだい。こちとら伊達に、ばあちゃん家の少女漫画で育ってねえわ。あれだけ実家にばあちゃんのコレクションが並んであるのに、なんでうちのお母さん、こういうのに興味がないんだろう?
友人にタブレットを返して、私たちはそろそろ帰ることにした。もうだいぶ日は傾いている。
彼女のタブレットにはブックカバー型のケースがつけられてて、ちょっとした魔道書っぽい。こういうの市販品であんまり見ない、かも。もしかしてコミケか? コミケ戦利品なの? いいなあ、今度買ってきてもらおうかな。いや待てその前に本体を買うほうが先か。……うーん、そも私がタブレット買ったって海里のタブレットみたく電子書籍リーダーにはならないんだよねえ。彼女が落としてきてる量が半端ないんよ。
「それでさ、滝川。今、注目してる話があるんだけど、転生もので」
カバンにしまったはずのタブレット。
階段を歩きながら出すんじゃない。
「あ」
ずるり、と、彼女の手からタブレットが滑った。
「あ」
なぜか咄嗟に、それに手をのばしてしまって。
「あ?」
なぜか、タブレットと私は階段から落ちていた。
やばーい、壊れる! タブレット弁償!?
いや落としたのは持ち主本人!!
というか私がやばいわ、受け身をとれ!!
落下物は同じスピードで落ちる。これ物理の法則。
けれどタブレットは明らかにゆっくりと落ちた。ちょっと待て、私の落下速度は物理法則のままかい。怪我するわ。
そしてマグネットでしっかり止まっているはずのタブレットケースは開かれて。
その黒い画面がパッとバックライトで明るくなる。
んん?
その表面に、伸ばした私の手が触れて……触れて……触れる感触なんかひとつもなく。
タブレットの中に私の手が、体が、落下スピードと同じ速さで飲み込まれていく。
「百合子!!」
……なんでこんな、友の声が遠い。
いや、おかしくない?
ツッコミどころ多くない?
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