悪役令嬢たちのお茶会 ~ご令嬢は皆、幸せになりました~

十和田 茅

悪役令嬢たちのお茶会

皆、幸せになりました。一部を除いて

 暑すぎず寒すぎないこの季節、中庭では芳しい薔薇が咲き乱れております。

 その薔薇の花園を一望できるよう設計されたガゼボでは今まさに、当家のお嬢様がご友人方とお茶会を楽しまれている真っ最中でありました。

 当家のお嬢様ことボー国セレスティン様。

 トアル国のマリーアンナ様。

 ナンチャラ皇国のイシュタリア様。

 お三方の国をまたいでのご友情は、ご幼少のみぎりからと伺っております。


 さて、我が国では最近、後継ぎの第一王子のご結婚が盛大に行われたばかりでありました。

 王子のお相手はなんと、身分の低い男爵家のご令嬢。

 身分を超えた真実の愛、とのことで、それはそれは社交界でも下々の間でも、たいそうな話題になったものでございます。

 もちろん本日のお茶会の話題も、それでありました。

 というのも。

 その王子、実は、うちのお嬢様の元・婚約者でいらっしゃいましたから。


「本当におめでたい話ですわ」

 当家のお嬢様が優雅にカップを手にされ、お茶の香りを確かめられます。今日の為に取り寄せたお嬢様お気に入りの茶葉ですが気づいていただけたでしょうか。

 ナンチャラ皇国のイシュタリア様が「そう、それ」と、手にされたレースの扇でお嬢様の話の先を促されました。

「この国の第一王子といえば、セレスティン様の婚約者だった方ではありませんの。お噂では、あの男爵令嬢がかなり強引な方法で王子の心を射止めたとか……」

「まあ、イシュタリア様ったら」

 お嬢様がころころと鈴を転がしたような愛らしいお声でお笑いになります。

「……イシュタリア様、マリーアンナ様、お聞きいただけます? 王子がおっしゃるには、わたくしは『悪役令嬢』なるものなのですって」

 んまあ、と、お嬢様のご友人方は声を揃えて。

 それはもう可笑しそうに。

「わたくしたちでは思いつかないような、面白いネーミングですわね! ですけれど、よりによってセレスティン様が悪役!」

「笑いすぎですわ、イシュタリア様。それでいうなら、わたくしたちも悪役になってしまいませんこと?」

「まあ、マリーアンナ様ったら」

 ふふふ、ほほほ。

 イシュタリア様はレースの扇で口元を隠され、マリーアンナ様は刺繍がほどこされた絹の扇で口元を覆われました。淑女たる皆々様は、みだりに大口を開けてお笑いにならないものです。そして扇は淑女のドレスコードでもありました。

「わたくしが男爵の娘……いいえ、失礼しました、もう我が国の王子妃でいらっしゃいますマリア様。そのマリア様を常日頃いじめている、と、王子がわたくしを糾弾なさったのですわ。曰く、わたくしは王子を愛していて、だから、マリア様に王子をとられまいと意地悪をしたのだろう……と」

「まあ……」

「おかしなことを……」

「でしょう?」

 お嬢様はお二方をひたと見つめます。

「もちろん濡れ衣に決まっておりますわ。王族の婚姻に、愛だの恋だの、関係ありませんわよねぇ?」


 王族の婚姻とはそういうもの、と側に仕える私も卑賎の身ながら理解しておりました。血筋の維持のために結ばれ、その子孫を作ることが目的でありましょう。

 なのに何のメリットもない男爵家の娘を妃に選ぶとは、王族の常識に照らし合わせると、とても考えられません。


「ですが、まあ、王子が真実の愛を見つけられたのでしたら結構なことですわ。幸いなことに我が国の王家は今のところ目立った政敵もありませんし、我が公爵家とどうしても婚姻を結んで主従関係を強化しなければいけないほど綻びがあるわけでもございませんし、わたくしが『では婚約を破棄いたしましょう』と提案しましたら王子は喜んでそれに応じましたのよ」

「セレスティン様側から婚約破棄を……!?」

「あら。やはり、はしたなかったかしら」

 うふふ、と頬をそめて羽の扇でその頬を隠したお嬢様に、マリーアンナ様が首を横に振ってみせられます。

「ご立派ですわ、セレスティン様」

 そういえばマリーアンナ様のトアル国でも最近、王族の婚約発表があったばかりでした。


 そしてマリーアンナ様も、カップを手にして、お茶を一口。

「あら、とても素敵なお味」

「気に入っていただけまして? 春摘みの一番茶を取り寄せましたのよ」

「ええ、本当。清々しい青草の香りが胸いっぱいにひろがるような……こちらのお庭の薔薇の香りとあいまって本当に素敵な相乗効果ですわね」

 喜びに輝いた顔は、ですが、何かを思い出されたのか一転、曇られます。

「本当に……我が国の第二王子も、こういう相乗効果をもっと勉強していただきたかったものですわ……ご自身の選択が波及してどういう結果を引き起こすか、などを」

「そういえばそちらの第二王子、聖女とのご婚約が成立なさったとのお話でしたけれど……?」

「トアル国に、聖女と呼ばれる方がご降臨されたとか……」

 マリーアンナ様は心を落ち着かせるためかまたお茶を口に運ばれました。ですが、菓子類には一切手を付けられておりません。

「本当に……我が国の聖女、身内の恥を話すのはなかなか気が重うございますけれど……その聖女たる方、とてもとても表に出せるような教養をお持ちではない女性なのです。天の国との文化が相当違うのか恥という言葉をご存じないようなありさまで、背中や足をお出しになるドレスをお召しになったり、国王陛下や大司祭様にまるで敬意のない言葉遣いやふるまいをなさったり……ですが、その白い魔力は腐っても聖女。この好機を取りこぼすまい、と、王家は聖女を身内として囲う事にしたのですわ。その白羽の矢が立ったのが年齢の釣り合いがとれる第二王子だったのですが……木乃伊取りが木乃伊になりましたのよ」

 この世界にも木乃伊があったとは驚きです。

 まあっ、と即座に顔色を変えられたお二方を見ても、まったく聞いたことがない単語ではないご様子。

「……ご想像できましたでしょう、イシュタリア様、セレスティン様?」

 げんなり、といったご様子で、マリーアンナ様は再びお茶を飲まれました。からになった白いカップを見て、私は無言でお茶のおかわりを注ぎます。今のマリーアンナ様にはそれが必要な気がいたしました。

「第二王子は型破りな聖女に夢中になってしまわれました。それは百歩譲って仕方のないこととしても、第二王子にご寵愛をいただきながら聖女は、ほかの殿方にも色目を使うようになりましたの。それも、ちゃんとした婚約者のいらっしゃるご立派な殿方ばかり……わたくしは止めましたわよ! わたくしのお友達が何人も、未来の夫にエスコートひとつされずに泣いているのですもの!」

「多くはおっしゃらないで、マリーアンナ様。その続きは……」

「……聖女とやらが第二王子様にあることないことを吹き込む姿が目に浮かびますわ……」

 お三方は、そろって肩を落とされました。

「そんなわけで。聖女にうとまれたわたくしには、近々第二王子の名前で国外追放の沙汰がくだされるそうです」

「なんてこと! でしたら、いっそうちに参りませんこと?」

 イシュタリア様のご提案に、マリーアンナ様は首を振られました。そうしてやっと添えてあった菓子を一口、お召し上がりになったのです。先ほどまで曇っていたお顔は穏やかになっておられました。

「ありがとうございます、イシュタリア様。ご心配には及びませんわ。……まだ未発表ですけれど、わたくし、近々セレスティン様の親戚になりますの」

 目をまるくなさったのは、うちのお嬢様もでした。

「ま、まあっ、まあっ! 本当ですの? ああ……夢みたい! わかりましたわ、マルティンお従兄様ですわね!? 最近、新しい館を建てさせていると聞いてましたもの。近々お嫁様をお迎えするのではないかと父や母と話をしていましたのよ!」

「まあ……さすがのご慧眼でいらっしゃいますわね。ええ、その……マルティン様は、よくセレスティン様のところへ遊びに来るわたくしを一方的に見初めてくださっていたのですって……国外追放の話を一体どこから聞きつけてこられたのか、わたくしの家においでになって『どうか我が花嫁に』と父に……」

 マリーアンナ様の頬が薔薇色にそまってゆきます。

 うちのお嬢様とイシュタリア様が目を輝かせ、身を乗り出しました。

「それで、お返事をなさったのですね!?」

「公爵家の娘ですからわたくしにも生まれた時からの国内貴族の婚約者がおりましたけれど、国外追放となればその方とは結婚できませんし……それに、その方よりもマルティン様のほうが素敵な方で……あの方は思いやりの手紙の一つすらくださらなかったのにマルティン様は父が正式な返事をするまでずっと手紙をくださって」

「あら、お従兄様ったら、お返事があったあとは手紙を書きませんでした?」

 お嬢様はむくれてしまわれましたが、マリーアンナ様はますます嬉しそうになられました。

「お返事をした後は毎日、お花が届きますの。お手紙も添えて!」

「さすが、お従兄様。そうですわ、可愛いお嫁様をお迎えになるのなら、花のために早馬を走らせるくらい!」

「素敵ですわ、情熱的ですわ……。それに、トアル国とボー国の公爵家同士の結婚でしたら十分な国益になりますわね?」

 イシュタリア様の言葉に、マリーアンナ様が頷かれます。

「婚約発表はわたくしが正式に国外追放を言い渡されてからになりますけれど……本当、こんなに幸せでよいのかしら……」


 お嬢様方は皆、幼少期から「家のための結婚」を意識に叩き込まれておられます。ですから尚更、愛し愛されてのご結婚は夢物語のように美しく感じられるのでしょう。

 愛されて迎えられて、かつそれが家のためになるのなら(駆け落ちや身分違いの恋など何よりの御法度!)それはこの上ない幸せでありましょう。


 マリーアンナ様の薔薇色の微笑みを嬉しげに見つめておられたイシュタリア様でしたが、すうっとその目が細められ、レースの扇がパチンと音を立てます。

「それにしても……その勘違い聖女と第二王子には、早めに釘を刺しておいたほうが良さそうですわね」

 それを聞いたうちのお嬢様も目を細めますが、くっと口角が上がりました。

 これはとても悪い笑顔でいらっしゃいます。

「あら、怖い。その聖女とやらも己の知らないところでイシュタリア様を敵に回すなんて」

 くす、とマリーアンナ様も悪い笑顔をされます。

「全くの他国のことではありませんものね。イシュタリア様は、我がトアル国第一王子の婚約者ですもの」

 くすくす、くすくす。

 聖女と第二王子は、第一王子をどうにかして国家転覆でも計っておられるのでしょうか。

(まさか、ただ複数の殿方とのフルコンプ恋愛ごっこゲームを楽しんでおられるだけではありませんよね?)

 ですがナンチャラ皇国、第十一皇女イシュタリア様の敵になりきれる器かどうか。

「聖女が色目を使っているという殿方たちは第二王子の側近でしょう? 我が殿下にお伝えしておかなくては……第二王子が側近たちとなにやら不穏なことを考えていらっしゃるようです、と……」

 真実など、噂の力に比べれば蟷螂の鎌。

 あちらの宮廷に悪い噂のひとつやふたつ流せば、第二王子とその周りは早々に追い詰められるでしょう。

 イシュタリア様とトアル国第一王子は完全な政略結婚でいらっしゃいます。

 そのはず、ですが。

 表立って知られてはおりませんが、イシュタリア様はたいそうな賢姫であらせられ……また、あちらの第一王子もそれに勝るとも劣らぬ腹黒……いえ、頭の切れる御方だそうです。さぞ似合いのご夫婦となられるでしょう。

 賢姫イシュタリア様と対等なお友達になれるうちのお嬢様こそ、未来の王妃にふさわしいお方と思っていたのですが。

 本当に、トアル国第一王子ほどのおつむがうちの第一王子にもあったなら、と、ボー国いち国民として嘆かざるを得ません。

 さてさて、その賢きイシュタリア様はというと、再びレースの扇を開いて。

「聖女の魔力は必要ですから、大切に、王族しか使わない別荘へご招待申し上げてはと殿下に提言することに致しましょう」

 そういえば王族が無期懲役を執行されるとき専用の、魔力を吸い取るという塔があちらの国にはあったような。……いえ、失礼しました。あれはただの別荘、王族しか使わない特別な別荘、でしたね。少し暗く、少しカビ臭く、少し不衛生な。歴代の王族の幽霊もお住まいになられているという噂ですから聖女もお寂しくはありませんでしょう。

 マリーアンナ様は大げさともいえる仕草で、喜びをあらわになさいました。

「安心できましたわ。国外追放の身とはいえ、祖国が腐敗してゆくのを見るのは忍びなかったのです。お友達の婚約者たちが没落してゆくのは申し訳ない気がいたしますけれど……」

「適宜、よいご縁を組み直せたらよいのですけれどね」

「お願いいたします、イシュタリア様」

 マリーアンナ様はきっと後で、影響を受けられるお友達のリストをイシュタリア様に送るに違いありません。


「昨今、王族の身分違いの恋が流行っているようですけれど……ナンチャラではそういう話は出ませんわよね。羨ましい限りですわ」

 うちのお嬢様の言葉に、イシュタリア様は。

「それが……うちの国の内部にも、それなりに困ったことはありましたのよ?」

 と、首を傾げ頬に手を添えて、悩ましげにここだけの内緒話を始められました。


「うちは、お父様……皇帝がもうだいぶお年でしょう? ほとんど実権は皇太子たる一番上のお兄様が回しておられるのですけれど……その皇太子のハレムで一悶着ありましたの」

 ハレム、というのは、この国では馴染みのない単語かもしれません。皇帝の、大勢の妻が詰めている場所のことだそうです。

 我が国やトアル国では、王の隣に立てるのは王妃一人。もちろん歴代の王の中には精力的な方もおられましたし、真実の愛とやらを唱えて正妃とは別に幾人かの愛妾を持たれる方もいらっしゃいましたが、愛妾と正妃とでは大きく身分の違いがあるものです。

 ところが、ナンチャラ皇国では事情が違い、皇帝、皇太子は一夫多妻制。皇妃は立てるものの皇帝や皇太子は自分のハレムを持ち、毎夜違う側室の元へと通い、子を産んだ女性は「身分に関わらず」第一夫人、第二夫人と、何人でも皇妃と並ぶ「正式な妻」扱いになるのだとか。つまり初めから我が国のような、身分違いの恋は問題にはならないのです。そのはずなのですが。

「お兄様の側室の一人が何故かある日『側室なんかになりたくなかった』と宣言されて、本当になぜか、お商売を始められましたの」

 お嬢様とマリーアンナ様は目を剥かれました。

「お商売!?」

「え、だって、皇太子のハレムに入っておられる方でしょう!?」

 商売、というのは、ナンチャラ皇国ではまだ卑しい身分のものがすることとされています。

「その方……頭を打った後、突如『自分は転生者だ』と、摩訶不思議な夢物語を述べ始めましたの。お兄様ほどの身分になると高官から勝手に娘を送り込まれて数だけの側室になる方もいらっしゃるのですけれど……どうもそういう、お手がついていない方だったようですわ。その方が『側室になりたくなかった』宣言をされた背景には、皇太子からの寵愛がないことを逆に良いことのように捉えていらっしゃるようで……次に随分と変わったものをお作りになり、それを売るのだ、と……」

 ふう、と息を吐くイシュタリア様の眉間には、一本悩ましげな皺が刻まれてしまわれました。

「それで……うまくいきましたの?」

 マリーアンナ様の問いに

「そんなの。いくわけ、ありませんでしょう?」

 と、イシュタリア様。お美しい瞳からは光がなくなっておられますが……。

「そもそも、お商売は一人では成り立ちませんわ。売る人間と買う人間が必要ですもの。その方は『良いものを作れば売れる、みんな欲しがる』と思っておられたようですがとんでもない。ナンチャラはまだ国の民の意識が他国よりも保守的なのです。そんな人々相手に、まったく違った価値観による『良い』もの……そんな奇抜なお品物など、売れるはずございませんでしょう!」

 まったくの道理です。

「夢物語の『転生者』が何なのかは、わたくしにはよく分かりませんでしたけども。お兄様に呼ばれて、その方と少しだけお話させていただいたら、もう眩暈がしましたわ! すべてが突飛で……いえ、何と言いますか考え方がとても新しいのです。あの思想にわたくしたちが追いつくには、百年はかかりますわ!」

「……まあ……そんなに?」

「イシュタリア様がそこまでおっしゃるなんて……」

 なにやら小難しい話になってきました。

 イシュタリア様は、手にしたレースの扇を今にも折らんばかりです。

「その方がおっしゃるには……お兄様のことを愛していないから、愛していない人とは結婚できない、したくなかった……と、おっしゃる。結婚は、恋愛が成り立った二人の判断で行うべきものだ、と」

「……は?」

「……何、を?」

「ええ、ええ、分かります。お二方が戸惑っている理由が、わたくしにはよーくわかりますわ。わたくしたちはそう教わりませんでした。結婚とは、家同士を繋ぐもので、わたくしたちはそのために育てられました。もちろん嫁いだ先で大事にされたいと願いますし、できれば結婚したお相手とお互いに尊敬し合いたい、もっといえば想い合いたい……と願ってもおります。そうではないのだそうです……娘が結婚するのに、父親の許可も必要がない、との、お考えだったのですわ」

 ガゼボにしばらく沈黙が流れました。

 絶句、のほうがふさわしいかもしれませんね。

「人権、民主主義、恋愛結婚……説明されて、その言葉の意味はなんとなくくみ取れるのですけれど、とにかく発想が新しすぎて……家の判断ではなく個々の判断で結婚できるようなことになったら身分制度は崩れますわ。王様と奴隷だって出会うことができれば恋が始まるかもしれませんもの。しかも恋をする二人は、男女である必要さえない、と、その方はおっしゃいました。あと民主主義とは皇帝や国王が国を守るのではなく、民の一人一人が『センキョ』というシステムで自らの代表者を選んで国を運営するシステムだとか……それは、センキョに立候補する対象だけではなくセンキョの権利がある民全員に相当な政治の知識がないと成立いたしません。我が国の民の知の不足を甘く見すぎです。そこに至るにはまず教育からなんとかするしか……小さな子を教育することの難しさを、あの方は更に甘く見ておられました。字を覚える、それだけのことですが、その練習を子供は望んでいません! どれだけ嫌がることか! 本人が望まないことを『将来役に立つから』だけで獣のごとく嫌がる子に教えられるはずもなく。まして我が国に子供が何人いると思っているのです。たとえば親が全員、文字が書けて、その子供に教えるくらいでないと追いつきませんわ。人権という考え方にいたっては犯罪者の権利まで守れという話だそうですの!」

「……イシュタリア様……わたくし、言葉が通じているのに意味が通じないという経験を今、しているのですが……?」

「ええ、セレスティン様。わたくしもまったく同じ気持ちでしたわ」

 イシュタリア様はたいそう頭の良い方でいらっしゃいます。

 その「転生者」なる方からの聞き取り調査で、ここまでご理解されているとは、まことに素晴らしい。

「イシュタリア様……そんな新しい考えの方が、なぜお商売などを? 皇太子の側室という身分のある方でしたら、お商売など行わなくても身の回りの物に不自由しませんでしょうに」

 商売人とは、欲しいものをそのまま手に入れることができないから貨幣を稼いでいる、と、マリーアンナ様は解釈されているようです。

「それも新しいお考えゆえ、でしたわ、マリーアンナ様」

 イシュタリア様のレースの扇が、みしっと音を立てました。扇の骨は何でできているのでしょうか。もう少し持ちこたえてほしいものですが。

「経済、という考え方だそうです。流通……道を整備して、物とお金がゆきかいやすいようにすれば、どんどん人と物がひろがって大勢が豊かになるのだと。豊かになれば食べるものだって増える、食べるものが増えれば人も増やせる、人が増えたらさらに消費が増える……」

「……わからなくは、ないですわ。川で分断されている崖同士に橋を架ければ、人が通れますもの。人が通れるようになれば違うものが手に入ります」

「足りないのです、色々、前提条件が! 道を整備する? 戦争になったら敵の騎馬に攻め込まれやすい条件にわざわざ整えてやるのですか? 物と物の交換では不利益がでやすいので貨幣を利用するのはわかりますが、貨幣は国同士で統一されておりません。レートはどう決めるのです? 贋金への対策は? 多くの貨幣が使われるようになったとして、それを商売人は持ち歩くのですか? 道が整備されていれば盗賊だって道を使いやすくなります。警備兵を雇う? その雇った警備兵が為政者の目の届かない場所で盗賊にならないとなぜ言い切れるのです?」

「……何なのです、その、みんなが教育を受けていてみんなが善人、みたいなものを前提としたお話は……」

「そうなのです。あの方のおっしゃることすべてが、価値観なるものが違いすぎて、うまくゆかないのが目に見えている……! 少なくともタイミングは『今』ではございません!」

 とうとうイシュタリア様は扇から手を離して、頭を抱えてしまわれました。

 これはいけません。

 私はイシュタリア様の目の前のカップを下げ、新しいカップに熱いお茶を注いで給仕しました。最初に淹れたお茶はもうとっくに冷めてしまっておりましたから。

 意をくんでくださったのかイシュタリア様は流れるような優雅な所作で、お茶を口にされます。熱いお茶で少しは落ち着いてくださればよいのですが。

「ふう……申し訳ありません。少し大きな声を出しすぎましたわね……」

「い、いえ……折角のイシュタリア様のお話なのに……わたくしたち、声がでなくて……」

 マリーアンナ様、うちのお嬢様も、思い出したようにお茶を口にされました。

 ああ、まだ熱いお茶に替えておりませんでしたのに。

 お嬢様方に冷めたお茶を飲ませてしまうとは、不覚。

「その……わたくし、まだ動悸がおさまらないのですけれど……イシュタリア様? その、側室の方は今どうされて……」

 確かに、嫌な予感しかしませんね。

「セレスティン様。これはわたくしでは手に負えない、と判断し、お兄様にお任せしました」

 ごくり、と誰かののどが鳴った気がします。

「ですからこれは、わたくしが本来あずかりしらぬ、独り言。……あの方の思想は色々と危険と判断され……とろっとろになるまで夜毎お兄様に愛されて、身も心も溶かされておしまいになられました。近々お子をお産みになられるようで……生まれた子は母親の近くでは養育させません、男でも女でも、絶対に。その大変に先進的な発想を利用、こほん、国のお役に立てるべくお兄様の執務室の側に離宮を整えたそうです。お兄様以外は完全男子禁制、その方専用の小さなハレムですわ。万が一ほかのハレムの側室たちと交流を持つと色々とはばかりがでる、との、ご判断で」

 幽閉、という単語が脳裏をかすめましたが、気のせいでしょう、きっと。

「皇太子の子を産むのですから生涯ハレムからは出られません。第なに夫人になるのでしょうねぇ?」

 ふふふ。ほほほ。

 お嬢様方はまた、楽しそうにお茶と、菓子を楽しまれはじめました。


「そういえば、セレスティン様? 第一王子とのご婚約が白紙になって、これからはどうなさいますの?」

 イシュタリア様のお言葉に、お嬢様は目だけで笑ってお見せになりました。

 マリーアンナ様も言葉を続けられます。

「もし国内貴族に嫁がれるなら、王都の近くにいてくださると嬉しいですわ。わたくしがマルティン様の妻になったときにお友達がすぐ近くにいると心強いですもの」

「あら、何でしたらいっそ皇国に嫁ぎに参りませんこと? セレスティン様であれば我が義姉になってもおかしくないご立派な方ですもの……でも外の国の方にハレムは少し抵抗がありますかしら」

「例の側室がいらっしゃる方の元へ? まあ怖い」

 くすくす。

 お嬢様が口元を隠された扇は白孔雀の羽です。

 その扇を傍らにおいて、優雅に菓子を口に運ばれ、お嬢様は面白そうに告げるのでした。

「もう少し、国内からは動けませんわね。少なくともあと一年は」

「……あら、何か期日が?」

「ええ。わたくし、王子妃マリア様の教育係になっておりますの」

 淑女はみだりに口元を開けたりなどしないものですが、このときばかりは、お友達のお二方はあんぐりと口を開けてお嬢様を注視したのでありました。我がお嬢様ながら、まこと、意地がお悪い。

「ほほほほほ! イシュタリア様、マリーアンナ様、なんてお顔!!」

「驚かさないでくださいませ、セレスティン様!」

「よりによってセレスティン様を押しのけて王子とご結婚された方ではありませんか!」

 お嬢様はにっこりと……そう、にっこりと……なにやら黒々としたものが駄々洩れてきております、お嬢様。いえ、なんでも。……優雅に微笑まれました。ただしお声はとても低いものでしたが。

「公爵家の令嬢に生まれて『いつか王子妃に、ゆくゆくは王妃に』と、十九年間みっちりと教育を受けましたもの。その教育の成果、是非とも一年に圧縮してマリア様にお渡しせねばなりませんわね? そうでなくば、我が国は将来的に大変恥ずかしい王妃を戴かねばならなくなるのですから」

「……それ、なんにも勉強してこなかった十八の娘に一年間の受験勉強だけで国内最高学府に一発合格しろ、と言うのと同じくらいの無茶振りでは……?」

「おほほほほ!」

 お嬢様は最高の淑女でいらっしゃいますが、私の目には「それくらい、やってみやがれ」という大変くだけたスラングがお嬢様の背後に浮かんで見える気がいたしました。私も生粋の執事の身分ではございませんからね。言葉がくだけてくるのは多少は致し方ないかと。

「外交のための言語、他国のマナー、それから文化的背景。口に出しては失礼にあたる言葉も丸暗記していただかなくては。実技はダンス。舞踏会に出る機会もこれまで以上に増えてくるでしょうし、美しい姿勢をたもつのに良いですしね、あれは。円舞の他、他国の伝統的な踊りを鑑賞する目も養っていただかなくてはお話にもなりませんわ。楽器のひとつも披露できる腕も欲しいですわね。それから色彩感覚を養うために、絵画、お華。そうそう、女性の外交といえばお茶会のルールとマナーも外せませんわね。総合芸術として部屋などの場の選択、家具や敷物の選択、テーブルクロスの色からカトラリーの選び方、お菓子の選択、茶葉の選択、茶器の選択、季節の花の演出、完全に外面用の当たり障りのない会話のほか、気の置けない間柄の方とも交わせる小さな話題をいくつか仕込んで……」

「まあ大変……確かに一国の王妃ともなると必要……というか、やれて当たり前の事ですわねぇ」

 ふんわりとレースの扇を仰がれるイシュタリア様は、皇女としてお生まれになった以上それらを習得されてきておられるでしょう。それどころかトアル国の未来の王妃としてトアル国の地理や歴史なども学ばれているはずです。第一王子の婚約者、とは、そういうことです。

 マリーアンナ様も絹の扇をサラッとひろげて、イシュタリア様に同意されました。

「今からですと睡眠時間を削ってでも学ばないと、一年では間に合わないのでは?」

 ご縁があり、ボー国の公爵夫人(予定)となられるマリーアンナ様ですが、もちろんこの方もどこの王族に嫁いでもやっていけるだけの教養をお持ちでいらっしゃいます。トアルの国内貴族に嫁ぐ予定だったということですから、我が国はトアル国の貴族間の繋がりなどをこの方伝手で得ることができるのではないでしょうか。もしやマルティン様、そのことまで見越して……? いえ、そこは、純粋な一目惚れだったという言を信じましょう。


 真実の愛がどれほど素晴らしいものなのか、卑賎なる身の私にはさっぱりわかりませんが。

 安易に、決めた婚約を破棄する、というのは一時の感情を優先してこういう十数年の下積みのできた娘を捨てる、ということです。

 我が国の第一王子はそれをやったのですから。

 男爵家出身の王子妃様には血を吐いてでも頑張っていただきましょう。


「ああ、楽しい……本当、いつまでも話は尽きませんけれど、薔薇に差し込む光もだいぶ西に傾いてまいりましたわね。イシュタリア様、セレスティン様とのお話は本当にいつも名残惜しくて……」

「本当に。薔薇を少し持って帰られませんこと? 今日の記念に」

「あらでも、皇国は遠いから、しおれてしまいそう……」

「うふふ……実は、砂糖を入手して薔薇の花びらを煮ましたの。それは素晴らしい香りが残りまして!」

「まあ、薔薇のジャム!」

「まあ、ひどいわ、そんな素敵なものをお作りになられたのに、お茶会にはお出しにならないなんて……」

「お許しくださいな。お土産にしていただこうと、隠しておいたんですの」

 そしてお嬢様は私にご命令されました。

「お二方のために薔薇のジャムを用意して」

「かしこまりました」

 私は頭をさげて、その場をあとにしました。

 用意周到なお嬢様はもちろん事前にちゃんとご用意されておられました。きれいなリボンとレースで飾られた、ガラスの瓶に入った紅色のジャム。ガラスは貴重品ですので厳重に緩衝材にくるんでお持ちするとしましょう。道中は馬車の旅、過剰包装くらいでちょうどよいのです。


「……執事、行きました?」

「ええ。行ったようですわ。……セレスティン様、時間がないので手短にお話しますわね。トアルの、うちの公爵領の中にはボー国の田園地帯によく似た風光明媚な村がございますの。国外追放ともなるとわたくしは二度とその地の土は踏めませんけれど。ええ、本当に素敵なところですのよ」

「セレスティン様。わたくしもそこを知っております。社交界とは離れますけれど、その分、外国の若い婦人が隠遁生活を送っていても詮索はされないかと……ですから、王子妃のご教育が終わったらすぐ、そちらにお引っ越しなさいませ。あの、気が利く若い執事と一緒に」

「……みなさま……?」

「兄の側室と『同じ』ではありませんか、あの執事?」

「セレスティン様があの者を拾い、ここまで執事としてご教育されてきたのをわたくしたちは見ております。どうかご決断なさって? あの者を見るセレスティン様の頬は、お庭の薔薇よりも紅うございますのよ?」

「………………………!!」

「貴族令嬢が結婚もせずに、という外聞がボー国内で人目に付く、というのなら、引っ越していらっしゃいませ。代わりに、といってはおこがましいですけれど、マルティン様を始めとする公爵家ご家族様のことはわたくしが目を光らせておきますので」

「それぞれ結婚したあとはこうやって頻繁にお茶をすることは難しいかもしれませんけれど……いつかまた、三人でお茶にしましょう」


「そんな……けれど、わたくしは公爵令嬢として他家との絆に……こんな。こんな想いなど許されないことですのに……」


「それはこの国の王子がもうすでに、おやりになられたでしょう?」

「真実の愛を貫きあそばされるのが、新しいこの国の在り方だと身をもってお示しになられましたのに」

「臣下の鑑ですわね、セレスティン様?」

 ふふふ。ほほほ。

「『転生者』には、身分も、父親の許可も、性別さえ必要ないのですって。真実の愛だけがすべてなのですわ」


 お土産の薔薇のジャムをお持ちしたときには、なぜかうちのお嬢様は羽の扇をひろげて顔を隠していらっしゃいました。

 お友達のお二方は、そんなお嬢様を見てくすくすと楽しそうでいらっしゃいます。

 お珍しい。私が席を外している間に、お二方のからかいの的にお嬢様がおなりあそばされた模様です。

 お土産を手に、お二方とお嬢様は別れを惜しんでおられ……そうして本日のお茶会は幕を閉じたのでありました。






 さて。

 この先は、余談です。

 その夜、お嬢様よりお呼び出しがあり、こんなことを聞かれました。

「わたくしね。一年経ったら、王子妃の教育係を辞してトアル国の田舎に引っ込もうかと考えたのだけれど……あなたは反対する?」

 もちろん私がお嬢様のなさることに反対するはずがございません。

 そしてさらに問いを重ねられるのでありました。

「ついてきてくれるかしら。……多分、一生になると思うのだけど」

 それはもうお嬢様が、他家の若君に嫁ぐ気がないとおっしゃったのと同義でございました。

 私は驚きましたが……深々と頭をさげました。

「ふつつかものですがよろしくお願い申し上げます」

「……ありがとう、ユリコ」

 病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで。

 二人で仲の良いおばあちゃんになりましょうね、私のお嬢様。

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