第15話 約束

 船出の朝、コノエと二人、港まで向かう。出航まで少し余裕があり、社へ足を運ぼうかとなって連れ立って歩いていくと、鳥居の前にナイア達の姿。

 今はまだかなり早い時刻なので、まさか来ているとは思わなかった。

 以前に紹介を申し出たら断られた経験もあって、コノエを連れて入ったものか迷いながら近付くと、ナイアから彼にはこの場に留まってもらうよう言い渡され、自ら判断を下すまでもなく一人で進むこととなる。


「おはようございます。まさか今日、お会い出来るとは思いませんでした」


「かなり迷ったのだがな。この早朝から妾が出歩くとならば供の者達も準備が大変であろうし。ただ、それでもお主の顔を見ておきたかったのよ」


 心做しか本日の彼女はいつもより覇気がないように感じる。身なりを整えここまで足を運んでおいて、寝起きに弱いからというわけもあるまい。何かしらあるのだ。


「今回の仕事は北西の果だそうな。人里としては最も遠い地だ。また暫くは会えまい」


「魔物を殺さずに済めば、精々一月少しです」


「うむ。だが、お主が帰ってきた頃には大分、状況が変わっておるかも分からぬな。その可能性が高い」


「何があるのですか」


「まず前回話した王室の後継者問題、あれがそろそろ片付きそうだ。ロウグを除いた三派閥で、良い加減に結論を出そうと話が纏まったらしい。悠長に何十年と議論して妾が子を産めなくなっても困るからの」


「禅譲狙いの派閥にはむしろ、引き伸ばしが望ましいわけですか」


 ロウグという魔術師にはまだ会ったことがない。随分な野心家のようだが、どんな人物なのだろう。エデンと同じく武闘派で、彼に比べて都にいることが多いとは聞いている。


「所詮は一番の少数派閥故、気にする程の存在ではないが……。お主だから言うが、どうなるにしても気が進まぬのよ」


「御自身で意向を直接示されれば、影響も及ぼせるのでは」


「それも怖い。宮中に籠もりきりの小娘に世間と政治の何が分かると言外に突きつけられるのが目に見えておる。それに実際、どの判断が適切か、妾自身にも答えがないのだ」


 これという案はないが、現状のそれには気が乗らない。女王はとても物憂げだった。


「ナイアが言うには結論次第で暴動も有り得るとの見方だが、お主の感覚として、この見立てはどうか」


「特に宰相はあまり評判が良くないそうなので、ひょっとしたら有り得るのかもしれませんね。南の方で煽っている輩もいるそうですし」


「それも聞き及んでおる。表面上は私財を分け与えているだけであるし、当の宰相はよもや実際に反乱などあるわけがないと然程気に留めるつもりがないようだ。無理に取り締まるよりも、不況に対する鬱憤晴らしとして丁度良い、と」


 溜息が一つ。


「独立派の動きが活発化していると貴族達からも知らせが入っているというのに、実権を握るあの男がそれではな。……自らで仕切れぬ妾が言う台詞でもないか」


「宰相殿の派閥は、お強いのでしょうか」


「エデンやシキのそれに比べればやや劣るといったところか。当初は最大派閥だったがこの数年でひっくり返った。ナイアやロウグのそれに比べれば強い」


 だがと、彼女は続ける。


「そうなると、あれを王族に呼び戻すのも気が引けるのよ。あれには陰鬱な宮殿になど縛られず、好きに生きて欲しい」


「あれとは、存在を秘匿されているという王族の方ですか」


「そう。とはいえナイアの言うような貴族との婚姻というのも……伝統の破壊は貴族側からの反発も強いはず。それに相手の候補も気に入らぬ。かと言って禅譲は祖先に面目が立たぬ」


「……エデン様は実力も容姿も非常に優れており、人柄の評判も良いと聞き及んでおりますが、それでもお気に召しませんか」


 あれで気に入らないのだったら誰ならば良いのか。単純に疑問だったのでつい口にしてしまう。


「そのようなことを言わんでくれ。お主の口から左様な台詞は聞きとうない」


 すると女王は拗ねた顔をして、俺の両肩に手を置いた。

 突然のことに一歩後ろに下がりそうになるのをぐっと堪える。そのまま見つめ合い、やがて意を決し俺からも手を伸ばし、その身体を抱きしめる。

 嬉しくはあるが、何が起こっているのか。


「いっそ、どうじゃ、このままそこの社に駆け込んで、共に諸人を裏切ってみるのは」


「……それは、どういう意味で」


 胸元から聞こえる声に問い返した。


「言わせるな、恥ずかしい」


「では何も聞かず、このまま本当に社の中へと連れ込んでしまいましょうか。魔王様も俺達を引き合わせた当事者だ。まさか文句もないはず」


「うむ、それが良い」


 顔を上げた彼女と、口付け。


「だが今は止めておこう。まだ勇気が足らぬ。全てが気に入らぬ形で決まりでもすれば腹が座るはず故、そのときはまた、ここでこうして、妾と会ってくれるか?」


「……勿論」


「ありがとう。今はそれで十分よ」


 それで名残惜しくも抱擁は解かれてしまう。


「この時刻からここに立ち寄ったということはこれから旅立ちであろう? 船か」


「はい。間もなく出航です」


「では、もう行くが良い。またな」


 女王に見送られ、俺は境内を立ち去った。

 まさか彼女の側からも良く思われていたとは。流石に身分違いが過ぎると考え期待していなかった願いの成就が僅かにでもチラついて、胸中はとても乱れている。

 合流した途端、何かありましたかとコノエに問われたので、目に見えて動揺しているのだろう。

 船に乗り込み、甲板から海面を見下ろして一息吐いていると、幾らかして出航の合図。東の沖へ向けて船が進み出す。


「あれはどなたでしょうか」


 俺は丁度背中を向けていて気付かなかったそれに、コノエの発言によって気が付く。振り返ると浜辺に立った女王が俺達を見送っていた。

「ああ、偉い人だよ」と曖昧に答えを濁しておく。

 彼はじっと、浜辺の人影に目を凝らしていた。

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