第17話 式神

 早朝から賑わう町中を通り過ぎ、宮殿前も通過して港へ。馬車を降りて社の入り口に向かった。この時間でも相変わらず人が立っている。鳥居を潜って社に到着し、それからアミュレットを受け取って、彼女の見ている前で儀式を執り行った。

 一連の作業を終えると、手順に問題がなかった旨が告げられる。


 用件が済み、最後に社へ向かって頭を垂れて祈っていると、不思議なことが起こった。自分は確かに目を閉じているはずなのに、視界が生じている。丁度目を開けたら飛び込んでくるはずの光景だ。

 その光景はするすると移動を開始し、宙へと上っていって自分の背中が見えてくる。

 一体何が起きているのかと思い目を開けようとしたが、開けられなかった。身体も動かせない。傍らから訝しげにこちらの名を呼ぶ声が聞こえるし、こちらの顔と上空を交互に窺うアリサの姿も見て取れた。


 社を囲む木々すらも見下ろせる程に視界が空へ上った後、それは凄まじい勢いで西に移動する。見ているだけで肝が冷えるよう速度だった。森を越え、石塀を越え、王宮の敷地らしき場所を移動していく。

 やがて視界の移動が止まると、そこには美しい女がいた。俺と歳は近そうだ。髪の長い、東洋系の容姿。着替え中らしく下着姿を晒しており、部屋の様子や侍女に着替えを手伝われていることから身分の高い女性であることは間違いなかった。相手にはこちらの存在がどのように見えているのか、少なくともまるで感知されていないということはないようで、目を見開いて見つめ返していた。


 否、正確に正面から視線が向き合っているわけではないので、直感的に存在を感じ取られているだけだろう。

 視界が更に女へと接近して、肌の触れる感触。何事か囁くような声が聞こえるとそこで謎の現象は終わり、身体の自由が戻ってきた。

 目を開くと正面にアリサの顔。


「何があったの? 貴方の身体から空に、見えない何かが上っていく気配がしたけど」


「すみません。急に、身体の自由が利かなくなりました」


 言いつつ、両膝を着いてへたり込んでしまう。精神的な疲労があった。


「他には何かあった?」


「視界が勝手に移動して、そのうち宮殿のどこかにいる、女性のところへ」


 答えを聞いた彼女は直ぐに視線を周囲に巡らせた。俺自身もまた周りに目をやると、社の警備を担っている二人がこちらを見ていた。敷地は広大で距離は遠く、万が一にも話の聞こえる距離ではなかったが、アリサは戻ってから話そうと言う。


「立てそう?」


「どうにか」


 よろけながら立ち上がろうとすると、驚いたことに彼女は地肌が直接触れないようにしつつ、こちらを支えてくる。

 二人で馬車へ戻る途中、警備役が大丈夫かと声を掛けてきたが、少し目眩がしただけと答えてそのまま立ち去った。

 馬車に乗り込み屋敷へ戻ってアリサの部屋に入った頃には凡そ回復しており、それから改めて詳細を問われる。こちらの知っている限りを教えると彼女は少し考え込んでから口を開いた。


「多分、女王陛下だよね、それ」


 宮殿にいる、東洋系で俺と同年代の、身分の高い美人。薄々予想していたが、アリサが導き出した答えも同じだった。


「拙いですよね、これ……」


「厳密にはそうでもないんだけど。まあ、陛下次第じゃない? 黙っておいて、万が一問い詰められることがあったら魔王のせいにしておきなよ。お祈りしてたらいきなり視界が移り変わってどこかの景色が見えたって」


「それで通じますかね」


「信じてもらえるかは一か八かだから、出来れば黙っておくに越したことはないかな。神様のやったことだから、事実として責任を問われる立場にないんだし」


「そうしておきます」


 女王の着替えを覗くなど、かなり拙い行いをしてしまったのではないかと危惧していたのだが、そうでもないのかもしれない。確かにこちらが意図して行ったのは神に祈るところまでで、そこから先は俺の意志ではないし、理屈として責任を問われる謂われはない。それにあの場で覗いていたのが俺だと突き止める術も、あるのだろうか。

 ところで、魔王は俺に女王の着替えなど見せて何がしたかったのだろう。その部分は全く見当が付かない。無意味ということもないだろうが。


 いや、別に着替え中だから態々見せてくれたわけではないか。着替えについては偶々だ。


「それにしても、宮殿は結界で守られてるはずなのに良く入れたね」


「やっぱり魔王の霊魂は強力なんですね」


「サコン自身の力も影響してると思うけど、身体の自由を奪って強制的に魔術を行使させるなんて。しかもあれ、上位の式神でしょ? 詳しくないけど、かなり高度な術のはずなのに。こういうのは記録にもなかったなぁ」


 アリサへ魔王の意図について尋ねてみると、知りようもないと一蹴される。


「魔王は三神のどの加護も強かったっていうし、はっきり記録で明言されているわけではないけれど占いも得意だったでしょうから、何かの縁でも知らせたかったんじゃない?」


 陛下は独り身だし、何かあるかもね、なんて珍しく冗談も飛んできた。


「で、陛下の裸、どうだった? サコンの好み?」


「……不敬になるので言えません。それと、下着は着てました」


「悪くなかったみたいね」と微笑しながら言われ、反応に困った後、それではそろそろ式神の魔術を試してみようかと切り出された。それに応じて、俺はそそくさと懐から形代の紙を取り出す。

 先程は魔王の思し召しによっていきなり上位の式神を行使させられてしまったが、今から意図して自力であれを再現しろと言われても出来る気がしない。俺自身の技術を高めるにはやはり、俺自身が経験を積まなければ。


 裸身の美女を脳内から追い払い、どうにか手元の紙に意識を集中して呪いを唱える。厳密には形代も呪いも意識を集中させやすくするための補助に過ぎないのだが、それらがあって尚、式神の行使とは簡単なものでないらしく、一度で成功することはなかった。

 繰り返し試みては失敗した後、更に難度を下げることに決め、形代を別なものに取り替える。今しがた使っていた紙には「人」の字が書かれていて、次の形代には「鼠」と書いてあった。

 小さいし、人間に比べれば外見も単純だから少しは容易だろうという判断だった。


 形代を手に再び呪いを唱えてみると、今度は上手く行く。形代が鼠に変わった。掌中のそれを床に下ろしてやると、こちらが意図したままに歩き出す。辿々しい足取りでアリサの方へ向かっていった。その様を見ていると思わず笑顔になってしまう。

 完全な独力で魔術らしい魔術を行使出来たのはこれが初めてだった。結果の感じづらい祭祀や、備え付けの燭台に魔術光を灯すのとは全く次元の違う達成感がもたらされる。歓喜に震えそうだった。


「おめでとう」と、その鼠を見下ろしながらアリサは告げる。

 続けて鳥、小犬と成功させていき、最後に再び人間の式神に挑戦すると、まるで反応のなかった最初の頃と異なってちょっとした変化。少しだけ何かが生じかけて、消えてしまった。

 やはり難しい。


 体躯を小型にすれば或いはと思い立って試してみると、それでも失敗。

 大きさを再現する魔力が足りないのではなく、複雑な外見の再現に苦戦している感じがする。

 ふと思い至って、ポケットに仕舞っておいたアミュレットを取り出した。魔王に繋がる方のそれだ。金毛に繋がっている方は首に下げてある。少し助力でも得られればと思い立ったのだ。


 片手にアミュレットを握りながら魔王の名を呼び、助力を求めてから改めて呪いを唱える。すると今度こそ、人型の式神が出来上がった。

「私だ」と、アリサから声が上がる。


「すみません。式神を作る際、ついお姿が頭に浮かんで……」


「ううん、良いよ」


 そう言いながら彼女は自身の姿をしたその式神へと手を伸ばし、肌に手を触れた。ぺたぺたと触りながらその出来栄えを確認しているらしい。襟元を引っ張ってその中身を確認し始めた際には戸惑い、顔を逸らしてしまったが、実際その部分はどのようになっているのだろう。服の内側までは想像していなかった。

「こっちは私とちょっと違うね」と、アリサ自身から答えがもたらされる。少なくとも外見程には彼女の肢体を再現出来ていなかった様子。


 視線を戻すと彼女は式神の子犬を抱きかかえつつ、それじゃあそろそろいつもの勉強に戻ろうかと告げた。好奇心もある程度満たされたので異存はなく、式神は出しっぱなしにしたままいつもの席へ。

 祭祀の本を開いて読み始める。


「それ、もう一回読み終わったら祭祀の巡行に出るからね。もしかしたら私じゃなくて、ケイの……、妹の随伴になるかもしれないけど。それが無事に済んだら見習い卒業だから」


 唐突な宣言に驚いて視線を向けるがそれ以上説明されるようなこともなく、終わってもここには顔を出してねと言われたので、素直に頷いておいた。

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