第18話 貴族からの依頼
「やー、サコン、ただいま」
「お帰り。いつの間に帰ってたんだ? 昨夜は気付けなかったな」
「たった今。いや、夕方くらいには一度戻ってたんだけど、そのまま町まで繰り出して、朝帰りさ」
寮の食堂で朝食を取っているとタダツグが姿を見せ、どっかりと向かい側の席に腰を下ろした。まず間違いなく二日酔いの影響もあるのだろうが、随分と疲れている様子だ。
「セスは?」
「多分、まだ帰ってないね。僕らは今日明日、お休みだ」
見習いでも休暇が貰えるようだ。この疲れようでは無理もなさそうだが。
「結構な長旅だったな。どうだった?」
「中々、大変なものだね。最初は国中のあちこちを見て回れると思って楽しみにしてたんだけど」
「案外観光して回る時間もなかったとか?」
「そうだね。現地での余分な時間も勉強させられてたよ。それに殆ど一地方の田舎を転々とするような旅だったから、似たような景色ばかりさ」
実は内心、俺も巡行の旅へ期待を抱いていたのだが、どうもそこまで面白いものとは限らないようだ。アリサなら現地の観光くらい好きにさせてくれるのではないかと期待出来たが、仮にその妹のケイへの同行となった場合にはどうなるか分からない。
タチバナの一家のうち、アリサとは毎回顔を合わせるのだが、他は精々シキと遭遇して挨拶を交わす機会がある程度だ。その妹や母親については良く知らない。
「いや、でも、朗報もあるんだ。良いことに気が付いたよ」
「ん?」
それまで疲れ切った表情をしていたタダツグがにやりと冗談めかした笑みを浮かべる。
「魔術師、やっぱり結構モテるみたい」
「な、成程?」
何か良い思いしてきたな、こいつ。一瞬で察せられる口ぶりだった。
「魔術師の素質があるって判明してからは、見習いとして学院に詰め込まれっぱなしだから分からなかったよ。昔はあんなに沢山色んな女の子に声を掛けて何も起きなかったのに、見習いとはいえ魔術師の肩書が付いた途端あれだもんなぁ」
「そんなに変わるのか?」
「変わるね」
「地方の女からしたら肩書はどうあれ、余所者に過ぎないだろうに」
「逆だよ。私を都に連れてって、てな具合さ」
そうなるのか、と納得。地方の片田舎から魔術師の妻として拾われて、一つ上の身分での都暮らしへ一変する。異性の心情ながら分からなくもない話だった。
「あんな簡単に童貞を卒業出来るとはね」と、流石に若干声を潜めて彼は言った。「都に連れて行く女でも見つかったってこと?」と訊くと「まさか」との答え。悪びれる様子もない笑顔。「相手だって本気で言ってたりしないでしょ。初対面の人と結婚なんて」と続くが、本気で言っていたのではないだろうか。女心の解釈合戦なんてしても仕方ないので、言及はしない。
「ガキが出来たって手紙が届かないと良いな」
「何言ってるのさ。たった一晩の話で」
「その『一晩』を何回やったんだ?」
真面目に振り返って数え始めたので、やはり答えなくて良いとそれを遮る。本当に楽しめたらしい。
「まあ、手紙が届いたって同じだよ。本当に僕の子か分からないんだもの」
それもそうだなと思う。実際にこいつは貴方の子を身籠りましたとか、関係を持った相手から報告が来ても気に掛けないのだろう。他人の失言失態へ寛大な代わりに、自分が過ちを犯すことについても無頓着な印象だった。
俺だったならば、どうするだろう。完全に無下にする自信はなかった。
洛外でちょっとした縁があっても、身を慎むのが賢明かもしれない。
そもそもそうした話もタダツグの積極性があるからこその出来事で、俺には無縁な気もする。
「あ、そうそう」
その言葉と共に再び彼の声が潜められた。
「洛中で相手を探すんなら、やっぱプロを選んだ方が良いと思うな。昨夜試してみた僕からのアドバイス」
「……ありがとう。良いことを聞いた」
タダツグから具体的に店の所在を幾つか聞かされる。見習いとしての俸禄でも、時折通う分には問題なさそうだ。これまでもそうした店の存在はセスから聞かされていて関心はあったが、実際の店の場所までは分からなかったし、そもそも時間がなかった。巡行の旅の後にはどうやらそうした暇も手に入りそうなので、その際には是非とも足を運んでみよう。
「あれ?」と、その時向こうから見知った人物がやって来るのが見えて声を上げた。タダツグもそれに反応してこちらの視線の先を追う。羽織を纏った和装の、寮にはいないはずの人物。シキだった。
彼はこちらに気が付くなり真っ直ぐに向かってきて「おはよう。隣良いかい?」とにこやかに問うてくる。応じると隣席へ腰を下ろした。
「貴族は小さい頃から身内で教育を受けて、見習いらしい期間が存在しないからね。こういう空間は新鮮だな」と前置きしてから、彼は一通の手紙を取り出す。
「こちらは学友? 仕事の話だけど、このまま話しても良いかな?」
「はい、大丈夫です」
タダツグへシキのことを簡単に紹介してから手紙についての話が始まる。
「昨夜、私の下へ届いたものだよ。差出人はエデン。君の手を借りたいらしい」
エデンといえば俺がノイルを旅立つ際に出会った魔術師で、都の貴族の中でも筆頭格の実力者だったはず。面識は一度きりだし、それだけ高名な人物が俺のような見習いの手を借りたいというのはどういうことだろう。しっくりと来ない話だった。
向かいの席のタダツグも困惑しているようだ。
「申し訳ないのですが、状況が良く飲み込めません」
率直に述べてみると、シキは「ふむ」と言って少し考えてから答えた。
「まずこれが君ではなく私の下へ宛てられた理由だけど、これは君がタチバナの影響下にある人物だと、彼が私に対して尊重してくれているからだ。他家に属する魔術師へ直接仕事を依頼してしまうと、その家を蔑ろにするようなものだからね。平民同士でのことなら問題視はされないのだけどね」
貴族間の礼儀の問題か。
「屋敷で待っていれば直ぐに君が訪れるところを私が態々足を運んだのは、ここの内部に興味があったから見に来てみたかったのと、その方が早いからだね。これからこの手紙を持って事務局に行かなければならないし、他にも面倒を見なければならないこともある」
そこまで話してからシキは手紙の入った封筒を開ける。中に入っていた便箋を見せながらその内容を要約して話し始めた。
「挨拶部分を省略して説明すると、こうだ。彼は先日、仕事で地方に現れた魔物を退けようとしたが、その際止むを得ずその魔物を殺害してしまった。こういう場合、普通はそのままその霊魂を鎮めるまでが仕事になるのだけど、他の場所でも強力な魔物が現れていて、出来れば時間を掛けたくない。そこで祟り神となった魔物の鎮撫は別な者へ任せることにしたそうだ」
高名なだけあって忙しいようだ。それだけの人物が撃退に留められず致し方なく殺害した魔物とあればさぞ強力なはずだが、何故そこで白羽の矢が俺に立ったのか。
「私に君のことを紹介してくれたのは彼でね。何度か手紙で君の教育状況についてやり取りしたこともあるし、目を掛けられているのだろう。祭祀の勉強が順調なら任せてみたいと書いてある。姉に確認したら大丈夫だろうと言われたので私もこの頼みを受けることにした。……というわけで、やってくれるね?」
そう言われ、一も二もなく承諾の返事をする。世話になっている貴族の言葉だからというのもあるし、お偉い貴族から指名された仕事を成功させられれば何か良いことがあるのではないかという期待もあった。具体的には俸禄のアップとか。
仕事内容は祟り神の鎮撫という、祭祀の知識さえあれば後は単純に魔力量が勝負となるものである。そしてエデンは俺の魔力がどの程度か知っており、そんな人物が振ってきた仕事なのだから、こなせないことはあるまい。
「それと、君はまだ見習いだから一人で行かせるわけにはいかないんだ。最初はケイを同行させようかと思ったんだけど、話をしたら驚いたことに姉が付いていくと言い出してね。普段はあまり外出したがらない人なのだけど。サコン、うちの姉さんとは上手くやれているかい?」
問われて、曖昧に肯定しておく。
そういえば彼は貴族タチバナ家の、一家唯一の男子として彼女とそうした関係を結んでいるはずだが、余所の男である俺がその姉と、しかもその私室で仲良く過ごしていることに含みはないのだろうか。少なくとも目の前の相手の表情からはそうした感情は読み取れない。多分、上手くやれていると思うというこちらの答えにも笑顔だ。
「姉さんはね、これまでも何度か弟子を取ってもらってきたのだけど、何が気に入らなかったのか皆合わなくて、早々に面倒を見るのを止めてしまうことばかりだったんだ。だから漸く相性の良さそうな人が見つかって良かったよ」
反応を見ている限り、近親相姦的な気配など感じさせない、姉と弟の関係にしか見えなかった。
「私はこれから事務局に向かうから、君は支度が済んだら先ずは事務局に立ち寄って仕事の詳細について確認しなさい。見習いだけど魔術師としての正式な仕事だから、正装が支給されるよう取り計らっておくよ。祭祀の道具もね。道具一式を受け取って正装に着替えたら屋敷へおいで」
と告げて、シキは去っていく。
すると暫く黙っていたタダツグが興味深そうに詮索を開始してきて、それに答えたり答えなかったりしながら、話してばかりで止まっていた食事の手を再開するのだった。
良く聞けば、先程の会話を盗み聞きしていた周りの見習い達もひそひそと、こちらの話をしているのが聞こえてきた。
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