第4話 襲撃

「なんてことしやがる」


 思わずそう言い返すと、相手は持っていた鍬の柄で殴りつけてきた。側頭部を殴打されて死骸の上に転がる。反射的に顔を上げると親父が間に割って入っており、彼の取り巻きも止めに掛かっていた。


「村のためにやったんだぞ! 少しはこっちの気持ち考えろよ!」


「無断で出てった上に人の身内を祟りに巻き込んどいて言う台詞か? これから村は祟られるし重たい税金に苦しむことになるけど、村のために頑張ってくれたんだねありがとう! なんて言われるわけないだろうが」


「そういうことじゃねえ!」


「何がそういうことじゃねえのかはっきり言えよ碌でなしが! 蹴り飛ばされて頭は打つわ、弟はとんでもない目に合わされるわ、これから更に悲惨な事態が待ってるわで罵倒の一つも飛んでこないわけないだろう!」


「サマは自分で付いてきたんだ!」


「どうせ例によって例の如くの威圧的な振る舞いで同意させたんだろ。見え透いてんだよ」


「決めつけるな!」


「日頃の振る舞いからしたら当然の推測だろう」


「二人共、兎に角一度、皆と合流しよう」


 起き上がって罵声の応酬をしていると親父が頭を振りながらそう口にした。ダリもこちらを睨みつつ押し黙ったので、こちらも何も言わないでおく。魔物の死骸に触れた手足から気の所為かもしれないが不快な感覚がしたので手で叩いたり服で拭ってみたりしていると、それらは直ぐに消えた。


「皆、来てるんですか?」


 そう問いかけたのは一行に参加していた女の子の一人だった。


「若い大人で駆けつけられた人は大体ね」


 親父が応答しているうちに弟のサマに近寄ると、相手は顔を伏せてしまう。


「怪我はないか?」


「……うん、大丈夫」


「その農具はどっから持ってきた。社に来た時は持ってなかったろ」


「前の日に、道の途中に隠しといた」


 流石に十人も集まって農具を手にぞろぞろと村の中を移動していては何事かと目を付けられるだろうから、そのように仕込んだのだろう。俺はあまり農作業に携わらないから気が付きようもないが、一行の家族は今朝になって道具の一つが見当たらないと、首を傾げていたのかもしれない。


「祟りのことは都から来る魔術師様が何とかしてくださるさ。後はまあ、相当絞られるだろうけど…………頑張って働けば良い」


 そう告げると、弟は小さく首肯した後、ぽつりと謝罪の言葉を口にした。

 一方で、背後からは「祟りなんかあるわけないだろ。魔術師なんて、金の無駄だ」とダリの悪態。不都合なものを否定したいのか、それとも本当に信じていないのか。どちらにしても応答してしまえばまた絡まれること必至なので、反応はしない。


 ところがここでサマが顔を上げ「祟り、あると思う?」などと問うてくるものだから、答えざるを得なかった。


「あるだろうけど、さっきも言ったように、魔術師様ならきっとどうにでも出来るよ」


「ないって言ってるんだ!」


 案の定、ダリが再び絡んでくる。普段よりも絡み方が激しいのは、内心の不安によるものだ。


「いや、あるでしょ。態々国が対応してるくらいだし。魔物を殺して不作になったって話も沢山あるんだから」


「ねえよ! あったとしてもこんな山奥から届くわけがない!」


「距離の問題なのかねぇ」


 都合の良い楽観論にうんざりした調子で返すとまた激昂したのだろう、歯茎をむき出しにした怒り顔で武器を振りかぶる。

 また殴られるのかよと心中で毒吐いたところ、ダリの動きが止まり、表情が凍った。


 何事かと訝しんで後ろを確認すると、巨大な何かが遠くに見える。それは瞬く間に接近してきて、こちらが何も反応出来ないうちに目の前へ。

 見上げる程の体躯をした銀色の獣だ。犬か狼のような見た目だが大きさは段違い。俺達の前で止まると、澄んだ青色の瞳でじっとこちらを観察する。


 誰も、何も言葉を発せなかった。

 明らかに、そこで転がっている魔物とは格が違う。そう判断する根拠は、一重にその体格差だ。ダリ達に殺された魔物は精々大きな牛や豚くらい。対してこちらは目の前に立たれると、はっきり見上げなければその瞳が視界に入らない。


 今日は散々だね。そう心中で呟きつつ、傍らにいた弟をそっと後ろに下がらせた。刺激しないようにと小細工をしながら距離を取って逃げられる相手では有り得なかったが、試みないわけにもいかない。

 その瞬間、犬が吠える。巨大な体躯で吠えられたのだから迫力は堪ったものではなくて、一歩、二歩と後ずさった。


 そのまま何度も繰り返し吠えられているうち、ひょっとしてこのまま立ち去れということかと、そんな解釈が浮かんだ辺りで咆哮が止む。

 静まり返ったと同時に、周囲に感じていた嫌な気配、魔物の怨念らしきものがかなり薄れていることに気が付いた。

 犬の瞳が真っ直ぐに俺を見つめる。


「お主」と、涼やかで落ち着いた声音が響いた。


「この凶行に加担したか? この穢らわしい蛮行に。嬲り殺しとは、血も涙もない」


 侮蔑のようにも、哀れんでいるようにも聞こえる声で、犬は問う。


「いいや、俺はやってない」


 恐ろしく思いつつもどうにか答える。答えられたのは多分、相手が恐ろしいだけでなく美しかったからだ。恐ろしさ一辺倒だったらもっと竦み上がっていて、まともに受け答え出来なかったかもしれない。


「だが、そこの魔物からはお前の匂いがするぞ? お前からも魔物の匂いがする」


「さっき殴り倒された時に、死骸の上へ倒れ込んだからだろう」


「そうか。そうなのだろうな。信じよう。穢れは移らなかったか?」


「……触れた後、おかしな感覚はしたけど、手で叩いて、服で拭ったら消えた」


「そうか」


 そう言うと、犬の視線は俺から外れた。

 次の瞬間、牙を剥いて打って変わった凶暴な形相になり、こう叫ぶ。


「儂の縄張りを穢したな! 死ぬが良い!」


 え、結局殺されるの、と身構えた直後、死んだのはダリの仲間の一人だった。

 大きな口でばくりと頭を加え、そのまま縦横無尽に振り回す。あれではどう足掻いても首が保つまい。


 仲間への攻撃を見て、立ち向かう者はいなかった。後ろから悲鳴が上がり、皆の駆け出す音。死体が犬の牙から開放され、彼方へと飛んでいく。


「サコン、逃げるぞ!」


 親父の声に振り返ると、既にサマの手を引いて走り出していた。

 逃げようとして逃げられるものではないだろう。無意味だ。為す術がない。それに多分、俺は狙われない気がする。あれは祟りで己の縄張りを穢されたと怒っているのだ。態々こちらとやり取りし、無実を信じるとまで言っておいて、殺しに来たりはしないはず。そもそも一番近くにいたのは俺だったのだから、殺すのならば俺から殺されている。


 そして恐らく、親父も殺意の対象には入っていない。そこの魔物に祟られていないことから、殺しに参加していないと分かるはず。

 でも、サマは駄目なのだろうな。


 そう思いつつ、仕方無しに弟のため走り出した。庇えるだけは庇ってみよう。

 俺を除き、一番逃げ足が遅かった女の子の一人を犬の牙が襲う。今度は首をへし折って放り捨てるなどという生易しいやり方ではなく、上半身が半ばから食い千切られてなくなっていた。


 後ろを振り返ったサマがその光景を見て転んでしまう。親父がそれを抱き起こすより先に追いつき、俺は鍬を捨て、弟を脇に抱えて走り出した。もう足が竦んでしまっているようだったので、こうした方が幾らか速い。


 というより金毛様の加護のお陰で、そんな状態でも他より速く駆けることが出来た。親父を置いてきぼりにし、女二人と男五人を追い抜いて山道を登っていく。「お父さんが……」と脇から声。


「親父は大丈夫だ。土地を穢してないのはあの魔物も分かってる」


 大犬は今、どこまで迫っているだろう。俺達が追いつかれるまでに七人分の手間がある。一人一人丁寧に嬲り殺してくれていればその分、逃げる時間は増えるのだが、一息に上半身を噛み千切ったあの殺し方を見るに、いずれも瞬殺されて終わりだろう。

 遠く前方には、既に山の峰まで登りきろうとしているダリの姿。流石の身体能力で、一人だけ圧倒的な速度で逃走している。


 背後から獣の足音が迫ってきているのが分かり、心底恨めしい想いを抱えながら、俺はその背を見つめて走った。

 背中を押される感触がして、斜面へと倒れ込む。何かに強く圧迫される感触。恐らくは犬に踏みつけられている。倒れ込んだ拍子に身体の正面を打ったことで、消えていた胸部の痛みが戻ってきた。


 激痛の中、俺も殺されるのかなぁと我が身の心配。無駄に弟を庇わなければ見逃してもらえただろうに。しかしながら、仕方ない。

 俺は前方、峰の影に消えていこうとしているダリの後ろ姿に力を振り絞って手を伸ばし、指を指してこう言った。


「祟ってやるからな」


 こんな事態を引き起こした碌でなしに対する全力の呪詛だった。

 次の瞬間、背中から掛かる圧力が増して、俺は気を失った。意識が薄れゆく中、大きな獣の足音を聞いた気がした。

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