第2話 神の加護

 蹴り飛ばされて意識を取り戻すまでどれくらいの間があったのか、目覚めた頃には既に連中の姿もなく、胸部が痛む中、俺はふらつく足取りで村の年長者達の下へ急いだ。


 村には魔力を帯びた神聖な巨石があって、大体の村人はそれを信仰している。先程まで俺がいた社はあくまで祟り神を鎮めるために止む無く建立されたものであって、近寄る者は少ないのだが、こちらは足を運べば村長や、そうでなくとも誰かしら年長者が屯している場所だ。


 巨石と、その傍にある四阿あずまやが見えてくる。

 俺が少々不審な足取りでやって来ると、その場に居合わせた老人達は怪訝な顔でこちらを窺い、一人が様子のおかしいことを指摘して声を掛けてくる。


「ダリ達がやって来て、魔物を追い払いに行くから付いて来いと誘われました。あれは他の皆も承知した試みでしょうか」


 問うとその場の皆がぎょっとして顔を見合わせた。やはり極若い衆による暴走らしい。魔物の出没については既に役人へ報告したと聞いていたので、それはつまり金を渡して国へ対応を任せた後である。村の総意による判断ではあり得なかった。

 村長が慌てて四阿から出てきて尋ねる。


「それは、いつの話だ?」


「先程、社の掃除中に訪れて……断ったと同時に蹴り飛ばされて、暫く昏倒していたようなので、もしかしたらそれなりに時間が経ってるかも」


 これが晴れの日ならば太陽の位置で大凡の時間経過を察せられただろうが、生憎と分厚い雲が広がっている。


「お前が掃除してる時間となると……今から追いかけるにもギリギリだろうな」


 それから年長者達が動き出し、大急ぎでダリ達を呼び戻すための人員が集められることになった。ついでに彼らが本当に向かったのか確認するということで、一行にいた面子を確認される。面子の中には普段ダリと親しくしているうちの何人かが含まれていなかったため、彼らが何か知っているかもと、そちらも問い質しに向かうようだった。

 俺を誘って、仲間を誘わなかった道理がない。彼らも何か聞いているはず。


 巨石の場にいたのは老人ばかりで、追跡にはもう少し若い面々が向かうことになるらしい。そうでなければ追い付けないだろう。反対に歳の近過ぎる者が止めに行ったのでは、ダリを止められまい。

 とはいえ、一行の中に弟がいたため、こちらもただ見ているだけとはいかなかった。恐らくあいつは率先して協調していたのではなく、ダリに逆らえなかったのだ。あいつだけでもどうにかして連れ戻さなければ。


 そう思って村長に自分も向かうことを申し出たのだが、どうやら俺の疲弊具合は相当なものに見えたようで、その身体では無理だろうと止められる。彼らの追跡には親父も加わるのだから、そちらに任せておきなさいと諭された。

 家に帰って休んだ方が良いとも言われたが、こちらは社の管理を中断してここを訪れている。追跡に加われないのならば、せめて仕事を全うしなければと、社に戻ることにした。


 慌ただしくしている皆に背を向け、来た道を戻っていく。

 この後はどうなるだろうか。


 上手く行けば単にダリ達の手によって魔物が追い払われ、作物と家畜の安全が守られるだけだ。魔物への対処は役人を通じて都に報告し、魔術師を派遣してもらって行うのが一般的で、法としてもそのように定められていると聞く。ただこの法自体に罰則はないそうで、村人も無事に魔物が追い払われれば口を噤んで敢えて報告もしないはずだから、後は魔物が姿を見せなくなったとだけ言っておけば、何事もなく終わることだろう。

 ダリは巨石の加護を受けていて、腕っぷしは極めて達者なはずなので、全く有り得ない話ではない。


 自分にとって一番悪い事態はそのダリが魔物に敗北し、弟を含めて全員が死亡する場合だろうか。他の面子の命などどうでも良いが、身内に死なれては気分が悪い。

 村にとって最悪なのは、これは村としても経験したことはなく、そういった事態が生じるという知識があるだけなのだけど、ダリ達の試みが、魔物の殺害という形で失敗することだろう。そういうことをすると魔物から祟られる。下手人自身への災いは勿論、その身内や、村全体にも作物の不作等、色々な形で現れ得るという。


 その祟りを鎮めるにも都の魔術師の手を借りなければならないのだが、そうなると法を無視して魔物へ手を出した負い目が効いてくる。


 本来ならば、都から魔術師を呼んで魔物へ対処してもらうことに、金銭は掛からない。魔術師が魔物を殺害してしまった場合であっても、魔物の霊魂を鎮めるための社や祠の建築費用は国の負担となるし、その怨念が鎮まるまでの間、作物の不作に備えて税の減免も行われる。

 実際には役人や派遣されてきた魔術師から賄賂を求められることが多く、本当に金が掛からないとは言い難い現状らしいのだが、少なくとも公式には無料。


 それに対して今回のような経緯で祟りを貰ってしまうと、魔術師の派遣費用や社、祠の建設費等が村への増税となって伸し掛かってくる。恐らくは不作に悩まされながら。幾許かの袖の下を出し渋るには高すぎるリスクで、そもそもの話、地方の一般人が魔物と対峙すること自体も相当に危険だ。

 つまりまともな頭をしていれば、今回のような試みは仕出かさないのである。


 ダリは何を考えてこのような凶行に至ったのか。予想するなら、聞きかじった賄賂の話にけしからんと腹を立てたのと、巨石の加護による武力に自信があったのと、祟りの存在を信じていないことの合せ技といったところか。一行に女性が数名混じっていた辺り、良いところを見せてやろうという気持ちもあったのかもしれない。


 社に辿り着き、行儀が悪いと思いつつもその階段に腰を下ろして息を整える。呼吸をする度、未だに苦しいのだが、ひょっとしたら骨に異常でもあるのではないかと心配になってきた。

 彼らは今頃、どうしているかと考える。上手く行かれてもダリが増長して非常に不快だし、さりとて失敗に終わられても困る。弟に死なれるのは勿論、魔物を殺害し、不作と増税の原因をもたらした一団に身内が参加していたとなるのも怖い。村での立場が非常に悪くなる。


 適度に魔物へ敗北して、逃げ帰ってきてくれれば良いが。

 俺を蹴り飛ばしたあの野郎は、是非とも魔物に殺されてしまえ。


 あまり悪い結末になりませんようにと痛みに耐えながら社の主へ祈っているうち、苦痛のためか思考と祈りの内容はいつの間にか入れ替わっていて、不意に胸の痛みが治まった。

 体力が溢れてくる感覚がして、階段から立ち上がり、社を振り返る。


「行けってこと?」


 この変化は祟り神の加護だろうか。単にむかっ腹が立ったのとは違う、明らかな変調。霊魂にその真意を問うてみても当然返答はない。

 何がどうして助けられているのか見当も着かなかったが、身動き出来ずに悩んでいたところを動けるようにしてもらったのだ。行くしかあるまい。

 俺は立ち上がり、ダリ達の追跡隊と合流すべく走り出した。

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