黒澤舞子

鈴音の母親である、黒澤舞子には不思議な能力があり、少し先の未来が見える力があった。その能力の事は鈴音の父親である黒澤陽介も体感しており、自分の持つ力を決して私利私欲の為には使わず、困った人を助ける為に必要な時に使おうと陽介と話あっていた。何より陽介のそんな想いが舞子にとってはどんな事よりも嬉しかったし、陽介を伴侶に選んだ最大の理由でもあった。やがて2人の間には子供が産まれ、鈴音と名付けられた。鈴音はすくすくと育ち5歳の誕生日を迎える。この日、舞子は娘の誕生日に好きな物を食べさせようと朝から張り切っていた。

「痛っ!」キッチンにいた舞子は包丁で自分の指を切ってしまった。

「ママ?」鈴音は舞子の側に駆け寄る。

「大丈夫?」鈴音は舞子の指から流れる血を見て心配そうに舞子の顔を覗き込む。

「あはは、失敗しちゃった。大丈夫よありがとうね。」舞子は流水で傷口を流す。

「見せて。」鈴音は舞子の指に触れた。すると淡い光が舞子の指を包み込み、傷口が塞がっていく。

「えっ?」舞子は驚いた。

「ママもう痛くない?」鈴音は舞子の顔を見る。

「え、えぇ。鈴ちゃん今のは?」困惑する舞子。

「良かった♪」鈴音は満面の笑みを浮かべる。

「鈴ちゃん、いつからそれ出来るの?」舞子は複雑な想いで鈴音に聞いた。

「う〜ん、忘れちゃった。」鈴音は無邪気に答える。

「...」舞子は少し考えたあと、鈴音に聞いた。

「鈴ちゃん、ママ以外に誰かに今の見せた事ある?」鈴音は少し考える。

「うんとね、公園でおばあちゃんのお背中ナデナデした事ある。」

「おばあちゃん元気になった?」

「うん!ありがとうねって飴くれたの。」鈴音は元気に答えた。

「そう。良かったわね。」舞子は笑顔で鈴音の頭を撫でた。

「鈴ちゃん、ひとつママとお約束してくれるかな?」

「なぁに?」

「鈴ちゃんのした事はとっても良い事なの。でもね、中にはビックリしちゃう人もいると思うの。」

「うん。」舞子は優しく鈴音の頭を撫でながら言った。

「だから、今度それをする時には、ママかパパにやってもいいか聞いて、いいよーって言ったらにしようか?」舞子は鈴音に優しく言い聞かせる。

「うん、わかった。」鈴音は無邪気に答える。

「約束ね。」舞子と鈴音は指切りげんまんした。

「うん!」鈴音は笑う。

その日、陽介が帰って来たら舞子はすぐに話をした。まさか自分と同じ特殊な能力を持っていたなんてと、舞子は鈴音の未来に一抹の不安を覚えた。それは自分が特殊な能力を持っているが故に、娘にも同じ想いをさせたくないという母心であった。鈴音の父親である黒澤陽介は株式会社黒澤工業の社長であった。社長と言っても小さな町工場で貴金属を溶解処理し、リサイクルするという仕事で、少ない社員と家族が暮らしていける程には会社経営もギリギリ成り立っていた。裕福ではないにしろ、穏やかで幸せな日々であった。鈴音10歳の夏。悲劇は突然訪れた。舞子が交通事故で他界し陽介と鈴音は絶望に包まれた。

「ママぁー!ママぁー!」鈴音は毎日泣きじゃくり、陽介は仕事も手につかず会社は倒産した。数千万円の負債を抱えた陽介であった。ある日、昔舞子に世話になったという、木島という男が陽介の前に現れた。木島はIT会社の社長をしており、名刺を陽介に渡す。

「...」木島は舞子の仏前に座り黙って手を合わせる。その顔にはひと筋の涙が伝う。木島は陽介の方に向き直ると口を開いた。

「黒澤さん...わたしは奥様に救われた事があります。今の私があるのは、奥様に命を救われたからなんです。」

「...」陽介は聞いているのか、聞いていないのかわからない表情をしている。

「もし宜しければ聞いて下さい。」木島は陽介の返事を待たずに話し出す。

「当時私はお恥ずかしながら借金取りに追われておりまして、毎日生きた心地がしない位に怯えてその日暮らしをしておりました。奥様と出会ったのは、そんなある日の事。公園に隠れていた私は、取り立て屋の男2人に追い詰められ、あわや捕まるところでした。そんな時、偶然通りかかったのか?あるいは奥様には未来が見えていたのか?」未来が見えていたという言葉に陽介は反応し、木島の目を見る。

「奥様は取り立て屋にこう言いました。」


「もしかすると、人をお探しですか?さっき猛スピードで走って行く男の人を向こうで見ましたよ!」

「お姉さんありがとうな!」舞子の言葉を聞くと取り立て屋はすぐに舞子の指差す方に走っていった。

「こっちです!」舞子は木島に小さな声で促す。木島は黙って舞子に着いていく。連れて来られたのは漫画喫茶。

「ココなら個室もあるし、頃合をみて逃げて下さいね。」舞子は笑顔で言う。

「何で助けてくれたんだ?」木島が言うと舞子は微笑みながら答える。

「あなたが、私の家族を助けてくれる未来が見えたから。私の名前は黒澤舞子。あなたは不思議に思うかも知れませんが、信じる信じないは関係ないんです。そう私には見えたんだもの。」と舞子はニッコリ笑う。

「あ、それから、あなたはケータイ?インターネット?で1財産築けますよ。じゃあサヨナラ。」舞子は何事もなかったかの様に颯爽ときえた。


陽介の頬に涙が伝う。

「...あの時奥様に助けていただかなければ、私は今頃死んでいたかも知れません。どうせ死ぬならと、奥様の言った通りにして見たところ、今の私になりました。」木島は陽介を真っ直ぐに見ながら言う。

「っく!」陽介は声をあげて泣いた。

「黒澤さん、失礼ですが負債を抱えていらっしゃる様で。私に肩代わりさせて下さい。あなたと、奥様、娘さんの力になる事が私のご恩返しになります。」陽介は鈴音を育てて行くには負債を抱えている場合ではないと、また舞子が後押ししてくれた様な気がして、木島に改めて頭を下げ、その申し出を受けた。

「ありがとう、ございます。」それからというもの、木島と連絡を取り合う仲になり、現在に至る。

「木島さんには、何とお礼を言っていいものか。」陽介は逃走中の車内で木島に頭を下げる。

「やめて下さいよ黒澤さん。奥様の見た未来に間違いはなかったって事ですよ。」木島は笑った。

「それにしてもエラいのに狙われてますね。」木島は言う。

「はい。」陽介の表情は暗い。

「私の方でも色々気になるところがありましてね、調べてみました。奥様の死はあまりに不自然な事故なので。」木島は静かに言う。

「...恐らく奥様の特殊能力はヤツらも知っていたのではないですか?」陽介は黙っている。

「ヤツらの狙いは奥様の特殊能力。それを解明してその能力を薬化する。それが出来れば多種多様に使い道はある。ですが、奥様は亡くなった...いや、事故に見せかけて殺された...」木島の言葉に陽介は拳を握りしめる。

「何故、未来の見える奥様がそうなったのか?いや、わかっていて敢えて乗ったのか。奥様はあなたと娘さんを守る為にヤツらの研究に協力せざるを得なかった。恐らく脅迫されていたのではないかと。汚いやり方です。」陽介の目には涙が浮かぶ。

「奥様は研究対象である自分が死ねばそれで終わると思い、ヤツらに狙われる様にヤツらの秘密をリークしようとした。」

「情報の漏洩を恐れたヤツらは奥様を監禁しようと試みた。だがそれをする必要はなくなった。」木島は続ける。

「娘さんがまだ幼い頃、公園で老婆を助けた事がありますね。」陽介はハッと木島を見る。

「何故その事を?」陽介は今まで誰にも舞子と話した内容を明かした事はない。

「何の因果かわかりませんが、ヤツらの製薬会社に就職した者の中に、その奇跡を見ていた者がいたんです。その若者は昔見たその光景を奇跡を鮮明に覚えており、いつか自分も人を救える仕事がしたいと純粋に思っていた。」

「いつの日かそれは上層部に取り上げられ、散々調べあげられた結果、舞子さんの娘さんである事がヤツらにわかってしまった。」陽介が口を開く。

「そこまでわかっていたなんて...。だから鈴音が...。」陽介の拳はワナワナと震えた。

「ここまで転々とヤツらの手から逃れて来ましたが、私や鈴音に関わった人はことごとく...。木島さん、あなたに助けられっ放しの私が言えた事ではありませんが、あなたも危険かも知れません。」陽介は言う。

「黒澤さん、奥様の見た未来を信じてください。このタイミングであなたから連絡があって良かった。」木島は微笑む。

「情報操作はコチラも得意なところ。鈴音さんやあなたを探し出すどころか、近づけさせもしませんよ。」木島は不敵に笑う。

「すみません。もうあなたしか頼れる人がいなくて...」陽介は深々と頭を下げる。

「...私に出来る事は貴方達親子を逃すのが精一杯。腐った根っこを取り除く事は出来ません。ヤツらは目的の為には手段を選ばない。腐り切った政治家の後ろ盾がありますからね。しかし今は情報社会。情報を操作出来るものが有利なのは変わらない。私はヤツらに勝つ事は出来ませんが、負ける事もない。必ずあなたと娘さんは守ります。」木島は会社運営の為に、スペシャリストを雇っている。その中にはハッカーも含まれており、すでに有りとあらゆるデータの改ざんをしていた。黒澤鈴音が転校生として、現在学校に通えているのも木島のそういった情報操作による賜物であった。そして鈴音は今、木島の部下である2人と共に家族を装いそこから通学していた。

「区役所や、学校のデータベースをヤツらが調べてきても、例え同姓同名がいても、家族構成が違えばそれで違うと認識する。一見危険に見えますが、コレが1番です。ただ、2人共顔がバレてますから、データベース上の顔写真は加工させて頂いてますが、実物、特に顔を知っている人物との接触はタブーです。」木島の言葉に陽介は頷く。

「黒澤さんには、私の会社に寝泊まりしていただいて、外部との接触を一切断ちます。頃合を見計らって、親子の事故死のニュースをでっち上げ、それをヤツらが受け止めればそれで終わりです。」陽介は木島の策に感服した。

「ここで終わらせましょう!」木島の熱い思いに、陽介も胸が熱くなるのであった。

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