第十五話 また来年も、桜は咲く
―透人―
「名木ちゃんー、着替えれた?」
「ちょっと、開けないで!」
試着室のカーテンを勝手に開けようとするので、慌てて掴んで阻止した。
「遅いよもう。」
急かされて仕方なくカーテンの隙間を開ける。
「見せて見せて。」
試着室から出ると、桃瀬さんは嬉しそうに笑って「似合うじゃん。」と言ってくれる。
オーバーサイズのTシャツに、タイトなクラッシュデニム。普段あまりしないような、ラフなファッションだ。
「いいね、じゃあこれ全部買おう。」
「はい?!」
「すいませーん。」
「ちょ、桃瀬さん!」
俺が呼び止めるのも無視して桃瀬さんは店員さんを呼び、「このまま着ていくからタグ切ってください。」とか勝手に言っている。
「ちょっと、何なんですかほんとにっ。」
店員さんにタグを切られながら抗議するけど、桃瀬さんは「いいじゃん似合ってたんだから。」と言うだけだ。
「買ってあげるから気にしないで。」
「そういう事じゃなくて!何で着替えさせられてるんですか、俺!」
「名木ちゃんがスーツのまんまで病院来るから悪いんじゃん。」
それだけ言って、さっさと支払いしに行ってしまう。
俺は困惑したまま、両手に着ていたスーツを持って桃瀬さんの後を追いかけた。
都内の服屋をあとにし、電車に乗せられたかと思ったら着いたのは平日で閑散とした遊園地。
「…って、何で遊園地なんですか?!」
「一回来てみたかったんだよね。」
桃瀬さんは駅のロッカーに俺のスーツを丁寧に畳んで仕舞うと、しわになっちゃうかなあ、と呟きながら鍵を閉めた。
「さー!行こう!」
「桃瀬さん、病院戻りましょうって…!」
「ここまで来て何言ってるのさ。」
「だって、体が…!」
桃瀬さんはポケットから折りたたんだ一枚の紙きれを取り出し、広げて俺の眼前に突き出す。
「外出許可は取ったよ。」
「それはさっき見ましたけど!一体どうやって許可取ったんですか?!」
「世良にお願いしたら書いてくれた。」
「うそでしょ…」
こういうのを職権濫用と言うんじゃないのか。
「まあいいじゃん、今くらい現実忘れて楽しもうよ。せっかく『駆け落ち』したんだからさ。」
桃瀬さんは楽しそうに笑って、何乗ろうかなあ、とパンフレットを広げ始めた。
最初はメリーゴーランドなんて大人しいものに乗ったのに、次の瞬間にはコーヒーカップに乗せられ、無理やり勢いよく回されて目が回った。
「名木ちゃん、三半規管弱いなあ。」
「桃瀬さんがおかしいんですよっ…!」
眩暈をこらえながらふらふらとついて歩いていると、あ、と桃瀬さんが指をさしたのは巨大な観覧車。
「観覧車乗ろ。」
「…はい…。」
もう何も言う気が起きずにただ頷いてついて行く。
「もうこれで最後かなー。だいぶ暗くなってきちゃったね。」
「そうですね…。」
向かい合って座ると、ゆっくりとゴンドラが上昇していく。
「頂上着くくらいには、真っ暗かなあ。夜景、綺麗に見えたらロマンチックだね。」
言われて下を見る。まだ地上が近いけれど、ちらほら街中に明かりが灯っていく様子が見えた。
「桃瀬さん、具合悪くないですか?」
心配になって聞くけど、桃瀬さんは苦笑して「何ともないって。」と言うだけだった。
「心配性だなあ、名木ちゃん。」
「心配するにきまってるじゃないですか。俺、桃瀬さんの病気の事よく知らないし…っ。」
世良さんに桃瀬さんの病状について聞いてみたけれど、家族でもないのに勝手に話せない、とすげなくあしらわれてしまった。
「…病気の事だけじゃなくて、俺…桃瀬さんのこと何も知らない…。」
「俺だって名木ちゃんの事ほとんど知らないよ?」
そう言うと、桃瀬さんは指を折って数え始めた。
「知ってる事って言ったら背が高い事でしょ、前髪はいつも左から流してる事でしょ。あとは裕斗と同じ会社に勤めてる事と、お酒に弱い事。」
それと、と言って、最後の小指をゆっくり内側に折る。
「俺の作る、キャラメルラテが好き。」
伏し目がちだった顔を上げて俺を見ると、「ね。俺だってこれくらいしか知らない。」と笑ってみせる。
「名木ちゃんは、俺の事どれくらい知ってる?」
言われて考えるけれど、本当に何も思い浮かばない。
「…手が小さくて、髪が桜色で綺麗で。コーヒー飲めないくせにバリスタしてて…心臓が、悪い。」
あとは知りません、と俯きがちに言うと、「そっかあ、じゃあ何から話そうかな。」と言いながら桃瀬さんは外を見た。
「…生まれた時はね、元気だったんだよ。元々活発な性格じゃないから、外で走り回るより家でゲームしてる方が好きな子供だったけどね。」
ゴンドラは地上から半分くらい上昇していて、街に灯る明かりの数もさっきよりずっと増えている。
「小学校の、5年生の時だったかな。学校の検診で心電図検査があってさ。その時に偶然分かったんだ。」
桃瀬さんが自分の病名を口にする。
「…聞いたことないです。」
「だよね。俺も自分が罹らなかったら、きっと知らなかったと思う。」
ギ、とゴンドラが軋む。所々が錆びているから、結構古いのかもしれない。
「そんなわけで、世良の父親が勤めてる病院に連れて行かれてさ。うちの両親も医者なんだけど、専門が畑違いなもんだから。あ、世良の父親とうちの父親は大学の同級生なんだよ。それであいつとは幼馴染なの。」
「ご両親、お医者さんなんですか?」
「うん。父親は今ロサンゼルスで研究職してて。」
「ロサンゼルス?!」
「そう、ずっと単身赴任。ていうかもはや別居状態だよね。母親は都内で開業医してる。婦人科医だから、俺の心臓のことは全然専門外ってわけ。…名木ちゃんのご両親は何してるの?」
「うちは、そろって千葉の田舎で公務員してます…。」
「あーそっか、名木ちゃんの実家は千葉だったね。」
「え、何で知ってるんですか。」
「さあ、何ででしょう?」
笑って、桃瀬さんは細い足を組み替える。
「そんなとこかな。あとは何が知りたい?」
「…雅孝さんとは、本当に別れたんですか?」
「まだそれ気にしてたの?半年前に別れたって言ったじゃん。」
「でも、まだ交流は続いてるんですね。」
「違うって。向こうが俺に未練あるのか…たぶん、心配してくれてるんだろうけど。」
桃瀬さんの表情が、ふと真顔になった。
「…桃瀬さん?」
「あのね、名木ちゃん。」
俺の方を見た、桃瀬さんの瞳が潤んで見えた。
「俺の心臓、もうダメなんだってさ。」
…頭が、真っ白になった。
「え…ダメ、って…どういう事…?」
「手術しないと、もう保たないらしい。」
「手術したら治るんですか?」
「ん-…今よりはマシになる、かも。」
「なら手術を…っ。」
「でもね、成功確率は五分五分なんだって。」
「…え?」
「失敗したら、死んじゃうかも知れないって事。」
「…。」
思考が追い付かずに黙ってしまう。そんな俺を見て、桃瀬さんは哀しげに微笑んだ。
「俺さ、たぶんほんとは怖かったんだ。今更いつどうなってもいいつもりで生きてたけど、やっぱり死ぬかもって思ったら怖くて、ずっと逃げてた。」
桃瀬さんはどこか無理したように、いつも通り笑ってみせようとする。
「でも、もう逃げるわけにはいかないじゃん?死んだら、名木ちゃんが悲しむかもしれないからね。」
死んだら。…桃瀬さんが、死んだら?
「…名木ちゃん、こないだから泣いてばっかりだなあ。」
ぼろぼろと涙をこぼし始めた俺に苦笑して、桃瀬さんが向かい側から手を伸ばしてくる。俺の頬に流れた涙を拭ってくれる、その手を掴んだ。
「嫌です、桃瀬さん…っ、死んじゃ、嫌です…!」
「なら、勇気出さなきゃね。こんなに俺の事を想って泣いてくれる、愛しい名木ちゃんの為にも。」
桃瀬さんは立ち上がると、俺の隣に腰掛けた。
「俺さあ、観覧車乗ったらやりたい事があったんだよね。」
手を握ったまま、桃瀬さんがゴンドラの窓から下を見る。
「もうすぐ、てっぺんだ。」
それがどうしたのかと思ったら、不意に顔が近づいて唇を塞がれた。…柔らかな桃瀬さんの唇から伝わる温もりを感じて、胸が苦しくなる。
唇を離すと、桃瀬さんは照れたように笑った。
「観覧車の一番上で、ちゅーしたかったの。」
「…っ。」
ますます涙が止まらない俺に呆れたように、もう、と言いながら頭を撫でてくれて、そっとそのまま抱きしめられる。
「すきだよ、名木ちゃん。」
耳元で囁く声が、優しくて、哀しくて…切なくて。
「永遠なんて信じてないけれど、俺はもう少しだけ名木ちゃんの側にいたい。必ず生きて帰ってくるから…待っててくれる?」
「当たり前です…!」
小柄な体を、精一杯抱きしめ返した。
時々錆びついた音が鳴るゴンドラの中で、何度もキスをした。段々と近づいてくる地上。外はもう真っ暗だ。
「名木ちゃんは本当、泣き虫だね。」
いつまでも啜り泣く俺の背中を撫でながら、桃瀬さんは困ったように笑う。
「そんなに泣いてばかりいたら、心配になるじゃん。…俺が死んで一人になったら、どうするの?」
「変な事言わないで…っ!」
「…名木ちゃん、何度も言ってるでしょ。永遠なんてない。人はいつか死ぬから、生きている今を愛おしく感じられるんだよ。」
「やめてよ…っ。」
地上が、もうすぐそこまで近づいてくる。何故か怖くなって桃瀬さんにしがみついた。
ー嫌だ、終わらないで。ここから出たら、時が動き出してしまうようで怖い。
ずっとこのまま、桃瀬さんと二人でいたいのに。
「たとえ俺が死んでも、いつまでも泣いてちゃだめだよ。俺がいなくなっても時間は進むんだから。名木ちゃんだけ立ち止まったまま、一人で取り残されたりしないように、ちゃんと前向いて歩いて」
「遺言みたいなこと言わないで…!」
「言える時に言っておかないと後悔するじゃん。」
「今すぐ死ぬみたいな事言わないでよ…!」
「そんな事分からないよ。名木ちゃんだって、いつ何があって死ぬか分からないのに。」
とうとう乗り場に着いてしまった。係の人がゴンドラの鍵を開ける。桃瀬さんは泣いてる俺の顔を見られないように先に降りて、俺の手を引いたまま前に立って、歩き出す。
「名木ちゃん、そんなすごい顔で電車乗る気?」
「じゃあ悲しくなる事言うのやめてよっ…!」
桃瀬さんは遊園地の入り口の手前で振り返ると、泣き声を堪えて口元を押さえていた俺の手を退け、背伸びしてキスをした。
「…名木ちゃん、俺はここにいるよ?」
いつか、桜の木の下でそう言った時みたいに、小さくて赤ちゃんみたいな手を、俺の手に絡めて見せてくれる。
「今日を忘れないで。一緒に遊園地来て、観覧車の一番てっぺんでキスしたこと。」
「…っ。」
「真っ暗で夜景が綺麗だったでしょ、見た?」
首を横に振る。ずっと泣いてて外を見る余裕なんてなかった。
「ひどいなあ。じゃあ、…俺の唇の感触は覚えてる?」
こくりと頷くと、桃瀬さんは小さく微笑んだ。
「きっと忘れないでいて。俺も、忘れないから。」
何も言えなくて頷くしかできない俺の髪を撫でながら、帰ろっか、と言う桃瀬さんの手を引き寄せる。
「桃瀬さんっ…。」
「うん?」
「桜は、毎年咲きます…っ。たとえすぐに散ってしまっても、必ず来年また咲くから…っ!」
ぎゅ、と、俺より小さな手を握る。
「だから、そんな風に諦めないで。死なないで。…生きてください。お願いだから…!」
「…うん。」
頷いてくれた桃瀬さんの目尻から一筋、涙がこぼれ落ちた。
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