第十四話 覚悟
―朔也―
目が覚めると、天井が真っ白だった。
ベッドのシーツが冷たい。微かな消毒の匂いが鼻を掠め、ここが病院であることに気がつく。
胸元に触れると、見慣れた電極がくっついていた。頭上で心電図の監視モニターが動いている。まるで危篤の重症者だ。
左手が、何かに触れた。どうにか首を動かして覗きこむと、ベッドに突っ伏すようにして名木ちゃんが眠っている。
髪の毛を撫でると、気がついた名木ちゃんがガバッと起き上がった。
「桃瀬さん…っ!」
はらはらと涙をこぼしながら、名木ちゃんは覆い被さるように抱きついてきた。
「良かった…っ、死んじゃうかと思った…!」
「何で…俺、どうしたんだっけ…?」
名木ちゃんの体を受け止めながら、必死で記憶を巻き戻す。
確か、名木ちゃんとソファで寝て…その後の記憶が、無い。
「気がついたか。」
どこかで聞いた声がして首を巡らすと、世良が険しい表情で病室に入って来た。
「世良…何で病院にいるの、俺?」
するといきなり、アホか!と怒鳴られた。
「『無茶』するなってあれだけ言っただろ!セックスしてる最中に気を失って、泡食ってこの子が救急車呼んだんだよ。まじで覚えてないのか?」
体を起こした名木ちゃんの顔が、首筋まで真っ赤になる。
「…えー、まじ。俺カッコ悪。」
「馬鹿言ってんじゃねえ、死ぬとこだったんだぞ。」
世良は吐き捨てるようにそう言った後、ちょっと席外しててくれ、と名木ちゃんを病室から出して扉を閉めた。
「…まったく。どっかのボンボンと別れたかと思ったら、まさか透人チャンと付き合ってるとはね。」
世良は手元のカルテをめくりながらそう言ってため息をついた。
…耳を疑う。
「待って、世良って名木ちゃんと知り合いなの?」
「俺の友達の恋人だったはずの子だよ。」
涼しげな目元が印象的な、名木ちゃんの彼氏…元彼氏、の顔を思い出す。
「うわーまじかよ…世間狭いな…。」
「軽口叩くのはここまでにして、真面目な話するぞ桃瀬。」
言葉通りに、世良の顔から笑みが消えて真剣な表情になる、
「手術受けろ。…もう無理だ、時間が無い。」
「…そっか。」
軽く息をついて、胸元に触れる。
規則正しく鼓動を刻んでいるのに。俺の心臓はまるで、安全装置の外れた爆弾だ。
「世良。」
「何だ。」
「少しだけ、時間くれない?」
―透人―
病室の前のベンチで待っていると、扉が開いて世良さんが出てきたので立ち上がった。
久しぶりに会った世良さんは、立ち上がった俺を一瞥して胡乱げな表情を浮かべた。
「透人チャンさ…まじで桃瀬と付き合ってるの?」
「…えっと、たぶん。」
「何だそれ。」
世良さんはため息をついて、長い前髪をかきあげる。
「慶一の事はどうしたんだよ。」
「…別れました。」
「まじかよ…いつ。」
「昨日、です。」
「昨日??」
面食らった様子でしばらく黙り、世良さんは不意に真顔になった。
「…桃瀬は、もう分かってるだろうけど心臓が悪い。」
「…はい。」
「普通の幸せは望めないかもしれない。それでも、あいつがいいのか。」
今更そんな事を言われても、俺の気持ちはもう揺らがない。
「桃瀬さんじゃなきゃ、だめなんです。未来のことなんて分からないけれど、自分に嘘ついてまで、この気持ちを無かったことには出来ないから。」
「…そうか。」
なら側に居てやれ、と言い残し、世良さんはナースステーションの中へ消えた。
―翌日。
昼休みが終わりかけた頃に、突然桃瀬さんの病院から電話がかかってきた。何事かと思って慌てて電話に出ると、『名木ちゃんお疲れー。』と呑気な桃瀬さんの声がする。
「どうしたんですか?何で病院の電話から?」
『あ、どうもしないよ。だって名木ちゃん、俺を救急車乗っける時にスマホも一緒に持ってきてくれないからさあ。』
「そんな余裕あるわけないでしょ!」
『ごめんごめん。…あのさ。』
急に桃瀬さんが声をひそめる。
「どうしたんですか…?」
『今日、早退けて来れない?』
「今日ですか?」
『うん。大事な用事。』
そう言われたら居ても立っても居られなくなって、上司に「家族の具合が悪くて」と嘘をつき、半休を取って病院に急いだ。
桃瀬さんの病室の戸を開ける。
「桃瀬さん、どうし…」
部屋の中を見て固まった。
「よっ、名木ちゃん。仕事お疲れ様。」
ベッドから起き上がって端に腰掛けた桃瀬さんは薄手のパーカーにデニム姿で、よく見ると心電図のモニターも止まっている。
「ちょっと!何してるんですか?!」
思わず大きい声が出る。
桃瀬さんは、しー、と口の前に人差し指を立てた。
「名木ちゃん、ここ病院。」
「そうですよ!そして桃瀬さんは入院患者ですよ!」
「まあまあ、落ち着いて。」
桃瀬さんは軽い動作でベッドから立ち上がって俺のそばに来ると、名木ちゃん、と悪戯っぽい表情で俺を上目遣いに見て、言った。
「駆け落ちしよっか。」
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