第四話 永遠なんてないから

―朔也―

心電図の音が、規則正しく響く。

「お疲れ様でした、楽にしてください。」

こないだからよく見かけるようになった、新人の看護師さんが検査の装置を外してくれる。ベッドから起き上がってシャツのボタンを留めながら、隣で難しい顔をして心電図のデータを見ている白衣の幼馴染に声をかける。

「悪いの?」

「いいわけないわな。」

はあ、とため息をついて黒縁の眼鏡を掛け直しているのは、俺の主治医を父親から引き継いだばかりの世良貴之せらたかゆき。幼稚園から中学まで一緒に通った幼馴染で、この総合病院の跡取り息子だ。ちなみに専門は心臓外科。

「何度も聞いてるけど、手術する気は?」

「んー…だって、成功確率は五分五分なんだろ?」

靴紐を結び直しながら、おざなりに答える。

「自分で自分の寿命縮めたくはないなあ。」

「分かってるのか、桃瀬。このまま放っておいたら、いつどうなるか分からないんだぞ。」

苛立ちを隠さない世良に、俺は苦笑を返すしかない。

「俺は別に、今更どうなったって構わないよ。」

「あのなぁ…。」

世良は無造作にセットされた前髪をぐしゃぐしゃにかき回すと、心電図のデータを机へ放った。

「まだ時間あるよな?」

「何ー、痛いのは嫌だよ?」

「冠動脈CTと採血する。片倉、検査室の手配。」

はい、と返事をして、片倉と呼ばれた長身の新人看護師さんが院内PHSを手に診察室を出て行く。

「俺に拒否権は無いの?」

勝手に検査を追加された事を抗議すると、世良はこちらをじろりと睨んだ。

「充分拒否させてやってるだろ。手術受けないって言うんなら、せめて検査くらい素直に受けろ。」

「それで異常が見つかったら無理やり入院させる材料にするんだろ。」

「お前なあ。」

世良は、さっき机に放った心電図のデータを再び手に取る。

「ちゃんと薬飲んでるよな?」

「当たり前じゃん、苦しむのは嫌だし。」

「無茶な事は、してないよな?」

世良の言う『無茶』の意味を理解した俺は、ため息混じりに笑ってみせる。

「してないって、あいつと別れたばっかりだし。そっち方面は、とんと御無沙汰。」

「…頼むから無茶するなよ。そういう意味だけじゃなく。」

真顔になった世良に黙って手を振り、診察室を出た。


世良に無理やり追加された検査を全て終えた頃には、総合病院の外来終了時間をとっくに過ぎていた。

昼休憩に出て行くドクターやナースの姿しか見えなくなった、総合受付前の自動ドアをくぐる。

視界の端に、病院に似つかわしくない高級車が映った。…タバコの匂い。

「病院の前でタバコはまずいんじゃない?」

ため息をつきながら声をかける。よく手入れされた黒いボディの外車にもたれてタバコを吸っていた長身の男が、俺に気づいて携帯灰皿に吸いかけのタバコを押し付ける。

「体調、どう。」

久しぶりに聞く低い声に、肩をすくめて答える。

「何ともないよ、ご心配なく。」

それだけ言ってさっさと立ち去ろうとしたのに、筋張った大きな手のひらが俺の腕を捕まえる。

「送ってく。」

「いいって別に。」

「顔色が悪い。」

言われてようやく俺は、男―雅孝まさたかの顔を見た。

「気のせいじゃない?」

「貧血気味だろ。ちゃんと朝飯食ったのか?…抜いただろ。」

全部言い当てられて黙るしかない。

「乗れ、いいから。」

仕方なく、高級外車の助手席に乗り込んでシートベルトを締めた。運転席に雅孝が乗り込む。仄かに香る、苦いタバコの匂い。

どうして、匂いの記憶って薄れないんだろう。ただタバコの匂いを嗅いだだけなのに、数ヶ月前までの記憶が洪水のように脳裏に押し寄せてくる。

「仕事、忙しくないの?」

頭の中に浮かんだ様々を振り払うように、何でもないふりで話を振る。

「まあ、適当にやってる。」

素っ気ない答え。俺は頬杖をついて、窓の外を見る。

「そっちこそ、今は何してんだよ。」

ハンドルを握り直し、雅孝が聞き返してくる。

「カフェでバリスタしてる。」

「コーヒー飲めないくせに何でまた。」

「なんかカッコいいじゃん。」

「…相変わらずだな。」

「だろ?…安心しなよ、何も変わってないから。」

マンションの駐車場で車が停まる。

降りようとすると、再び腕を掴まれた。

「何。」

迷惑がってるのを隠しきれずに、不機嫌な声が出てしまう。

「俺とやり直す気はないのか。」

雅孝の顔を見る。冗談を言っている風には見えなかった。

だから、俺はそっと雅孝の手をどけるしかない。

「前にも言ったけど俺はもう、恋愛するには体がしんどいんだよ。」

じゃあね、ありがと。そう言い残して車を降りた。

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