第二話 内緒のキャラメルラテ

―透人―

目を覚ますと、見慣れた天井が目に飛び込んできた。

体を見ると、いつものスウェットを着ている。…俺、いつの間に寝て…?

「いった!」

体を起こしたらこめかみに激痛が走った。ずくん、ずくんと疼くような頭痛が襲ってくる。

「やっと起きた?」

寝室の戸が開いて慶ちゃんが顔を覗かせる。私服姿だ。てことは今日は休日…あれ、俺昨日何してたっけ?

「頭いった…」

「くすり置いてあるから、起きて飲みな。」

慶ちゃんはそれだけ言って部屋を出て行ってしまう。ズキズキ痛む頭を押さえてベッドから降りると足元がおぼつかず、たたらを踏んだ。

どうにかキッチンまでやってきてテーブルにつく。慶ちゃんはオートミールの朝ごはんを食べていた。俺の目の前には二日酔いの薬。

「…ったく、いい歳して酔い潰れるまで飲むなんて。何考えてるんだ。」

「あー…そっか、ごめんなさい…。」

うっすら記憶が戻ってくる。昨日は渡辺さんに合コンに連れて行かれて、めちゃくちゃに飲まされたんだ。

「俺、どうやって帰ってきた…?」

怒りながらもミネラルウォーターをコップに注いでくれる慶ちゃんに聞く。

「ピンク色の髪の人が、部屋の前まで抱えてきたぞ。」

「ピンク…?」

言われて思い出す、印象的な桜色の髪の毛。

「さく…何だっけ、名前忘れた…。」

呟くと、慶ちゃんが驚いた顔をする。

「初対面?会社の人じゃなく?」

「会社の先輩の友達…らしい。何だっけ、桜みたいな名前の…。」

「お前なぁ…初対面の相手に酔い潰れた世話させて…。」

はあー、と呆れた様な重い溜息が降ってくる。

「ちゃんと月曜日謝れよ。」

「はーい…。」

気が重い。ただでさえ、仕事憂鬱なのに。


「こないだはすみませんでした。」

月曜日、朝イチで渡辺さんに謝りに行った。

「いいよ、俺もちょっと飲ませすぎたなって反省してるし。」

「いえ、自分が自己管理できていないせいで迷惑かけたので。何でもしますから、こき使ってください。」

「まじ?こき使っていいの?」

渡辺さんの目が輝く。やばい、余計なこと言った。

「なら昼休みにコーヒー買ってきてもらおっかな。」

「コーヒーですね、分かりました。」

そうして安請け合いしたのが間違いだった。

昼休みになると、渡辺さんは営業部の面々に、名木ちゃんがコーヒー買ってきてくれるぞーと触れ回ったのだ。

「まじで?じゃあ俺エクストラコーヒーモカチップフラペチーノ!」

「俺は抹茶フラペチーノにホワイトチョコチップ追加で。」

「え?え?ちょっと待ってください、メモりますから!」

大慌てでメモ用紙を掴んでペンを構える。聞いたことのない名前のフラペチーノやらソイミルク変更やら訳が分からない要望を書き留め、急いで会社を飛び出した。

会社の二件隣にあるチェーン店のカフェに入る。

「えっと、エクストラショット…何だっけ。」

自分のメモが読めない。すると、店員さんが俺のメモをちらりと覗いて困った顔をした。

「これ、うちで取り扱ってないものですね。」

「はい?!」

耳を疑う。店員さんは横断歩道の向こう側にある別のカフェを指し示した。

「あちらの店舗の…」

「分かりました、ありがとうございます!」

慌てて店を飛び出した。昼休みが終わってしまう。

信号を渡り、さっきのチェーン店のカフェより落ち着いた雰囲気のカフェへ飛び込んだ。

「すいませんっ、あの…」

注文しようとして、固まった。

「あれ、名木ちゃん!」

「あ…。」

桜色の髪がふわりと揺れる。カウンターの中で笑っているのは、この間の。

「さく…あ、えっと…」

名札を見る。アルファベットで「Sakuya.M」と書かれているのが目に入った。

「さくや、だよ、桃瀬朔也。忘れちゃったの?名木ちゃん、ひどいなあ。」

あはは、と笑う桃瀬さんの笑顔に、何故か胸がきゅんとしてしまった。

「あ、あのっ、俺コーヒー買わないといけなくてっ…」

不自然に高鳴った鼓動を誤魔化すようにメモに目を落とす。

「えーっと、だーくも、もか…」

「貸して。」

色白の手が、ピッと俺の手からメモを奪い取る。

「うわあ、カスタムばっか。新手の嫌がらせ?」

「違います、俺が渡辺さんに、何でもしますって言っちゃったから…」

「また裕斗?しょうがないなあ、あいつ。」

呆れながら、桃瀬さんは慣れた手つきでメモを見ながらレジを打っていく。

「分かるんですか、そんなメモで…」

走り書きしたから、自分でも読めないのに。

「分かるよ、大体予想つくし。」

はい、とメモを返してくれる。

「まさか、名木ちゃんの奢りじゃないよね?」

「えっ…でも、俺が払うしか。」

「まじー?」

財布を取り出してお会計を済ませると、桃瀬さんはサッと領収書を書いて、はい、と渡してくれた。

宛名は、うちの会社。

「裕斗に渡してやりなよ。だめだよ、いい様に使われてちゃ。」

「あ…ありがとうございます…。」

「座って待ってて、すぐ作る。」

言われて、近くのテーブル席に腰掛けた。知らず、ため息がこぼれてしまう。

「名木ちゃん、お昼は食べたの?」

コーヒーをドリップしながら桃瀬さんが聞いてくる。

「まだです、とにかくコーヒー買わなきゃって…。」

「可哀想に、またストレス溜まっちゃうね。せっかくこないだ吐き出したばっかりなのに。」

言われ、慶ちゃんに言われた事を思い出して青ざめた。

「桃瀬さんっ、ごめんなさい!俺そういえば、桃瀬さんに担がれて帰ってきたって…!」

「ああ、大丈夫だよ。名木ちゃんほとんど意識無かったから、ちょっと大変だったけどね。」

「本当にすみません…。」

項垂れる俺に、大丈夫だってば、と桃瀬さんは笑ってくれる。

「はい、お待たせ。」

「ありがとうございます。」

紙袋を二つ受け取り、桃瀬さんに頭を下げて急いで店を出た。


「遅いぞー、名木ちゃん。」

「すみませんっ。」

からかう渡辺さんに、ご注文のコーヒーと領収書を渡す。

「おっ。ちゃっかりしてるじゃん、名木ちゃん。」

「経費でお願いしますっ!」

ちょっと強気でそう言って、他の注文してきた人達にコーヒーを配って歩く。

「…あれ?」

最後に、ひとつだけ小さなサイズのカップが残った。

「あの、誰か小さめの注文された方って…?」

聞いてみるが、みんな首を傾げる。

「何が残ったん?」

フラペチーノのストローを加えた佐伯さんが聞いてくる。

「え、何だろう。」

「紙スリーブ見てみ、書いてあるんちゃう?」

言われて、袋から取り出しスリーブを見た。

「え…?」

紙スリーブには、『なぎちゃん、がんばって!ももせ』というメッセージと、携帯電話の番号が書かれていた。


売店で買ってきたサンドイッチを齧りながら、甘いキャラメルラテをすする。

紙スリーブを何度も見る。

「『なぎちゃん、がんばって』…だって。」

花が開くような、とびきりの桃瀬さんの笑顔を思い出す。何であの人の笑う顔にきゅんとしちゃうんだろう。年上には見えないような無邪気さに、ときめいてしまうんだろうか。

…何考えてるんだ。俺には、慶ちゃんがいるのに。


結局、その日の午後も散々だった。よくこれだけ色んなミスが出来るな、と自分でも最早感心してしまうくらい、どんどん新たなミスを重ねてしまう。当然、その度に怒られっぱなしだ。

「まあまあ、そう落ち込みなや。まだ名木ちゃん入ってきたばっかりやし。」

優しい佐伯さんは隣の席から慰めてくれるけれど、慰められれば慰められるほど、自分の駄目さ加減に落ち込んでしまう。

他の先輩達が帰ってしまってからも俺は一人始末書を書くのに残らざるを得ず、気がつけば営業部内に一人だった。

ようやく最後の一枚を書き上げて印刷し、パソコンの電源を落とす。

「あーあ…。」

月曜日からこれじゃ、やってられない。疲れ過ぎて、帰る気力すら湧かなかった。どうせ帰っても、慶ちゃんはさっさと先に寝ている。部活の顧問も任されて、朝早いからすぐに寝てしまうのだ。俺の話なんて、全然聞いてくれない。

鞄から、昼間飲んだキャラメルラテの紙スリーブを取り出した。桃瀬さんの携帯番号。

気がついたら、スマホを出して番号を打ち込んでいた。発信ボタンを押し、耳に当てる。

『もしもーし?』

何回かのコール音の後、よく通る声が耳元に届いた。

「あ、あのっ。名木です。」

『名木ちゃん!お疲れ、仕事終わったの?』

「はい…キャラメルラテ、ご馳走でした。」

レシートを見たら、キャラメルラテの代金は含まれていなかったのだ。

『あはは、名木ちゃんの好みがわからなかったんだけどさあ。疲れてる時には甘いものが良いかなって。』

「美味しかったです。」

『もしかして、何かあった?』

どきりとした。

「何で…?」

『声が沈んでる。』

「よく分かりますね。」

『すごいでしょー、俺。どしたの、また叱られた?』

胸がきゅうっとなった。慶ちゃんは、こんな風に優しく話を聞いてくれることはなかなか無い。

『俺で良ければ話聞くよ?』

「ありがとうございます…。」

泣きそうになって堪えていると、名木ちゃん、と呼ばれた。

『良かったら、今からご飯行かない?』

「えっ、でも…」

時計を見る。そこそこ遅い時間だ。

『俺、何も食べてないから大丈夫よ。』

「本当ですか?じゃあ…」

『よし、行こう!会社の前で待っていて。』

電話を切った。どうしよう、慶ちゃんに言わなきゃ。

慶ちゃんの携帯に電話をかける。まだ起きていたらしく、すぐに電話に出た。

「ごめん、今からその…同期とご飯行ってきていいかな。」

咄嗟に嘘をついてしまった。

『わかった、あんまり遅くなるなよ。』

「ごめんね、夕飯…」

『いいよ、明日食べな。』

通話を切ってから、胸の中に罪悪感が広がった。

何で嘘ついたんだろう。迷惑かけたお詫びにご飯ご馳走してきますとか、そう言えば良かったのに。

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