【第五話 レストレード警部、登場】





「散歩に行こうか」

 僕が突然そんなことを言ったものだから、またわけのわからない躍りを舞っていた倫太郎は、驚いてつまづいてもんどりうって倒れた。畳でよかったと思う。

「え、え、えっ、」

「残暑見舞しに行こう」

「え、え、礼介くんお外出るのっ」

「出ようか」

「え、え、なんで、どういう、アレなの。頭でも打った?」

「頭を打ったのは君の方だろ」

 珍しくおとなしい、無地でぶかぶかのパーカーを着ている倫太郎は、着替える僕の周りをうろちょろした。

「礼介くんめっちゃ普通の服持ってるんじゃん」

「スーツぐらい持ってるよ」

「お高いんでしょう?」

「それなりにね」

 車を呼んで、行き先を告げる。急展開を楽しむタチだと思っていたが、予想に反して倫太郎は隣の席で縮こまっていた。

 警察署までは数分で着いた。

 びくびくとしながら、僕の腕にしがみついて倫太郎は歩く。深々と被ったパーカーのフードをひっぺがして、丸まった背中を叩いてやった。

「いつもの奔放さはどこへやった」

「だって、警察。なんで? 何もやってないです、僕」

「どういう心境?」

「小市民」

「堂々としてないと逆に怪しい人だ」

「何にもしてないのです」

「知ってるよ」

 署長に会いにきた、と受付に僕の名を伝える。受付の子が僕の顔をまじまじと見るので、微笑んでみたら逃げられた。奥でキャアキャアと騒ぐのがあとから聞こえた。

「いいかい、倫太郎。残暑見舞と書いてイヤガラセと読む場合があるんだよ」

「なんで今日そんなテンション高いの。小説みたい。かっこよ。腹立つ。モテてんじゃねーよ」

 ヒソヒソ声で毒づく彼は、またフードを被る。逆に悪さでもしてるのかと疑いたくなる。

「失礼します。あの、目解先生でありますか」

 警官が尋ねてくる。昔の話なのに、よく知っている人がいるものだ。若い警官に優しく受け答えをしていると、ザワザワと周りに人が集まり始めた。騒ぎになる前に、案内役がきて、エレベーターへ誘導される。

「……………警察、嫌いなの?」

 扉が閉まってから、彼に聞いた。

「違う。真逆。憧れ」

「怯えてるようにしか見えない」

「ビビるわこんなん。おそれおおおい」

「おが多い」

「おおおおい。パトカーとか警官とかかっこよ。無理。大好き。やだ。嫌い。正義の味方」

「嫌いなんだ」

「っ……だってどんだけ好きだっておれ警察なれないもん、やだ、違う今のなしっ」

 焦って人の服を掴んでくる。そりゃ君は警察以上の……と言いかけて、頭を撫でるだけにしておいた。







「お久しぶりです」

「うるせえ来んな来んな、なんだ生きてやあがったのか、こん畜生め、うせろうせろ!」

 ダミ声の罵詈雑言懐かしく、僕は笑ってしまって、倫太郎はますます怯える。

「こちら鬼川警部……じゃない現署長。それでこちらが僕の友人」

 二人にお互いを紹介させる。倫太郎は頑張って顔面を隠しながら、はしゃぐ。

「えっ、あの! 千里眼・鬼川警部! マジか!」

「昔はな。………お前、友人って。子供じゃねえか。またなんか事件か」

「そんなわけないでしょう」

 ちゃんと挨拶しなさい、と僕は倫太郎を捕まえる。フードを脱がそうとしたら抵抗された。

「え、やだやだ! 好きだけど! 好きだけども! でも千里眼じゃん! 見透かされるもん! 長年の経験と野生の勘が!」

 顔面と苗字は厳めしい鬼川署長は、眉間に深い皺を作りながら、この珍妙な子供を見て笑いをこらえている。何度も何度もこの街で第一発見者になる僕を、真っ先に疑い、真っ先に信じてくれた警察職員は彼だった。罫のような、なんでもない高校生の話も、しっかり聞いてくれた。僕に対する悪口雑言は耐えないが、それ以外で間違ったことはしない人物である。

 あと名前は真路まろだし、結構涙もろいし、子供好きなのに顔面のせいで子供に泣かれるタイプだ。

「小説は誇張して書いてあるんだってば」

「でも一目でズババッて当てるんじゃん!」

「だから虚構だよ。この人にそんな力ないって」

「おいこら、」

「いつも罫の後手だったんだから、警察なんて」

「七面倒臭ぇ後始末してやったのは誰だと思ってんだ」

「宝石は盗まれるし予告殺人は止められないし、散々だよね」

「あ? なんだテメェ、やんのか?」

「その口の悪さどうにかしなよ、公僕だろ」

 喧嘩すんなよ、と両者を止めに入った倫太郎がフードから手を離した隙に、ひっぺがす。

「なんだ。ちんちくりんな服着てるから顔もヘンテコかと思ったら、可愛いな」

「可愛いとかやだ!」

「すまんすまん」

 もうすっかり鬼川署長は倫太郎を気に入ったらしい。しかし例のごとく、子供側は彼から逃げる。僕の後ろに隠れて、またフードを目深に被った。

「可愛くないから、おれ。どっちかといえばかっこいいほうだから」

「はいはいかっこいいかっこいい」

「二人で言ってください。ちゃんと。心から」

 かっこいい、と何べんか言わされた。そのうち、倫太郎は少し落ち着きを取り戻したようだった。

「名前は?」

「……………………えと、……田中太郎なのです」

 明らかな偽名に、署長の口元はまたピクピクと痙攣する。そりゃ目解幸多とは名乗れないよな。派手な服装の子供と、署長の対面はそこまでにして、僕は地下倉庫の入室許可を請う。

「なんだ。二度と来ねェと思ってセイセイしてたのによ」

 鬼川署長は待ちくたびれたように、呟いた。







 冷たい地下室のとある部屋は、かつての栄光の残骸であふれていた。名探偵目解礼介シリーズの中で、最大の敵として、何度も現れては、なかなか捕まえることの出来なかった怪人。ようやく捕まえたと思ったら、脱獄せしめた神出鬼没の犯罪者。最終巻でようやく引っ捕らえ、物語は大団円を迎えた。

 小説と事実は違う。

 本当は、捕まえることは出来なかった。

「これ、怪人のマント?」

「そうだよ」

 二人きりにしてくれと頼んだら、あっさり鬼川署長は引いてくれた。本来あり得ない待遇だが、そもそもこの部屋の存在じたいも、ここに勤めている人でさえ全員が知っているわけではない。

 ………………あのとき、怪人を、わざと逃がした。

 誰も知らない秘密。

 罫にも、鬼川署長にも、僕は言わなかった。

「全部本当なんだ………」

 感動している子供を、後ろから眺める。からくり時計、魔法のステッキ、綺麗にファイリングされた犯行声明、蝋人形、どれもを倫太郎はじっくりと眺めては、ため息をついている。感情が昂ると、逆に彼はおとなしくなる。集中しているのかもしれない。いつぞや、僕の肩に触れたときの彼を思い出す。

 沈黙の続く部屋で、僕は彼に声をかけた。

「倫太郎」

「うん」

「君ならどう推理する?」

「何を?」

「怪人の正体」

 無表情のまま、倫太郎はこちらを見る。

 怖いほど痛いほど、部屋は静寂を保つ。

 そのあとで、倫太郎は、めっちゃふざけんのが得意な人、と答えた。







*  *  *  *  *



「結局イヤガラセって、なんだったの」

 帰りの車の中で、倫太郎は僕に聞いた。

「僕の顔を見せにいくこと」

「ええ? それってイヤガラセ?」

「僕が表を歩けば、たいてい難解で物騒な事件がもちあがるからね」

「ふうん……? あの部屋は?」

「君に見せたくて」

「……………………………え、え、え。なんで?」

「熱心な読者へのサービス」

「いやまあめっちゃ嬉しかったけども。……………え、ねえ。ねえねえなんか今日、変だよ。礼介くん」

「近くまで送るよ。今日はもう帰りなさい」

「やだ。…………おれになんか隠してることあるでしょ」

「ないよ」

「嘘だあ」

「ないよ」

 目解本家の近くまで向かったが、言うまで降りぬと駄々をこねるので、結局そのまま最終の目的地へと行き先を変更した。真っ赤な夕焼けの中、影絵のように僕ら二人は歩く。秋の気配を微かに感じる。

「また墓場で運動会?」

 石段を登りながら、倫太郎があたりをキョロキョロと見渡して言った。

 角川罫の墓へ来たのは数年振りで、前に来たのはいつだったのか覚えていない。ズボンのポケットに指先を突っ込んで、墓石を眺める。確か彼には妹がいたはずだ。綺麗にされたばかりの墓地を見て思い出す。

 偽物の墓標は、他の著名人偉人らと共に帝都の真ん中にあるが、実際に骨を埋めたのはこちらだ。

「………………………ただの石を見てもつまらないな」

 辿り着いて数秒で踵を返す僕を、慌てて倫太郎は引き止める。

「ちょちょちょ、せめて拝んでこうよ」

「何故? 生憎僕は無宗教だ」

「そういう問題じゃないし。あの、……あのさあ、もしかして、今日だったの」

「何が」

「命日」











 小説は希望をばらまいて終わる。二人の冒険はまだまだ続く。どんなに奇っ怪で難解な事件が起ころうとも、彼らの正義の心と勇気がくじけることは、決してないのだ。

 罫には罫の死も死後も書けない。当然だ。罫は病気であっけなく死んだ。そして僕は引きこもった。本当の物語は、読者の知らないところで終わった。続いていくと思っていた現実は呆気なく消え去り、こんなはずじゃなかったという思いが散らばった今日を、おろおろと片付けながらなんとかやりくりしていくしかない……それすら放棄して、僕は全てから目を背けた。

 意図も簡単に終わる。新たな幕開けなど、やって来やしない。


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