【第三話 目、目、目】





 街に出れば必ずといっていいほど、目解礼介は死体に遭遇する。早朝の散歩中に公園で、偶然入った喫茶店の御手洗で、或いはよく人の集まる百貨店の中でですら、彼一人が真っ先に見つけるのである。本人曰く、前世の行いが大変に悪かったのだと適当な嘘を吹聴してみたりするが、私が思うに、それはただの酷い不運の連続というよりは、天才的な彼の頭脳が無意識的に犯罪の匂いを嗅ぎつけ、非業の死を遂げた彼らの無念を晴らすべく、偶然を装って目の前に事件が現れるのだ。

 礼介のもとの性格は大変おとなしく、素直で、優しく、悪く見れば気弱なところもあるせいか、彼が第一発見者から重要参考人になったケースは少なくない。端から彼を犯人であると決めつける者までいる。礼介をよく知る私からすれば、言語道断である。いや、むしろ馬鹿馬鹿しすぎて、抱腹絶倒といっても過言ではない。嫌な思いをするからと滅多に外に出ないせいで、少し走っただけで息切れをするし、暑さにも寒さにも大変に弱い。この前なんぞは、悪い夢を見たからと一日塞ぎこんでいた。無論、予知夢でもなんでもなく、ただの睡眠時に脳が見せる絵空事である。かように精神も肉体も貧弱な礼介が、緻密な計画を練り上げ、人をその手で殺し、偽の犯人を仕立てあげ、そうして十数年、世間を欺くなど出来るわけがない。彼に出来るのは箸の上げ下ろしぐらいだ。誇張ではない。今朝も今朝で、起きてこないのを不審に思い、部屋までわざわざ訪ねたところ、梅雨のために湿気をはらみ、立て付けの悪くなった障子を開けられず密室で困窮していた。読者諸君。これが目解礼介である。これが皆様のご期待する名探偵の素性なのである。

 さて、ことあるごとに私が礼介を悪く書くのを、良く思わない読者もいるようで、たびたびお叱りの手紙がくる。なので私は今回の事件を書く前に、改めてここに述べる。私には十年来の親友を悪く言う権利がある。批難する理由がある。散々けなしてもお釣りがくる。何故ならばこの世で一番に彼を強く信じ、深く敬い、決して枯れることのない友愛の情を持ち、大変に誇らしくあるのは、この私、角川罫だからだ。




   角川 罫『極彩色の殺人』








 サイケデリックな色遣いに、目、目、目………と書かれた開襟シャツを羽織って、倫太郎は今日やって来た。さすがに着替えさせたいと思ったが、シヅさんは彼の服装を誉める。一体何がいいのか知らん。理解不能なこともこの世にあるとはわかっていても、それが目の前で繰り広げられるとなんだか頭痛がしてくる。

 やたら倫太郎の機嫌がいいので、何かと思ったら、夏休みに入ったらしい。シヅさんと、過去の思い出やら今年の計画やらで盛り上がっている。久しぶりに聞く単語ばかりだ。夏祭り。キャンプ。花火。海水浴。

 例のごとく彼女は僕らを残して消える。途端、倫太郎は落ち込みはじめた。畳にゴロゴロとだらしなく転がって、恨めしそうに僕を睨む。

「海行きたい」

「行けば? 神奈川に別荘持ってただろ」

「……海見たい」

「うん」

「ウニ見たい」

「うん」

「ウニ煮たい」

「お好きにどうぞ」

「海見たい、礼介くんと」

「………………」

「………………はいはい。いいよ。わかってるよ。それはさすがにハードル高いよね。ハードル高すぎてむしろ下を潜り抜けるレベルだよね。鳥居だよね。じゃあ余裕じゃん。馬鹿野郎」

「御家族で行くでしょう、君。毎年伊豆に行くんじゃなかった?」

「………………なんで知ってんの」

 少し機嫌が悪くなった。……そんな顔もするのかと、申し訳なさより好奇心が勝る。

「君のお父さんがね、」

「会ったの? いつ? なんで?」

「………………昔言ってた。なんでそんなに怒る」

「お、……こって、ないけど、別に」

「会ったら不味い理由でも?」

「……………………」

 あるらしい。不自然に動揺している。理由を考えて、質問を続ける。

「……………君のお父さんはここに来ることを反対している?」

「えっ、するわけないじゃん。礼介くんのファンなのに。つーかめっちゃ心配してたよ。干からびて死んでるかもって」

 内心安堵する。彼の父親とは以前親しくしてもらっていた。裏表のない活発な人だった。嫌われても仕方ないが、嫌われたら傷つく。

「そうか。心配してくださってるなら今度電話の一本でも、」

「ああ、やだ、駄目、それは駄目」

 今すぐ僕が行動を起こすと思ったのか、物理的に倫太郎は阻止してくる。そもそもそう簡単に僕が連絡を取れるような御仁でないことを、息子の彼は理解していない。

「反対する理由を教えてくれ」

「……………大人同士で勝手に話されるの気分悪い」

「それなら君が同席すればいい」

「やだやだ、だから、さ………………あの、………やだ、冗談でもほんとやめて」

 そろそろ涙目になってきたので、やめてやる。

「しないよ。だいたい連絡先知らないし」

「はあ? マジかよ」

「シヅさんならわかるんだろうけど。お目見えするには半年前にお伺い立てなきゃ」

「うわあ、うわあ、ああんもう、馬鹿!」

「人にむかってなんてことを」

「酷いよ酷いよ人でなし」

「そこまで言われる謂れはない」

「……父の前では僕は純朴な子供なので本当にそういうのはやめていただきたい」

「…………ああ、そういうことね」

 猫かぶりがバレるのが嫌だったのか。そりゃそんな服着てたらどんな親でも卒倒するだろうよ。

「……君、普段一人称僕なんだね」

「学校じゃ私って言わされるよ。馬鹿みてぇ。おれはおれでありたい」

「雑な言葉を使うと雑な人間になる」

「先生みたいなこと言うじゃん。はいはい大人はかつて子供だったのに子供心を理解しないよね」

 僕が僕であるために、と歌いながら彼は踊り始める。それを眺めている。そのうち手拍子を催促される。

 夏の午後。







*  *  *  *  *






 読書感想文があるとかで、書庫へ案内したら、彼はまた目をキラキラさせだした。

「推理小説がいっぱい」

 どれが一番お気に入りなのかと聞かれて、答えにつまる。無駄な人生の暇潰しに文字を追いかけているだけで、どの作品がどんな内容だったのかはちっとも覚えていないからだ。

「あらま、先生。自分の本まで置いちゃって」

 ずらりと出版順に並べられた罫の作品を見て、倫太郎はニヤニヤと笑う。その本も含め、ここにある大半は、僕のではなく実は罫の蔵書である。作中で罫は実家のガレージでラップトップを叩いている設定になっているが、実際はこの家の二階で彼は一度手書きで粗筋をまとめてから不馴れな手つきでデスクトップに入力していた。好きな物語が、この家で産み出されたのだと知ったら、倫太郎はどう思うだろうか。そんなことを考えて、結局僕は罫の名を口にしない。

「娯楽小説じゃそもそも読書感想文の対象にならないかな」

「えー、んなことないよ。アガサ・クリスティとかオッケーじゃん。ポアっとこうかな。オリエント急行は古すぎ? マープルめいたほうがいい?」

 いやあでもやっぱりここは二階堂ふみ、と呻いて、倫太郎は罫の作品を手に取る。極彩色の殺人。

 彼が読書に耽るなら、と僕も適当な一冊を手に取る。内容を覚えてないのは好都合だ。退屈な映画を流しながら惰眠を貪るような、なんの生産性もない時間を過ごせる。失うのは時間だけで、得るものはなにもない。それでいい。もう二度と幕は開かれないのだから。

 しばらくして、倫太郎の大笑が聞こえた。

 なにごとかと彼のもとへ行くと、一冊の本と写真を手にして笑っていた。

「挟まってた。これ、いつの?」

 そこには、在りし日の罫と僕が写っていた。二人の服装も写りこんだ家具も時代がかっている。共に撮影者へ何かを言おうとして、中途半端に口を開けた、ヘラヘラと間抜けな顔をしている。懐かしい。執筆作業に根を詰めている罫のために、僕がある程度資料をまとめ、そして……………………彼女が昼食を用意してくれたのだ。新品のカメラを携えて。





 ────お疲れ様、お二方とも。お仕事は順調かしら。

 ────ああ、どうもありがとう。外は暑かったろう。

 ────ええ、夏日で嫌ンなっちゃうわ。でも私、とっても楽しい思いをして帰ってきたのよ。


 幾多の写真をおさめて、上機嫌で帰ってきた彼女は、いつものように美しかった。覚えている。さくらんぼ柄のワンピース。うっすらと汗の滲んだ白い額。指先まで隙のない女。新しいものが好きで、意図的に必要でない限り、同じ服を着ているのを見たことはなかった。派手で、知的で、その癖ふっと消えてしまいそうな儚さを持った女。自然と寄り添ってきては、人の心にするりと入り込んできて、夢のように消える。天真爛漫な彼女には、人として愛すべきところがあった。……………たとえ彼女が、敵であっても、僕は愛さずにはいられなかった。………………そうして実際に愛した。彼女も僕の気持ちに応えてくれていた。








 美しい日々。







「これ写真撮ったの、だあれ?」

「……シヅさんだよ」

「へえ。それにしては視点高いけど」

「床に段差があるんだよ」

 妙なことにはすぐ気付く子供に、適当な嘘をついておく。彼女の話は作中には出てこない。現実は物語ではないのだ。罫は架空を用いて辻褄を合わせ、彼女が現実で果たしたことの代役は、だから男だったり犬になったりした。まるで七変化ね、と、ある人物から身を隠さねばならない彼女は、微笑んでいた。

「ていうか、かっこよ。え、やば。やばたにえん。礼介くん、昔こんなだったの」

「そんなもんだったよ」

「いやいや、なんか小説と違くない?」

「小説はあくまで小説」

「貧弱モヤシかと思ってた」

「…………………」

「これは違うでしょ。こんなん青春時代にいたら初恋泥棒じゃん。泥棒じゃん礼介くん」

「人聞きの悪い……」

「モテた?」

 くだらない方向に話がいきはじめたので、僕はわざとため息をつく。彼の手から本と写真を受け取って、また棚におさめる。知らなかった。彼女が大切に写真を残しておいたのか。罫がいたずらにここへ隠したのか。文句を言ってやりたくとも、もう二人とも僕の傍にはいない。

「……モテないよ」

「だよね。あ、ていうか、罫くんいたもんね」

「……………………どういう意味だ」

「相思相愛的な」

「親友として」

「恋愛として」

 子供相手に本気で怒りそうになり、僕は息を止める。倫太郎はきょとんとしている。

「………………友人以上のなにでもないよ、罫は」

「あ、そうなの? ふうん。てっきりそうなんだと」

「どこでそんな勘違いが出来る」

「小説全編読みまくったら。だってずっと一緒にいるじゃん。なんなら後半辺り一緒に暮らしてるし。違うのか、ふーん」

「それは小説の都合上いちいち登場人物を会わせるのが面倒だからで実際は暮らしてなんかないし………………その前に、大前提で、男同士だ」

「それってなんか重要?」

 悪びれもせず、さらっと言ってのける。

 学生時代を思い出す。なんであんな奴庇うんだ、もしかしてその気でもあるのかと、僕を擁護したばっかりに罫は心ない嘲笑と屈辱を受けた。もちろん罫のことだから即座に反撃に出て、相手を完膚なきまでに叩きのめしはしたのだが、何も出来ないでいた僕は未だに小さな傷を抱えている。人に守られてばかりで、何も出来なかった。

 罫に恋人はいなかった。

 女好きで友達は沢山いたが、色っぽいことになっても長続きした試しがなかった。

 ずっと僕がいたから。

 事件があったから。

 ベッドの上で恋人とのんびり過ごすより、罫は僕と町中を駆け回り、謎解きに苦しんだ。

 迷惑をかけ続けていた。守ってくれていた。僕と会わなければ罫は今頃結婚をして子供がいて…………………そんな想像をした。

 彼の死んだ後で。

 何もかもが、遅すぎた。

「……………普通は重要だよ」

「あらそう。わかんな。おれめっちゃ友達のこと大大大好きだけど、友達男だよ」

 それはそうであろうなあ。親友が異性は滅多にないことだ。

「礼介くんも好き。シヅさんも好き。抹茶も好き。カピバラ好き。最近アナログ時計可愛い」

「そういう意味の好きには性別は関係ないけども……恋愛的な意味でだよ。好きな女の子とかいないの」

「いない」

 まだまだ子供だ。感情を乱した自分に呆れる。

「だいたい恋愛ってわからな。みんな恋とか好きだよね」

「高校生ならそうでしょう」

「うーん。歌とかドラマとかなら、まあ、なんか、わかるけどさあ。リアルで?」

「クラスの子とかでさ」

「ドキドキしたら恋愛?」

「普遍的には」

「…………………………え、じゃあやっぱり男なんだけど」

 おっと。

 それはそれで別の緊張が走る。みんな違ってみんないい、の理論を解いて聞かせるほど、教育的な側面は持ち合わせていない。なんなら、旧世代のある種の野蛮で差別的な教育を受けてきた僕にとって、やはり簡単に受け入れられるものでもない。

「……………そうなの?」

 とりあえず言葉を返した。

「うん。Gackt様」

「あっ、それはしょうがない」

「それはしょうがない?」

「それはしょうがない」

「これはしょうがないのか」

「うん」

「あとねえ、長瀬智也」

「ああ……それもしょうがない」

「これもしょうがない?」

「しょうがないねえ」

「だよね。ああいうの兄ちゃんに欲しい。バイク教えて欲しい」

「うん。それは皆そう」

「ですよねえ」






*  *  *  *  *





 風呂に浸かりながら、今日を思い返す。人と会うごとに軽薄な心は揺さぶられて、どうせ最後はひどく痛む。左手をかざす。鈍く光る指輪の、片割れの行く末を僕は知らない。

 最愛の人。

 他に言葉は要らなくて、ただ幸福と愛を感じるだけだ。













 来客があるようになってから少しは元気になったと、僕を見てシヅさんは喜ぶ。疲れている主人を見て喜ぶのはいかがなものかと思うが、彼女が嬉しそうにしているので特に何も言わない。奥様から御手紙が届いていますと、夕食前にトレイを差し出された。シヅさんのいう奥様は倫太郎の母親のことだ。

 手紙の内容は、簡素なものだった。

 読み終えて、僕は食事を摂る。あれが食べたいこれは嫌だと、そんな感情はここ数年、微塵も起こらなかった。味もわからない。生きる目的がないのに腹は減る。ただ空腹を満たすだけの行為。シヅさんがどれだけ腕によりをかけようが、今までまったくの無感動だった。












 ────ああ、腹が減った。

 ────今どこまで進んでるの?

 ────まだ全然さ。洞窟を見つけるまでの謎解きが厄介だ。

 三人とも、机上の散らかった資料をどけて、ファストフードの包みを広げる。彼女はカメラを傍らに置いて、僕らにナプキンを渡してくれた。僕は彼女の選んだ商品を見て、ついからかいたくなる。

 ────また新商品にしたのか。

 ────だって期間限定なんだもの。絶対食べたいじゃない?

 ────普通のでいいんだけどな。

 ────半分こしましょ? ね? 私そっちも食べたいの。

 いちゃつくなら暑苦しいから外でやってくれと、罫が天井を仰ぐ。そんなつもりはないと反論する前に、彼女があらごめんなさいと幸せそうに笑うから、僕はどうしていいのかわからなくなる。

 氷で薄まったオレンジジュース。まだ温かい包み紙。劣化した油と塩味。ケチャップの匂い。扇風機は熱風を起こすだけで、開け放した窓からは風など吹いてこない。遥か遠くに飛行船。入道雲。どこかで子供の歌う声。蝉の大合唱。

 隣に彼女がいた。

 隣に罫がいた。

 夏の午後。






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