3章.焔(1)

 頼りなげな灯火に照らされ、揺れる影。

 時折風が吹く以外は、物音のしない静かな通路に、足音がひとつ、響いている。


 その場所だけであったのか、過去を写し取ったという技による幻影も、あれから現れる事は無かった。

 道中怪しい者は居らず、また罠や隠している通路、見慣れぬ物も無く。

 黙々と後を着いて来るリムの方も、何かを伝えようとしている様子はない。

 遺構には、彼女しか見えない物もあるようだが、今はそれすらも無いのだろう。

 奈落の闇に架けられた橋を渡り、細い通路を抜け、長い石段を登る。

 時折霞の如く灯り、また夢幻の如く消える、微かな光を目当てに、迷宮を彷徨う――或る時は右に、そしてまた或る時は左に。

 或る時は下り道を進み、そして或る時は袋小路を引き返し、新たな道を探った。


 分かれ道、どちらから来たのかの印を、壁に入れる。

 がりり、と僅かな音を立て、ひび割れたチョーク白墨の欠片が、ふわりと石床に舞う。

 しかし元来た道を辿って帰る筈が、大変な遠回りをする事になったものだ。

 その為に、つぶさに印を付けて来た、というのに。

 今、脱出の為にこまごまと努力してきた、準備行為のほぼ全てが、無と化している。

 その事に気が付いたハザは、軽く溜息を吐いた。

 だが、これも旅の流れに沿った結果故、致し方ない事。

 想定していたよりも、敵の数が多かったのは誤算ではある――まさか古の神とやらに、これ程まで群がる奴等が多かったとは。

 確かにリムは怪しげな技を使い、剣で斬っても死なず、いや滅びないのかもしれないが、力も無く、また早くもない。

 近づいてしまえば、その強さ以上に簡単に斃せるのだ。

 そして、ひと度興味が失せれば、あっという間に雲隠れし、その者の前には2度と出て来ないだろう。

 信じられない事に、勝ち負けにこれ程拘らない存在が、今まで居ただろうか。

 勝つための道を模索してきた己とは、その姿勢はまるで正反対。

 大胆な発想と言えば聞こえは良いが、突飛な内容も多く、この様子を鑑みるに、古の民達も、さぞや大変な苦労をしたに違いない。

 そこまで考えた青年は、極度に磨り減り、そこいらに転がる小石と比べ、左程見掛けの変わらなくなったチョーク白墨を投げ捨てると、再び歩き出す。

 複雑に絡み合っている様にも見えるが、古の民が試練と呼んでいたからには、入って抜け出せる様に、造られている筈なのだ。

 少し道に迷った程度で、失望する事などありはしない。

 たった今、多少難儀したとしても、地上に出て暫く時が経てば、そう言えばそんな事もあったと、笑い飛ばしている事だろう。

 時折小休止を挟みながらも、2人は地表を目指し、進み続ける。


 やがて、幅がやや広い通路に出、立ち止まったハザは、辺りを見渡す。

 次の階層に繋がる、階段が近いのかもしれない。

 正面は、何処まで続いているのか分からない、真っ直ぐな通路。

 後ろへ振り返ると、通路の幅こそ変わらないものの、幾つかの脇道が見えた。

 風向きから、地上へ向かう道はどちらになるか、感じ取ろうとしていると突然、リムの制止する声が、ハザの耳朶に届く。

「ハザ。

 この先に、先程争った者達と、同じ様な恰好をした者が居ますね」

 彼女は、脇道の無い方を指すと、青年にこの先には敵が居る、という事を告げる。

 キイキイと微かに揺れる、壊れたランタン角灯から漂う、覚束ない輝きでは、遠くまで見通す事は出来ない。

 何故察知出来たのかまでは、全く分からないが、本当に居るのならば、迎え撃たねばならないだろう。

「そうか――ありがとう。

 俺が行って、片付けて来る。

 リムは、脇道の多いここで隠れていろ」

 礼を言って、ハザは背中の長剣の柄に触れ、その感触を確かめた。

 この女の突拍子も無い言動や、はたまた立て続けに起こる、不可思議な事柄には、少々驚きっぱなしではあるのだが、調子は悪くない。

 相手が何人居ようが、この俺が叩き切ってやる。


 その様に意を固め、いざ敵を討たん、と駆け出そうとする青年を、リムが呼び止めた。

「この先を塞ぐ様にして、並んでいるみたいですよ――。

 ハザ。

 貴方が向かうよりは、早く事が進むかと存じます。

 どうかここは、我等にお任せください」

 彼女はそうは言うが、手から火を出すのは、もう使えない筈。

 あれも、炎を出す前に近付いていた――という事は、火が出る前に倒してしまえば、何も起きないのではないだろうか。

 気付かれずに飛んでいた事もあったが、あれもまた近付いていたのだ。

 もし察知されてしまえば、集団なら誰か1人位はそれに気付き、何時か彼女を討つかもしれない。

「何を言っているんだ。

 身を護る術を得てからにしろ。

 お前は武器を持った奴に近付けば、すぐに殺されるだけだ、止めておけ。

 毎度の事だが、何度も続くと流石に後味が悪い」

 そう、連れ出すべき存在が、何度も斃れていては、今後の意気にも関わるだろう――主に自身の。

 青年は娘の提案に大きく反対する。

 だが、彼女はハザを正面から見据え、そうではないと口を開く。

「近付きはしません――。

 此処から、彼の者達の相手を致しますので。

 準備は、済ませておきました。

 すぐに終わりますから」

 という事は、リム――彼女は接敵せずに済む怪しげな技を、使うつもりの様だ。

 お互いに察する事が出来ていない位置の、此処から攻撃が出来るというなら、完全な奇襲が可能だろう。

 本当に、それが出来るのならば、だが。

 意表さえ突けば、剣より早く斃せる、ならば試す価値はある。

「そんなに手間がかからんのなら、良いんじゃないか」

 そう言うと、彼女に道を譲る様にして脇へ退き、石壁にもたれ掛かって待つハザ。


 だが何も、起こらない。


 もう終わったのだろうか?

 だとすれば、この女もなかなかの早業を持っている。

 そう思いつつリムと、通路の先を見比べていると、徐に振り向き、歩いて来た向こうを指差した彼女が、ぽつりと言った。

「あの。

 向こうへ行って下さらないと、危ないですよ」

 唐突の駄目出しに、呆気にとられた青年は、ゆっくりと歩き、彼女の方から離れる。

 そして100歩程歩いた時、その背にリムの声が届く。

「ええ――。

 その辺りで結構です。

 出来れば後ろを向いて、目を閉じて下さいね。

 もしこれで傷を負ってしまった場合、治すのは少々面倒ですので」

 黙って聞いていれば、なかなかに物騒な話だ。

 何をするつもりかは知らないが、大きな事をするつもりらしい。

 彼女の指示に従い、脇道の影に入ると、背を向けて目を閉じ、手をその上に重ねて、待つ。

 程なくして訪れたそれは、瞬く間の出来事であった。

 何かが、輝いたのだろうか。

 聞こえる様な音はしなかったが、続いて、熱い風が背中から吹き抜け、シャツ襯衣の内側が忽ち、吹き出す汗で濡れてゆく。

 瞼の上から手で覆っている筈だが、それでも視野が白く染まった気がした。

 閉じている目が、少し痛い。


 やがて、キイキイと軋む音が、空気の揺らぎと共に、ゆっくりと近づく。

 緩やかに響く、もう良いですよ、との声に目を開くとそこには、見知らぬ影が立っていた――目頭を抑え、壁に手を着く自らの影が。

 すぐ横には、リムが立っている。

 壊れたランタン角灯から映し出される、青年の動きを真似る影は、変わらず床の上にあった。

 しかし、それとは別に、もうひとつ。

 見た事の無い、不可解な現象を目の当たりにしたハザは、言葉を失い、動かぬ影を前に2、3歩後退る。

「何をしたんだ……」

「陽の肌に吹き荒れる、炎の帯と言っても、ハザ。

 貴方には、恐らく分からないでしょう」

 彼の口から思わず転び出たひと言に、そう言ったきり、彼女は何も応えてはくれなかった。




 むせ返る様な熱気、肌に焼け付く風とそして、衣服の下を、湧き水の様に流れる汗。

 緩やかな風が、そっとそよぎ触れてゆくだけでも、顔が、手が、ひりつく。

 進もうとしていた通路は、紅く輝き、物凄い熱を放っていた。

 涼し気なのは、茫洋とした澄まし顔のリムだけだが、今は当の彼女も、かなりの汗を滴らせている。

 刃が欠け、使い物にならなくなった古いナイフ小刀を、試しに輝く床へと投げてみたが、それは床に触れようとすると、じゅうと嫌な音を立てて、張り付いてしまう。

 とてもじゃないが、歩ける様な状態ではない。

 他に道は無いか、その辺りを歩き回ったが、何処も上へと通じてはいなかった。

 仕方無しに、焼けた石床の見える所で、只ひたすらに待った――時折風が運ぶ熱気に、汗を拭きながら。

 あまりの暑さの為、胴鎧の他ジャケット外衣シャツ襯衣を脱ぎ捨てると、熱風を避ける為に脇道へと入り、座り込むハザ。

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