2章.過去の残滓(2)

 投げた小石は彼等を擦り抜け、広間の床に当たり、かつん、ころころと音を立てた。

 その身を擦り抜けてゆく小石にも、響き渡る音にも、不思議な事に彼等は全く応ずる事がない。

「見ろ。

 こっちからじゃ、奴等は動かない。

 何の事は無い、そこを走り抜けて、放っておけば良かったんだ」

 呆れた様な面持ちを浮かべ、ハザは吐き捨てる様に言う。

 事実その通り、走り抜けた後には、決まった方向を向いて、立ち尽くすだけの彼等が、大広間の中央に集うだけである。

 襲い来る者はもう居ない。

 敵だった者達は、すぐそこに居ると云うのに。

 当の彼等は微動だにせず、ハザたちが渡ってきた橋の方を向き、大広間の中央辺りに立ち尽くしている。

 何がしたいのかはさっぱりだが、これを見れば分かる通りだ、ただの人ではない、おかしな奴等である事は、間違いないだろう。

 こう言う明らかに妙な事は、リムの方が詳しい筈。

 だが、返事が無い。

 反応を待つ間、手持無沙汰になった青年は、もうひとつ足元の小石を拾うと、彼等に投げつけた。

 すり抜けた小石は、広間の床に当たり、再びかちりと小さな音を立てて転がる。

 その音は、ごく僅かな小さい音であったが、大広間の暗がりに鳴り渡り、やがて残響が広がってゆく。

 だが、その様子を見ても、当のリムは口元に手を当て、考え込む素振りを見せるだけであった。

「何だ、らしくない。

 言いたい事があるなら、話せ」

 彼はやや様子が変わっている娘へ、態度に疑問を抱きつつ、その真意を問う。

 そうだ、何があったのかは知らないが、この女はさっきから、ひと言も喋っていない。


 ハザの言葉に珍しく逡巡した後、彼女は漸く口を開く。

「はい、そうですね。

 これらの術は、向こうからしか応じないものです」

 何故か暫くぶりに、声を聴いた気がする。

 そこに何があると言うのか、床を指差しながらリムは言った。

 しかし、俯き彼女の指先を見るハザの目には、何も映りはしていない。

 少なくとも、只の石床にしか見えず、どう反応したものか、と思案に暮れる。

 それよりも何よりも、奴等と方角との関係――何故それを先に言わなかったのか。

「知っているなら、何故……」

 疑問を言い終える前に、娘の柔らかな声が飛ぶ。

 彼女の方は相も変わらず、他人の心を察するのは速いままの様だ。

 途中で話の腰を折られた青年は、徐々に声を小さくし、リムが言葉を終えるのを待つ。

「ハザ。

 貴方は我等に静かにしろと、仰いました」

 理由を聞いて、僅かに得心が行く。

 だから返事など無く、黙ったままだったのか。

 放っておいても好き勝手、とまではいかないが、割と言いたい事を言う娘だと思う。

 それが静か過ぎるものだから、何とは無しに妙だとは思っていたが、どうにもそんな理由であったらしい。


 違う、そうじゃ無い、そうじゃ無いんだ――青年はわしわしと自身の頭を掻くと、大きく溜息を吐いた。

「あのな……リム。

 ずっと黙っていろ、と言う意味じゃない。

 心を読んで、急に話し始めると驚くから止めろ、と言っているんだ。

 必要があれば、幾らでも喋り、話してくれて構わん。

 俺の方がお前の心を、読めんからな」

「はあ。

 その様な意味でしたか……、留意しておきます」

 青年の言葉に、伝えたい内心を分ったのか、分からなかったのか、抑揚も無く返される生返事。

 掴み処が無い女だ――ハザは彼女のその面持ちから、心中を探ろうとしたが、あまり替わり映えしない、茫洋とした澄まし顔からは、何も窺い知る事は出来なかった。

 そして、再び頭を掻き、背を向ける青年に、リムは声を掛ける。

「お待ちください――。

 ひとつ、確かめたい事があります。

 我等が見えている物が、貴方には見えていないのではないでしょうか。

 どうにも、そんな気がします。

 お手数ですが、少々お付き合いください」

 言葉を投げかけた後、彼女は振り返る青年の正面に屈み込む。

 そしてリムのしなやかな声が、再び広間に響く。

「ハザ。

 これが、貴方に見えますか?」

 何をしているのかと思えば、細くしなやかな指を床に這わせ、大きな模様をなぞり描いているようだ。

 が、その軌跡は石床の上には残らず、何も描かれた様子は無い。

 眉間に皺を寄せた顔付きで、問い返すハザ。

「俺をからかっている――訳では無い、のか。

 何もない、ただの石床に見える。

 分からん……、そこに、何があるんだ?」

「これは、見えない者が、数多く居る事は判っております、ご安心ください。

 貴方には見えないご様子で」


 何があるのかを尋ねると、詳しい説明を諦めたのか、簡素な答えを返し、彼女はすぐに立ち上がった。

 どうやら調べるのはもう良い、という事らしい。

 その意を察した青年は、静かに踵を返すと、奈落の闇に架かる橋を、ゆっくりと渡り始める。

 音も無く、ハザが歩く後にリムが続き、ひとつの足音が大広間に響いてゆく。

「奴等は何だったんだ、結局」

「――、……。

 そうですね――。

 ざっと見た所、彼の者達は自らを贄として捧げ、此処にその姿を映した様です。

 特定の方角からやって来る者を、留めようとしていたのでしょう。

 先程の様に」

 青年の問いに、何拍か遅れて応えるリム。

 遥か昔から、その様な技法が在り、古の民は扱っていたのか。

 しかし、そんな技法があれば、今の世に伝わるなどして、残っていてもおかしくは無い筈。

 だが地上で、魔の力とやらを扱う術などを、訪ね歩いたとしても、その鱗片すら探し当てる事は出来ない。

 古の民が、そんな力を振るっていた事、今の者達は誰も知らないのだ。

 恐らく真実を知る者の血脈が、何処かで絶えたのだろう。

 だが、万人に知られざる記憶の陰の向こうで、眼に映らぬ力を扱う事を、古の民に伝えた何者かが、居るに違いない。

 そしてそれは、きっと――。

 すると、視線を動かす前に、ハザの胸中を察したのか、彼女は話し始める。

「魔の力の扱い方を、彼の者達に伝えたのは確かに我等です。

 ですが、この様な使い方をするとは、思いもよりませんでした」

 胸中を全て話し終えたのか、リムが黙すと、大広間に辿り着いた緩やかな風が、するりと2人の間を駆け抜けてゆく。

 そして、青年の足音を運ぶ風は、びょうびょうと切り裂く様な、微かな音色を奏でながら、闇が蠢く深淵の底へと舞い降りていった。


 石橋を渡りながら、ハザは思う。

 写し出された過去は、訪れる者が来る度、延々と同じ事を繰り返すのだろうか。

 特定の方角から訪れた者を、通すまい逃がすまいと、一斉に喰らい付くのだ――それが終わると、再び微動だにせず、次の来訪者を待ち続ける。

 彼等は、その為に捧げられた贄とは言え、与えられた終わりの無い使命に、幾許かの虚しさを感じた。

 どれもこれも、リムを幽閉し、逃がさない為の罠のひとつ、なのだろうか?

 人が行き来して、彼女が通れない道、そして、彼女が通れて、人が通れない道の存在。

 かつて古の民達は、この迷宮に挑む事を、試練と呼んだようだが、その事から完全に通り道を塞ぐ意思は、まるで無かった事が伺える。

 どれだけ厳重に閉じ込めたとしても、怪しげな技で、何処ぞの国の御伽噺の如く、この女はあっさりと抜け出してしまう、とでも言うのか。

 だから、魔の力の扱いを教わった彼等は、その方法を真似て、当の本人を、騙すなり何なりして地底に連れ込み、神として祭り上げ神殿として拵えたあの場所へ、閉じ込めてしまう。

 可哀想に、変に祀り上げられた女は――武器を振るう動く骨の所為で、出歩く事も叶わず――あの昏い場所で、日がな1日歌って過ごして来た、という訳だ。

 これが1番近い、真相の様にも思えるが、その考えを聴けば、この女は何と答えるのだろうな。

 もう少し先へ進む事が出来たら、休む前にでも、事の起こりを聞いてみるのも、良いかもしれない。

 だが、彼女をそこまでして、古の地に縛らねばならない、その理由。

 それを彼は、どれだけ思案を巡らせても、まるで思い付く事が出来なかった。

 古の民は一体何を思い、何の為にこんな事を、と、問いたい思いが胸中に去来する――。

 が、尋ねたとしても、彼等は恐らく、何も答えてはくれまい。

 過ぎ去りし日々と対話出来る者は、残念ながらこの世には居ないのだ。

 ハザ達2人が橋を渡り切り、大広間を出る直前。


 振り向けば、彼等はまた大広間の中央に、佇んでいた――微動だにせず、ただただ静かにして。

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