2章.過去の残滓(1)
青年は風の音だけが響く大広間に独り、立ち尽くしていた。
橋の向こうへとリムを待たせ、ハザ独りで大広間へと向かう。
全て片付けてから、誰も居なくなった所を通せば良い――そのように考えていたが、すぐにその目論見が甘かった事を知る。
矢張り、橋を渡りきったところで彼女が1人、倒れていた。
触れれば感触もある――これは、夢ではない。
また、死んだのか。
浮くだけで他に動く方法がまるで無いのは、ある意味死活問題のように感じられた。
せめて、歩くか走るかしてくれれば良いのだが、何故かリムはそれをしない。
後で歩かせる練習でもさせるべきか、とハザは強く思う。
深い溜息を吐き、右手で頭を掻きむしると、そっと辺りへと視線を這わせる。
闇の中に、ぽつんと浮いている様にも見える大広間。
そこには誰も居なかった。
忽然と人が消え、ただ緩やかに風が吹くだけの、だだっ広い空間と化している。
振り向けば彼女の遺体が見える――確かに斃されたという事は、敵が居たという証左に他ならないのだが。
不思議と、あれ程いた筈の者達の、今はその影すら見当たらない。
中央へ向かい、影を、そこに居た筈の誰かが立っていた痕跡を探す。
しかし、そこいらには砂埃が薄く積もっているだけで、それも風で吹き慣らされ跡形と言えるものは無く、何者かがそこに居た様子は、まるで見られなかった。
確かにいた筈なのだが、彼等は何処へ行ってしまったのだろうか。
これでは、手の出しようが無い。
全て叩き切る心積りで、揚々と意気込んで来たものの、姿が見えないとは肩透かしも良い所だ。
試しに奴等が居た、と思しき中央辺りで長剣を幾度か振ったが、まるで手応えは無く、すぐに諦める羽目になる。
そして、暗闇の上の橋の上を、とぼとぼと引き返すハザ。
この迷宮が、いや満たされる呪い、魔の力とやらの矛先が、彼女を逃がさない為のものだとしたら。
当たり前だが狙いは俺でなく、あの女という事か。
きっと俺がリムと共に橋を渡ったから、奴等は出て来たに違いない。
どんな技を使ったかは知らんが、広間に奴等は居て、隠れて様子を窺っていたのだろう。
あの女が宙に浮いたり、見付からずに近寄れる程なのだ。
そのような者を捕え、幽閉したという古の民も、同じ様な事なら平然と行いそうな気がする。
薄明かりで足元を照らす、乏しい光をじっと見ながら、彼は物思いに耽りつつも、橋の袂で待つ娘の所へと戻ったが、変わらず壁や床をしげしげと眺めるリム。
何をしているのか、とその様子に訝しみつつも、ハザは声を掛けた。
「先には、何故か誰も居なかった。
お前が居ないと、奴等は隠れて、姿を現さないのかもしれん。
流石に見えん奴等は、俺にはどうにも出来んからな。
すまんが、また着いて来てくれ。
戦いになる、……離れるなよ」
そう言ってキイキイと軋み、今にも取れ落ちてしまいそうな、
リムは辛うじて原型を留めているそれを、静かに受け取る。
そして今度は2人で、もう1人倒れている彼女の遺体を踏み越え、大広間と繋がる橋の袂へと向かい、橋の上から広間の方を、慎重に観察を行う。
先程と同じく、中央に屯する人影。
身動ぎ一つせず、橋に立つ彼等の方をじっと眺めている様に見えた。
ハザは橋の中央から1歩隣へと歩む。
すると、影が脇に引き、次に壊れた
大股で100歩は進んだ辺りに、彼等は佇んでいる。
ここからもう少し足を踏み入れれば、先程と同じく奴等が立ち所に、こちらへと向かってくるに違いない。
橋の袂から、円状の広場に足を踏み入れると、突如として何者かが何かを叫び、屯した者共が一斉に動き出した――背後に控える彼女の方へと向かって。
その様子を察するや否や、弾かれた様に、彼は駆け出した。
背後には大勢の影が連なる。
何を言っているのか、聴き取れぬ異国の言葉が、大広間を満たしてゆく。
走る青年に追いつける人影は居らず、今度は上手く行くかと思われたが、途中で追い付かれる。
ハザ1人だったなら、振り切れたかもしれないが、如何せんリムの反応が、1拍も2拍も遅く、同じ速さで付いて来れてはいない。
以前の様に、彼が飛び出し彼女の守りが空けば、いとも容易く討たれるだろう。
このままでは、橋の袂に斃れた、あの女と全く同じ存在が、もう1つ増えるだけだ。
仕方ないが、相手にするほかは無い様に思える。
地の底で出会った骨共と同じく、ハザを相手にしようとしない。
奴等は矢張り、この女狙いか。
なら、正面に立ち、足を止めて戦う方が良い――掛かって来る奴等から、打ち払って行けば良いのだから。
振り向くと、もう10歩程度の所へ、彼等は迫っている。
深く息を吐きつつ剣の柄に手を掛け、鋭い音と共に風を断ち、長剣を振るう。
手応えはあったのか、無かったのか。
長剣はするりと、その体を通り抜けたにも拘らず、身構えも怯えも恐れもせず、冷たい石床へと倒れ伏す人影。
それは――全くの無防備。
ハザの事はまるで眼中に無いのか、彼等は下層で出会った、動く骨共と同じくして、只ひたすらに娘の方へと向かうのみ、横からの攻撃を防ぐ事をしなかった。
振るった長剣で打ち倒した者達は、また違うけたたましい叫びを上げ、倒れ伏すと跡形も無く消え失せる。
何度も感じた事だが、その様子はまるで、最初から誰も居なかったかの様だ。
実に不思議だが、気に掛けている暇は無い。
ひと息つく暇も無く、続けて幾人かの影が駆け寄り、青年の方へは目もくれず、彼女の方へと再び接近を試みる。
さあ、次は何人――。
長剣を何度振れば、倒し切れるのかを予想する為、次に対峙する者達を、数えようとした時の事。
リムを討とうと、迫り来る者達の数は、その半数程である事に、ふと気が付いた。
最初に対峙した時の数と、明らかに違う。
人数が、減っているのだ。
広間の中央へと目をやると、明後日の方を向き、立ち尽くす者達が居る事が分かる。
他の者は現れてすぐ、こちらに向かって来ているというのに。
何故かは分からないが、気付き易い条件というものがあり、それから奴等だけが、外れているに違いない。
ならば、後もう少し、先に進めば――?
果たして、彼等の挙動に関係するのは、距離か、方角か。
長剣を大きく振りかぶり、薙ぎ払う。
次の瞬間、最初から居なかったかの如く、姿を消した人影。
そして、視界が開けた――今だ。
漸く訪れた好機に、青年は娘の手を引き、駆け出す。
今度は引き返すのではなく、彼等が背を向けている、その大広間の先へと。
リムの後に追い縋り、亡き者にしようとして、幾多の人影が続く。
その姿は既に死を迎え、見るからに幽幻に等しき者であると云うのに、彼等は律儀にその足で床を蹴り、走っていた。
だが彼等は、慟哭の様な叫びこそ発しているものの、どれ程激しく足を動かそうとも、物音ひとつ立てる事は無い。
明らかに、この世の者では無い印象が沸き起こり、不気味極まりない印象が胸中に満たされてゆく。
風を断つ鋭い音と共に、剣閃が走り抜けるが、さしたる手応えも無く、攻撃を防ぐ事すらしようとしない彼等は、倒れ込む様相のまま、あっさりと見えなくなった。
だが1人、残った者が追いすがって来る。
剣を振り翳し、迫る影と彼女との距離は、目と鼻の先。
ここからでは剣も、盾を持つ腕も届かない、防ぐにはもう1歩、踏み込まなくては――。
彼の者との間に辛うじて割り込み、左手を伸ばし娘を庇いつつ、反対の手でしっかりと柄を握り締めた長剣を、勢い良く振り抜く。
あわや、と思われる
そしてその姿は、祓われた幽亡の如く忽然と消え失せ、後には剣を振り終えた姿勢のハザだけが、その場に取り残される。
先程まであれ程居た筈の、彼等は何処へ行ってしまったのか。
振り向けば、リムは何時もと駆らわぬ様相でそこに立っており、倒された様子は無い。
それを確認したハザは、ひっそりと内心、胸を撫で下ろす。
次の1撃を振るう為の構えを解き、長剣を背負い直した彼が、大広間の中央へと視線を動かすと、何をしているというのだろうか、微動だにせぬ者達が集い、2人が渡ってきた橋の方角を、じっと眺めていた。
長剣を背に直すと、青年は僅かに鼻を鳴らし、眉を顰めた後足元の小石を拾う。
そして、中央に集う彼等の方へと投げつける。
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