1章.幻影(2)

 胸部を長剣が貫き、1人の影が膝をつき頽れると、視界が開ける。

 手に残ったのは、宙に舞う木の葉を断つ様な手応え。

 あの時に対峙した、骨の方が遥かに斬り応えがあった、と言った方がより伝わり易いだろうか?

 先を見ると、大広間の中央には、まだ大勢の者達が屯しているのが見えた。

 取り囲む者共を、粗方片付けたというのに、再び現れた人影が、2人の方へと向かう。

 全て見知らぬ新手のものかと思えば、寄る人影をよく見ると、もう2、3度は対峙したであろう者の顔も見かける。

 この者達は、何処から沸いて来ているのだろうか。

 数が減らないという事は、この場に踏み止まる限り、延々と相手をし続けねばならない事に、他ならないのだ。

 しまった、と感じたが既に遅い――こうしている間にも、迫り来る影共は、こちらへと向かって来ている。

 何処かで退くチャンス好機を得なければ。

 更に後退り、リムに手を伸ばそうとする者を、盾で殴りつけ、蹴り飛ばす。

 呻き声を上げて伏した人影は、すぐにその姿が見えなくなる。

 倒せるならば、こんな攻撃でも良い、という事か。

 薄らと消えゆく影を尻目に思うと、新手に勢いに任せ体ごとぶつかり、続いて次の相手に向かい剣を振り抜いた。

 倒す為の1撃を浴びせるだけならば、非常に容易いが如何せんこの数だ、1人1人、いちいち丁寧に相手にしていたのでは、埒が明かない。

 数は多くとも、全てこの女狙い、どうせ防がれはしないのだ、それならば――。

 位置を合わせる様にして2、3体の手近な者を斬り倒し、素早く1歩踏み込むと、長剣を大きく振り払い、集まる人影を薙ぎ倒す。

 すると、まばらに駆け寄ってきていた、人影達がそこで途切れた。


 横目で娘の安否を確かめると、気のせいか、そこにはもう既に、1人が倒れている様に見える。

 すぐ後ろには、無事だが暢気に立つ女が1人。

 大広間の中央からは、瞬く間に蘇った者共が列をなして、大声で何事かを喚き散らしながら、2人の方へと駆け出した。

 急げッ、躊躇している暇など無いぞ――!

 どちらに手を差し伸べるか、ひと時混乱しかかったが、内心を厳しく叱咤し、すぐ傍らに立っている方のリムを、左手の小脇に抱え、踵を返すとハザは走り出す。

 倒れている方は、恐らく手遅れに違いない。

 だったら、残っている方を優先して、何ら問題無い筈だ。

 ゆっくりと駆け出しながらも、青年は大きく息を吸う。

 そして1拍の後、勢いのある足音が響き出すと、すぐ後ろから聞こえていた騒がしい声が、瞬く間に遠くへと離れてゆく。

 小脇に抱えられた彼女は、静かに大人しく抱えられており、これ以上の邪魔になる事は無い。

 娘の手に下げられた、ランタン角灯の取っ手が足音に合わせて揺れ、キイキイ、カラカラと音を立てる。

 そこに灯るのは、少々の風で消える事の無い、妙な光の珠だ。

 多少乱雑に扱っても、光源が失われないのなら、もう少し速度を上げても良いだろう。

 そして、石橋に打ち付けられる、甲高い靴底の音調が、更に速く強くなる。

 耳のすぐそばを、びゅんびゅんと風を切る音が、走り抜けてゆく。

 今、どの辺りを通っているのだろう、後どの位駆ければ渡り切れるのか――そんな思いが胸中から沸き起こる――だが、ここで振り向く訳にはいかなかった。

 もし安易に後ろを振り返り、奴等に追い付かれでもしたら。

 それこそ本末転倒というものだ、苦しいが、此処は走り抜けねばならない局面。

 何とか距離を取らねば、またリムが斃されるだろう。

 どれ程の数の彼女達が居るのかは知らないが、放っておけばその命もやがて尽きるに違いない。

 奈落に架かる橋の上、正面に悪鬼の如く大きく口を開ける、通路の入り口が徐々に大きく迫り、交互に差し進める足の音が、遠く反響する。

 その自身の足音の木霊を感じつつ、懸命に足を動かす。

 橋の袂を過ぎるまで、後もう少し。

 ハザは大きく息を吐き、そして大きく息を吸うと、ぎりりと歯を食いしばった。


 やがて2人は大きく開いた、悪鬼の口の中に飛び込む。

 これで十分な距離は取れただろうか、薄暗い通路へと駆け込み、小脇に抱えたリムを下ろすと、呼吸を整えるのもそこそこに、元来た道を振り返る。

 ひと息に駆け抜けた彼の方が、確かに早かったとは言えども、奴等の影は橋の麓まで辿り着こうとしていた。

 橋の袂から、通路に雪崩込んでくるまで、最早時間の問題と言えるだろう。

 応戦しようと、彼は慌てて剣を前に腰を落とし、身構える。

 が、不思議と奴等は、橋の袂へ屯するだけで、襲っては来ない。

 通路入り口側の橋の袂から、何故かこちらには入って来ないのだ――何かを放り投げてくる様子も無く、ただただ声を上げて騒ぐのみ。

 しかしその足は床を蹴り続け、前に進もうとしている。

 何かしら、見えない壁がそこに在り、熱心に進もうとする彼等の行く手を、阻んでいる様であった。

 またしても怪しげな技かと思い、隣に立つリムの方を見たが、静かに佇む彼女の方は、何かをしている様子は見られない。

 まだ何もしていないのか、それとももう終わった後なのか。

 憎らしいまでのその落ち着きぶりからは、何も窺い知る事は出来なかった。

 振り向くと幾多の人影は、わあわあと聴き取れぬ言葉で、暫くの間、何事かを喚き騒いでいたが、警戒して様子を見ている内に、その姿は薄れ消えてしまう。

 後には、闇に満たされた奈落の底から立ち昇る風が、緩やかに吹き上げるのみ。

 御伽噺の1場面でも、見ていたのだろうか。

 前髪を揺らす風に首を傾げつつ、思わずそんな気分に陥ってしまう程、呆気無く静けさが訪れた。

 実に不思議な出来事に、青年は目の当たりにした事を、まるで信じられない、とばかりに何度も目を瞬かせる。




 そして、唐突に訪れた静寂が満ち、ハザはようやっとひと息つく。

 壁に背を預け、額を流れる汗を拭い、空気を求めて喘ぐ、青年の荒い呼吸が、暫く鳴り止む事は無かった。

 跡形も無く消えてしまった彼等も、気になると言えば確かにそうだが、それよりも何よりも、こちら側に来なかった事が不思議に思われる。

 が、魔の力や呪いに詳しくない彼が見ても、何の仕掛けかは分る筈も無く、ただ黙って吹き抜ける風の音を聞く他、何も出来る事は無い。

 思い起こせばこちらも、あの影達を幾人か倒した筈なのだが、斃れた者は忽然と消え失せそして、何事も無かったかの様に、彼等は再び向かってくるのだ。

 どうにか呼吸を整え、手にしたままであった長剣を止め具に収める。

 そして鞄から水筒を取り出し、ごくごくと喉を鳴らして飲む。

 勢い良く零れた水が、びしゃびしゃとジャケット外衣シャツ襯衣にかかり、濡れた染みを作った。

「キリがない。

 斃しても斃しても出て来るとはな――。

 もしかすると、何度も現れるお前と同じか?」

 唯ひとつ、違う所を上げるとするなら、リムは斃れた体が遺り、彼等は体が遺らない事。

 青年からすれば、どちらも似た様なもの、なのかもしれないが。

 ひと息ついた後、軽口のつもりでハザは訪ねたが、それに対して返事は無く、彼を一瞥した彼女は、床や柱の方をじっと見ているだけであった。

 何故だろう、どういう事か先程から、やけに静かにしている気がする。

 単に、様子を見ている訳でも無さそうだが、出会った時から左程変わり映えしない、茫洋とした澄まし顔から心中を察するのは、大変に難しいだろう。


 言いたい事が無いのか、暫く待ってもリムは話を始めず、風の音を聞きながらハザは思案に暮れた。

 此処で手を拱いている訳にもいかん。

 あの数だ、たった独りとは言えども、逃げも隠れも、また避ける事もしない、無抵抗の女を守り切るのは難しい。

 しかも、既に1度は失敗している――。

 矢張り俺が先行して、全てを倒してゆく他、方法は無いだろう。

 問題は何度も現れる奴等の、全てを屠り去るまで、体力が持つかどうか、だ。

 リムも何処かに隠れて貰う必要がある。

 あの影共が蘇る為の仕掛けがあるのなら、それを壊しても良い――予想した通りにそのような物があり、自身に見分けが付けば、の話ではあるが。

 しかし、彼女が何も言わない以上、解ける様な仕掛けがあるのかどうか、分からないのだ。

 こちらに何度もちらちらと、視線を投げかけはするものの、黙したままの彼女は、例え問いかけても答えてくれそうにない。

 頼りになるのは、背にずしりと重みを感じる、愛用の長剣しか無さそうである。

 ただ、今は、道を切り開く覚悟を重ねよう。

「すまんがソレを、貸してくれないか」

 深く溜息を吐き、意を決した彼が壊れたランタン角灯を指差すと、彼女は黙ったまま、それをそっと差し出した。

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