3章.死は再び巡る(2)

 巨漢は青年へ向けて、剣を振り抜く。

 大きな盾で視界を塞ぐようにして、敵を押し込み、強烈な殴打をお見舞いする。

 得意とするパターン戦法、位置取りや狙いの精度は共に完璧。

 この一撃、そう簡単に避けられはしない。

 しかし避けるタイミング機会判断を失った、と思われたハザは、左手をふらりと軽く無造作に振った様に見えた。

 カチリ、と小さく左手の円盾が鳴り、剣は巨漢の予想とは違う方へと滑ってゆく。

 満を持しての振り抜いた強打は、目の前の青年に何ら有効な1打ではない。

 僅かな音がしたのみで、巨漢の攻撃は失敗に終わる。

 繰り出される渾身の攻撃を、普段見せている剣を振るかの如く、素早い動きで盾を巧みに使い、僅かに掠らせて明後日の方向へと、逸らす事に成功させたのだ。

 向かってくるのは、片手での斬撃。

 盾で受け流すのはもう間に合わない――が、両手で振るよりは軽く、弱いに違いない。

 頭を突き出し、打点をずらしてやれば、尚良い結果が得られる。

 やがて、軽い攻撃は、頑丈な兜に弾き返され、大きな隙を晒すだろう。

 その時こそ、無防備となったその胴や頭に、こちらの打撃が今度こそ届く筈だ。

 巨漢は僅かに首を動かし、より頭を突き出して、剣による攻撃を受け流そうとする。

 彼は、兜の内側で唇を歪め、独りほくそ笑む――慌てふためく若造の顔が楽しみだ、とばかりに。


 待ち構えた巨漢に、鋼の刃と、兜のぶつかり合う音は聴こえて来ない。

 代わりに響いたのは、自らの頭が拉げ、断ち割られる音。

 続いて、手にした盾へがつん、と衝撃を感じたが、そこで勢いは止まらず、横薙ぎに胸の内を、冷たく硬い何かが駆け抜けてゆく。

 丈夫な鋼に全身を包んだ筈の巨漢は、頭だけでは無く、長大な盾を持つ腕や、その胸の奥にある肺すらも、振るわれた長剣によって叩き潰されていた。

 だが、身に着けた鎧兜は、ほぼ無傷である事に、気が付いた者は、果たして居ただろうか。

 巨漢は吐く言葉を失い、藻掻き苦しみながら、どう、と広間に倒れ伏す。


 今までに多数、長剣を振るって来た中で、研ぎ澄まされた最高の斬撃、だった。

 剣を振るう直前、腕と心の臓に、世の全てが集まってゆく様な――。

 己でも信じられぬ程に、剣を持つ腕が張り詰め、視野に映る何もかもが、まるで嘘の様にゆっくりと、動いてゆくのが分かる。

 あれが、あの集まった何かを常に振えるのなら、最早自身に敵は居ないだろう。

 剣だけではないが、何か道を極めるとは、あの感覚を、常に手にする事では無いのか。

 だが、今はもうその胸中には、暗雲が垂れ込めるかの如く、澄み切っていた心へと靄が満ちてきていた。

 普段と変わらない、その筈なのだが、あの時と比べれば、手足は既に鉛のように重く。


 あの感覚を、再び掴む事はもう、出来ないのだろうか……?


 その時、ガチャリと鉄の擦れ合う音が聴こえ、ふと青年は我に返る。

 地に伏せ、呻くだけだった巨漢が、鎧の隙間から血を流しつつも、起き上がって来たのだ。

「――ッフ、……まだ息があるのか。

 タフ頑強だな――」

 何とか起き上がった、とは言えども、既に戦える状態では無いのだろう。

 生まれたての獣の如くふらふらと足を震わせ、辛うじて立ち上がる者を前に、僅かに表情を緩めたハザは、賞賛の言葉を投げ掛ける。

 その声はどことなく、嬉しそうな響きが含まれている、そんな風に聞こえた。


 しかし、此処から先は、勝負と呼べるものでは無い。

 先程より強烈さは失われたが、変わらず速く容赦の無い斬撃が飛ぶ。

 気力だけで何とか保っていた意識を、1撃の下に刈り取ると、今度こそ巨漢は地に倒れ伏し、2度と動かなくなった。




 そして、静寂が満ちた広間に突然響いた、硝子が砕け、石と鉄がぶつかり合う、甲高い音に彼は振り向く。

 背後を見れば、これで何度目になるであろうか、再びリムが倒れているのを目にした。

 その近くで何者かが、喚起の雄叫びを上げている。

「ハハッ――!!

 や……、やったぞっ!

 こ、この俺が、神を屠った――!」

 娘に刃を突き立て、その死を看取った末に、へたり込んだ男は、大きな声で喜びを表す。

 見事主命を成し遂げ、かなりの量の金銀が報われる筈。

 いや、これで歴史に名が残る――長年望んでいた、国に仕える事も、夢ではない。

 今までは雲の上の存在であった筈の、王や執政者が、頭を垂れて自身を出迎えてくれる。

 俺の名が、神を斃した英雄として、後世まで語り継がれるのだ。

 村に帰ったら、待っている妻も子も、喜ぶだろう。

「やった!

 やったぞォーーーーッ!!」

 歓びの声が木霊し、うおお、と両腕を天につき上げ、涙ながらに雄叫びを上げる。

 しかし、その雄叫びは最後まで続く事が無かった。

 げぶりという音と共に、勢い良く喉を貫いた、冷たく鋭い鋼の塊が迫り出す。

 声も無く、大きく震えた男は、両の瞳がぐるりと上向くまで、左程の時間を要せず、ハザが長剣を抜くと同時に、仰向けとなって倒れる。

 引き抜いた剣の先端からは、赤黒い鮮血が滴り落ちていた。


 橋の広場、娘の袂にぽつんと転がる、壊れた小さなランタン角灯

 先程の金属音は、これが床に落ちた音かもしれない――頼り無げに揺れていた灯火の消えた事が、不思議と彼女の死を思わせる――恐らくはまた、ぼんやりと眺めて、避けなかったのだろう。

 石造り床に俯せ、事切れたリムの周りには、争った跡がまるで見られない。

 あの時と同じように、迫り来る敵を前に、全く何もしなかったのが、容易く想像出来る。

 彼は遺体となった娘に近づき、屈み込むと、柱に灯る明かりを頼りに、その躰に付けられた傷を調べた。

 剣で貫かれた傷口は深く、例え今生きていたとしても、この傷ならば遅かれ早かれ、いずれは辿ってゆく事だろう、死すべき道を。

 1度こうなってしまえば、手当が得意な知恵者ではないハザには、どうしようもない。

 巨石に潰されても、滅びないと言った彼女は、剣で討たれるのだろうか。

 暫く待ったが、娘は生き返り起き上がる気配は無く、振り向いてもあの時の様に、姿を現す事も無く、よくよく考えれば、屍を茫然と眺めるしか出来ない青年は、彼女を蘇らせる術を、まるで知らなかった。

 そう思うと、彼の助けを待っている、と言う訳でも無さそうな気がしてくる。

 せめて蘇らせる手段を、生きてる内にでも、訪ねておけば良かったのかもしれない。


 やがてハザは、こうしていても仕方がない、と立ち上がり、悩まし気な面持ちで頭を掻くと、再び歩き出す。

 かつて、2人で渡ろうとしていた方角の石橋を踏み越え、再び細く狭くなる、その先の通路へと。

 後に残されたリムのローブ表着が、一陣の風に揺られ、さらさらと戦がれ続けていた。


 再び独りとなった青年は、黙々と地表を目指し、先へ進む。

 今、自身のいる場所は何処なのか、既に分からなくなっている。

 印を入れていない、全く見知らぬ通路を通っている事だけは、確かだ。

 真っ暗闇を進む事を覚悟していたが、壁に取り付けられた光源が、弱々しく輝いている為、進む事に思っていた程の苦労はしていない。

 正直、伸ばした手の先を見るにも、苦労する程の薄暗さだが、進む先が察せられるだけ、遥かにマシであるが。

 敵が襲撃を掛けて来ても、この明るさであれば、対処する事は容易いだろう。

 それだけは、守らねばならぬ者を失った今、気楽に構えてはいたが。


 通路を歩くハザは、軽い変化に気付き、歩きつつも顔を顰める。

 何時の間にやら背後に揺れる、微かな気配――。

 微かな衣擦れの音が、背後から聞こえた気がした。

 やがて突然背後から現れた光に、彼は背を照らされた様に思う。

 左右を見渡すと、壁に明かりが映し出されており、前を見ると青年の影が床へと伸び、その動きを正確に真似をし始めている。

 そして、かちゃり、と、僅かな金属の擦れ合う音。

 聞き覚えのある音に、両手でランタン角灯を下げる、先程斃れた筈の娘の事を思い出す。

 それは再び、きいきいと微かな音を上げた。

 進みつつも耳を澄ませるが、何時の間にか誰か――恐らくは彼女である事は、間違いないだろう――が後を着いて来ている。

 そろそろかと思ったが、やっぱりか。

 あの女――年頃の娘の様にも見えるが、かなりの食わせ物だな。

 或る予感に従い、物は試しと足を止めると、やや暫くの間を置いて、衣擦れの音も止まった。

 そして歩き出すとそれは、まるで風に揺られるかの如く、僅かな音を立てつつ、後を着いて来る。

 再び立ち止まり、頭を掻きながら厳しい面構えを、更に渋く歪ませると、彼は振り向きざま、叫ぶ様に言う。


「俺はもう、驚かんからなッ」


 振り返ったハザがびしり、と指を差すその先には、茫洋としつつも、澄ました面持ちを全く崩さぬ、リムの顔があった。

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