2章.封鎖(2)

 そこで、剥き終えた果実の皮を投げ捨て、ハザは硬い果実を口に放り込む。

 結晶の様な果実が、歯に当たり頬の奥、カラカラと僅かな鈍い音が、微かに周囲に響く。

 先程とは違う柔らかな甘さとそして、仄かな香りが口内に広がった。

 黙したまま、甘さを味わっていた彼は手持無沙汰なのか、右の手指を伸ばし、直角に曲げた人差し指に、反対の手でナイフ小刀の柄の上の窪みを乗せ、手先を軽く振る。

 すると、刃先はくるりと回り、一周して元の位置に戻ったそれを、青年は手を再び軽く振り、幾度もくるくると回す。

 時折、薄明りに照らされたのか、鈍色がきらりとその身を反した。


 では、この遺構は何の為に――?

 これらが全て本当に、この女たったひとりを閉じ込める為に、造られたのだとしたら。

 それはそれは、実に御大層な事だ。

 今まで自身が見て来た通り、何度死んでも何度も蘇るのならば、確かに、地下にでも放り込んでおきたくなる気持ちも、成程頷ける話ではある。

 しかし、逃げられない様に、埋めている訳でも無ければ、蓋をしている訳でもあるまい。

 あの歌に込められた不思議な力を、何度も利用する為だったのか。

 ここには、良く分からない不思議な力が、渦巻いているのは確かだ――この遺構には何と言ったか、呪いが込められていると、彼女は言った。

 ならばリムが既に滅びた、と云っていた古の民とやらも、そんなものを拵える辺り、余程暇を持て余していたに違いない。

「そう、ですね――」

 もう随分と昔の事に感じる、地上から見た遺構の様子を、青年は思い出す。

 石造りの建物が多く立ち並び、太古の秘匿された神殿というよりは、多くの人が集ったであろう、街や住居といった様相だった。

 ひとつではない地下への入り口や、あちこちに繋がる構造から鑑みて明らかに、幾多の者が出入りする事を前提として、造られている事は間違いないだろうな。

 身分を問わず、頻繁に出入りが行われていた、という事も考えられる。

 今の今まで御伽噺にしか、その存在が無いと思っていた、呪いとやらを用い、リムを地下に押し込め、古の民達は必要に応じて、この娘に歌わせ、力を得ていたのかもしれん。

「唄ではありません。

 我等の会話を唄と呼ばれるのは、相当な違和感を覚えます」

 突然、投げかけられた言葉。

 そこで、物思いに耽っていたハザは、リムの方を見た。

 自身はひと言も、喋っていないのに突然、何を言い出すのかと思えば……。

 何故、彼女の歌の事を考えていたと分かったのだろう。

 一体これで何度目になるのか、これは流石に、察しが良過ぎないか?

 考えたくは無いが、もしかするとこの女、本当に人の心が読めるのかもしれないぞ――。

 そこはかとない違和感、そして不審に思ったハザが、思わずリムを睨むと、彼女は僅かに不思議そうな面持ちを浮かべ、すぐに黙り込んだ。


 回し続けていたナイフ小刀の柄を握り、音も無く回転を止めた彼は、訝し気な顔付きを崩さず、彼女の方へ視線を向けたまま、鞄からもうひとつ同じ大きさの果物を取り出す。

 微かな音を立てて先程と同じ様に、器用に皮を剥がされた果実の中に、今度はまだら模様の異様な色合いが浮き、皮の内側にぴったりと収まるそれは、どくり、どくり、と心臓の如くリズム拍子良く脈打っている。

 残念ながら、この果実は蟲食いであった。

 年端も行かぬ子供達が、知り合いに対して悪戯する時に使われる、広く知られた蟲。

 気付かずにうっかり噛み潰してしまえば、口の中に痺れる様な苦さ、不味さが広がり、その後、吐く息に異様な臭いが10日はこびり付く。

 もし、仮に、意中の人へこの蟲で悪戯でもしようものなら、その後関係を取り戻す事は不可能となるだろう。

 それ以上の害は無い為、脈打つだけのまだら模様を取り除いても良いが、この大きさまで育った蟲では、食べられる部分は、ほぼ無くなっているに違いない。

 軽く溜息を吐くと、青年は果実を何処かへと放り捨て、ナイフ小刀を鞄へ無造作に放り込み、椅子代わりにしていた横倒しの柱から立ち上がる。

 興が削がれたまま小休止を終え、歩き始めると、更に広い通路へと出た。

 終始、横倒しで浮いていたリムも、そこへ来て漸く姿勢を正す。

 少し歩くと、今までとは少々毛色の違った通路へと出る。

 2人も並べば窮屈さを感じる、今通って来た狭い通路は、この通路に繋がる脇道だったようだ。

 今までとは明らかに違う幅――5人程並んだとしても、その広さにを感じる事に問題無さそうな、この地底に造られた迷宮にしては、広めの通路が真っ直ぐに続く。

 思い起こす限りでは確か、大広間で争っていた者達は、4人か5人は横並びになって、石の橋を渡っていたと思う。

 目指す石の橋は、この先にある事は間違いはなさそうだと判断し、ハザは歩き出す。




 暫くの間再び黙々と進むと、漸く、あの時の広場が見える場所へと、2人は差し掛かった。

 広めの通路、その先の暗闇に浮かぶ、幾つかの光点。

 ここからでも幾つかの篝火が、大広間に灯されているのが見える。

 だが、何かがおかしい。

 確かに正面の大広間では、あれ程の乱闘があったというのに、倒れている者達が1人も居ないのだ。

 歩を進めつつも、ハザは目を細めて訝しむ。

 奇襲か――いや、奴等が奇襲を掛ける心積りなら、火を消して待てば済む話。

 明かりを灯す理由は――暗がりの中で同士討ちを避けたい、または、囲んで逃げられない様にしたい――、のかもしれない。

 奇襲というアドバンテージ優位性よりも、数を頼みにした、力押しの戦いを選んだのだろう。

 1人ならそれなりに楽しめるだろうが、今は無事に連れ出さねばならない同道者が居り、遊びを嗜んでいる場合では無かった。

 ここへ来て、足を止めたハザは振り返り、すぐ後ろのリムへと問いかける。

「先に敵が居ると思う、戦いは避けられんだろうな。

 ――お前が、大人しく奴等に捕えられたいのなら、話は別だが。

 まだ、使える技はあるのか?」

 これから数を相手にするのだ、当然だが彼女にも敵は差し向けられるだろう。

 以前の様に、暢気に構えられては敵わない。

 彼女は返答に悩んだのか、やや間隔を開けてから、澄んだ声で答えた。

「正確には技というものではありません……が、ありますよ。

 どのようなものが、お好みでしょうか」

「何でも良い。

 守る場合、流石に数は俺独りでは抑えきれん。

 お前の方にも客が来るから、幾つか適当に相手してやれ」

 簡単な方針をざっくりと説明し、踵を返すハザ。

 これで振り下ろされる剣戟を、ぼんやり眺めて刺される事態は避けられると思うが、分かるだろうか。

 返答は無かったが、まるで返事をするかの如く、細く美しい指で掴み下げる、壊れたランタン角灯が僅かに軋んだ。


 そして、幾つかの脇道を通り過ぎる。

 振り向きはしていないが、そこに何者かが隠れ、こちらの様子を窺っていた。

 今頃はこっそりと脇道を抜け出し、2人の後を追っている事だろう。

 要らぬお供を引き連れ、向こうに辿り着いても構わないが、それでは詰まらない、後ろの奴等を少し揶揄ってやるかと、そのまま200歩程、気付かぬふりをして歩み、それから唐突に駆け出す。

「あっ!?

 そこの2人、待てっ!」

 しめしめ、全然気づかれていないぞと、完全に油断していたに違いない。

 駈け始めると、背後から慌てふためく声、そしてばらばらと駆け出す足音。

 矢張り、何者かが後を追って来ていたのだ。

 何人居るのか、とハザは聞き耳を立てる――、すぐ後ろからは、2人程の足音が勢い良く響く。

 リムの事が気になったが、彼に引かせているとの言葉通り、走り出すと1拍遅れてその速度を上げ、瞬く間に距離を縮めて来る。

 どのような事をすれば、そうなるのかはさっぱりだが、これなら全力で駆け抜けたとしても、問題は無いだろう。

 青年が遠慮無く走る速度を上げると、たちまちの内に背後からの怒声が遠く、小さくなってゆく。


 突如視界が開け、天上も高く広い空間へ、架けられた石橋を渡る。

 大声で前方に、何かを知らせようとする者に追われ、長い橋をひと息に駆け抜け広間に出ると、その床には色々な場所に血痕が付着しているのが見えた。

 広間から1歩外れれば、そこに足場は無い。

 もし落ちれば、何処まで続いているか分からない、暗闇の底まで真っ逆さまだろう。

 成程、多人数で動けば、下手をすれば落ちてしまい、無駄な犠牲が増えるのを見越しての配置だ。

 斃した者達は邪魔だから蹴落としたのか、道理で死体が見当たらない筈である。

 やがて、互いの接近に気が付き、柱の陰に伏せていた者達が次々と現れ、彼等の方へと向かって集い始め――。

 誰何を問わず、数に物を言わせての威圧、そして制止と投降の呼び声が聴こえたが、構わず駆け抜けた。

 前方には、鎧兜に身を包んだ者達が、リムとハザの2人を先へと進ませまいと、不定に動く、まるで生きた壁で包み込む様に展開を始めている。

 剣を交えて決着を付ける事態となるまで、後僅か――互いに引く意志など、持ち合わせていよう筈も無く。

 戦いの火蓋が、切って落とされようとしていた。

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